差出人:ジャッカス
受信者:9S
やあ。
先日はありがとう。おかげ様で漸く一台の試作車が仕上がったよ。
完成度には満足している。我ながらいい腕をしているね。うんうん。
という訳で、是非とも試乗は君にお願いしたい。
索敵や偵察に優れた君なら、きっと乗りこなせると思う。というか、実験したくて。
詳細は現物を見ながら話そう。待っているよ。
ジャッカスより
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砂漠地帯と廃墟都市エリアの境い目。以前はアクセスポイントが設置されていた簡易キャンプを訪ねると、腕組みをして待ち構えていた女性型アンドロイドの姿があった。僕は開口一番に言った。
「要するに、僕の嫌な予感は案の定、的中したということですね」
「ハッハッハ。9S、君は察しがいいな。話が早くて助かるよ」
沸々と湧き上がる苛立ちを抑えて、深呼吸。この人の独特のペースに惑わされては駄目だ。
メールが届いたのは昨日のこと。差出人を見た時点で辟易としたのは言うまでもなく、文面を読んですぐ頭痛に苛まれてしまった。内容だけを見れば四輪駆動車の操縦に過ぎないけれど、依頼人がジャッカスとなれば話は変わる。
「それで、試作車っていうのは?」
「これさ」
ジャッカスの後方。何かに覆い被さっていた布が勢いよく捲られて、砂埃が舞い上がる。やがて目に映ったのは、見慣れない車体だった。
「燃料効率と走破性を最大限追求した代物さ。速度は君達ヨルハ機体よりも出るよ」
「へえ……想像していたのと、少し違いました」
思っていた以上に車体は小振りな一方、タイヤはやや大径。車内には前後に座席が二つずつ。後方には積荷用のスペースが設けられていて、全体的にどっしりとした安定感を思わせた。
僕がこれを操縦する。最大速度以外のスペックはどれぐらいだろう。
「走行可能時間はどれぐらいですか?」
「時間で言えば、約九十時間はぶっ続けでいけるよ」
「……あの、おかしいですよね」
「ん?」
「長過ぎですよ。幾らなんでも。旧文明の自動車を模したガソリンエンジン式だって言ってましたよね」
「あー、それはほら。機械生命体のパーツを一部併用して、色々試してみたら、凄まじく燃料効率が上がってね。私も驚いた次第さ。ハハッ」
視線を斜め上に外している辺り、僕が言及しなかったら隠すつもりだったに違いない。
原動機の構造と燃料から考えて、明らかにオーバースペックだ。走り始めて早々に爆発したりしないだろうか。やはり嫌な予感しかしない。
「ああもう。結局僕は、何をすればいいんですか?ただ操縦すればいいって話でもないんですよね」
「うんうん、やっぱり君は察しがいいね。まずはこれを見て欲しい」
詳細に触れると、ポッドが一つの画像データを受信した。ファイルを開くと、各エリアの大まかな地理情報を示す広域マップが表示された。
「このマップは君や2Bが普段使用している物だ。一つ確認なんだが、君はこのエリア外での作戦行動に従事したことはあるかい?」
「……多分、あります。でもマップデータは残っていません」
思わず言葉を濁してしまった。
イエスかノーかで言えば、恐らく前者なのだろう。けれど僕には、その大部分の記憶がない。きっと僕は事ある毎に禁忌に触れて、2B―――二号E型の執行対象として葬られては、記憶を消去されていた。そういった意味では、現実的な返答は後者となる。言葉では、形容のしようがない。
「ふむ……まあいい。今回はマップに記された座標から、この車両を使って南へ下って欲しい。砂漠地帯から南のエリアは比較的平坦な地形で、最終の目的地は南西にあるレジスタンスキャンプだ」
「レジスタンスキャンプ……規模はどれぐらいですか?」
「十数名程度だったかな。私も時折連絡を取り合っていたんだが、ここ最近音信不通でね。今回の依頼は、キャンプの状況確認も兼ねている」
マップの広域度を変えて、ルートを確認する。走行可能時間から考えて、十分に往復できる距離だ。
「ん?でもそうなると、スタート地点まではどうやって?流石に四輪で山岳地帯は走れませんよ」
「10Hが搭乗していた飛行ユニットがあるだろう。大部分の機能はダウンしているらしいけど、短時間の飛行なら可能と聞いている。君達二人と車両を飛行ユニットで運んで、あとは聞いての通りさ」
何故飛行ユニットの情報を当たり前のように把握しているのだろう。気にはなるけれど、どうせ肩透かしを食らうだけだ。
ともあれ、概ね依頼の内容は把握できた。往路だけでも丸一日は掛かるだろうから、二日間に渡る旅路になる。スタート地点から僕ら二人で―――二人?
「……念のために聞きますけど。もう一人って、誰ですか」
「打って付けの仲間がいるじゃないか。彼女は元々南から北上してきたんだし、地理情報も知っているはずだ。機械生命体の襲撃も想定して、既に依頼はしてあるよ」
眼前に浮かぶ満面の笑みが、腹立たしくて仕方なかった。
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二日後。4Sが操縦する飛行ユニットが、機動形態のまま主腕で車両を運び、目的の地点へと降下した。車内の操縦席に搭乗していた僕は、車両が完全に降下してから一旦外へ出て、4Sの下へと向かった。
「助かりました、4S。飛行ユニットの調子はどうですか?」
「やっぱり長時間の飛行は難しいね。腰部エンジン一基だけじゃ、すぐに過負荷を起こす。あと数時間は飛べそうにないよ」
飛行ユニットは運用コストが非常に高く、その上内部の構造も精密過ぎて、バンカーの技術部でなければ修繕は望めない。数分間の飛行が未だ可能なだけでも有り難い限りだ。
「ナインズ。僕から言えることは少ないけど、くれぐれも気を付けて。定期連絡は欠かさないように」
「分かってますよ」
「A2さんも、用心して下さいね」
4Sが声を掛けると、A2は助手席のウィンドウから左手を出して、ひらひらと振った。
さあ、丸二日に渡る旅路の始まりだ。今更嘆いていても仕方ない。
「じゃあいってきます。2B達にも宜しく伝えておいて下さい」
互いの右手をぽんと叩き合わせて、車両の扉に手を伸ばす。前右側の操縦席へ乗り込み、扉を閉めてエンジンを起動させた。聞き慣れない内燃機関の振動音が、下半身から伝わってくる。
「発車します」
円形のハンドルを握り、アクセルペダルを踏んだ。
操縦自体は昨日に何度か試していた。地上を四輪駆動車で走行するという行為には、奇妙な爽快感がある。もしかしたら人類にとっての自動車は、単なる移動用のみならず、趣味嗜好といった意味合いもあったのかもしれない。
……時折自然と、思考の中に人類という存在が浮かんでしまうのは、僕らの悪い癖だ。こんな基礎プログラム、邪魔なだけなのに。
「はあ……。A2、乗り心地はどうですか」
「尻が痛い」
「それぐらい我慢して下さい」
「なら聞くな」
A2は助手席のウィンドウを全開にして左肘を置き、足を組んだ姿勢で前方を見詰めていた。
気まずい、とは感じない。ただただ不快だった。僕ら二人だけの、丸二日間の旅路。想像しただけで疲労感に苛まれる。
(変わらないな。お互いに)
歩み寄らなければならない。頭では理解している。けれど納得はできない。思考がぐるぐると同じ軌道で回転して、感情がそれを停止させてしまう。
だとえこの記憶が、彼女が大切な誰かを手に掛けた記憶が消えたとしても、僕の根本的な部分が、彼女を拒絶するだろう。彼女が4Sに向ける笑顔なんて、僕にとっては無意味だ。
……どうだっていい。この際だ、何も考えずに言葉を選ぼう。
「前々から気にはなっていたんですけど。この大陸とカアラ山がある大陸は、陸続きになってませんよね。どうやって海を渡ったんですか?」
「沿岸に泊まっていたヨルハの小型船を使った」
「盗んだ、と」
「お前らが勝手に乗り捨てただけだろう。司令部は使い捨てるのが好きだったからな」
成程。きっと空母が寄港する際に使用されて、そのまま放置されたとか、そんなところだ。アネモネさん達は正規のルートで渡ったのだろうか。
それから暫く、会話はなかった。続けようにも、続かなかった。
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約三時間後。中継地点の一つであるアクセスポイントは、やはり全ての機能がダウンしていた。僕は2Bと通信を繋いで、定期連絡を入れていた。
「そっちは変わりありませんか?」
『特になにもない。あ、一号と三号が「お土産持ってきてね」って言っていた』
「お土産って言われても……」
今回の依頼は活動範囲の拡大、加えて使えそうな物資の収集という目的もあった。しかし現時点では収穫はなく、南へ向かうに連れて草木も減ってきている。見当たったのは機械生命体の成れの果てぐらいで、今後も有用そうな物資は望めそうにない。
溜め息を付きながら通信を切って、車内に戻る。A2は変わらずにぼんやりと前を見詰めていた。
「そろそろ出ますけど、いいですか」
「いちいち断らなくていい。好きにしろ」
その言葉に甘えて、僕は無言でアクセルを踏んだ。
外では乾季には珍しい小雨が振り始めていた。
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発車してから十二時間が経過した頃、僕らは車を停めて睡眠を取ることにした。一日当たり数時間のスリープモードは10Hが来てからほぼ毎日欠かしていないし、長時間に渡る自動車の操縦は、思いの外に疲労を伴った。これぐらいの簡単な操作なら、自動操縦機能があって然りだというのに。
「という訳で、これから眠ります」
「そうか」
座席脇のレバーを引いて背もたれを倒し、仰向けに寝そべる。隣ではA2が僕と同じように寝転がり、左腕を額の上に置いていた。
(……静かだな)
瞼を閉じて間もなく、しんとした静けさが訪れて、落ち着かなくなる。あるはずの音がなく、声も聞こえない。
僕らにとっての帰るべき場所は、間違いなくバンカーだった。地上に取り残されて、いつしかそれは、あのレジスタンスキャンプへと代わった。
こんな風に皆と離れ離れになるのはいつ以来のことか分からない。2Bは今頃何をしているのだろう。4Sはパスカルの村にいるのだろうか。10Hさんは今何処に。
分からない。せめてもの繋がりは音声通信のみ。仮に通信障害が起これば、それだけで何も分からなくなる。怖くて仕方ない。僕らは今、見知らぬ地で―――孤独だ。
「ずっと独りきりって、どんな感じでしたか」
「……私に聞いているのか?」
「他に誰がいるんです」
自然と口に出していた。少なからず、僕も把握はしていた。
僕の隣で眠る女性は、文字通りの孤独を数年間背負ってきた。たった独り取り残されて、ヨルハ部隊の追撃を返り討ちにしながら、逃れるように北へ北へと向かった。
四年間の寂寥。僕には想像し得ない旅路。そんな孤独を、感情は耐えられない。耐えられるはずがない。なら僕の隣で眠る女性は、一体誰なんだ。
「別に。慣れてしまえば気楽だった」
「今も同じですか?」
「うるさい。眠るんじゃなかったのか」
どうかしている。こんなことを聞くのも、考えるのも。
何かと詮索したがるS型の特性が、今だけは鬱陶しくて堪らなかった。
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翌日。再出発してからほどなくして、僕らは折り返し地点である座標上に辿り着いていた。ジャッカスの情報では、十数名のレジスタンスが滞在しているはずだったけれど、誰の姿も見当たらなかった。
「キャンプを設営していた痕跡は見られますが……誰もいないというのは、妙ですね」
「移動したんじゃないのか?よくあることだろう」
確かにそう考えるのが自然だ。レジスタンスは大体二十から三十名程度の集団で行動し、各地を転々とするのが常。一定の地に長期間滞在することは少なく、臨機応変に拠点を変える。
しかしそれにしては、生活の痕跡が強く残っている。まるでレジスタンスだけが忽然と消えてしまったかのような違和感があった。状況から考えて、恐らく数週間前からこんな状態なのだろう。
「で、どうするんだ?」
「とりあえず、使えそうな資材がないか物色します。積み終わったら折り返しましょう」
とにかく動かなければ始まらない。サンシェードや衣服の類はA2に積めるだけ積んで貰い、パーツ類は僕が選別した方がいい。貴重な物資は手早く回収して、さっさと撤退しよう。長居は無用だ。
「……え?」
歩き出そうとして、視界が揺れた。足元を見ると、昨日の雨が作った水溜りが歪んでいるような錯覚に陥った。
突然、辺りが震え出したのは、その直後だった。錯覚ではなく、大地に巨大な亀裂が走り、僕の身体は大きく揺らいだ。
「くっ……A2!」
「9S!?」
思わず伸ばした手は、届かなかった。土壌の塊と一緒に、僕とA2は為す術もなく、地下の奥深くへと吸い込まれていった。