夢を見ていた。見たくもない夢だった。
一度目は、廃墟都市施設前。A2が手にしていた軍刀は、大切な女性の腹部を貫いていた。僕はあらん限りの憎悪を以って剣を取り、がむしゃらに疾走するも、崩落する橋や瓦礫と一緒くたになって、落ちていく。
二度目は、大型ユニットの最上階。殺し損ねた相手に、僕は笑いながら斬り掛かった。何度も何度も軍刀を振りかざして、しかし刃は届かず、再び足元が崩落していく。
三度目は妙に鮮明で、不愉快な夢。現実の記憶。僕は彼女の手を取ろうとして、やっぱり手は、届かなかった。
「……ここ、は」
光がない。一切の光源がなくて、真っ暗だった。
視覚センサー系統を切り替えていると、向かって右側から声が聞こえた。
「漸くお目覚めか」
「っ……A2?」
A2は僕の傍らに腰を下ろしていた。一方の僕は、仰向けの姿勢で寝そべっていた。
一体何が起きた?バイタルがやや不安定だ。右脚も不具合を起こしているし、まるで状況が理解できない。
「ポッド。……ポッド?」
「無駄だ。お前を追って、あいつらも巻き込まれた。多分、何処かに埋まっている。三機ともな」
「……どれぐらい、時間が経ってますか?」
「さあな。二時間弱ぐらいじゃないか」
冷静になれ。記憶は鮮明だ。まずは一つずつ確認する必要がある。
どうやら僕らは、謎の崩落に見舞われてしまったらしい。地表が崩れた原因はともかく、状況から察するに、かなり地下深くにまで落ちてきたのだろう。周囲の空間は僅かで、満足に身動きを取れそうにない。A2の言葉を信用するなら、ポッドを頼ることもできない。
「いつもいつも、どうしてお前は足場もろ共落ちるんだ。これで三度目だぞ」
「僕も同じことを考えていました」
「しかも今回は私まで巻き込まれた」
「僕に言われても困るんですけどね。……クソっ、駄目か」
更に困ったことに、右脚の人工骨格が折れていた。落下の衝撃で折れたのなら、やはり地上とはかなりの距離がある。
外部との通信も絶望的。状況確認が進むに連れて、段々と重々しい雰囲気が漂い始める。
「痛むのか?」
「いえ……神経系統を調節すれば、ある程度は。でも自己修復には、数日掛かります」
十日も経たずに骨格は繋がるだろう。安静にしていればの話だが、決して楽観視はできない。
頭上にはいつ落下してくるとも分からない物体が無数に存在した。岩盤自体が崩れているのだろう。二次的な崩落が起きたら、今度こそ二人揃って地下深くに埋まってしまう。
「要するに、私達は移動した方がいいのか」
「可能であれば……さっきから気になってましたけど、もしかして、視えていないんですか?」
「光がないんだから仕方ないだろう」
「光学以外のセンサー系統は?」
「二年前から機能していない」
「……よく分かりました」
道理で様子がおかしい訳だ。こんな狭い空間の中で暗闇に包まれたら、不用意に立って歩くことすら儘ならない。
辺りを見渡すと、十数メートル先に横穴が空いていた。風の流れはない。あの穴が何処へ繋がっているのか分からないけれど、ここで静観している訳にはいかない。
「A2。僕の指示に合わせて動いて下さい」
「その前に言うことがあるだろう」
「……手を貸して貰えると、助かります」
「やれやれ。面倒なクソガキだな」
僕が誘導すると、A2はゆっくりとした動作で僕の脇と膝の下に腕を通して、立ち上がった。
どうして僕は、いつも抱えられる側になるのだろう。自分が情けなく、惨めで仕方がなかった。
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横穴を進むに連れて、崩落の原因が分かってきた。
恐らくこの辺りは、連結型機械生命体の縄張りだったのだろう。機械生命体が地下深くを掘り進む連れて地層が不安定になり、僕らが地上を自動車で走行したのが引き金となって、一気に崩れ落ちた。キャンプにいたレジスタンス達は、機械生命体の襲撃に遭ったのかもしれない。
「多分この洞穴は、雨水が地下へ流れる道なんだと思います。岩肌に水が削った跡があります」
不幸中の幸いは、僕らが落下した地点に、一本の洞穴が繋がっていたこと。足元には昨日に振ったとされる雨水が前方に流れていて、雨季には川のようになるのだろう。
「結局この穴は何処に繋がってるんだ?」
「それは僕にも分かりませんよ……A2、少し休憩にしましょう」
「必要ない。まだ小一時間しか経っていないぞ」
「いいから一度下ろして貰えますか」
A2が身を屈めて、僕は左足一本でバランスを取り、地面に座った。僕の隣に腰を下ろしたA2は、大きく息を吐いて額を拭った。
「目が利かないのは……厄介だな」
「……相当な負荷を掛けている、自覚はあります」
光源は一切ない。A2は今も尚暗闇に囚われながら、僕を背負って移動している。地形の情報は僕の声だけが頼りで、しかも脚の損傷を気に掛けて、数秒間に一歩ずつのペースで。一時間が経ったとはいえ、距離で言えば一キロ半しか進んでいない。精神的な負荷は、途方もなく重いはずだ。
「ポッドがいれば、簡易ライトで道を照らしてくれるんですけどね」
「必要な時に役立たずなハコだな……クソっ」
地上では2B達が異変に気付き始めた頃だろう。定期連絡の時間はとっくに過ぎている。遅かれ早かれ、僕らが直面している事態を察知するはずだ。
ここで2B達の救援を待つ、という選択肢もある。しかし可能性は限りなく低い。この洞穴が地上と繋がっていると信じて、先に進む方が賢明だ。
「9S、もう少し情報をよこせ。足元が滑り易くて心許ない。癪だが、お前の目しか頼れない」
「……分かりました」
A2は当たり前のように、僕へ背に負ぶさるよう促した。
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洞穴に入ってから丸三日が経過した。状況に変化は見られなかった。
右脚の自己修復も、一向に進まなかった。損傷部は固定したものの、骨格の繋がりが著しく悪い。A2に背負われていても、歩行の振動が人工骨格に伝わって、修復が阻害されていた。時折足を滑らせて転倒すると、却って益々悪化した。
想定外の要因は、複雑に入り組んだ洞穴の構造にもあった。
「A2、止まって下さい。道が狭すぎます。行き止まりです」
「クソッ……またか。強引に削って進めないのか?」
「この辺りの岩盤は崩れ易くて危険です」
足元に水の流れはあるものの、僕らが通れそうな空間は見当たらない。
これで何度目だろう。S型としての地形探索能を余すことなく活かしても、道を誤ってしまう。そもそもこの洞穴が外部に繋がっているという可能性自体、危ういというのに。
「……脚の修復を、待った方がいいかもしれません。そうすれば、格段に早く探索できます」
「十日間も掛かるんだろう?待ってられるか。その間に大雨でも振ったら、二人共水没するぞ」
「今は比較的乾季だし、A2の負担があまりにも―――」
「構うな。このまま進む」
A2は踵を返して、再び一歩ずつ歩を進めた。
疲労は目に見えて蓄積している。何とかしないと。どうすればいい?僕は、どうすれば。
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十二日後。次第に会話が減り、元々遅かったA2の歩みは、より鈍足になっていた。骨格の自己修復は一向に進まず、光も見えてこない。ないない尽くしの状況が続いていた。
「「!?」」
A2が左足を滑らせて、僕らの身体が岩肌に転がった。右脚に鋭い痛みが走り、思わず呻き声を漏らしてしまう。
「ぐう、ぅ」
「っ……すまない」
そのまま壁に背を預けて、僕らは休憩を取ることにした。
A2の負荷は既に限界を超えていた。視界が皆無というだけで、精神的ストレスは途方もない。僕の思考回路も、段々と異常を来しつつある。論理的に考えようとすると、ノイズが邪魔をして遮られてしまう。考えようにも、痛みばかりが先行する。
「これ以上は、無理です。限界だ。ここで脚の修復を待ちましょう」
「クソっ……クソ!」
完全に判断を誤っていた。少し考えれば、分かったはずだ。
これまでの道のりと地形の情報から推測して、出口らしい出口は近地にない。地上とはかなりの距離があるし、広大な縦穴でも見付からない限り、地上へは出られない。どう転んでも、脚の修復を待つ必要があった。
A2の歩みが、完全に無駄と化したに等しい。もっと早く決断すべきだったのに。
これから十日間―――十日間、も?
(今、何日目だ?)
違う。そんなこと、考えてどうする。
2B達は、近くまで来てくれているのだろうか。もう何日間も声を聞いていない。あと、十日間も?いや、もっと掛かるはずだ。そもそも僕らは、地上に戻れるのか?
やめろ。考えても無駄だ。
2B。みんな。会って話をしたい。声が聞きたい。
おかしい。段々と思考が歪になっていく。このままでは、僕は。
「9S。何か、話せ」
「はい?」
不意に、声が聞こえた。若干の間を置いてから、A2は再び言った。
「頼む。何か、話してくれ」
不思議なことに、僕よりも一回り大きい身体が、とても小さく映った。その肩は小刻みに震えていて、寒さからくる体温調節行為でないことは、一目瞭然だった。
「A2、貴女は……」
唐突に、僕は理解した。今更になって、漸くA2の心を垣間見た気がした。
「おい。聞こえないのか」
「いえ、聞こえてます。少しA2のことを、考えてました」
「……何だと?」
「貴女はずっと、そうだったんだ」
きっと彼女は、手放していたのだろう。数年間の孤独に耐え得るために、感情の大半を諦めた。孤独の代償として、僕らが当たり前のように抱く大切な何もかもを捨て去って、たった独りで生き続けてきた。
それが今、成り立たなくなりつつある。僕らがこの洞穴に迷い込んでから、ほんの十数日しか経っていないというのに、誰かの声を欲している。自分以外の誰かを求めている。
かつての仲間。パスカル達機械生命体。2B。10H。―――4S。
「よく分からないが、無性にお前を殴りたくなってきた」
「後にして下さい」
それから僕らは、色々な会話を交わした。
自分のこと。相手のこと。過去の記憶。最近の記憶。
好きなこと。嫌いなこと。好きな物。嫌いな物。他愛のない四方山話。
時に微笑んで、時に腹を立てて、気まずい雰囲気になりながらも、僕らは一時も欠かさず語り合い、睡眠を取っては起床して、お互いの声を聞いた。
長いようで短い十日間は―――あっという間に、過ぎていった。
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崩落から二十四日後。右脚が完治したことで、僕らの歩みは飛躍的に早まった。
A2の手を引いて洞穴を進んでいると、二十四日目にして漸く、手掛かりらしい手掛かりを感じた。
「……風だ」
「風?」
「僅かにですけど、風があります」
普段なら気にも留めない、僅かな風の流れがあった。未だ光源は見付かっていないけれど、脱出の大きな手掛かりとなり得る。
足早に進むに連れて洞穴は段々と広がっていき、やがて行き着いた先には―――希望のような、絶望があった。
「これって……」
水の流れがあった。上流の洞穴からは凄まじい勢いで水が流れ出ていて、下流では湖の底に穴が空いたかのように、小さな渦が発生していた。水圧は相当なもので、つるんとした滑らかな岩肌に、足場は一つもない。一度流れに巻き込まれたら、後戻りは不可能だ。
風の流れはあるものの、肝心の道が見当たらない。眼前の光景をA2に説明すると、A2は険しい表情で言った。
「流れに逆らって上れないのか?何処かしらに繋がっているはずだろう」
「無理ですよ。こんな水圧じゃ、僕は勿論、A2でも」
「……試してみる価値はある」
A2は上流の洞穴に向かい、水圧に逆らって水流に左半身を投じ、左足を岩肌に突き刺した。途端にA2の身体がぐら付いて、瞬く間に流れに飲まれてしまい、僕は慌ててA2の腕を掴んだ。びしょ濡れになったA2は、身体を震わせながら水を吐き出した。
「ゲホ、カハッ……だ、駄目だ。水圧が、そ、それに、水温が、低過ぎる」
こんな地下深くを流れる水だ。短時間でも一気に体温が奪われてしまう。調節機能が追い付くはずがない。
「……でも、道らしい道は、ここまでです」
これまでの足取りは全て把握していた。敢えて口には出さなかったけれど、僕らは少しずつ地下に潜っていた。風の流れはここにしかないし、上流の洞穴が行き止まりに等しいのであれば、最早探りようがない。
「クソっ……クソ、クソ!!」
A2は地面に拳を打ち付けながら、悲痛な声を漏らした。
僕には、どうすることもできなかった。
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水流が弱まるという可能性に縋り、僕らは待機を選んだ。しかし待てども待てども水圧は変わらず、段々と重く圧し掛かってくる現実が、僕らの感情を容赦なく蝕んだ。
会話も消えていた。僕らは距離を取って蹲り、虚ろな目で水流を見詰めていた。思考は再び回らなくなり、絶望感ばかりが募っていく。
(寒い)
始まりがあって、終わりがある。生と死がある。こんな所で、終わりが訪れるのだろうか。何とも味気なく、現実味がない。しかし逃れられない現実がある。光が微塵も届かないこの空間が、終着点。
「―――え?」
始まりと終わり。終着点。必ず終わりがある。
そうだ。どうして気付かなかった。僕らはまだ、終わってなんかいない。
「可能性は……ある。いや、絶対そうなっているはずだ」
「……9S?」
「A2。落ち着いて聞いて下さい」
たった一つだけ残されている可能性。上流が駄目なら―――下流だ。
僕は逸る気持ちを抑え、丁寧に言葉を並べた。
「地上の情報と僕らの足取りから考えて、僕らは今海岸にほど近い地点にいます。この水の流れには、必ず終着点がある。海に繋がっていると考えるのが自然です」
「……まさか、飛び込む、のか?」
無論、最悪の事態を招く可能性は大いにあり得る。もし洞穴が大海に繋がっていたとしても、僕らが辿り着ける保証は何処にもない。長時間冷水に曝されてしまえば、それだけで危うい。洞穴が極端に狭まってしまったら。光が届かない深部に放り出されたら、光学センサーしかないA2が海面に浮上できるのか。
自殺行為と言っても過言ではない。危険な要素は幾らだってある。けれど、道は他にない。ここまで来て諦めるなんて、馬鹿げている。
「流石に、無理だろう。危険過ぎる」
「でもこれしか方法がありません」
「それは、分かるが……」
「僕は諦めたくない。A2も同じはずだ。A2だって、また4Sと―――」
「やめろ!!!」
どんと胸を押されて、尻餅を付いた。見上げると、A2は頭を抱えて岩壁に背中を預け、ずるずると座り込んだ。
「あいつの名を口に出すな。頭が、頭がおかしくなりそうだ」
「A2?」
「どうして……どうして、私は、こんな」
ひどく頼りない声を漏らしながら、A2は身を縮めて蹲った。
どうして、だって?それはもう、分かっているはずだろう。手放していただけ。忘れていただけだ。
「おかしくない。それが普通だ。僕だって気が狂いそうで仕方ない」
「な、に?」
「一緒だって言ってるんだ。僕らはっ……何も、違わない」
絶望に打ちひしがれて、言い換えればそれは、彼女が生きようとしていることに他ならない。死に対する恐怖心は、生への執着心の裏返しだ。
遠い昔に捨て去った感情を、貴女は受け入れようとしているのだろう?ひどく不慣れで、不器用で、覚束ない足取りで、もう歩み始めているはずだろう。
人間を恋しいと思う感情を、僕らは捨てることができない。けれど、人間以外の誰かを、愛おしいと感じることはできる。その存在を、僕らはとっくに見付けている。貴女の歌声を、僕は知っている。
「A2。手を握りましょう」
僕は強引にA2の右手を取って、立ち上がらせた。力を込めて握ると、同じだけの力が返ってくる。
「絶対に離しません。だから、離さないで下さい」
握った手はそのままに、反対側の手をA2の背中に回した。A2も同様に、僕の身体を引き寄せた。お互いの存在を確かめるように抱き合って、僕らは最後の会話を交わした。
「凄まじく不快だ」
「同感です」
「私はお前が大嫌いだ」
「僕も大嫌いです」
「……絶対に、離すな」
「そっちこそ」
意を決して、僕らは激流に身を投じた。
A2の胸元から伝わってくる体温だけが、拠り所だった。
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寒い。静かだ。目の前には、空があった。最初に耳に入ったのは、波の音。
ここは何処だろう。音や色彩が少しずつ明確になっていく。
「私は……」
口の中に水と砂が入り込んでいて、体液と一緒に吐き出した。塩辛い。知らぬ間に海水を飲んでしまっていたのだろう。
ぼんやりと辺りを見渡すと、砂ばかりだった。さざ波がやって来ては下半身が濡れて、肌寒さに襲われた。
寒い。寒い。海水はそこまで冷たくないのに、寒くて仕方ない。
「……え?」
右手には、右手がなかった。右手はあるのに、右手がない。
私は何を握っていた?右手で、右手を。誰の右手を?
「っ……9S?」
そうだ。私は離さないと言った。彼もまた離さないと言っていた。
なら何処だ。何処にいる。どうして私は、独りなんだ。
「9Sっ……9S!?」
慌てて立ち上がり、大声を捻り出す。返事はない。誰の姿も見当たらない。
「9S、何処だ!?9S、9S!!」
どうして答えない。離さないと言っただろう。どうしてお前は、私は手を離してしまったんだ。
独り。
まただ。独りだ。
また私は、独りになってしまった。
私は今―――圧倒的に、独りだ。
「ナイン……エス」
「ぷはっ!!」
「……は?」
孤独を好いていた。独りは気が楽だった。誰かに裏切られる心配はないし、誰かを失うこともない。ちっぽけな感情を切り離すだけで、苦しまなくて済む。
「あ、A2。起きたみたいですね。よかったです」
「お前……あ、え?」
「いやー参りましたよ。上着のポケットに入った砂を洗い流していたら、上着が流されてしまって。元々水中での活動は苦手なのに、僕って―――ぐはぁ!?」
けれど、一度思い出してしまったら、もう後戻りはできない。たとえ世界中の全てを敵に回したとしても、完全に捨て去ることは、できないのだろう。
「待って、おい待て。どうして僕は殴られたんですか」
「いいから黙って殴らせろ」
「何でだよ!?」
実に面倒で厄介な感情と一緒に、私は生きていく。この地上で、私は生きていく。
帰るべき居場所で、待っている人がいるから。