激しい閃光が交差する。
セブルスは渾身の力を込めて、死喰い人に呪文を放った。
魔法省、神秘部。
とうとう『不死鳥の騎士団』は、『死喰い人』と相見えた。
ダンブルドアから予言の間での戦闘は避けよ、との命があった。
どうやら予言を壊したくないのは向こう側も同様だったようで、その部屋を脱しての乱戦となった。
セブルスの放った呪文を杖で弾いた死喰い人一一ルシウス・マルフォイは不敵な笑みを浮かべた。
「武装解除とは随分お優しい。 ここはホグワーツでしたかな?」
ルシウスの放った強烈な赤い閃光が、セブルスの耳を掠めて飛んでいく。それを躱しながら思わず言葉が漏れる。
「貴方と戦いたくはなかった」
「おい! ここに来てふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」
シリウスが3人もの死喰い人を相手にしながらそう叫んだ。
視界の端でロジエールやドロホフが吹っ飛ばされてるのが見えた。
「あたしが相手だ。 血を裏切る者め」
「久しぶりだな、ベラ。 これはこれは·····アズカバンはやはり美容に良くないと見た」
「·····殺してやる!」
ベラトリックス・レストレンジは熾烈な笑みをたたえて呪文を放つ。脱獄して間もないからか、昔は美しかったであろうその容貌は痩せこけ、見る影もなかった。
シリウスが飛んできた呪文を弾く。そのまま無言で失神呪文をいくつか放った。
こちらが怯んでしまうほどの凄まじい魔力の応酬だった。
シリウスも軽口を叩いたものの、明らかに額に汗が滲み始めていた。
歴戦の戦士である彼にとって有り得ないことだが、仮に油断をしたらベラトリックスに葬り去られてしまうことだろう。
不意にセブルスは、決闘の練習でロックハートが自分のことを『普段デスクワーク』と揶揄したのを思い出した。成程、悔しいが確かにあれはその通りだったのかもしれない。
闇祓いの前線として戦ってきたシリウス、ムーディ、それに新米のトンクスにすら自分は遅れをとっていた。
「くっ·····」
セブルスは後ずさった。
ルシウスは強い呪文を躊躇いなくバシバシと撃ってくる。
防戦の一方になっていたセブルスは、扉を開き次の部屋へと逃げ込んだ。
奇妙な脳味噌がぷかぷかと浮かぶ不気味な部屋だった。
「おや、逃げるとはグリフィンドールらしくありませんな」
「何を隠そう、組み分け帽子は最初スリザリンに入れようとしたので」
セブルスは減らず口を叩きながら、再び体勢を立て直し杖を振るった。
しかし簡単に防がれ、逆に強い呪文を投げられる。
堪らずセブルスは不気味な水槽の影へと身を潜めた。
「いつまで追いかけっこを続けるおつもりか」
呪文が直撃し、水槽が砕け散る。
セブルスは再び姿を現さざるを得なくなった。
「ご子息のためにお縄につく気はないか、ルシウス」
セブルスの苦し紛れに撃った呪文は脳味噌にあたり嫌な音を立てて破裂した。
それを躱しながら、ルシウスは初めて僅かな動揺を見せた。
「何のことやらわかりませんな」
「·····それならば、貴方とこれ以上話すことはない」
激しい競り合いだった。
呪文を撃たれ、躱し、弾き、そして放つ。
あちこちで怒号が飛び交い、セブルスは久しぶりに戦争の空気感に身が浸るのを感じた。
もう平和な日常は戻らない。
それならば、娘のために勝たなければならない。
セブルスの放った失神呪文がルシウスを掠りそうになる。
体勢を崩したルシウスがまたひとつの扉に手をかけ、そこへ入り込んだ。
セブルスはそれを追う。
そして·····入った部屋は。
今までとは明らかに異なる不思議な部屋だった。
円形になっている部屋は講堂のようで、中央が一段高くなっている。
そこにはアーチがあり、黒いカーテンのようなものが風も吹いていないのに揺れている。
セブルスは知らず知らずのうちに自身の肌に鳥肌がたっていることに気づいた。
ルシウスもまたこの部屋のもつ独特な雰囲気に気圧されているように見えた。
暫く2人は、何も言えず動けぬまま対峙した。
その部屋に満ちていたのは、あまりに静謐でしかし濃厚な死だった。
アーチからは何やら囁き声が聞こえる。
それがこの世ならざるものであるのが直感で分かった。しかし、不思議と嫌な感じはしなかった。
ルシウスは目に見えてそのアーチに怯えていた。
『死喰い人』など大仰な名を騙っているくせに、彼もまた死が怖いらしい。
いや、死は誰だって恐ろしい。
それでもセブルスたち親にとって、一番の恐怖は愛する子どもの死なのだ。
一一それは目の前の男も同じはずなのに。
「貴方がその陣営にいることが、息子の死に繋がるとどうして理解できないのか」
セブルスの冷たい言葉は、彼を真正面から突き刺した。
動揺したルシウスに、セブルスは失神呪文を放った一一その時、不思議な感覚がセブルスの全身を支配した。
まるで体の内側から力が溢れるようだった。心臓を、腕を、そして手の先までそれは駆け巡り、杖から迸った。
呪文は強烈な閃光となり、ルシウスを穿いた。
気絶して地に伏したルシウスを、セブルスはやや唖然と見つめる。
自分の力量を遥かに超えた不思議な力が宿ったような、そんな心地になった。
懐かしいような、温かいような、この感覚を自分は知っている。
そう、まるで一一。
「む、マルフォイをやりおったか」
後方のドアからアラスター・ムーディが現れた。
足が不自由であるのにそれを感じさせない俊敏な動きに、去年偽物に騙され続けたセブルスは一瞬身構えてしまう。
ムーディは手馴れたように、杖からしゅるしゅると縄を出すとルシウスを拘束した。
「ダンブルドアが直に到着する。 残党退治に行くぞ」
唸るようなその言葉に、セブルスは頷く。
しかし、どうしても直ぐにその場を後にする気持ちになれずアーチを振り返った。
「あれは危険だ。 近付いてはならん」
「·····貴方にもあの声が聞こえますか」
「あのブツブツした囁きのことか。 あれは死の世界に誘う声よ。 相手にしてはならん」
ムーディはおぞましそうに吐き捨てた。
常に最前線に立ち、殊更に死が身近であった彼は嫌悪感を隠そうともしなかった。
セブルスは後ろ髪をひかれる思いだったが、戦いの最中にそんなことも言っていられない。
彼と共にその部屋を後にしたのだった。
広く開けた魔法省のアトリウムは騒然としていた。
シリウスによると、ダンブルドアとヴォルデモートがついに相見えたらしい。
アトリウムが滅茶苦茶になっているのが、衝突の激しさを物語っている。
凄まじい魔力のぶつかり合いだったようだが、やはり我らがダンブルドアが圧し勝った。
それをファッジ含めた魔法省の職員らが目撃したようだ。あまりに遅すぎたが、彼らはヴォルデモートの復活を認めざるを得ないだろう。
「クソッ·····ベラトリックスを逃しちまった」
隣りでシリウスが心底悔しそうに歯噛みした。
追い詰めたらしいがあと一歩のところで、ヴォルデモートが現れてしまったたらしい。
「トンクスは? かなり重傷を負ったと聞いたけど」
遅れて合流したリーマスがそう訊く。
「キングスリーが連れ添って今は聖マンゴだ。 なーに、おまえが見舞えばすぐ回復するさ」
「え? どういうことだい?」
リーマスがきょとんと不思議そうな顔をしたので、シリウスだけでなくセブルスもこれにはトンクスに同情した。
「皆の者、ご苦労じゃった」
未だ情けなく取り付くファッジを鬱陶しそうにいなしながら、ダンブルドアはこちらへ向かってきた。
「このまま儂は戻らせてもらう。 悪いが、後始末を頼むぞ」
「どちらに戻るのです?」
「もちろんホグワーツじゃ。 ハリーと話さねばならぬ。 一一良いな、シリウス。 あの子に予言のことを話す時がきた」
ダンブルドアは酷く疲れた顔で、シリウスに向き直った。
その表情のわけは、魔力を消費したことだけが理由ではないだろう。
シリウスは一瞬だけ動揺した素振りを見せた。
しかし、すぐに口を真一文字に引き結んだまま頷いた。
「お待ちください、校長。 あの子はまだ未成年です。 せめて成人まで待っても良いのでは」
耐えきれずセブルスはそう口を挟んだ。
アトリウムにフクロウの大群が飛び交った。ヴォルデモートの復活を告げる日刊預言者新聞が早速魔法界中に届くのだろう。
「ならぬ。 此度、彼奴はハリーをここへおびき出そうとした。 予言の通り、あの子が戦いから逃れることは不可能じゃ」
ダンブルドアは頑なにそう言い切った。
『一方が生きる限り、他方は生きられぬ』。セブルスはこれからハリーが知る残酷な真実に、胸を痛めた。
「無論、あの子を守るためにお主らがいるのじゃ。頼りにしているよ。 一一悪戯仕掛け人の諸君」
「その呼び方は勘弁してくださいよ、校長」
シリウスは叱られた子どものように気まずい顔をした。
ダンブルドアは一瞬だけ穏やかな笑みを見せると、次の瞬間姿を消した。
シリウスやリーマス、そしてアラスターなど戦いを通して無事だった団員たちは魔法省の後始末の対応に追われることになった。
特にシリウスは元々の立場があったからか、てんてこ舞いだ。ファッジがシリウスの後を着いてまわり、頼むから戻ってきてくれと泣きついている。
その喧騒の中でセブルスは、そっと気配を消すと再び『神秘部』へと向かった。
暗く湿った地下牢で、この世の終わりのような心地でハリーは落ち込んでいた。
しかし、それも長続きはしなかった。
ドラコを含めた数人のスリザリン生徒がアンブリッジを拘束して現れたのだ。
聞こえてきた足音にアンブリッジからの拷問を予想し震えあがったDAの仲間たちは、その張本人が拘束されていることに戸惑った。
「魔法省が『例のあの人』の復活を認めた。 こいつはアズカバン行きになるらしい。 おまえたちは出ろ」
ドラコはハリーと目を合わせずに、ぶっきらぼうにそう告げた。
背後のスリザリンの連中も清々とした顔をしていることから、どうやら皆アンブリッジに嬉々として従っていたわけではないらしい。
突如解放されることになったDAの仲間たちは急展開に一瞬顔を見合わせたが、すぐさま牢から這い出た。
「ドラコ、僕は君を助けることを諦めないからな」
ハリーは彼の横を通り過ぎるとき、他の人には聞こえない小さな声でそう言った。
ドラコが体を固くするのが分かったが、それ以上はここで話せそうになかったため立ち去るしかなかった。
ドラコは彼らしくない乱暴さでアンブリッジを牢屋へ押し込んだ。
アンブリッジは何かを訴えるように、拘束された口からフガフガと声を漏らしている。
「皆、先に出ていてくれ」
ドラコはスリザリンの他の仲間にそう告げた。
仲間たちはドラコの胸中を察してくれたのだろう。何も言い募ることなくその場を後にした。
二人だけになると、ドラコはおもむろにローブから杖を引き抜く。
全てが滅茶苦茶だった。
父はアズカバンに収監されるらしい。·····それも恋人の父親に捕縛されて。
恐らく自分の立場は酷いものになるのだろう。
この行き場のないやるせなさを、どうすればいい?この虚しさはどうすれば解消される?
シャルロット。大切なシャルロット。
騎士団員の娘なのに、地獄の中でずっと自分の味方で居続けてくれたシャルロット。
そんな彼女を傷つけた、目の前の憎きガマガエルにぶつけたっていいじゃないか。
アンブリッジは不自由な手足を必死にばたつかせ一一と言っても短いので大して動けていないが一一喉からヒィヒィ声を漏らした。
そんな哀れな姿を見ても、ドラコの心はこれっぽっちも揺れ動かなかった。
そして杖を構えたその時。
「お止めなさい、ドラコ」
厳しい声だった。
振り向くと、そこにはレギュラスが居た。
彼はそのままドラコの前を通り過ぎると、アンブリッジの口枷を外した。
途端にアンブリッジが激しく咳き込む。
そして、爛々とした瞳でレギュラスを見上げた。
「ああ! ああ! レギュラス、貴方ならわたくしを助けてくださると、そう信じていましたわ!」
「ブラック先生·····どうして·····」
ドラコは杖を下ろすのも忘れ、呆然と言葉を漏らした。
レギュラスは汚い物を触るかのようにその口枷を放り捨てると、立ち尽くすドラコの方を振り返った。
「ドラコ、その年で憎しみに我を忘れるようなことをしてほしくありません。汚れ仕事は大人が引き受けますから寮にお戻りなさい」
優しい口調でレギュラスは言った。
ドラコは目を見開いた。そして一瞬だけ迷う素振りを見せたが、ついに杖を下ろし何も言わず地下牢から出て行った。
その横顔は濡れていた。
「さて」
レギュラスはポキリと手首を鳴らすと、アンブリッジに向き直った。
そこに先程までの優しい表情は消え失せていた。
「ど、どういうこと? レギュラス、わたくしを助けにきてくれたんでしょう」
「ドローレス、先程お話したではありませんか。 城の修繕が終わったら拷問をする予定だったでしょう」
レギュラスは突然ニッコリと微笑んだ。
「尤も、配役に少々変更があったようですが」
アンブリッジは愕然として、不自由な体のままどうにか後ずさろうととした。
「嘘よ、嘘でしょう」
「貴方には聞きたいことがたくさんあるのです。 言っておきますが、私は人を拷問するのは初めてではありません。 早めに全てを吐いた方が身のためですよ」
「全部話すわ! 何でも話します!」
「素直なのは大変よろしいですが、全て吐いて頂いても貴方を許すわけにはいきません。 あなたは私の大切な女性を傷つけましてね」
「プリンスのこと? それなら謝るわ! 彼女にも謝罪します!」
恥も外聞も捨て、アンブリッジは金切り声でそう叫んだ。
レギュラスは杖を上げた。
先程浮かべた笑みを打ち消し感情が抜け落ちたレギュラスの顔は、端正さと相俟って人形のように不気味だった。
「半分正解で半分不正解です。 もう一人、私にとってかけがえのない女性を貴方は傷つけました」
一一きっと自分は死喰い人として、罪のないマグルを傷つけていた時も同じ顔をしていた。
地下牢に熾烈な閃光が弾けた。
再び、『神秘部』奥深くにあるアーチの間。
セブルスは穏やかな顔でアーチに近付いた。
囁き声は変わらずカーテンの影から聞こえる。
セブルスにとってそれは恐ろしいものではなかった。
セブルスは気付いたからだ。
その声が誰のものか。先程感じた懐かしさの正体を。
アーチに微笑みかけた。
「こんなところに居たんだな、レイチェル」
次回で不死鳥の騎士団編も終わりです。
明日更新します。