「もうこの難易度も相手にならねーな。物足りなくてあくびが出る」
どこかの誰かが零した不用意な一言。その為に呼び出されたのが今いる開けた空間だった。
新造されていた次世代型潜水艦。その中に特異災害対策機動部二課の本部が仮設されていた。
その大型潜水艦の中にある装者専用の訓練施設。通称トレーニングルームに呼び出されたと言う訳であった。
既に模擬専用の殺傷能力が限りなく潰された武器が何本も用意されていた。刃の潰された刀剣。何本も用意されている。装者ならば武器の用意など必要ないのだが、生憎自分は只の人間でしかない。用意されているソレは素直にありがたいと思う。武器を選ばない程度には研鑽してきた心算ではあるが、馴染みのある物の方が取り回しが容易と言うのは考えるまでもなかった。弘法は筆を選ばぬと言うが、まだその境地には至っていない。棒よりも鉄。鉄よりも剣。武器を選ぶのは未だ先を目指す自分としては当然と言える。
何本もの刀を選び、一振り一振り振るい感触を確かめる。以前携えた童子切とは比べるべくもないが、少なくとも普段手にしている鉄パイプよりは遥かに馴染むと言えた。特殊な金属で加工された刀。十数本選び出し、一振り以外は鞘を抜いた。大量生産品である為大きな違いは無いが、それでも些細な差はあった。一番手に馴染む物を取り、軽く振るった。悪くは無い。納刀。試しを終え、一振り携える。
『上泉さん、準備の程はどうでしょうか?』
「問題ありませんよ。直ぐにでも行けます」
既にモニタリングを始める準備は万端なのか、オペレーターの友里さんが声をかけて来る。問題ないと伝えた。抜いた太刀全てを振り確かめていた。今持つもの以外でも自由自在に扱う事は出来るだろう。
今回仕事として受けたのは、二課で行う訓練シミュレーターの強化に伴う雑用と言ったところだった。戦闘データを計測。それを参考に、装者たちが行う訓練の難易度の追加を行う作業が行われる予定だそうだ。
先の言葉が示す通り、今ある難易度では物足りないと言う訳であった。その為、武門である自分に声が掛かったという事だった。特に装者の一人である風鳴翼は剣士である。同じ剣士である自分の戦闘データは色々な方向で参考になるという事の様だ。他にも白兵戦主体の響は元より、クリスであっても近距離での立ち回りについて向上が期待できるのだとか。先達として、後進の壁となれるのならば悪い気はしない。
その為のデータ測定が今回の模擬戦の目的であった。
「壊す気で戦っても大丈夫でしたか?」
『ええ。ユキが本気で戦っても問題なしだ。元々装者たちが全力を出す事を想定しているので、並みの攻撃ではビクともしないのは勿論司令が全力で動いても耐えきれる。筈だ』
「成程。ならば、何も気にしなくても良いと言う事だな」
質問に藤尭が答えた。笑う。あの司令が全力を出したとしても壊れないと言うのならば、大抵の事は行っても大丈夫だろうという事だ。装者たちが壁と感じる程度の戦いを成さねばならなかった。ただでさえ求められる物が大きかった。周囲を気にしながら行ったのでは、さらに難しくなるだろう。それが無いだけまだましという事だった。
「ならば、やらせてもらうよ。好きにな」
そんな言葉を伝え、数本の刃を地に突き立てる。更に続け様に壁や天井に投擲し突き立てた。適当な間隔で剣を撒き、場を整えていく。
『……トレーニングルームってどんな素材で出来てたっけ?』
『確か装者が全力で殴っても傷がつかない程度の強度はあったはず』
『刺さる物なのかしら?』
『まぁ、ユキだし。緒川さんと同じ扱いで良いよ』
太刀を抜く。手加減などできる相手ではない。もとよりその心算もない。例え模擬だとしても、戦場に立ったと言うのならば、全力を尽くすだけであった。準備はとうにできている。藤尭と友里さんがモニタリングの準備は終えているのか、雑談に興じていた。
「上泉の之景。日ノ本の武門の最高峰の一つ。風鳴としても、手を抜く訳にはいかないよな。何よりも、立場を忘れ滾ってしまう」
「司令は無手でよろしいので?」
「知っているだろ? 俺の流儀は
武を競う相手が姿を見せる。特異災害対策機動部二課率いる司令官。防人風鳴の一族が誇る傑物の一人。素手で完全聖遺物を纏うフィーネを追いつめたと言う怪物。風鳴弦十郎。
「辞した時、己を見直し鍛え直しました。我が刃、かつてと同じとは思われませぬよう」
「良く解っているつもりだ。響君の代わりに了子君とぶつかり合った。その姿は皆が見ていたのだからな。あの頃と同じとは思っていない」
「刃は血に継がれ、技は甦る。それが、上泉の剣。上泉之景。全力で向かわせていただきます」
「ああ。特異災害対策機動部二課司令、風鳴弦十郎。全力で迎え撃とう」
刃の潰された太刀。手にしていた。笑う。迎え撃つは、おそらく考え得る限り最大の実力者。此度の立ち合いは後進の為の測定ではある。が、そんな物はどうだって良くなってきていた。武門であり、男である。強き相手と鎬を削れると言うのならば、滾らない道理は無かった。
対峙する敵も同じような物なのだろう。両の拳を握り悠然と構えた司令の口元には微かな笑みが浮かんでいた。味方同士である。だが、それ以前に男同士だった。ぶつかり合う機会がある。ならば、全力を尽くすだけだ。
『お二人とも準備は良いようですね。それでは模擬戦を開始します!』
藤尭の声が響く。開始の合図。右から左に抜けていく。そんな物はどうだって良かった。合図などする意味が無いからだ。それよりずっと早く。言葉を交わしている時点からすでに立ち合いは始まっている。司令とぶつかり合う。そんな話を聞いた時点で、そう決めていた。司令もまた、こちらの期待通りの意気を示してくれていた。外野が何か言っている。雑音が心地よかった。
「来ないのならば、こちらから行くぞ」
拳。声が耳に届いた時には視界一面に迫っていた。下段。刃を流し、倒れ込みながらの一刃。
「甘いな」
拳の軌道を変え、地に手を突くように腕力だけでの跳躍。気に留めず、振り抜いた勢いのまま飛んだ。壁面。一振り。壁に足を突いたまま抜き、跳躍。天井。軌道を変え見据える。
「行かせてもらう」
加速。斬撃。両の手を振り抜く。後退。司令は間合いを見切る様に下がると、刃が上着を掠めるほどの距離で往なした。両腕。既に拳が握られている。
「返すぞ!!」
「っ!」
両の手より放たれた剛撃。二振りの刃で迎え撃つ。衝突、拮抗。戦車砲が直撃したような衝撃が訓練室を駆け抜ける。両腕。凄まじい豪撃に、幾らか痺れた。力を流して尚折れた両刃。司令の腕の内側で回転している。
「こちらの台詞だ!」
刺突斬撃。二振りの刃に打点を合わせ打ち抜く。刺突。首を逸らす事でかわす。斬撃、打ち出された飛刃を拳を持って打ち砕いた。化け物め。笑みが零れる。前進。ついで放たれる拳撃を立ち位置を入れ代える事により凌ぐ。
「ちっ!」
司令の舌打ち。両の刃を捨てていた。疾走、跳躍。地、壁と突き立つ太刀を抜く。視線。一瞬離れた時には、既に司令が迫る。石突。振りかぶられた拳に合わせた。支点。壁面に半ば衝突するように着地していた足を無理やり蹴り加速する。
「斬らせてもらう」
司令の剛撃の威力を流しぐるりと回った。支点として用いた左腕がみしみしと軋みを上げる。その甲斐あって、空中ですれ違う。右腕。思惑に逆らわず振り抜く。
『な、何事ですか!?』
斬撃反発。晒された背。それに向け繰り出した斬撃。目的を見失い壁に打ち込まれた拳。斬撃の打ち込まれる僅かな隙を用い、発勁で壁に流していた。着地。地に衝撃が駆け抜ける。響の声が届く。三人の装者のうち、彼女だけがまだ残って居たようだ。二人のオペレーターのどちらかの通信機から、少し遠い声が聞こえる。
「相変わらず、斬撃が通らない」
「そちらこそ、相変わらず紙一重で捉えきれない。流石はノイズを斬るだけあり、凄まじい見切りだ」
仕切り直し。発勁で往なされた刃。既に折られていた。右手の物を捨て両の手で構える。中段よりも少し高め、刃を流しながら見据える。自然と称え合う。紙一重の攻防だった。背筋が震える。それが、心地よくてたまらない。
『な、何で師匠とユキさんが戦ってるんですか!?』
『ああ、クリスちゃんが訓練にならないってボヤいていただろ。だから、新しい難易度と言うか、隠しボスを作成中なんだ』
『え……、隠しボスって……。え、アレと戦うんですか……?』
『そうなるね。データの収集が完了次第、新しい難易度を20段階ぐらいに分けて作るつもりだから、頑張ってね』
『ええ!?』
雑音。それが流れたのを契機に再び踏み込む。拳。掠める。刃。胴に流す。片手、手の甲で弾き落とす。刃が極端に逸れ、空隙を抜かれた。それだけで流れは止めない。
「此処」
「ふん!」
跳躍反転。加速を無理やり止め、反転。凄まじい衝撃が半身に蓄積する。地が陥没し、視界が狭まる。上体、肩が床に擦れるほど低く飛んだ。斬り抜け。潰れた刃を以て打ち抜く。あろう事か、腹筋で刃を折られた。凄まじい衝撃が両の手に宿り、それを無視した。急制動からの急加速。その勢いを一切殺さず跳躍。突き立つ刃。勢いのまま手にした。壁。一気に距離が狭まる。片足。負荷が抜けきれないソレを以て、壁に無理やり着地。即座に蹴る。
『あの、トレーニングルームの床、砕けてません?』
『そうだねー。でも、戦っているのがあの二人だから仕方ないね。クリスちゃんの爆撃でも耐えられるはずなんだけど気にしちゃだめだよ。新しいシミュレーターでは頑張ってね』
『うぇぇ!?』
「遅いぞユキ!」
紙一重。拳圧が頬を掠めた。着地跳躍。空中で体勢を立て直し地に落ちる。一気に間合いを詰めた。剣閃。勢いを削ぐ事をせず踏み込んだ。
「追いつかれたと言うのならば、更に加速するのみ」
二の太刀三の太刀。刃を流しつつ速度を上げる。斬撃の壁。ソレを両手の裏拳で打ち軌道を逸らす事で司令は凌ぐ。相変わらず出鱈目である。放たれる斬撃を裏拳で合わせるなど人間業では無いだろう。笑みが零れる。凌ぎ合うのが楽しくて仕方が無い。体が悲鳴を上げる。視界が白くなる。だからこそ、さらに加速する。
「これは堪らん」
そんな言葉と共に司令が後退する。仕切り直しなどさせる暇は与える心算など無い。追撃。前進しながら突き立つ刀を手にする。二刀。更に斬撃を加速していく。銀閃。軌跡が赤を追う。
「うおおおおお!!」
不意に衝撃が体を襲った。咆哮。気当て。司令の内に秘められた闘気が雄叫びと共に解放される。達人の気迫。僅かに押されかける。丹田に蓄積されている気。ぶつけ相殺する。ぞわりと悪感が背筋を走り抜けた。地が砕ける。瓦礫、無数に浮かび上がっていた。見据える。浮かび上がっている瓦礫は酷く緩慢としている。
『だから、何で砕けてるんですかー!』
『司令ですから』
『司令だからね。アレは、補修に思ったより時間がかかりそうだなぁ』
渾身の拳圧。もはや風だけで礫が飛んだ。後退。刃を振るいながら飛び退り、広範囲に及び猛威を振るう礫を弾き飛ばす。視線。跳躍した司令と交わる。強烈な気配。踵で着地。無理に軌道を変えた。上体から飛び込む。衝撃。拳が地を窪ませる。転がり、跳ね、距離を取る。視界が明滅し、呼吸が乱れる。片方の剣、回避の際に捨てていた。両手持ち。踏み込む。
「っ!?」
「良くもまぁ、今のを避ける」
『ユキさん師匠の足に乗ってますよ』
『そうだね。最早どこから突っ込むべきか。あのタイミングで足に飛び乗るユキなのか、人ひとり載せて微動だにしない司令の方か』
『……計測値は。うん。人間の出して良い数値じゃありませんね』
視界の先に、靴が迫る。制動跳躍。ギリギリのところで、足に飛び乗る。突き出された剛脚から衝撃波が抜けていく。後方の壁が僅かに窪んだ音が届いた。跳躍。彼我の距離が近すぎる。斬る前に打たれるのが目に見えていた。天井。即座に突き立った刃を取る。同時に手にしていた一振り、衝撃を往なし切れずに折られたソレを投擲した。司令が軸をずらして躱す。折れた刃が突き立つ。既に天井を蹴っていた。僅かに崩れた隙を突き、一気に攻めかかる。剛撃を至近距離で往なし、太刀を振るう。袈裟に裏拳。剛撃、軸ずらし。凪、足で腕を止められる。腕を引き戻す瞬間、司令の足が地を踏み抜く。
「これならどう凌ぐ」
回し蹴り。軸足で踏み抜いてからの旋風。飛んだ。同時に片足を剛脚に添わせ蹴る。後退。と言うよりは吹き飛ばされながら下がる。遠当て。吹き飛ばされながら放った。司令は屈む事で往なす。髪がふわりと風で揺らいだ。一瞬の機先を制した。着地。壁に付けた両足が凄まじい負荷に悲鳴を上げる。壁面の幾らかが砕けた。硬直。既に司令が迫っていた。笑う。拳。見据えた。音が加速する。反発。凄まじい衝撃を壁に逃がし切り、反動で飛んだ。一閃。鈍い音が響いた。
「此処までのようだな」
「ですね。刃を何本折られたのか」
馳せ違い、どちらともなく動きを止める。刃は半ばから折られていた。だが、司令の上着も斬り裂かれている。
拳撃で斬撃を折られていた。咄嗟に軌跡を変え、刃を流した。胴体。折れた刃で斬り抜く。先と同じく、斬撃は腹筋と発勁により弾かれていた。頃合いであった。今の立ち合いで、何本もの刃を折られていた。致命打となる物こそ貰ってはいないが、勝敗を決めるとなれば七割は負けたと言ったところだろうか。刃を次々と折られた。剣士としては、名折れも良いところだろう。だが、悪い気分では無かった。全力を尽くしぶつかり合った。衝突している最中、ある種の快感すら感じていた。純粋な武技のぶつかり合い。久方振りに、楽しいと感じていた。
「これ以上は艦への被害も出かねないので分けとしておこうか」
「異議はありません。良い立ち合いを行っていただき、感謝いたします」
司令の言葉に一礼する。順当な落としどころだった。振り返る。遮二無二戦ったに過ぎないが、これ位でよかったのだろうか。参考にならなかったなどと言われたらいたたまれない。
『お二人ともお疲れさまでした。一先ず、データの収集はここで終了とさせていただきます。良い戦闘データが計測できました』
「それは良い。久しぶりに暴れた甲斐がある。装者の訓練に役立ててくれ」
『それはもう。これだけのデータがあれば装者三人が音を上げる物を作れますよ。数値がおかしいですし』
どうやらその心配は必要が無さそうだ。体の負荷も考えずに走り回った甲斐があった。そんな事を思いながら折れた刃を片付けると、司令と共に訓練室を後にする。流石に陥没した床や壁、天井などは直しようがない。少しばかり心苦しいが、専門の方たちに任せるしかないだろう。
「師匠はシンフォギアでも傷付かない壁にひび入れるし、ユキさんは壁だろうと天井だろうと飛び回ってちょっと良く解らない動きしてる。……あれ? もしかして、ノイズ以外が相手だったら、私必要ないんじゃない?」
模擬戦を途中から見学していた響が、どこか遠い目をしていた。武器を手に、風鳴司令とまともにやり合っていた。その反応も解らないでもない。
「それは無いな。誰かの力になりたいと頑張る子が不要などと言う事はあり得ない。これでも先達だぞ。技術的なものでは劣る訳にはいかないさ」
「そうだぞ響君。特にユキの剣は上泉が辿った数百年の歴史がある。一代で追いつこうと言う方が土台間違っていると言える」
「なら、何で師匠は追いついてるんですか?」
「風鳴だからな。武門と防人。言葉こそ違うが武に属すると言う意味では、大きな違いは無いだろう」
自信が無くなった。そんな感じの姿に苦笑が零れた。壁となる為に今回の戦いは行っていた。そういう意味では、少なくとも響相手には十分な効果があったと言える。上泉に生まれた自分は戦う為に磨かれた血筋の一人だと言える。その血肉には戦いと研鑽の歴史が刻まれていると言える。いくら装者とは言え、単純な技術では負ける訳にはいかない。何よりも、自分はノイズ相手には有効な手立ては何もない。斬る事こそ出来はするが、それだけだった。彼の者達の相手は、響をはじめとする装者に頼らざる得ない状況だ。適材適所。自分の場所で出来る事をすればいいのだ。何もかも行う。誰にでも手を差し伸べるような女の子であるからこそ、今の自分と理想の間で悩むのだろうか。何もかもできる訳は無い。自分とて戦いの技があるだけだった。無理はするな。そんな事を司令と共に響に語る。
「そもそも他がどれだけ強かろうと、君にとっては関係ないのではないかな?」
「え……?」
「誰かの力になりたいのだろう。力が強いに越した事は無いだろうが、力ばかりに拘るのはのは君の望みから離れるのでは無いだろうか」
誰かの力になりたいのか。それとも、強い力を得たいだけなのか。目的と手段が入れ替わる。そんな事にでもなれば目も当てられない。求めるのは構わない。だが、急ぎすぎるのも良くは無いと言える。何を以て刃を振るうのか。それが大事だと思う。目的の定まらない付け焼刃など、身を滅ぼすだけだ。自分に適した成長をして行けば良い。仮に力が足りない事があると言うのならば、それは先達が補えば良い話だ。司令は元より、風鳴のやクリス、二課の面々もいるのだ。それだけいれば、大抵の事は何とかできるだろう。それでも足りなければ、全力でぶつかり失敗して思いっきり泣いてしまえば良い。生きる中で、出来ない事もあるだろう。だが、それにも何か意味はあるはずだ。
「他がどれだけ強くとも、関係ない……」
「ふ、参ったな。師匠がする役を取られてしまった」
呟く響きに、司令が苦笑を浮かべる。柄にもなく、多くを語ってしまった。示したそれは自分の考え方に過ぎないが、何かの参考にでもなればそれで良い。
「解るような……気もします」
「なら、少しずつ進めば良い。まだ成長期だろう。心配せずとも十分に伸びる余地はある」
「はい!」
元気の良い返事。向けられる邪気の無い笑みに幾らか毒気を抜かれた。素直な子だ。そんな事を思う。何処かの意地っ張りとは大きな違いだった。
「うーん。成長期。そう考えると何かお腹が減ってきたなぁ」
「こっちは解析があるのでまだ随分と終わるには時間がかかりそうですけど、食事には良い時間ですからね」
「そうだ師匠、ユキさん! ごはん食べに行きましょうよ、ごはん! 美味しいお好み焼き屋、知ってるんですよ」
不意に響が良い事を思いついたと声を上げた。司令と二人、困ったように笑う。
「申し出はありがたいのだがな。俺はもう少しやる事がある」
「えぇー。行きましょうよ」
「残っている仕事を放り出す訳にはいかんよ。だからユキでも連れて行くと良い。こっちの仕事はもう終わっているからな」
司令の言葉に少し驚く。よく考えて見れば既に目的も達成していた。自分は技術屋では無い為これ以上は為すべき事も無かった。行こうと思えば行けない事もない。
「なら、ユキさんだけでも行きましょうよ」
「……まぁ、予定も無いから構わないか」
「やった!!」
流れで外食に向かう事になる。響とは静養中に何度か食事をした事があった。二課の一同に挨拶を告げ陸地に戻る。道すがら、響が小日向に連絡を入れていた。他愛のない話を続けつつ、目的地に向かう。看板。ふらわーと書かれた文字。先のルナアタックによるノイズ襲撃の爪痕か、少しばかり街並みには活気が無く思えるが、目的地のお好み焼き屋は営業しているようだ。既に店の近くに小日向は居た。響が足早に近寄る。躓くなよと一声かけると、大丈夫ですよと笑った。そして、小日向の下に向かい。
「みくー!」
「あ、響。それに上泉さんも」
「ごめんね。またせ――わひゃぁ!?」
かなりの速度で向かっていた。そして案の定と言うかなんと言うべきか、盛大に躓いていた。近場に居れば助けられたのだが、生憎遥か後方にいる。どうしようもなかった。小日向を思いっきり巻き込みこけた。駆け寄る。女子高生がもつれあう様に倒れていた。
「言わんことが無い」
「あいたたた……」
「あうぅ……。酷いよ響」
目を回す二人。取り敢えずは立たせた。軽く見た限り、怪我などは無さそうだ。響にはもう少し落ち着くようにと小言を一言告げ、小日向には災難だったなとねぎらいを入れる。
「ま、まぁ気を取り直して入りましょう!」
そんな響の声を聞きつつ、暖簾をくぐる。人の良さそうな女性が迎えてくれた。女将さん。促され、テーブル席に腰を下ろす。対面には響と小日向。取り敢えず二人のおすすめを聞く。定番ではあるが豚玉。ついで焼きそば等を注文していく。
「今回は出させてもらおうか」
「良いんですか!?」
「そんな、悪いですよ……」
思えば二人と外食するのは初めてだった。響には先輩風を吹かせたところだった。この位の事はしても良いだろう。二人が対照的な反応を返した。素直に喜ぶ響と申し訳なさそうにする小日向。どちらもらしい姿なので、少し面白い。奢って貰えるのを喜んでいる響の説得を始めようとする小日向に、気にするなと告げた。呼び出した学生に金を出させるのも気が引けると言うのもある。
「すみません」
「気にしなくて良い。響には先達を頼れと話したところだ。これ位は、な」
しっかりしているのだろう。しきりにすまなさそうにする小日向を宥める。響ぐらい喜んでくれて問題ないのだが、恐縮してしまっていた。対照的な二人を相手にしていると、女将さんが料理を運んできた。
「何時も女の子達だけで来てるのに珍しいね」
「そうなんですよ。……先輩にあたる人なんですよ!」
女将さんの言葉に、響が少し考え込み言った。嘘では無いなと変なところで感心していた。
「後輩たちがお世話になっている様で」
「いえいえ。こちらこそ、若い子たちに元気を貰ってますよ」
短い挨拶を交わした。ゆっくりして行って良いからねとの言葉をいただき、食事に移る。
粉物。そう言えば最近は食べていなかったなと思い口に含む。鉄板料理特有の厚さがあるが、確かに旨かった。
「おいしー! やっぱりふらわーのお好み焼きは絶品だね」
「はいはい。おばちゃんのお好み焼きは何時も美味しいよ。口元にソースついてるからじっとして」
響が満面の笑みを浮かべ、笑う。言葉通り、心の底から美味しいと思っているのが一目で解った。そんな響を小日向が何時もの事という様にナプキンを取り出し頬を拭った。仲が良いものだと横目に、少しずつ箸を進める。他愛のない話を続けながら、料理を突いていた。
「そう言えばユキさん。前から気になっていた事を聞いても良いですか?」
「なにか?」
茶を啜ったところで、響が意を決したという風に言葉を発した。あの立花響である。そんな雰囲気が珍しいので、佇まいを正した。口元についているソースが気になるが、話の腰を折る為指摘は後にする。多分、小日向が拭くだろう。
「ユキさんとクリスちゃんって、仲が良いですよね?」
「まぁ、悪くは無いと思うよ。と言っても、君と出会ったのも大差ないが」
響の言葉に頷く。少なくとも、ある種の安心感は抱いてくれているように思えた。とは言え、出会って日が長いと言う訳では無い。響と出会ったのも、クリスを拾った翌日だった。時間的な差など無いと言っていい。
「そう言えば、初めて会った時もそんな事言ってましたね」
「あの時点で初対面から一夜明けただけだからな」
考えて見ればクリスと出会い、殆ど日が経つことなく二課の面々に出会った。ある意味感慨深い。
「それでですね……。その、ユキさんはクリスちゃんとどう言う関係なのかなって。良く話にも出てきますし」
「あ、それは私も気になります。クリスが話題にする男の人って、大体弦十郎さんか上泉さんですし」
響に小日向も興味がありますと話題に入る。
「……改めて聞かれると中々説明に困るな」
「じゃあ、その、突っ込んだ事聞いちゃいますけど、お付き合いとかしてるんですか……?」
さてどう答えたものかと考えた時、響が更に聞いてきた。思わず吹き出しそうになる。最初に浮かんだのは、何故そんな結論が出たのかと言う所だった。あの子に同じ事を聞いたらキレるぞと笑う。それ程見当違いだからだ。
「それは無い。そういう類の話として言うのならば、精々放っておけなかった女の子と言う所だな。二課に所属した事により、心配する事も随分と少なくはなったが」
「え……!? そうなんですか?」
「ああ、そうだよ。しかし、どうして付き合っていると思ったのか聞いても良いかな?」
答えると響が意外と言わんばかりに目を丸めた。時折人恋しくなるのか尋ねてくる事はあるが、彼女が思うような事実は存在していない。むしろ、こちらが何故そう思ったのか聞いてみたかった。
「だって、了子さんとぶつかったとき。ユキさんはクリスちゃんの事で怒ってましたよ」
「ああ、そう言う事か」
それはルナアタックの折、フィーネとぶつかり合った時の話だった。この子は全て見ていた。だから、俺がクリスの事を引き合いに出したのも知っていた。
「子供が泣いていた。その子が漸く夢を見つけ戦っていた。それを踏み躙る事をしたのが許せなかったんだよ。知っている子であるのならば尚更だろう?」
「それだけで、了子さんに立ち向かったんですか?」
「ああ、そうなる。俺はね、かつて父に生かされた。だから自分も誰かを生かせる人になりたかった。守るべき矜持があり、守りたい思いがあった。あの場に立った理由などそれで充分だよ」
何も雪音クリスだけの為に立ったわけではない。装者たちは戦っていた。二課の者達も戦っていた。共に歩んだものを嘲笑い踏み躙った。あの時はそう思ったからこそ、童子切を以て挑んだ。そして敗れ、響に後を託していた。その後の戦いについては何もわからないが、フィーネに心境の変化が訪れたという事だった。
「ユキさんは、私たちの為にも戦ってくれたんですね」
「何よりも、俺自身が気に入らなかった。そう言う事なのだと思うよ」
そう言われてしまうとどこか照れ臭い。自分の為でもあったと付け加える。
「それに、誰かの為に戦ったというのなら小日向もそうだな。リディアン音楽院の皆も装者を助けようと戦った」
「私……ですか?」
「ああ。君たちが歌ったからこそ、あの奇跡は起きたのだろう。充分に戦ったと言える」
小日向もまた、音楽院の仲間たちと共に戦ったのだろう。あの時、あの場、歌が聞こえたのは彼女らが戦った証である。それは自分にはとてもできない戦いだった。
強いな君たちはと締めくくる。慌てて謙遜を始めた小日向を遮り伝えた。皆で戦った。それで良いのだろう。
「やっぱり、ユキさんは良い人です」
「君には負ける。誰かの為にと思える。それは大きな事だと思う」
響の方が遥かに優しいと思えた。少なくとも、自分であったのならフィーネを斬る事しかできず、あの子の胸に深い傷を刻む事しかできなかっただろう。だからこそ、素直にそう思うのだ。
「よぉーし! 私、もっと頑張りますね!!」
話が途切れたところで響は元気良くそんな事を宣言した。小日向が少し驚くも、直ぐに笑みが溢れた様だ。子供だとは思っていたが、それでも大きく変わる時がある。立花響はこれからも大きくなるだろう。そんな予感のようなものを感じた。
余談ではあるが、後日模擬戦を参考に作られた新難易度BUMONに装者たちは挑み、半泣きにされたと聞いた。
次回からはGに入ります。
模擬戦では戦ってた二人がタッグを組んで向かってくる。装者は泣いても仕方ない。