モンスターは地上へと舞い戻った。
親善大使として奮闘する子供達を、彼女は母として支えていく。
今の彼女の心は、嘗てない幸せで満たされている。
―――――本当にそうだろうか?
Epilogue of Toriel
【Toriel】
「……………―――――むかしむかし、地上にはモンスターと人間達が住んでいました」
私の声が、しんと静まり返った空間に響く。
私を、じっと見つめる無邪気な視線が沢山。
私の話に聞き入って、静かにしていてくれている。
「――――…………さて、今日はここまでね」
一通り今日読み聞かせる分を読みきって、自分のノートを閉じる。
「えー!?」
「まだもうちょっと聞きたいー!」
「ふふふ、ありがとう。でも、ごめんなさいね。まだ続きが出来ていないのよ。また書くから、楽しみにしておいてくれないかしら?」
それを聞いた視線の主―――人間の子供達は無垢な瞳でそうせがんで、怖じ気づかずに抱き付いてくる。こんなに小さい子供達に受け入れられていることが嬉しくて、思わず笑みが溢れた。
「こら、Torielさんを困らせるんじゃありません」
せがむ子供達を宥めようとその頭を撫でていると、そこへ、この孤児院の院長がやってきた。
「それに、そろそろお休みの時間ですよ。Torielさんがまたお話を書いてくれたら時間を設けますから、ベッドに戻りなさい」
「ちぇー………」
「はーい」
「約束ねー?」
院長が彼ら彼女らにそう言えば、彼らは渋々といった様子で私から離れていった。
「Toriel
「また明日ー」
「えぇ、また明日」
各々手を振って去っていく彼女達に手を振り返して、彼らの姿が見えなくなるまで見つめる。扉が閉まって彼らの姿が見えなくなると、部屋に残っていた院長が、此方を向いた。
「…………子供達に大人気ね、Toriel先生?」
にっこりと、皺が沢山寄った笑顔で、院長は優しくそう言った。
「やめて下さい、院長。私はまだ『先生』と呼ばれる資格はないですよ」
その言葉を、私は首を横に振って否定する。
「それでも、様になっていたわ」
その言葉を否定すれば、そんな言葉が返ってくる。
「やはり、私よりもずっと長い間『母親』として生きていたからでしょうねぇ。『先生』としては確かに私の方が先輩だけれども、『母親』としては貴女よりずっと後輩だもの。見習わなくっちゃ」
「そんな、私は………」
そこまで大層なことはしていない、と慌てて院長に返そうとして、それに、と院長に話を無理矢理進められる。
「…………あの人見知りなFriskとCharaが懐いて、貴方達を庇うぐらいだもの。いい先生になるのも道理よね」
「……」
その言葉で、私は押し黙ってしまった。
「……ママ」
「ママ!」
「母さん」
どう返そうか迷って押し黙っていると、不意に、私を母として呼ぶ三つの声が聞こえた。その声に扉の方を見ると、私の愛しの子供達が此方を伺っていた。
「あら、三人とも、まだ起きてたの?」
そう声をかければ、二人と一匹のモンスターは私の方へと一斉にやってくる。
「Friskの親善大使としてのお仕事の手伝いしててね。それでこんな時間になっちゃったんだ」
「本当にごめん……」
私の実の息子―――Asrielがそう言うと、Friskは申し訳なさそうな顔をした。
「………もっと前々からちゃんとやってればこんなギリギリにならずに済んだだろうに」
「うっ、カエスコトバモゴザイマセン………」
ボソッとCharaの追い打ちが入り、Friskは一層申し訳なさそうに顔を歪め、項垂れる。それを見ていたAsrielは、苦笑いを浮かべた。
「あははは、Charaは相変わらずだなぁ……『前』と全く変わらないよ」
「うっさい」
Asrielの言葉に、Charaは冷たく突き返した。その会話にずっと昔の日常を思い出して、懐かしくなる。
―――地上に出てから直ぐに、私達はまず、人間達と話すために議院へと赴き、話し合いを行おうとした。一番最初はとてつもなく警戒していた人間達だったけれど、Friskが此方側について一生懸命話をしようとする姿に心を打たれたのか、持っていた黒い機械を降ろしてくれたわ。
その後直ぐにこの国の政治を行っている人間が出てきて、話をさせてくれたの。そこで、私達モンスターも地上で暮らしたいことや、色々な話をして、ちゃんとした契約なんかは後日結ぶことになった。
その後だった。
―――一度別れたCharaが、死んでしまった筈のAsrielを連れて、孤児院に帰ってきたのは。
とっくの昔に失ってしまった愛しの二人が、揃って私達の前に現れた時の驚愕、そして、思わず涙が溢れてしまう程の喜びは、CharaがFriskの
どうして、と涙で前が見えない視界で彼女達を抱き締めながら聞いた説明によれば、結界が破られたのは時々目の前に現れる花のモンスター――Floweyとして生きていたAsrielの助力があったからだということ、その際にAsrielとしての姿を取り戻したということ、そして―――……Floweyになろうとしていた所を、Charaに
信じられないような説明だったけど、きっと
「………あ、そうそう。ママ、明日、パパが帰ってくるって」
不意に、Asrielが思い出したようにそう言い出して、ふわふわとしていた気持ちが水を掛けられたように引き締まった。
「……………」
「……あれ、もしかしてぼく不味いこと言った?」
「大分ね」
「……ねぇ。もしかして、ママとパパまだ仲直りしてないの?」
「いや、出来るわけないだろ……」
「それもそうだね」
沈黙が落ちた部屋の中で、子供達の囁き声が響く。院長も苦笑いを浮かべていた。
「……まぁ、それは、ともかく。ママ、明日の会議が終わったら、
「あら、そうなの? あまり帰りが遅くならないようにね」
「はーい」
気まずい空気をどうにかする為に話題を逸らしたFriskに言葉を返せば、Friskは返事をして、Charaは頷いた。
「それじゃあぼくたち寝るね。おやすみなさい、ママ!」
「お休みなさい」
「………お休み」
「えぇ、お休みなさい。ゆっくり休んでね」
一通りの話は終わったのか、慌ただしく子供達は自分の部屋へと帰っていく。その背中を手を振りながら見えなくなるまで見送って、手を降ろす。
「………さて、私もそろそろ休ませてもらいますね」
椅子から立ち上がりながらそう言えば、傍にいた院長はまた笑う。
「分かったわ。寝坊してしまったりしたら大変だものね。何せ明日は……――――モンスターが正式に地上で生活出来る条約と、人間とモンスターの平和条約を、成立させる会合だものね」
「………えぇ」
私が頷けば、院長は嬉しそうに一層笑みを深める。
「沢山の国の首相や総理、皇族の方々がいらっしゃって、モンスターと人間とを繋ぐ架け橋にFriskとCharaがなる」
頬に手を当て、院長は続ける。
「この二年間、二人は世界を飛び回って、色んな人を説得して、頑張り続けてきた。モンスターに対する強い偏見や迫害を取り除いて、友好を示し続けてきた。それが……明日、やっと報われる。貴女達モンスターは、晴れて地上の一員になる。貴女達の悲願は、やっと叶う。これ程嬉しい事はないわ」
クスクスと笑う院長の笑みに、つられて私も笑みを溢した。
「………そう言えば、明日は貴女達が地下から出てきた日でもある。凄い偶然だけれど、もしかしたら、運命なのかもね」
院長が笑いながらそう言って、そう言えばそうだった事を思い出す。
『運命』、という言葉が、確かに当てはまるような気がした。
「………でも、少し複雑ね。そうしたら、貴女は此処から出ていってしまうのでしょう?」
ふと、院長の顔が悲しそうなものになる。
「此処に住むのは人間との条約を結べるまで、と貴女達は言っていたものね。寂しくなるわ………」
「……院長………」
ここまで私達モンスターに心を砕いてくれる院長の優しさが、酷く心に染み渡る。
気が付けば、私は院長の皺の寄った手を取っていた。
「院長。条約が無事結ばれて、生活が落ち着いたら、必ず、会いにきますわ。だから、そんなお顔をなさらないで下さいな」
「あら、本当? それは嬉しいわね」
嬉しそうに破顔した院長は、でも、と話を続ける。
「貴女、確か先生になりたいっていう夢があるって言っていたでしょう? それを叶えてからにしてちょうだいね。それまでは、ちゃんと生きているわ」
そう言ってにっこりと微笑む院長の優しい言葉が、ひどく暖かい。
「…………はい、必ず」
その言葉に、笑顔で頷く。すると、不意に院長は壁にかかっている時計を見た。
「………あら、やだ。長話ししちゃったわね。ごめんなさい」
「いえいえ、大丈夫ですよ。そうやって自分の事のように喜んで貰えて嬉しいですわ」
はっと気がついたような顔をして、院長は申し訳なさそうに謝る。
「それじゃあ、私も部屋に戻るわね。会合の成功を祈ってるわ。お休みなさい」
「えぇ、お休みなさい」
そう言って、院長は部屋から出ていった。部屋がしんと静かになったを見計らって、私も椅子を片付けて、部屋の電気を消し、部屋に戻る。
キィィィ――――
軋むドアを開き、宛がわれた部屋に備え付けられた机の上にノートを起き、直ぐにベッド――人間サイズだからちょっぴり狭い―――に横たわり、目を閉じる。
――――――明日の会合は、必ず成功させなくちゃ。
そんな決意を胸に抱きながら、意識を暗がりに落とした。
―――――――――――――――――――――
次の日。
私が微かに抱いていた『失敗するかもしれない』という懸念は結局杞憂に終わり、無事条約は結ばれ、モンスター達は地上で生活できるようになった。きっと、相手の人々がモンスターに対して偏見が少ないことと、FriskとCharaがいたことが幸いしたんでしょうね。
この二年間やってきたことが全て報われて、本当に嬉しかった。
会合を終えて、外に出た途端、
「…………ぃやぁったぁぁぁぁぁ!!!」
Friskが、飛び上がりながらそう叫ぶ。
それを受けて、外でFriskとCharaを待っていたカメラのフラッシュが焚かれる。
………そう言えば、この二年で、FriskもCharaも、酷く有名人になったわね。今じゃ溢れる程沢山の人に囲まれるようになって、カメラが沢山向けられるようになったもの。世界の皆に二人の主張が通ったのも、きっと、彼らが居たからね。
「やった、やったよママ、Chara! 私達、やっと皆を地上に返せるよ!!」
「ちょっとFrisk、叫びすぎ! カメラが滅茶苦茶集まってるよ! ………まぁ、嬉しいのは、分かるけどっ、て、わっ」
そんな事を思いつつ、眩しいフラッシュの中、喜びの余り勢い良く抱き付いてくるFriskと、嬉しそうに顔を綻ばせるCharaの二人とも抱き締め、腕の中に閉じ込める。
「えぇ、えぇ、そうね。どれもこれも、貴女達二人のお蔭よ、我が子達。貴女達が頑張ってくれたから、ここまで来れたの。ありがとう、ありがとうね」
周りの目もカメラも気にせず、私の中のありったけの感謝を込めて、二人に告げる。すると二人は、ゆっくりと私に腕を回し、抱き締め返してくれた。
「ううん、違うよ、ママ。皆が一緒に頑張ってくれたから、此処まで来れたんだ。私達だけの頑張りじゃ、ないよ」
「………Friskの言うとおりだよ。これは、母さん達が諦めずに頑張ってきたからこその結果だ。だから、どうか母さんも胸を張って」
「まぁ………!」
二人の暖かい言葉に、涙が溢れそうになる。二人を一層強く抱き締めれば、光の雨が強くなった。
『~~~~~~! ~~~!』
『~~~~! ~~~~~!』
『! ~~~!』
周りの人間達が、何か言っているのが聞こえる。でも、ざわざわと騒がしい民衆の声に掻き消されて、良く聞こえなかった。
―――この条約の締結を喜ぶものであれば、いいな。
「―――それじゃあママ、私達ちょっと買い物していくから、先に帰ってて」
「えぇ、分かったわ。気を付けて行くのよ?」
「はーい。行こう、Chara」
「ん」
二人から離れると、二人は街へと走り出していく。それを見送って、周りの人々に頭を下げてから、私は待たせてあったタクシーに乗り込んだ。
「お待たせしてごめんなさい。出していただけるかしら?」
「承知しました」
タクシーの運転手さんに声をかければ、車はゆっくりと走り出し、進んでいく。
「窓、開けてもらっていいかしら」
「分かりました」
何となく窓を開けて風を浴びたくなって、運転手さんの許可を貰ってから、窓を開けてもらう。夏の熱が残る温い風が、体毛を撫でていく。
「………嬉しそうですね、会合、成功に終わったんですか?」
不意に、運転手さんがそう声をかけてくる。顔に出ていたのかしら、と思いながら、会話に応じる。
「えぇ、そうなのよ。あの子達の努力が報われて、本当に嬉しいわ。これでモンスター達は地上を、何の後ろめたいこともなく歩けるのよ。………ねぇ、運転手さん。もし、貴方のタクシーにモンスターが乗っても、驚かないでくださいね?」
「ふふ、今そのモンスターを乗せているのに、どうして驚くことがあるんですか」
「あら、それもそうね!」
そんな風に和やかな雑談をしていると。
――――――不意に、嗅いだことのある匂いが鼻につく。
「………あら?」
この匂いは、確か…………
「ごめんなさい、車を止めてもらえるかしら?」
「え? はい」
車を止めてもらって、その匂いの元を知ろうと辺りを見渡す。すると、一件の花屋の軒先に、匂いの元―――美しい豪奢な大輪のユリが、花を咲かせていた。
「…………重ね重ねごめんなさい、ちょっとあの花屋に寄りたいんだけれど……いいかしら。追加料金は必ず払うわ」
「構いませんよ」
「ごめんなさい……!」
急にしてしまったことを謝って、私はタクシーを降りる。そして、匂いに誘われるようにユリに近付く。
「………あ、あなたは………Toriel?」
じっとその花を見ていると、ふと、声がかかった。その声に顔を上げれば、エプロンをした見知った顔が一つ、此方を見つめていた。
「あら、こんにちは! 貴方、此処で働いていたのね?」
「えぇ、まぁ」
その顔が孤児院で出会った顔であることを思い出して、直ぐに挨拶をすれば、頷いてみせる。そして、私のことをじっと見つめる。
「………何かしら? 私に何かついてるかしら?」
「………いえ、今日はいつもと違った服装だな、と思って。何か用事の帰りですか?」
どうやら私が着ている紋章入りの服が珍しかったらしく、そう尋ねてきた。
「えぇ、会合に行ってきたの。………成功に、終わったわ」
「!! それ、本当ですか!? おめでとうございます!」
「ふふ、ありがとう」
思わず笑いながらにそう言えば、事情を知っている彼女は直ぐに何の用事なのかを察して、そう言ってくれた。FriskとCharaが孤児院で誤解を余すことなく全て解いてくれたこともあって、彼女達年上の子達も影ながらも応援し続けていてくれた。皆に連絡しなくちゃ、と意気込む彼女に、思わず笑みを溢した。
「………ところで、先程ユリを見てらっしゃいましたけど、買っていかれるおつもりで?」
雑談も程々に切り上げて、彼女はユリの話に話を変える。
「あぁ、そうなのよ。何故だか気になってしまって………」
それに乗って、私はもう一度ユリを見る。
………――――何かが、込み上げてくるような感覚がする。
「ニ、三本程まとめて花束にしていきますか? 今セールやってるので、お安くしますよ」
「あら、本当に? ならそうしようかしら。三本、いただける?」
「畏まりました」
私がお願いすると、彼女はユリを三本、手早くまとめて花束を作り始める。お財布を取り出してお金を確認しているうちに、既に出来上がったそれと、お金を交換する。
「………ちょうどですね、お釣りはありません。お買い上げ、ありがとうございます」
私から手渡されたお金を確認して、レジの中に入れた彼女はふわりと笑った。
その笑顔に、誰かの照れたような笑顔が重なって見えた。
「………え……?」
目を瞬くうちに、その笑顔は消えて、ただ彼女の目を丸くしたような顔がそこにあった。
「どうかされました?」
きょとんとした顔で首を傾げる彼女の顔を、じっと見つめる。
………何故、全く知らない
「あの、Toriel?」
戸惑うような声に、ハッと我に返って首を横に振る。
「いえ、何でもないわ。それじゃあ、ありがとうね」
「そうですか……? またのご来店、お待ちしてます」
花束を抱えて店を出て、帰路につく。
……早く、帰らなくちゃね。この花が萎れちゃうわ。
そう思い直して、タクシーに早足で乗り込む。
「お待たせしました、出していただけるかしら」
「はい」
タクシーを出してもらって、帰り道を進んでいく。途中、運転手さんが話し掛けてきたけれど………何故か上の空で、先程のように上手く話すことが出来なかった。
そんな内にタクシーは孤児院に続く坂の前で、止まる。
「着きましたよ」
「………えぇ、ありがとう。料金よ」
運転手さんにお金を手渡し、ぼんやりとしながら孤児院に向かって歩いて、歩いて歩いて――――…………ふと、ソウルが早鐘を打っていることに気付いた。
「…………?」
私はそこまで早く歩いていたかしら、と不思議に思って立ち止まる。
…………―――いいえ、これは、
これは、そう、早く歩いていたからじゃなくて……
どちらかと言えば………
―――――焦燥感…………?
不意に、また声が聞こえたような気がした。
その声に後ろを振り返っても、そこには誰も居ない。
「……………なん、だったのかしら……?」
腕の中で香るユリの匂いに若干酔いながら、呟く。
ドクドクと、ソウルは拍動を打ち続けている。
何かを訴えるように、ずっと。
取り憑いて消えないこの焦燥感は、一体何なのかしら。
さっきの声が、笑顔が、引き金になっている……というのまで、何となく分かるのだけれど。
私は一体、何に焦燥感を覚えて――――
「………Tori?」
不意に、坂の上から声が聞こえた。
ハッとしてそちらを見れば、知っている顔が私を見ている。そして、自分が昔の愛称で呼ばれたことに遅れて気付いて、嫌悪感が湧いてきた。
「………Asgore。『Tori』と呼ばないで頂戴と何回言ったら分かるの」
私が嫌悪を隠さず目の前のシャツを着たモンスターにそう言えば、慌てた様子でAsgoreは目線を彷徨わせる。
「あっ、そうだったね、ごめん………」
そしてしゅんと悄気返るAsgoreの言葉を聞き流して、私は言葉を続ける。
「………そっちはどうかしら。ちゃんと、結べたの?」
「も、勿論さ! 今は院長に預けているけど、ちゃんと同意書を交わしてきたよ!」
私の言葉を聞いて、Asgoreは首を縦に大きく振った。
………実は、会合は二つ、同じ建物で行われていたの。ひとつは、私とCharaが担当した法整備に関する条約。そしてもう一つは、FriskとAsgoreが担当した、平和条約。……子供を殺しておいて、何が平和よ、と思ってしまう私がいるけれど、押さえ付ける。そうやって糾弾するのは、殺された子供達の親が、もうしているのだから。私がする資格は、ない。
「まぁ、知っていたけどね。じゃなくちゃ、Friskがあんなに喜んだりしないもの。……それで、何も用が無いのなら、先に行くなり何なりしてほしいのだけれど」
「あ、えっと、君がもうそろそろ帰るだろうって院長に聞いたから、出迎えに来たんだけど………」
私の言葉に反応して、Asgoreはしどろもどろになりながら説明する。
…………そう。このモンスターも、FriskとChara、そしてAsrielの保護者を名乗り上げ、モンスターの王として人間との和平を結ぶ傍ら、孤児院のスタッフとして働いている。
『親善大使二人との近くにいた方が都合がいい』とか何とか理屈を捏ねていたけど、結局はAsrielやChara、そしてFriskと一緒に居たいからだろうと私は思っている。
「――――ところで、Tori。それ……」
ふと、宛てなく彷徨っていたAsgoreの目線が私の腕の中に注がれる。
「…………それはユリ、かい? 地上にも、やはりユリはあるんだね」
どうやら私が抱えているユリが気になったらしく、Asgoreはそう言った。
そして、ユリをじっと見つめて、
「……え? 『ユリ』………?」
何を思ったのか首を傾げ、ぶつぶつと呟く。
「………孤児院に飾ろうと思ったのよ。何か悪い?」
「いや! いやいや! そんなことは……! とてもいいと思うよ!」
その様子に若干苛立って、つっけんどんな様子で聞けば、Asgoreは慌てて首を横に振った。
「………ただ………ちょっと……思うところがあって」
じぃっと、ユリを見ながら、Asgoreはまた首を傾げる。
「――――なんだか、こう、何か引っかかるものがあるというか………忘れてはいけない『何か』が、あったような気がするんだ」
「………え? 貴方も……?」
その言葉を聞いて、私は思わず聞き返してしまった。
『何かを忘れている』ような、引っ掛かり。先程の焦燥感にピッタリと当てはまるその言葉が、すとんと胸に落ちる。
それと同時に、Asgoreもその思いを抱いている事を理解して、驚いた。
「『貴方も?』って、Tori……el、君もそう思っていたのかい?」
私の言葉を聞くと、Asgoreは驚いたように、金色の両目を丸くした。
「………えぇ、まぁね。貴方と同じというのは、少し癪だけれど」
「そ、そんな……」
傷付いたような顔をして顔を伏せ、押し黙るAsgoreの事を少し見て、私はまた口を開く。
「…………ねぇ。一つ、聞きたいんだけれど」
「! な、なんだい?」
私が声をかければ、Asgoreはまた私を見て、精一杯笑って見せる。
「さっき、貴方は『何かを忘れている』って言ったけれど………それなら、私達は一体、『何』を忘れているのかしら」
「……………それは…………」
私が独り言のような問いを口に出すと、Asgoreは目を見開き、口籠もる。そして、地面に目線をやり、彷徨わせる。何かを考える時の癖ね。
「――――……分から、ない」
暫く考えていたAsgoreは、頬に手を当て、ガリ、と掻いた。
「………分からない。きっと、花を買ってきてくれと言われたとか、そういうものではない、大切なモノの筈なんだが………駄目だ、どうしても分からない」
「………そうよね。やっぱり、分からないわよね。私だってそうだもの」
苦しそうに答えるAsgoreの答えを聞いて、私はただ、やっぱりか、とだけ思った。
「きっと、私達のどちらも根本的に忘れてしまっているから、思い出せないんでしょうね。こればっかりは、どうしようもないわ」
そう言った言葉は、未だに頬に手を当てるAsgoreに言ったものなのか、それとも未だに違和感を訴える自分を納得させる為の言葉なのか、私には分からなかった。
「……………ねぇ、出迎えに来てくれたんでしょう? なら、この花束、持って頂戴な」
話を変える為に、少し声を大きくしてAsgoreに言えば、Asgoreは勢い良く顔を上げて、此方を見つめて目を丸くした後、嬉しそうに顔を破顔させて、
「あぁ、勿論さ!」
大きく頷いて、此方に近寄ってくる。にこにこと笑うAsgoreに花束を手渡し、さっさと孤児院に向かって歩き出す。
「あ、そうだ。CharaとFrisk、帰ってくるのがちょっと遅くなるって。さっき連絡があったよ」
「そう。あまり遅くならなければいいんだけれど」
久々にする他愛ない会話に応じながら、緩やかな坂を登っていく。
――――声はもう、聞こえない。
腕の中のユリだけが、ただ静かに芳香を放っている。
満たされた筈の心に、たった一つ、黒い影が落ちた
Epilogue of Toriel 『残り香』