あの覚悟の夜から何日が過ぎただろう。
不思議な縁が重なって、僕は「魔王の住処」で妹と一緒に暮らしている。
生贄だの忠誠だの求められることはなく、毎日がただ平穏に過ぎていった。
かつては朝から晩まで路地裏でゴミを漁り、日が暮れてからはは夜盗に怯える日々が一変した。
毎食美味しいご飯をみんなで揃って食べて、合間にお手伝いをして、日が暮れたらゆっくりお風呂に入って、暖かい布団で眠る。
夢にまで見た充足の生活に、戸惑っている自分がいる。
それでもミレイアに安全な暮らしを与えられるのは素直に嬉しかった。
でも大きく変化したのは、暮らしぶりだけじゃなかった。
ミレイア自身だ。
昼のうちはずっとシルヴィアちゃんの側にいて、まるで従者のように振舞っている。
シルヴィアちゃんは友達として接してるけど、ミレイアは決して一定のラインを越えようとしない。
仲良く遊んでいるようにも見えるけど、ミレイアにはどこか子供らしさが欠けていた。
でもまぁ、それはそこまで大した問題じゃない。
問題は夜だ。
みんなが寝静まった頃、決まってミレイアは部屋の外に出るようになった。
それは毎晩欠かさずに続いていたみたいだ。
最初はトイレだろうと思っていたけど、それにしては頻度が多すぎるし、戻ってくるまでが長い。
ある晩に気になって後をつけてみると、思わず二度見してしまった。
ミレイアは誰も居ないリビングの一角で、黒い布を頭からスッポリと被りながら、ナイフを両手で抱えてブツブツ呟いていた。
あれには流石に兄ちゃんビビったよ、うん。
おずおずと声をかけてみると、
「あら兄様、起きてらしたの。」
なんて何事もなかったように答えた。
どうしてそこで平然としていられるんだろう・・・？
何をしていたのか聞いてみると、
「魔王様への日々のお祈りです。」
と、驚くくらいサラリと答えた。
毎晩欠かさずに、呪術っぽい言葉をナイフにかけているんだとか。
いざ何かしらの生贄の命を捧げる時に、そのナイフを使うことでより上質な貢物になる、と考えたらしい。
だからその日が来るまでお祈りを続けるし、肌身離さず持っているんだってさ。
お兄ちゃん的にはやめてほしいなぁ。
年相応にぬいぐるみとか持っててほしいなぁ。
女の子が生贄とかに興味を持たないでほしいなぁ・・・。
そもそも兄様だなんて、急に言いだしたよね。
ちょっと前までは「お兄ちゃん」って呼んでたのに。
口調ももっと子供っぽくて、年相応だったはずなのにな。
どうしてこうも人が変わっちゃったんだろう・・・。
それだけあの夜の騒動が衝撃的だったのかな。
ミレイアの話はこの辺りにしておくとして。
魔人や獣人なんかと無縁に生きてきた僕だけど、一緒に暮らしているとみんなの事が少しずつわかってきた。
アシュリーさんは魔人のお姉さんだ。
３人いるお姉さんの中では一番若く見えるけど、実は長寿の生き物だから数百年は生きてるらしい。
彼女には白く大きな羽があって部屋の中だと仕舞っているけど、外に居るときは出す事が多い。
家の中で仕舞うのは邪魔だから。
外で出してるのはその方が楽だからだとか。
僕はその白くてキレイな羽に見とれながら聞いてみた。
「アシュリーさんって天使様なんですか？」
それを聞いたアシュリーさんは目を大きく見開いてから、こう答えた。
「フフフ、急に何を言い出すんですかグレン君はもうー。まぁ確かに私は森の賢人なんて呼ばれたりしますが、周りの人からは美の化身とか白金色の女神様なんて呼ばれたりもするんですよーウフフ。あ、でもダメですよ私に惚れたりなんかしちゃ。私にはアルフっていう心に決めた人がいるんですから。でもグレン君もかわいい顔立ちしてますよねー・・・。そうですね、１０年経ってかっこよくなってたら君の事も考えてあげますよ。それまで男を磨いて頑張ってくださいね。」
そうまくし立ててから森へと消えていった。
僕はただ、耳にしていた天使像に似てたから聞いてみただけなんだけどなぁ。
かなり面倒な誤解が生まれちゃったかもしれない。
エレナさんは人間の剣士さんだ。
この前の騒動の時は武器を使わなかったけど、本来は長い剣で戦うらしい。
元は騎士様らしいけど、外見には気を使ってないらしく、頭なんてボサボサだったりする。
顔立ちは整っていてキレイだと思うんだけど、着飾る気は全くないみたいだ。
普段はみんなで食事をとったあとは、外に出てずっと訓練している。
腕立てやら走り込みやら、巨大な木刀（というかほとんど木の幹）を何百回も振ってたり。
その姿を呆れ半分で眺めていると、
「なんだグレン、稽古をつけてほしいのか？」
と聞かれた。
確かに強くなりたいとは思う。
エレナさんくらいに強ければ、誰かの助けを当てにしないで済むかもしれない。
じゃあこれを振ってみろと、エレナさんが振ってた木刀よりはるかに細い木の棒を渡してきた。
「どれだけ時間をかけても構わない。まずはそれを1日５０回振れるようになれ。それができたら次の稽古だ。」
そういってエレナさんは、アルフさんを追いかけて走って行った。
どうやら日課の訓練に顔を出さなかった事で問い詰める気らしい。
早速渡された木刀を振ってみるけど、これがまた重い。
１・２回振るだけじゃ気付かないけど、７回も振ると体が悲鳴をあげ始める。
振り上げた時と振り下ろしたときに、ものすごい負担が体にかかるからだろう。
これは５０回どころか３０回も振れないかも・・・。
そうボヤきつつも、なんとかできるように頑張ってみようとは思う。
自分の為になる事は簡単に想像できるから。
リタさんは狐人族と言われる、珍しい獣人らしい。
どれくらいかはわからないけど、とにかく珍しいんだとか。
黒とも蒼とも見える艶のあるキレイな髪を肩くらいまで伸ばしている、スタイル抜群のホワホワしたお姉さん。
食事をはじめとした家事を一手に担っている、まさに一番お世話になっている人だ。
そのリタさんに、家の中の人間関係が気になってちょっと聞いてみた。
「リタさんはアルフさんの奥さん・・・なんですか？」
そうすると、人差し指を頬に当てながら嬉しそうな声で、
「んーーー、残念だけど違うわね。でもそう見えちゃうわよねぇ、うん。家の中で私が一番奥さんっぽいものね、ウフフフフ。」
そういってやんわりと否定した。
その反面、表情は肯定していた。
それからしばらく上機嫌だったし。
魔王様はモテモテだなぁ。
何故かあまり羨ましくないのは・・・、不思議だけどね。
シルヴィアちゃんは獣人の女の子だ。
この子は珍しい種族ではないから、リタさんのように「ナンタラ族」とか名前がつかないらしい。
力が比較的強くなく、個体数の多い種族の事をひっくるめて獣人と呼ぶんだとか。
この子はこげ茶でウェーブがかかった短めの髪だ。
目はまん丸で大きくて、良く笑う元気な女の子。
残念な事にこの子だけ言葉が通じないから、性格が良くわからない。
でもこちらを気遣ってくれているのは何となくわかる。
いろんなシチュエーションで、顔色をうかがっているから。
大体はお父さんであるアルフさんと一緒にいるか、妹のミレイアと遊んでいる。
そういえばミレイアとは会話ができてるみたいだ。
話によると魔力の弱いシルヴィアちゃんと、僕ら人族は会話ができないらしいけど。
本当にミレイアはどうしちゃったんだろう？
最後にここの主人のアルフレッドさん。
魔王の通り名をもっている、めちゃくちゃ強い人だ。
普段からおっかない人なのかというと、そんなことはない。
むしろ大人しい方かもしれない。
どこかで暴れたり、何かを壊したりすることもない。
割と淡々と暮らしていて、とても魔王らしさは感じない。
溺愛しているシルヴィアちゃんと遊んでいるときなんか、普通の父親にしか見えないし。
みんなと食事をとる以外は大抵外に出ている。
エレナさんと訓練したり、アシュリーさんと森に出かけては動物を捕まえてきたり。
家にいる時はシルヴィアちゃんにべったりだけど、ときどきリタさんに絡まれてる。
アルフさんに後ろから抱きついたりするから、てっきり奥さんだと思ったんだけどな。
こんな人たちに囲まれながらの日常。
騒がしかったり、驚かされることが多くて毎日心が休まらないけど、不思議と嫌じゃない。
きっと家族の温かみみたいなのがあるから・・・かな。
みんなにしっかり認めてもらえるように、僕もがんばろうっと。