守りたいもの   作:行方不明者X

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彼女にとって、この日常はとっくに色を失ってしまっている。

 

 

何をするにも、彼女の背に罪の意識が重たくついていく。

 

 

まるで底無し沼のような暗い世界を生きていく為に、彼女は今日も鏡の虚像と向かい合う。

 

 

―――――――そんな彼女に、代役が務まるのだろうか?


Epilogue of Chara

【Chara】

 

 

父さんも母さんも寝静まった深夜。僕は家にいる全員が寝たのを見計らって、洗面所の前に立つ。

 

 

すると、出してなるものかと意地でずっと抑えていたものが、限界を迎えた。

 

 

「げほっ、ごぼっ…………ぉえっ」

 

 

どろりとした酸味の強いものが喉の奥から口を通って溢れ出ていく。

 

 

べしゃり、という音を立てて洗面台に落ちたそれを見て、また吐いた。それを何回か繰り返す。

 

 

………これで最後だろうか。

内容物を全て吐き出して透明になったそれを見て、そう判断する。まだ戻したばかりであることも含めて、気持ちが悪い。戻した際に胃酸が喉を焼いたのだろう、ヒリヒリと痛かった。蛇口を捻って水を流し、自然と流れていかずに洗面所に残しまった吐瀉物を綺麗に洗い流す。こんな夜中に起き出して、食事を吐いていることを誰にも悟られないように。

これ以上胃酸に焼かれると喉が嗄れるのは経験済みだ。嗄れるとまずいからうがいなどで使うコップで水を飲む。二、三回飲んで、ピリピリとした感覚が消えたところでコップを置き、蛇口を閉めた。

 

 

「………美味しかったのに」

 

 

また、戻してしまった。その事実に少しだけ申し訳なくなる。

……今日は、僕とFriskの誕生日だった。毎年家族と一部の友達だけで行われる誕生日パーティーが、今日はあった。皆が持ち寄ってくれた美味しいお菓子や食べ物がテーブルに並んで、事前にAsから聞いていた手作りのチョコレートケーキを囲んだ。

 

 

美味しかった。……でも、吐いてしまった。

 

 

チョコレートケーキを一切れ食べ、それ以外のものをちょっと食べて、あとは部屋のソファで皆と話していただけなのに身体が拒む。

最近ずっとこうだ。そもそも何かを食べる気がしないし、でも皆に心配をかけさせるわけにもいかないから、食べるしかない。それで食べれば、吐いてしまう。どんなに美味しくても、だ。いつの間にか、こうして皆が寝静まった深夜に吐くことが習慣になってしまった。

 

 

これじゃいけない、と思って、Friskにも内緒で一人で病院にかかってみた事がある。色々と検査をした結果、受診した医者から『心因性のものかもしれない』と言われてしまった。ようは、精神的な面ものかもしれないということだ。

何か大きな病気がある様子はない為に、その判断が下されたようだった。その時何かストレスを抱えてはいないか聞かれたが、否を返しておいた。

 

 

………………本当は一つだけ、心当たりがあったが。

 

 

それは………僕、Chara・Dreemurに関してのこと。

 

 

何の因果か、あの真っ暗な空間から抜け出して二度目の生を受けた僕は、八人目の人間―――Friskの双子の姉として生きてきた。

Frisk越しに居る筈の『Partner』の存在を感じ取れなくなったことや、そもそも本来死んだ筈の僕が本来関わることの出来ない筈のFriskの姉として生きていることに、最初は混乱した。でも、何年か生きているうちに、これはどうしようもない現実なのだと認めざるを得なかった。諦めた、というのが正しいのかもしれないが。

そして、僕という異分子を加えたままあの日へと時間は進んで、僕は全く変わってしまった物語を歩む羽目になった。

僕が帰って来たことに父さんも母さんも泣き崩れるわ、まだソウルレスの花だったAsには執着されるわ、どうしてかあの忌々しいGルートの記憶のあるクソ骨……Sansには無駄に警戒されるわ、挙げ句Asが大暴走するわで、嬉しいこともあったけど、それと同じくらい大変だった。でも、その結果、皆が皆、笑っている未来を掴み取れた。『Partner』からすれば、何回も繰り返したゲームのルートでしかなかった筈の未来を、変えてしまった。

 

僕らの、決意で。

 

ちょっと人数が増えた状態で見たあの日の夕焼けは、ひどく、綺麗だったのを覚えている。

 

 

 

――――………()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

………三、四年か前だったか。Mettatonから電話がかかってきたことがあった。丁度その時はアイツも軌道に乗って話題のスターとして忙しかった筈なのに、態々プライベート用の番号でかけてきたのを珍しく思ったのを覚えている。いざ電話を取ってみれば、不可思議な質問をされた。『自分に家の鍵を返したか』という趣旨の質問を。

そんな事に覚えが無かった僕は、そのまま『知らない』と言葉を返した。すると、電話越しのMettatonは『可笑しい』と言い出したのだ。

 

………『記憶と矛盾している』、とさえ。

 

それを聞いていた当時は早急に仕上げなくちゃいけない書類があり、小声でぶつぶつと何かを呟き出した電話越しの電子音が煩わしかった為に直ぐに電話を切ってしまったが、仕事を終えて一段落して、ふとその言葉を思い出して………気付いてしまった。

Mettatonは元はゴーストといえど、今の身体はあのAlphys特性のハイスペックマシーンボディだ。あの身体に、ロボットならついていることが前提の記憶装置を組み込んでいないなんて事はない筈だ。凝り性なAlphysのことだから、記憶できないなんていうエラーが起きにくい高性能なものをつけている筈。

 

 

…………そんな機能がついている筈のMettatonの記憶と、僕自身の記憶が、『矛盾』している?

 

 

……おかしい。

 

 

おかしい。

 

 

おかしい。

 

 

何故、『矛盾している』なんてことが起きた?

 

 

そこまで想像して、背筋が寒くなった。

事の重大さにようやっと気付いた僕は、慌てて記憶を探る。でも、どれだけ探っても『Mettatonに家の鍵を返した』なんて記憶はなく、自分の記憶だけがはっきりと浮かび上がってくるばかり。

いくら年月が経ったとはいえ、あの日のことを忘れることなんてできる筈がない。だってあの日は、僕らがゲームという運命から解放された日でもあるんだから。忘れるわけがなかった。

そこまで、思い返して………あることに、気付いた。

 

 

 

あまりにも、今までがはっきりと思い出せ過ぎることに。

 

 

 

さっきとは矛盾するけど、人の記憶なんてあやふやなものだ。印象に残って脳に刻み付けられたもの以外、案外忘れてしまう。なのに、僕の記憶はずっと色褪せずにそこにある。

その時誰が何と言ったのか、一字一句違えずに言えてしまう。

死んでしまったら声から忘れていく筈の今世の母さんと父さんの声も顔も、思い出せてしまう。

 

 

まるで、絶対に間違える事のないように、用意されたような………―――

 

 

そう思った瞬間、今まで違和感を覚えなかった筈のそれらが、急に信じられなくなった。

 

 

これが、本当に正しいものなのか分からなくなった。

 

 

正しく僕の記憶なのだと、絶対の自信を持てなかった。

 

 

冷静になって考えれば、Undyneや母さんとの会話で、何回か矛盾が生じたことがあった。

それまではただの記憶違いだと流していたけれど、それが起きるのは、どちらかの記憶が間違っていたからだとしたら……?

 

 

正しいのは、どっちだ……?

 

 

そんな思いも助長して、僕はいつしか思考のループに嵌まってしまった。

 

 

何回も巡っていくうちに、言い様のない得も知れない感情だけがぶくぶくと大きくなっていく。

 

 

そして………ある日の晩。

 

 

夢を見た。

 

 

真っ暗な闇の中に、誰かが佇んでいる夢を。

 

 

自分は地面らしきところに倒れていて、身体も動かせず、最初は黒い汚れたスニーカーしか見えなかった。

 

 

そして、不意に身体が動くようになる。

 

 

そのチャンスを逃さずに、その人の顔を見ようと頭をあげると。

 

 

 

――――………そこには、笑う僕の顔があった。

 

 

 

そこで、飛び起きた。

身体中汗にまみれて、心臓が痛いくらいドクドクと早鐘を打っていた。落ち着かない心臓を何とか宥めながら、頭を冷やす目的も含めてシャワーを浴びた。皆が起きてくる前にさっさと浴びて、また起こされるまで眠ろうとした。

でも、眠ろうとする度、先程の夢の人物の笑顔が過って仕方がない。

大人になった僕、ということではないだろう。僕の髪は茶色に近い色だし、あの人物の髪の色は黒色だった。じゃあ、あの人は一体誰だ?

 

結局その後は眠れず、現実逃避気味にあの人物について考えていた。

いつしか聞いたドッペルゲンガー………ではないだろう。見たら死ぬって聞くし、そもそも僕自身ではなさそうだった。じゃああれは顔が似ているだけの別人ということだろうか。そんな知り合いはFrisk以外にはいない筈なのに、何故……? 記憶のことでいっぱいいっぱいなのに、これ以上負担を増やさないでくれ………

 

そこでふと、まさか、あれが今このタイミングで現れたのはこの記憶と関係があるんじゃないか、という考えに行きつく。でも、先程も言った通りFrisk以外に顔が似ている人なんていない筈。

 

 

…………忘れていたり、しなければ。

 

 

その言葉が浮かんだ瞬間、ドクンと心臓が跳び跳ねた。

明瞭な記憶なのに、忘れていることがある……? おかしいだろう? 忘れているなら、何故あれの事だけがピンポイントに抜け落ちているんだ? それじゃまるで、隠そうとしているようじゃないか。

 

 

いや、もし本当に『隠そう』としているなら?

 

 

僕にあれの存在を隠して、なんの意味がある?

 

 

 

――――――『君はもう充分、苦しんだ。君はもう生きていいんだ』

 

 

 

不意に一瞬、ズキンと、酷く強い頭痛して、そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

 

……いいや、この感覚は、《思い出した》というのが正しいのだろう。

でも、僕はこんな言葉を聞いたことなんてない。そんなこと、記憶にはない。

 

 

………聞いたこともない筈の言葉を、思い出した?

 

 

しかも、こんな、以前まで罪に囚われ続けた僕の苦しみを理解したような、それでいて尚且つ生きていいと肯定する言葉を?

 

 

 

――――――『君のLOVEとか全部私が持っていくから、気にしないでね』

 

 

 

また一瞬、頭痛がして、そんな言葉も続けて思い出す。

 

 

そしてぼんやりと、考える。

 

 

………『持っていく』って、なんだ。

 

 

僕が………ゲームだった時に私が稼いだ、Level Of ViolencEを、持っていく……?

 

 

『気にしないで』って、なんだ。

 

 

自分がLOVEを持っていくから、もうそのLOVEに囚われずに生きろってことなのか?

 

 

…………じゃあ。

 

 

今、僕がいるこの居場所は。

 

 

 

 

 

あいつに、用意されたもの………?

 

 

 

 

それだけならば、どんなにいいプレゼントだったか。ゲームから逃れたくて仕方がなかった僕には、喉から手が出る程欲しかったものだから、無償でくれるというなら直ぐに手を伸ばす程欲しかった。

 

 

でも、きっとそうじゃない。

 

 

ただの僕の代わりなら、僕も何の気兼ねも無しに生きていけた。

 

 

そうじゃなかった。

 

 

記憶に違和感があるところが幾つもあること。Mettatonや周りの友人達との食い違いがあること。

 

 

思えば、まだFriskが小さい頃にカルボナーラやハンバーグを振る舞った記憶がある。けど、いくら二度目の人生と言えど僕は双子の姉だ。そんな小さい子供に、火を使った料理がスムーズに出来るか………?

 

 

そんな訳がないだろう。

 

 

………じゃあ。

 

 

これは。

 

 

一体、誰の記憶だ………?

 

 

そこで、一つだけその疑問に対する完全な答えが浮かんでしまった。

 

 

気付きたくなかった最悪の答えに、頭が勝手に行き着いてしまった。

 

 

 

 

――――まさか。まさか、まさかまさか。

 

 

 

 

この記憶は、元々アイツのものだったんじゃないのか。

 

 

 

それならば。

 

 

 

――――…………この居場所は、元々アイツの……

 

 

 

それに気が付いてしまった瞬間、僕は発狂した。

 

 

寝ていた皆を叩き起こしてしまうほど暴れて、叫んだ。

 

 

こんなことに気が付きたくなんてなかった。

 

 

僕が生きてきた総てが否定されてしまった。

 

 

『自分はあの人の代役で、此処に居る筈のない偽者なのだ』と、証明されてしまった。

 

 

………Friskの本当の家族になるはずだった人の立場を奪って、僕本来の役目を押し付けてしまった。

 

 

モンスターを全て殺した残虐な罪人に、してしまった。

 

 

それに対する罪悪感がストレスになっているかもしれないなら、この症状にも納得がいく。だから、僕は医者に進められた通院を蹴った。

 

 

少しでも、あの人への贖罪になると思ったから。

 

 

今考えれば不思議でたまらない。何故、気付けなかったのか。

 

 

ただの奇跡なんかで、僕が救われることなんてないじゃないか。そんなこと、わかってた筈だろう。またこの世に産まれてこれた喜びで、頭が麻痺してたのか?

僕は決して救われない死者だ。それを無理矢理蘇生するなら、相応の代償があるに決まってるのに。

 

 

………生きることを望んじゃ、いけなかったのに。

 

 

洗面台から顔を上げて、備え付けてある鏡に自分の顔を映す。

鏡に映る顔に直接目線を合わせられない。顔が似ているからか、笑うあの人の顔がどうしても重なってしまって、涙が出て来てしまう。

 

 

居場所を奪ってごめんなさい。

 

 

貴方がもらう筈だった皆の愛を奪ってごめんなさい。

 

 

罪を擦り付けてしまって、ごめんなさい。

 

 

あんな暗いところに閉じ込めてしまってごめんなさい。

 

 

ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい………

 

 

ごめんなさい……!

 

 

そんな口に出せない罪悪感が、涙になって流れていく。

 

 

まだゲームだったあの日に、あの忌々しい皆殺しの道を歩んだ果てに、Sansと相対した時に背に感じたものよりずっと重い罪の念に押し潰されて、足が使い物にならなくて、立てなくなってしまう。

 

 

……あぁ、それにしても、酷い顔だ。此処のところ眠れていなかったから、また隈が濃くなっている。食事もゼリーで済ませてしまったり今みたいに吐いてしまう所為か、随分痩せてしまった。

 

 

こんな顔じゃ、あの人の代わりにはなれないのに。

 

 

………やっと自分が居場所を奪った事に気付いて、泣いて、悔やんで、悔やんで悔やんで悔やんで………

 

 

それから、僕は、あの人の代わりとして生きることにした。

 

 

あの人が僕の代わりをするというのなら、僕もあの人の代わりをしなければ、釣り合わない。

 

 

それぐらいしか、あの人への贖罪が思い浮かばない。

 

 

その次の日から、僕は何事も無かったように振る舞い始めた。

 

 

皆を救った天使として、親善大使の仕事をした。あの人は大人だったみたいだし、沢山仕事をこなすだろうと思って仕事を増やした。

 

 

Friskの姉として、Friskを支えた。沢山相談に乗った。時には仕事も無理矢理奪って休ませたりした。その分は僕がやった。

 

 

病気になったときなんかは本当にヤバイと感じたときだけ病院にいった。薬を飲んで、あとは何ともないように、病気になんてなっていないように見せた。

 

 

きっとそれが、あの人ならきっとやるだろうと思って。

 

 

……正直、辛い。

 

 

生きることとはこんなにも苦しいことだったのか。こんなにも辛いことだったのか。

 

 

こんな筈じゃ、なかったのに。

 

 

………一層のこと、死んでしまえたら………

 

 

手に持っていた、カッターナイフを持ち上げる。

……この間Asから届けられたこれは、あの人が失くしたものなんだろう。ゲーム風に言うならば、差し詰め『九人目の人間の遺品』、といったところだろう。手放しがたくて、結局返しそびれてしまった。

 

 

他でもない、あの人の、あの人が遺こした品。そう思ってしまったから。

 

 

記憶では、Friskを庇った時に咄嗟に投げ捨ててしまったんだったか。あの橋の下はゴミ捨て場になっていた筈だし、あのゴミの山から探すのは骨が折れたはずだ。綺麗にはなっているが、きっと長い間水に浸かっていたんだろう、錆があちこち見え、備品の確認用に割り振ったナンバーは消えかけてしまっている。辛うじて『No.2』と読めるぐらいだ。

 

 

刃を、押し出す。カチカチ、という音を立てて、段々刃が出てくる。

この部分は取り替えてくれたのか、真新しい刃が納まっていた。

 

 

傍にある窓の外から入り込む外灯の光が、翳したカッターナイフに反射して煌めいた。

 

 

………これなら、死ねるだろうか。

 

 

これを使うならば、あの人は死ぬことを赦してくれるだろうか。

 

 

カッターナイフを逆手に持ち、左腕の袖を捲る。

 

 

そうして現れた傷一つない手首に、目をやる。

 

 

……このカッターナイフで、この手首を切れば、きっと勢いよく血が吹き出るだろう。

 

 

生憎と、痛みには慣れているからどんなに深く抉っても呻き声だけで済む。

 

 

誰にも気付かれずに、僕は出血多量で死ねる。

 

 

――――……あの人に、死を以て罪を償える。

 

 

右手に持った、カッターナイフを頭の上に持っていく。なるべく深く刺さるように、高く、腕を伸ばして。

 

 

今度こそ、今度こそは。

 

 

死にたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

…………カッターナイフを、振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――『君のGold()も、HP()も、EXP()も、LOVE()も………私が全部、持っていくから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こえが、する。

 

 

 

優しくて、空っぽな声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――『だから………どうか、どうかあの子の……Friskの傍にいてあげてね。ずっとFriskの傍にいてくれた、相棒さん』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………う、ぐっ…………」

 

 

………知らないはずの、言葉がまた、フラッシュバックする。

 

 

自分の手首を切ろうとしたカッターナイフの刃は、寸前で止まった。

 

 

………まただ。また、この言葉に邪魔された。

こうして自分を害そうとする度に、この言葉が呪いのように張り付いて、僕の手を絡め取って邪魔をする。

 

 

死んで償おうとする僕を、邪魔する。

 

 

僕に『生きろ』と、言外に伝えてくる。

 

 

力が抜けた右手から、カッターナイフが滑り落ちて、カランという音を立てた。

 

 

……きっと、幻聴だってことは分かってる。あの人の声なんて、思い出せないから。本当は死にたくないと望んでいる自分が聞かせるものだって、分かってる。

 

 

だけど、もし。

 

 

これが、あの人が見せる幻なのだとしたら。

 

 

そんなのを見せる前に、質問に答えてほしかった。

 

 

鏡をもう一度見て、笑みを作る。

夢の中の彼女は、こんな笑い方だっただろうか。そう思いながら、笑顔を作って、問いかける。

 

 

「僕は……一体、誰として生きればいい?」

 

 

ぽつりと、僕の口からそんな疑問が溢れ落ちた。

 

 

「きっと、この人生は、貴方からもらったものなんだろう。でも、僕はもう、どうやって生きたらいいのかわからないよ」

 

 

これがもし、ただのゲームだったなら。全て『Partner』の所為にして、お前は最低だなって言えたのに。

 

 

紛れもない現実だから、どうしようもない。

 

 

「貴方は気にするなって言ったけど、そんなの無理だよ。苦しくて、仕方ないよ………」

 

 

でも、明日をまた生きるために、僕はこの儀式に近いものを行わなければ。

 

 

自分で作り出した虚像に、問いかけなければ。

 

 

色を失くしてしまった灰色の明日を、歩いていけないから。

 

 

「ねぇ………僕は、誰として生きていけばいいの……?」

 

 

光の反射で作り出されただけの虚像は、当然何も応えずに僕の顔を映し出している。

 

 

空っぽな笑みのまま、此方を見つめ返している。

 

 

 

似せる為に細められたその目から、涙が一粒、頬を伝って落ちた。







誰かの代わりとして生きるには、彼女はきっと、優しすぎたのだろう



Epilogue of Chara 『成り代わられた者』



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