ポッド独自の判断による自動シャットダウン。
余ほどの過負荷やエラーが生じない限り起こり得ない強制停止は、今の僕にとっては然して珍しくもない。
『おはようございます、4S』
「……おはよう」
システムチェックをはじめとした点検項目を省略。半身を起こして辺りを見回す。
紙媒体特有の匂い。腐った木材が放つ異臭。屋外から差し込む灰色の日光。そして―――
「お前、馬鹿なのか?」
あからさまに不機嫌そうな様子の彼女は、手にしていた一冊の書物を閉じてから、開口一番に告げた。
思わず肯定してしまいそうになり、苦笑いを浮かべると、彼女は益々表情を歪めた。
「こいつらを見ていてくれと頼んだだろう。誰が眠れと言った」
「……どれぐらい、経ってますか?」
「知るか。自分で調べろ」
時刻を確認すると、どうやら僕は三時間以上もの間、メンテナンスモードに移行していたらしい。そんな僕の真似事に及んだのか、二体の機械生命体は、僕の傍に寝そべってスリープ状態。
機械生命体が添い寝。何とも奇妙な光景だ。9Sのデータにあった、戦闘を放棄した個体の類だろうか。
「この機械生命体は、一体何なんですか?」
「ついて来た」
「はい?」
「だから勝手について来ただけだ。どうだっていいだろう、そんなこと」
「えーと。とりあえず、すみませんでした、A2さん。強制シャットダウンが掛かったみたいで」
「……ふん」
僕が彼女の型番を口にすると、A2は少しだけ怪訝そうな面持ちを浮かべてから、すぐに表情を消した。
A2。アタッカー二号。実験機として試作された旧ヨルハ部隊、プロトタイプ。戦闘記録を含め、最新のデータは9Sが提供してくれた個体データの中にも含まれていた。
今日が初じゃない。僕が彼女を初めて知覚したのは、七月の初旬。僕がこの図書室に居座るようになってから間もなくのことだ。
A2はこの城を訪ねる度に、『正宗』と名乗る機械生命体の下へ足を運んでいた。今日と同様で、近接戦闘用兵器のメンテナンスが目的だったのだろう。
「最近は音沙汰なしでしたね。八十九日振り、ですか?」
「気味が悪いからやめろ」
データ上では、彼女は任務放棄の罪を背負う脱走兵。E型の執行対象リストには、四年間近く彼女の型番が記され続けている。返り討ちにあったE型の数は、恐らく正確に把握し切れてはいないだろう。
これも、今となってはどうでもいい事実だ。バンカーが陥落し、部隊組織が崩壊した今、全てが過去のデータに過ぎない。A2を排除する理由も、手段もない。
そしてA2も、何もしない。決まって彼女は、僕に見向きもしなかった。
そもそもの話、僕が彼女を認識していたということは、その逆も然りだというのに。
「一つ確認なんですが。A2さんも、僕の存在には前々から気付いていたんですよね?」
「当たり前だろう。一時を境に、ここで籠城……いや、違うな。確か……何だっけ」
『推奨:『引き籠り』が最も適切な表現』
「ああ、それだ。旧世界に存在した出来損ない」
「酷い言われようですね……」
しかし反論の余地がない。引き籠り以外の僕に関する情報を促すと、A2は素っ気なく続けた。
「スキャナーだろう。それぐらいは私にも分かる」
「まあ、そうですね。あとは?」
「諸々はそのハコが話してくれた。というより、勝手にべらべらと喋った」
若干の間を置いて、『ハコ』がポッド117を指していることに気付く。
勝手に喋った。どういうことだろう。許可なしの発言を禁止するという僕の指示は何処へいってしまったのか。
「それにしても、ポッドっていうのは全部こうなのか?従順な振りをして、ムカつくぐらいに身勝手だ」
「そうですか?確かに個体差はありますけど」
「口調も気に入らない」
「それも個体差があります。型番によって、かなり違いますよ」
僕の言葉に興味を示したのか、A2は初めてその視線を真っ直ぐに僕へ向けた。
やや濁り気味の、青色の瞳。自然と僕は微笑みながら、ポッドに触れた。
「型番が大きいポッドは、機械的な口調で淡々と判断を下します。逆に小さいほど、何と言いますか、人間らしい言動を取りやすくなるんです」
「はあ?人間?」
「あくまで根幹は変わりません。言葉の選択が変わるだけです」
例えば、と前置いてから、僕はポッド117に声を掛けた。興味本位で過去に似たような指示を与えたことがあるから、すぐに順応してくれるはずだ。
「ポッド。00番台後半ぐらいの、砕けた口調で話してくれ」
『了解:ちなみに、いつまで続ければいいのかしら』
「僕が解除の指示を出すまで。ていうか、僕の許可なしに発言を禁止するっていう指示は何処にいったのさ?」
『あれは貴方に対する発言が対象だったはずでしょう。別に忘れたわけじゃないわよ』
「こんな感じです」
振り向くと、A2は形容のしようがない複雑な表情で、僕らのやり取りを眺めていた。
笑いながら、泣いているような。
過去を思い出しながら、今を見詰めるような。相反する二つの顔が入り混じって、分からなくなる。
「どうか、しましたか?」
「いや……何でもない」
「A2さん?」
「何でもないっ」
A2は立ち上がり、僕に背中を向けた。傷だらけのその背には、今し方鍛えられたと思しき三式斬機刀。武滑稽で力強い形状が、彼女の何かを象徴しているようで、僕の目を捉えて放さない。
「貴女は、僕に何もしないんですね」
「何を言いたいのかさっぱり分からない」
「だって、貴女は……。その」
「もういい。おい、起きろ」
僕の声を意に介さず、A2は爪先で機械生命体の頭部を突いて、強引にスリープを解除する。
『んん……おねえチャン、もう行くノ?』
「ああ。用事は済んだからな。この本、借りていくぞ」
僕が探し出した哲学書を手にしたA2と、機械生命体。大小三つの背中が、段々と小さくなっていく。
少しずつ、少しずつ。唐突に、急速に。
何事も始まりがあれば、終わりがある。僕は限りなく終焉に近い場所に立っていると思っていた。けれど、分からなくなってきている。何かが始まりを告げたような、この感覚。僕は今、何処に立っているのだろう。
「ま、待っ……え?」
素っ頓狂な声を上げてから、驚愕した。
声。失っていたはずの声がある。沈黙していたはずの予備スピーカーと、音声システムのリンクが生きている。僕は、僕以外の誰かと会話を交わしていた。そんな当たり前の事実を、今更になって。
(僕は―――)
引き籠り、か。旧世界の概念を完全には理解できないけれど、言い得て妙だと思える。
一冊と言わず、もう少しだけ。手早く同分野の数冊を棚から取り出して、僕は駆け出した。ポッドが何かを言ったような気がしたけれど、どうでもよかった。