某日某所、とある住宅にて。
リビングのダイニングテーブルに並ぶカップとティーポット、それからクッキーの乗った皿と角砂糖の入ったポットを挟み、LilyとSansは向かいあっていた。
あの日のような険悪な雰囲気など一切ない、友人とまったりと過ごすにはもってこいの穏やかな空気が、其処には流れていた。
「それで、調子はどうなんだ?」
「ん、上々ってとこかなー」
先程来たばかりのSansにお茶受けと一緒に紅茶を出し、自身のカップに注がれた分を一口飲んで、Lilyは答える。そうしてぐるりと部屋を見渡し、ぼそりと呟く。
「まさか私も此処に居候することになるとは考えてなかったなー」
「………まぁ、俺は何となくそうなる気はしてたが」
「えっ、マジで?」
自分の答えに目を丸くするLilyを見ながら、Sansは出された紅茶を啜る。Friskのプロデュースによって、地上でも売られるようになった金の花の紅茶は、何時も通りいい匂いがした。
Lilyの認識を正した後、冷静になった頭で彼女が考えたのは、『これからどうするのか』という問題だった。
今の彼女には戸籍はあれど―――これはLilyの存在がどうなっているのか役所に確認したときに判明した―――仕事もなく、住居もない。それまではリビングのソファーを借りたりしていたLilyだったが、これから生きていくにはどうするか考えていなかった為、そんな問題に突き当たった。
そこでToriel達から提案されたのは、『この家で住まないか』というものだった。その提案はLilyにとって魅力的ではあったが、そこまで世話になるのも気が引けた彼女はそこに『仕事を見つけて生活が出来るようになったら出ていく』という条件を足そうとし、一ヶ月ぐらいの間に仕事を見つけ、出ていくつもりで話を進めようとした。が、そこへFriskとCharaが、『自分たちから離れていくつもりか』と言い出し、説得された直後ということもあり、根負けしたLilyは結局はこの家に住むこととなったのだった。
「そういや、結局何処の部屋を使うことになったんだ? なんか揉めてたよな」
ふと、SansはLilyが何処の部屋で寝泊まりするかFriskやTorielが話していたのを思い出した。それを訪ねてみると、
「あー……それは結局ね、物置だった部屋を使わせてもらうことになったよ」
一口紅茶を飲み、Lilyはそう言った。
「へぇ。じゃあ、掃除とか大変だったろ」
「うん、凄く。昨日まで埃と戦ってた。君じゃないけど、骨が折れたよ」
「おっ、此処は笑うところか?」
けらけらと穏やかに二人で笑い合っているうちに、Sansに向けるLilyの視線が、すっと細められる。
「………それで、今日は一体何の用? なんか用があってきたんでしょ?」
紅茶を一口飲み、Lilyはカップを置いてそうSansに尋ねた。
目の前に座る骸骨は、Lily以外の住人が出払っているタイミングで何の用も無しに訪ねてくるような性格ではない。それをLilyはとっくのとうに、そして良く知っている。このタイミングで訪ねてきたのも、偶然ではないだろう。きっと見計らっていた筈だ。……いや、自分の考えすぎで、彼が本当にただ友人として訪ねて来ただけならば、歓迎を持ってもてなすつもりではあるが。
SansはLilyの平然とした態度を見て、笑う。やはり自分の考えはお見通しのようだ、と内心で無い舌を巻く。
「heh、heh………やっぱりアンタ、俺の事を良く解ってるよな」
「そりゃ何万回と相手してりゃね」
どうやらLilyの思惑は的中したらしく、Sansはカップを置きながらそう言った。それに対し、Lilyは平然とした態度を崩さずに言葉を返した。そして、視線でSansに話すように促す。
「………アンタ、
その視線を受け、そう切り出したSansのその疑惑の視線を、Lilyは逸らさず受け止める。Lilyが無言を貫き、その行動が話の続きを促している行為であり、話を遮る気はないようだと判断したSansは、問いを続けていく。
「アンタは一度ソウルをAsriel王子に、存在をCharaに譲って死んでる。これは紛れもない事実だ。そうじゃなきゃ、あの二人は現実に存在しない。それなのにアンタは此処にいる。形だけはかもしれないが、人間として。これは本来有り得ないことだ。人間も俺達モンスターと一緒で、ソウルを失えば死ぬ。そりゃ身体は残るが……ソウルを失ってしまえば二度と動かない。動くはずがない」
そこでSansの視線に、少しばかりの恐怖が混ざる。
自分の思考では説明できない、理解できない事象に対する恐怖が。
「………なぁ、あんた、どうやって生きてるんだ……? そもそも、本当に生きてるのか……? またこの世界から、居なくなったりしないよな……?」
その問いを投げ掛けると、Lilyは俯いた。
Sansが今日やってきたのは、この問いの答えをLilyに何としても答えてもらわなくてはならなかったからだ。
Lilyへの尋問が終わった後、Sansは不意に、Lilyが本当にこの世界に存在しているのか、ということに思い至ってしまった。
目の前に居る人間は、本来の自然法則なら有り得ない甦りを果たしている。どういう奇跡が起きたのかは知らないが、まるで元からこの世界の住人だったように普通の人間として振る舞っている。
…………だが。もし、その奇跡に、彼女のソウルが伴っていないとするならば……?
まだ、彼女がソウルレスだったとしたら?
―――……もしかすると、また、居なくなったりするんじゃないだろうか?
Sans自身、自分の考えすぎなのは分かっている。だが、一度そんな考えが浮かんでしまえば、彼は不安で仕方がなかった。
だから、この不安を『考えすぎだ』とLilyに否定してほしかった。笑い飛ばしてほしかったのだ。
「………」
だが、顔を上げたLilyは、困ったような顔をしていた。その顔を見て、Sansは嫌な予感がした。
まさか、本当に自分の考えが当たっていたのか。そんな不安がSansの中に募る。そんなことも露知らず、Lilyは少し間を開け、口を開いた。
「………取り敢えず、出来る限り答えさせてもらうけど。まず最初の質問には………あんまり、的確な答えは出せないなぁ。私自身、ちょっと良く分かってないんだよね……」
「………分かって、ない……?」
恐れていた答えとは違う、どっち付かずな曖昧な答えに思わずSansがLilyの言葉を鸚鵡返しをすると、Lilyは肩を竦め、苦笑を浮かべた。そのままLilyは片手を本来心臓のある部分の上に置く。
「私のこの身体は、Charaに存在を渡した時に闇に葬られた。無かったことにされた。………その筈、だったんだ。それは私が良く分かってるんだよ。なのにどういう訳か、私は此処にいる。私が契約していた、あの神様によってね」
その言葉で、Sansはあの日計画を説明された際にAmalgamatesが人間のソウルを取り込んだような存在、と話していた神の事かと思い出す。正直に言えば、Sansはそもそもそんな存在が居る事が信じられなかった。理論上は確かにそんな存在がいる可能性は無くはない。だが、可能性は限りなく、本当に限り無く薄い。そんな存在がLilyと繋がっていることが、未だに信じられずにいる。
「……この世界に戻される前に、私はあの神様と会っているんだけど。彼らは、契約を遂行した報酬として、この世界に『私』の席を用意した、って言ってたよ。それに伴ってこの身体をサルベージして、元から此処に居たように上書きした。本当に神の所業だよ。
…………だけど、私が生きてるって言っていいのかは、分からない」
Lilyの胸に置かれた手が、服を握り込んでぐしゃりと皺を作る。
「分かってると思うけど、私がここに居るのは、自然の法則に逆らった、有り得ない事象だ。死んだ筈の心臓も動いてるし、ソウルと一緒に失くなった筈の感情も言葉一つで動く。だから多分……心も、あるんだと思う。まぁ、奇跡と言っても過言じゃないだろうね」
そこで、Lilyは一度口を噤む。
彼女自身、自分の身体や存在について何とも思わない訳ではない。Sansの考えには当然行き着いた。
「奇跡って、過程とか原理とか全部すっ飛ばして結論だけ持ってくるようなものだからさ。私にもこの身体がどういう仕組みで動いてるのか、分からないんだ。もしかしたら、私は人間じゃないのかもしれないね。私だって、自分はどうなっているのか、気にならない訳じゃないよ?
………でもさあ」
………だが、それ以上に。
ふと、Lilyはパーカーから手を離し、Sansの目を真っ直ぐ見た。そうして、微笑む。
「正直私が人間だろうが、人間じゃなかろうがどうでもいいんだよね。だって、私はもう一度皆の傍に居ることを許されたんだもの」
―――そう。
彼女にとっては、今こうして、家族と一緒に話したり、友人と一緒にお茶会をすることの方が、大事だった。
「まぁ、そういう訳で、その質問には残念だけど答えられないよ。だって、分からないし、そもそも興味が無いからね」
「………heh。そうかよ」
笑いながら『どうでもいい』と切り捨てたLilyに、Sansは目を丸くした。そうして、そういえばLilyはこんな性格だったな、と思い出す。
――――ウダウダと悩んでいた自分がバカらしくなってきたな。
これ以上なく幸せそうに笑うLilyの顔を見て、Sansはそう思う。
本人が気にしていないのに気にしすぎているなんて、疲れるだけだ。
そう心の中で呟き、少し冷めてしまった紅茶を飲み干した。
「あぁ、でもね、二つ目の質問にはちゃんと答えられるよ。私は本当にもう何処にもいかないよ。これは嘘じゃない」
「………本当だろうな?」
二つ目の問いの答えはあまりにすんなりと答えられてしまった為、思わず疑ってしまう。Sansのその反応に、Lilyは心外だと言いたげに目を剥いた。
「本当だってば! 信じてよ、もう……信用ないのは分かってるけどさぁ」
「あぁ、そうだな。ユビキリでもしてくれないと信じられないな?」
苦笑するLilyの言葉に続けて、Sansが白い骨の手の小指を差し出し、ニヤリと笑いながらそう言うと、Lilyの目が丸くなる。
「………え、しろって?」
「おう。本当なんだろ? 出来ないって訳じゃないよな?」
「出来ない訳じゃないけど………」
漸く見られたLilyの困惑した顔に、してやったりだと思いつつ、Sansは小指をずいっと差し出す。
「ほら、してくれよ」
Sansのその行動に更に困惑しながら、Lilyは口を開いた。
「………約束は、嫌いなんじゃなかったの?」
そう。先程からLilyがこんなにも困惑している理由は、それだった。Lilyの知るSansは、大の約束嫌いだった筈なのだ。
その為か、『Undertale』の作中でも、彼自身から約束を結ぶような事は全くない。全て、相手方から持ち掛けられたものだった。
それを聞いたSansは、あぁそれか、と前置きして言う。
「確かに約束は嫌いだよ。今も昔もな。だけど………俺だってな、お前が居なくなるのは嫌なんだよ。お前の友人として、な」
SansがLilyの目を見て、本心から思っていた事を言えば、Lilyの目が驚愕で見開かれる。そして、少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
ついこの間自分に向けられる愛の知覚が正された彼女には、心に刺さるものがあった。
自分の約束が嫌いだという思いに反してまで、約束を持ちかけてくれている。
その事実に込められた確かな友愛に対して、『嬉しい』と思うと同時に、『恥ずかしい』という感情が湧いてくる。
『愛されていない』と思うことで心に愛をはね除ける壁を張っていた彼女は、本物の愛に慣れていないのだ。
「……そういう、ことなら……」
Lilyは恥ずかしそうにしながら、おずおずと自分の小指を差し出されたSansの小指に絡める。そして、いつもFriskにやっていたように小さく歌い出す。
「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます、ゆびきった」
歌を歌い終えると、Lilyは直ぐに指を離して手を引っ込めた。頭を掻きながらSansに向き直る。
「………これで、信じてもらえる?」
「おぉ」
小指を見て、満足そうにニンマリと笑いながら頷くSansを見て、Lilyも紅茶を飲み干した。話を変えようと辺りを見渡してSansのカップも空な事に気付くと、ティーポットの中を覗き、まだお茶があるか確認する。二人分はありそうだと目測で測ると、Sansにティーポットを少し掲げながら尋ねた。
「ええっと。紅茶のお代わりはいる?」
「貰う」
「了解、カップこっちに頂戴」
Lilyの思惑を何となく察しつつ、SansはLilyに言われるままカップを差し出した。
いつの間にか張り詰めていた空気が緩み、また、穏やかな空気が流れる。
「………というか、割りと歌が物騒だな」
「そうだねー。指を切るとか超怖い。ちなみに二番まであるらしいよ」
「マジか」
差し出されたカップを手繰り寄せ、注ぐために立ち上がる。まだ暖かい紅茶をカップに注ぎながら、何気無い会話を重ねていく。自分のカップにも紅茶を注ぎ、Sansにカップを返して、椅子に座り直す。
「………あ。そういやお前さん、仕事とかどうするつもりなんだ?」
ふと、Sansは気になっていた事を尋ねてみる。紅茶に角砂糖を二つ落としてかき混ぜていたLilyは、手を止めてそれに答えた。
「あぁ、それね。今朝も話してたんだけど、FriskとCharaの強い希望で身辺警護とかどうかな、って話になってるんだ」
「へぇ? それはまた大役じゃないか」
紅茶を混ぜていたスプーンを出し、ソーサーに置いて、Lilyは紅茶を一口飲む。そして、Sansに話を続ける。
「何万回も繰り返してきたからナイフの扱いとかには慣れてるし……それにどうも、二人は私を傍に置いておきたいっぽくてね」
「あぁ………」
身辺警護を親善大使二人が推す理由に納得しつつ、Sansも紅茶に角砂糖を入れて混ぜ、紅茶を啜る。
「……ねぇ、Sans」
「ん?」
ピチチ、と風の吹き込む窓から聞こえる鳥の声を聞きながら、Lilyは笑う。
「これからも、友達としてよろしくね」
改まって何を言うのかと思いきや、そんな言葉がLilyの口から出て、一瞬Sansは面食らう。だが直ぐに、
「おう、こちらこそ」
ニヤリと、何時もの笑みで笑い返してやったのだった。