魔王様はダラダラしたい!   作:おもちさん

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第94話  消えた灯火

何者かに助けられてから数日が過ぎた。

恐らく体力は戻ったようだ。

体の倦怠感はすっかり抜けていた。

だが今になっても視力も喉も戻らない。

やはり例の男に何か特別な封印でもされたのだろう。

 

 

体がこれ以上快方に向かう気配はない。

もしかすると、死ぬまでこのままなんだろうか?

あまりにも恐ろしくて、つい身が竦んでしまう。

戦場ですら抱いたことのない感情に戸惑いを覚える。

雄々しく戦って死ぬ事は怖れないが、なぜこんなにも恐怖を感じているのか。

 

 

魔法を使えないか試しているが、これも上手くいかない。

私は回復魔法の心得があるので、目や喉の改善を期待したのだが。

まるで川が土砂で堰き止められたように魔力の流れを感じる事ができない。

詠唱もできないので、魔法を発動する手段は残されていなかった。

 

 

このまま私は、物言わぬまま朽ち果てていくのだろうか。

戦場での栄誉ある死とは違う、まさに無駄死にだった。

知った者たちに伝わる事もなくこの世から消える事の、なんと恐ろしい事か。

 

 

少女は毎日食事のたびに、私に給仕をしてくれる。

そのおかげでなんとか時間の感覚を失わずに済んでいる。

今、私と外の世界を繋ぎとめているのは、すなわち命を繋いでくれているのはこの親子だけだ。

この二人が、この少女が居なくなったら、私はどうなってしまうんだろう?

その事にも不安と恐怖を感じていた。

 

 

「私ね、将来お医者さまになりたいの。今回復魔法とお薬の勉強をしているの!」

 

 

ーーそうか、医者は大変な職業だが、立派な職業だ。辛くても頑張って欲しい。

 

 

「私にはお母さんも居たんだけど、死んじゃった。敵兵に襲われてね」

 

 

ーーそれは……、残念だったと思う。

 

 

「まだ子供の私には何もできなかったけど、これからは違うわ。今に立派になって目の前の人を助けてあげるの!」

 

 

ーー人を助ける、か。私には無縁な話だ。

 

 

「じゃあ、そろそろ行くね。もう外は夜だから、眠たくなったら寝たほうがいいよ」

 

 

ーーわかった。ありがとう。

 

 

この少女は私が軍を率いる身分だと知ったら軽蔑するだろうか?

こんな雪国に関わった事などないから、その母親を殺したのは私ではない。

それでも間接的に、この家族へ暴力を振るっていたかもしれない。

そう思うとよく眠れなかった。

 

 

あれから何日が過ぎたのだろう。

もう数えるのもバカバカしくなった頃には、すっかりこの家に馴染んでしまった。

厄介者でしかない私を受け入れてくれている親子には、感謝の気持ちしかない。

 

 

少女はというと、嫌なそぶりも見せず毎日決まって食事を与えてくれる。

そして食事が終わると、色々な話をしてくれる。

いつの間にかその少女の話が心の支えになっていた。

 

 

夢の話、家族の話、友達の話、今日の出来事。

どんな話でも聞ければ安心できたし、逆に話が短かった日などは不安で仕方なかった。

何か気に触る事をしてしまったか、と。

 

 

そんなある日、やはり少女が給仕してくれたのだが様子がおかしい。

スプーンを運ぶリズムが不正確なのだ。

少女が居るだろう方へ顔を向け、首を傾げた。

 

 

「あ、ごめんね。なんだか、調子が悪くて。風邪でも……ひいた、かな?」

 

 

ーー大丈夫か、無理をしないで寝ていてくれ。食事ならきっと一人でもできるだろうから。

 

 

「あれ、おかしいな。こんな症状、聞いた事も……」

 

 

ーーおい、私の事はいいから休んでいてくれ。父親は側にいないのか?

 

 

「ごめんなさい、ちょっと外すね。ちょっと……」

 

 

ばしゃり。

 

 

少女の体がもたれかかってきた。

体が何かで濡れた。

スープにしてはぬるすぎる。

人肌の暖かさ、鉄のような臭い、不吉で、戦場で散々嗅いもの。

 

 

血の臭いだ。

 

 

「うあ! ああう!」

 

 

ゆすっても返事がない。

口元に指を這わせると、口から血が止めどなく溢れていた。

この血の量は危険だった。

これ以上血を失うと助からないかもしれない。

 

 

「ああう ああうう!」

 

 

どれだけ叫んでも父親は来なかった。

医者を呼ばなくてはならないというのに。

その間も血を流し続けた少女は痙攣をし始めた。

もはや一刻の猶予もない。

 

 

「アァッ! ゥアアーッ!!」

 

 

だめだ、やはり魔法が使えない。

どんなに力を籠めても、声を出しても魔力の道筋が生まれなかった。

少女の痙攣が大きくなる。

 

このままじゃ……このままじゃ!

焦りだけが大きくなり、それに比例して指を握り締める力が強くなる。

無情にも魔法は発動する気配をみせない。

 

 

「グァァァ! アアァアーー!!」

 

 

何度も、何度も、何度だって。

次は出来る、次はきっと出来る。

今その苦しみから助けてやる。

絶対に死なせやしない。

 

 

「ガァァアア!! ガハッ ゴホッ」

 

 

喉に強烈な痛みが走る。

口の中が鉄の味で充満した。

喉を傷つけてしまったのか、血が口に溢れ出した。

そして集中が途切れた瞬間、ついに気づいてしまった。

 

 

だらりとした腕。

動きのない肩。

冷え切った体。

動かなくなった唇。

 

 

死ぬな。

まだ死ぬなよ。

医師になる夢はどうした。

立派な人になる目標はどこへやった。

吹雪がやんだら一緒に外を歩こうと約束しただろう。

それすらも破るのか!

 

 

「ウアアア! ウワァァァァ!」

 

 

涙が止めどなく流れ続けた。

物を視認できないくせに、こんな時ばかりは眼の役目を果たそうとする。

なんと忌々しい。

苛立ちながら両手で乱暴に目をぬぐった。

 

 

そして手を少女に戻そうとしたが、どこにも居なかった。

 

 

おかしい、さっきまで膝に重みを感じていたはずなのに。

周囲をまさぐるが、指に触れる物は無い。

 

……触れる物が、無いだって?

 

そんな馬鹿な、見えなくても家具がある事は概ね把握していた。

少女だけでなく、家の中の物も消えたというのか?

 

 

その時、両目が眩い光を感じた。

ひょっとして視力がもどったのだろうか?

待ちに待った瞬間だが、焦らずゆっくりと目を開いた。

 

視界に映ったものはありふれた民家ではなく、単色に染められた空間だった。


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