リハビリがてら勢いだけで書き始めたものなのでエタる可能性も無きにしも非ず……か?
なるべくそうならないしていきますので、よろしくお願いします。
額に触れた冷たい感覚に目を覚ます。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
ぬるま湯に浸かったような微睡みを無理やり頭から引き剥がし、目の前の光景をしっかりと捉える。
映りこんだのは、紅だった。目を見張るほどに鮮やかな真紅の天井。
まるで搾りたての鮮血をぶちまけたみたいだ、などと益体のないことを考えてから、ふと視線を動かした。
飛び込んできた白銀に目が眩む。次いで捉えた澄んだ青色がこちらを捉えていることに気づいて、ようやくそれが人の目で、さっき見た銀色が髪なのだと理解した。
「ようやく目覚めたのですね。お加減はいかがですか?」
丁寧な、しかし多少の警戒を含んだ声が鼓膜を震わせる。
「……あぁ、悪くない」
と、それだけ答えて……答え、て……唐突に気付く。
ここはどこだっ? 俺はこんなところで何をしている? そもそもどうしてここにいるっ?
悠長に寝てる場合ではない。上体をかなりの勢いで起こし、そのせいで額に乗っていた濡れた手ぬぐいがベッドの端まで飛んでいった。
「あ……」
どうやら俺は看病されていたらしい、とその手ぬぐいを見て理解した。
でもなぜ――?
「なぜ倒れていたのか分からないというところですか、その顔は?」
声の方を見れば、呆れたような表情でこちらを見る銀髪蒼眼のメイドの姿があった。
整った顔立ちに、切れ長の青い瞳。ただ座っているというそれだけのことでさえ、なぜか目を引く瀟洒な佇まい。ひと目でわかるほどの美人だ。
だが知り合いにこれほどの美貌を持つ者はそういないし、いたとしても一度見れば忘れられるはずもないだろう。間違いなく彼女を見たのはこれが初めてだ。
思わず、その白い首筋に目がいく。その肌の下を走る血液の芳醇さを想像して、はからずも喉が鳴った。
「まったく、男の吸血鬼というのはどうしてそう不躾なのでしょうね。人間の女と見ればすぐさま血を求める」
「うっ……すみません。普段はこんなことないんだけどな……」
言い訳じみた謝罪をして、ふと疑問が生まれた。
「あの、なんで、なんで俺が吸血鬼だって?」
あまりにも自然に指摘されたせいですぐに気づけなかったが、彼女は確かに俺を『吸血鬼』だと言った。
それは、一見するだけでは分からないはずだし、看病の一環として診察をしたからと言ってそう分かるものでもないはずだ。
にも関わらず、彼女はなんの迷いもためらいもなく断言した。それが分かるのは、同じ吸血鬼であるか、もしくは吸血鬼退治を生業とするあの職業の者だけ――。
「まさか……!」
この想像が正しければ、俺は一巻の終わりということになる。とある事情のせいで戦闘能力が皆無の俺にとって、天敵に遭遇することはすなわち死を意味するのだ。
「幸いなことに、その想像はハズレです。ひとまずは安心していただいて良いかと。……と言っても、全く殺気立っていない様子から見ると、ずいぶん余裕があるようですね」
銀髪のメイドは不敵に笑う。
どうやら戦闘態勢に入る気配もない俺を見て、間違った方向に勘違いしたようだ。実際のとこ、戦いにでもなったら絶対に勝てないと思う。
そもそも、俺から言わせれば吸血鬼を目の前にしてこれ程落ち着いている彼女の方にこそ不気味さを覚えてしまう。
……まぁ、その佇まいはどう見ても油断や隙は見当たらない。ここで彼女に敵対すれば、今の俺なら3秒でやられる自信がある。それくらいの実力差は確実にあるだろう。
「敵でない、なら貴女はいったい何者ですか? 俺の同族に所縁があるようですが」
「あら、私も吸血鬼という選択肢はないのですか? もしかしたら……」
「いえ、それはないでしょう。いくら俺でも目の前の相手が同族かどうかくらいは見分けられますよ」
そうだ。彼女は同族ではない。目の前の女性からは吸血鬼特有の気配が全くしない。……いや、聞いた話ではそういう種族的特徴を一切消してしまえる同族がいるなんて話も噂程度に聞いたことがあるが、まさか彼女がそれではないだろう。実際、彼女からは人間の匂いしかしないわけだし。
「それはお見逸れいたしました。ええ、私は正真正銘、人間です」
そう言って頭を下げた彼女は「ただ……」と言葉を続けた。
「私のお仕えする方は、貴方とおなじ『吸血鬼』ですが」
「は……?」
え? ちょっと待ってほしい。仕えている? 人間の彼女が吸血鬼に?
「それは、奴隷にされているとか、無理やり忠誠を誓わされたとかいう類の話ではなく?」
「えぇ、私自身の意思で」
淀みのない言葉で返されて、絶句する。
単純に、驚きだけで言葉を失ったのは久しぶりかもしれない。
隷属関係ではなく、純粋な主従関係? にわかには信じられなかった。
しかし、彼女の表情からそれが真実なのだということがわかる。この銀髪のメイドは本心から吸血鬼に忠誠を誓い、仕えているのだと。
「それは、羨ましいですね」
「羨ましい?」
「えぇ。俺はそういう関係を築ける誰かにも機会にも恵まれませんでしたから」
事実、俺には隷属した従者も、信頼を築いた仲間もいない。大体の吸血鬼のご多分にもれず生まれてこの方ずっと
しかし、俺の言葉に目の前のメイドは疑問を感じたらしい。首傾げて「では彼女は……?」とぶつぶつ言っていた。
「どうかしました?」
「いえ、少し気になることがありまして。……貴方は本当にお一人でいらしたのですね?」
「ええ、間違いなく。と言ってもここで目を覚ます前の記憶が少し曖昧なので、確かなことは言えませんが」
念を押して確認してくる銀髪メイドの言葉に自信なく頷く。
そういえば、俺はどうしてここにいるんだろう?
都市郊外の森に踏み入ったとこまでは覚えてるんだが、そこから先の記憶は靄でもかかったようにさっぱり思い出せない。
「もしよろしければ少々付いて来ていただけますか?」
突然の提案。しかし断る理由もない。確かめてみたところ体はもう大丈夫だ。いつの間にか扉の前に移動していた彼女に「問題ない」と伝え、ベッドから出る。
「では、こちらへ」
言って、流麗な動作で静かに扉を開けた銀髪のメイドに促されて部屋の外へ踏み出した。
* * *
広々とした廊下はどこを見ても紅だった。
時おり目に入る花瓶の花もどちらかと言えば赤い花に偏っている気がする。
紅い廊下に疲れた目を逸らして窓の外を見やれば、そこには大きな湖があった。
俺が入った森の近くにこんなに大きな湖はあっただろうか? いや、俺が見逃していただけかもしれないし、とりあえず良しとしよう。
あ、そういえば。
「あの」
「はい、どうかなさいましたか?」
「まだ名前を聞いていなかったなと」
俺も自己紹介してないしね。
俺の言葉に目の前のメイドさんは一瞬だけ動きを止め、しかし次の瞬間にはこちらを振り返って姿勢を正した。
小さく咳払いをした彼女は「失礼致しました」と頭を下げ、顔を上げた後、まっすぐにこちらを見て口を開いた。
「私の名は十六夜咲夜。ここ、紅魔館にてメイド長を務めさせていただいております。以後、お見知り置きを」
再び丁寧な礼。思わず見とれてしまった。
っと、ぼけっとしてちゃダメだな。
「では、俺も自己紹介を。俺の名はアルベール。アルベール・ロッソです。どうぞ宜しくお願いします」
こちらも礼をして返すと、銀髪のメイド――咲夜は「宜しくお願いいたします」と返事をしてくれた。
さすがにメイド長を任されているだけある。礼儀は言うに及ばず、その所作も一流だ。
自己紹介を終えて再び歩き出した俺たちは、やがてとある部屋にたどり着いた。
というか、この館、広すぎないか? 思っていた以上に歩いたぞ? 相当大きな館なんだろうな。後で外から見てみるとしよう。
コンコンコン、とノックを3度。
中から「どうぞ」と入室を許可する声に促されて中に入った。
そこには、ベッドの上で上体を起こして座る少女の姿が。
「あ、さっきはどうもでした咲夜さん。とてもおいしかったです」
ぺこりと頭を下げて感謝した少女。どうやらすでに咲夜とは面識があるらしい。咲夜の方も「いえ、お口に合ったようで何よりです」と返している。
って、おや? この少女、どこかで……?
不躾とは思ったが少女に視線をやる。
肩より少し長めに揃えられた黒髪、大きめの黒い瞳。どことなくあどけなさの残る顔立ちから年は十五、六と言ったところだろう。
こちらを見て溌剌とした笑みを向ける少女を見ていると、何故だろう……嫌な予感がする、変な汗が背筋を流れていく。
この感じ、つい最近も感じたような……?
「あ、あれ? もしかしてわたしのこと忘れてしまったんですかっ? ほら、さっき森の中で助けていただいた沖田佳代ですよ!」
……? ……、…………あっ!
「お、お前っ!」
「あっ! 思い出してもらえましたかっ!!」
「あの時の勘違い娘!!」
「……え、え?」
思い出した、思い出したとも。
その、弾けんばかりの笑顔。
俺に思い出して貰えたことが心底嬉しいのだと、その笑顔だけで嫌という程わかる。
俺が踏み入った森の中で倒れていたから何事かと思って声をかけただけ、助けた覚えもないのに『俺が自分を助けに来た』と勝手に勘違いし、何もしていないのに「この恩は必ず返します」とひたすら俺のあとをついてきて、追い返そうとしても頑として離れようとしなかった猪突猛進熱血系女子!!
「やはりお知り合いだったのですね?」
「いえ、まったく」
「? ですが……」
「まったく知らない人ですね」
重ねて問う咲夜の声を遮って目の前の少女――沖田佳代と面識がないことを強調する。
俺の頑なな態度を意外に思ったのか、一瞬目を丸くしていた咲夜だったが、次の瞬間には空気を読んでそれ以上問いかけてはこなかった。
しかし、こちらの口が閉じれば別の方向から声が飛んでくるのはわかりきっていたことで……。
「そう邪険にしないくださいお兄さんっ。わたしは今もお兄さんに恩返ししたくてウズウズしてるんですから!」
「そんなものはいらん。その様子だと目覚めてから食事をしたんだろ。空腹が満たされたならさっさと家に帰るんだな」
確かこいつが森で倒れていたのは食料不足で空腹に耐えきれずってことだったはずだ。腹が満たされたならほんとにさっさとどこかに行ってほしい。正直付きまとわれるのはごめんだ。
「むぅ、そうは言われても帰るに帰れないんですよねぇ。どうやって帰ればいいかわかりませんし……」
「は? 何を言ってるんだ。森から出れば帰り道なんかいくらでも見つかるだろ。金がないならどこかで借りるなりしろ、いっそ電話でもすれば家族とかが迎えに来てくれるだろ」
「え? もしかしてお兄さん、まだ何も聞かされてない感じですか?」
「あ?」
沖田佳代の言葉に思わず素で返す。
少々威圧的な語調になってしまったせいでさっきとは一転して俺の態度が豹変したように見えたのだろう、咲夜は再び目を丸くして驚いたような表情をしているが今は沖田佳代の言葉の方が気になる。
「どういう意味だ」
「言ったとおりの意味です。咲夜さんから何も聞かずにわたしに会いに来てくれたんですよね?」
決してこいつに会いに来たわけではないが、その言葉通り俺は咲夜から詳しいことはほとんど聞いていない。
咲夜に目を向けると、彼女はこちらを見返して「申し訳ありませんでした。彼女のことをお知らせするのが先決と思い、説明を省かせていただきました。お詫びいたします」と頭を下げる。
「それはいいです。先程までの貴女の口振りからして俺はこいつと一緒に現れたんでしょうから、俺たちを知り合いと勘違いするのは当然です。……とりあえず、説明してもらえますか?」
口調を外向きのものに直して昨夜に尋ねる。
すると、ええ、と一言おいて咲夜は語りだした。
ここが紅魔館と呼ばれる館で、ここの主は吸血鬼で、自分はその吸血鬼に仕えていて……そして、この館は《幻想郷》と呼ばれる忘れ去られし者たちの楽園の中にあるのだということを――。
「……ははっ」
咲夜の説明を聞いて、俺は思わず笑みをこぼしていた。
不思議そうに見つめる二対の目も今は別段気にならない。
――ようやく、ここに辿り着いた。ここに、あいつがいるんだ。
「必ず見つけ出してやる」
目の前の二人にも聞こえないくらい小さく呟いて、笑みを深める。
窓の外で、夜闇を切り裂く三日月の下、蝙蝠たちが踊っていた。