「惨いのぉ……」
獣身四足獣の掟を知るハリシャの呟きに残り二人が頷く。
「この中で一番名声を求めておるヴィジャーにあの仕打ちか。一見無害そうな姿形からは想像もできぬほど凶悪なやつじゃな」
「そのようだ。ハリシャ殿、ナスレネ殿。アレを脅威と認め3人でかかることを提案する」
「異論はないぞ」
「うむ」
ロケシュの提案に二人が応じそれぞれ戦闘態勢に。
ロケシュは即座に距離を詰める。地面すれすれに身体を倒し低い打点からの三叉鉾による突き上げを狙う。蛇王の一族は単体でもかなりの戦闘力を誇り他の亜人からも一目置かれる存在だ。長い体にも関わらずそのスピードはかなりのもの。
「シャァーーー!」
下腹部から心臓まで刺し貫く勢いで放たれた刺突はヴィジャーの時と同じくあまりに不自然な跳躍であっさり回避された。だが、攻撃はそれだけではない。体をひねり鞭のようにしなった下半身が唸りを上げる。
相手は跳躍で回避したあと空中にいる。もう一度回避することはできない。
出来ないハズが。
下半身が空を切る。驚愕の目が向いた先には頭上に斧を振り上げたネムの姿が。
相変わらず飛行の魔法を使ったようには見えなかったがネムは空中をスライド移動し2段攻撃を回避するどころか自分の攻撃にまでつなげてしまう。
「えーい!」
ヴィジャーが喰らったあの武器の威力は恐ろしい。とっさに取れる手段は無様に倒れ込むように転がり距離を取る事。頭上からの振り下ろしをその範囲から転がり出て体勢を立て直す。
ずどごっ。
半身を起こした時点で頭部に重い衝撃が。
ロケシュは一瞬で意識を飛ばした。
援護の為に距離があったハリシャにもナスレネにも何が起きたのか分からなかった。
どう考えても斧の射線、振り下ろしの直線上いなかったにもかかわらずロケシュは頭部を直撃され地面に埋まった。尻尾の先がぴくぴく動いているので生きてはいるだろうが戦闘継続はどう考えても不可能だ。
「ハリシャ殿、切り札を切る! 10秒稼いでくれ!」
前衛が一撃でやられた以上採れる手段は少なく、ナスレネは切り札を切ることにした。
それは彼女が『氷炎雷』の名で呼ばれるに至る魔法。
『炎燃騎士槍』『氷葬騎士槍』『雷爆騎士槍』。これらは各属性ダメージと貫通効果を併せ持つ凶悪な魔法だ。それらを同時に放つとなれば特大の魔力消費と攻撃前の集中は欠かせない。当然その間は無防備になるため前衛が倒れた局面では本来使いたくないのだが今はこれ以外の選択肢を思いつかなかった。
目の前のアレはあの悪魔には劣るものの危険度は相当に高い。相手の天井が見えない以上最大の切り札を切るしかないのだ。
ハリシャが詠唱に入ったナスレネとネムの間に飛び出し大きく口を開く。
石喰猿の特技であり強力な攻撃手段。食し溜め込んだ鉱石を散弾のように吐き出した。
溜め込める量に限界があるためそう何度も使えないが王たるハリシャの貯蔵量は他の一族とは一線を画している。
「カァーーー!」
その威力と攻撃範囲は凄まじく並みの全身鎧なら貫通するほど。聖騎士でも正面から受けたら鎧ごと穴だらけにされて即死する。
それをまとめて2斉射。
外れた石つぶてが地面を穿ち土埃が舞う。悲鳴は聞こえない。
ならばと追加で散布界を広げて2斉射。鉱石の残量的にはこれで決まってほしかった。
だが、無理でも仕方がない。ナスレネの切り札が切られれば流石に片が付くだろう。
「……? おい、ナスレネ殿?」
10秒は稼いだはずだったが、切り札たる魔法が放たれる気配はない。
返事は無く、代わりに何かが倒れる音がした。
振り返るのが怖い。
発動しない魔法、帰って来ない返事、ひきつる周辺にいる兵士の表情。
「ナ、ナスレネ殿……へ、返事をせい、魔法は、どうした?」
声が震える。
どうなってしまったのか、理解してしまったが問わずにはいられなかった。
「ハリシャさんが最後だよ?」
やはりというかなんというか、帰ってきた声はナスレネのものではなく。
「降参してくれる? それとも『わからせて』あげたほうがいい?」
ネムのセリフは物騒だが彼女にしてみれば純度100%の善意である。
だが、間近できいたハリシャにとっては恐怖でしかなかった。
恐怖の質は悪魔がもたらしたモノとはまた方向性が違うが抗いようのない相手であるという事実は同じでありキュッと心臓を握られたような感覚に陥る。
「ま、負けだ。儂の、負け……だ」
ハリシャは脂汗をぼたぼたと垂らしつつようやくそれだけ声に出した。
アベリオン丘陵屈指の強者が敗北したという事実は周囲を取り囲んでいた兵士にも大きな動揺を与えた。本来はヘクトワイゼスの指示で攻撃にかかる予定だったのだがそれすらできないほど指揮系統が混乱していた。数においても地形においても有利な状況だったが兵士の心が根本的に折れてしまい軍としての行動は不可能だった。
「……どうする?」
戦場を見下ろす地で首領達の戦闘を見ていたヘクトワイゼスの隣に黒い影が音も無く現れ問うた。
「どうするも何も……個としての戦力では勝てる目が見えず、群れとしても行動不能。そして、アレの底も見えない……。正直な所、凶悪な悪魔の支配下にいるのとアンデッドの王を頂く国の傘下に加わるのと共に地獄であることに違いは無く。ならば、より強い方につくのが正解でしょうな。悪魔とアンデッドの王が潰しあってくれるならそれだけで命ある我らの為になりましょうや」
「……また、軍門に下ることになるのか」
先ほどまで隠形に徹していたムゥアーは思い切り顔を顰めた。何度か影渡りを使いネムを奇襲しようと試みていたがなぜかネムの影に飛ぶことが出来ず、この戦場では何ら活躍できていない。
そんな状態での降伏は中々きつい決断だった。
「あの人間は共に悪魔を倒しに行こうと言っていました。あの強さと我々が協力すれば丘陵ににらみを利かせる悪魔は何とかなるかもしれません。そして、あれだけの強さを持つ人間を支配するアンデッドの王ならヤルダバオトもあるいは……」
それは希望的観測に過ぎなかったが降伏するにも理由がいる。
この判断が最善だったのだと自分に言い聞かせる方便だ。
こうしてネムは亜人連合軍の駐留部隊を配下にした。
だが、ここでの目的はそれではない。彼らと共にアベリオン丘陵を脅かす悪魔を討伐するのだ。
「それで、その悪魔さんはどこにいるの?」
「……奴ならここから北に半日ほど進んだ地に陣をはっている」
そう答えたのはロケシュだ。
先ほど負ったダメージはネムが配った回復薬で治っている。
戦闘力にはそれなりの自負があったが手も足も出なかったため素直にネムに従う事にした。
今は亜人連合軍の司令部にて亜人の首領達とネムが情報交換を行っている。
メンバーは亜人連合のロケシュ、ハリシャ、ナスレネ、ヘクトワイゼス、ムゥアーにネムとバザー。なお、ヴィジャーはいまだにショックから立ち直れていないので含まれていない。
「じゃあ、すぐに移動だね」
「ですが、全軍一丸となって進軍すると目立ちすぎます。翻意を早期に悟られ対策を取られるでしょう。ですので少数精鋭による奇襲を提案します」
「やはりそれが最善だろうな。ヘクトワイゼス殿に軍を任せ我ら首領のみで奇襲をかける。それでも相手はあのヤルダバオトの腹心だ。……正直な所勝てるかわからんぞ?」
「ん? 大丈夫だよ。つよーい味方がいるから。紹介するね。右側がアカカゲさん。左側がアオカゲさん」
ネムに指さされ隠密状態の護衛ハンゾウ達は困惑した。別に定位置があるわけではないのだが指さされた居場所が的確だったことにまず困惑し姿を見せろと言われさらに困惑した。互いに顔を見合わせてアイコンタクトを取る。
きっかり1秒だけ隠密状態を解除した。そしてそれだけで十分だった。
亜人の首領達は一瞬だけ現れたとてつもなく強大な気配に息をのむ。それはあのヤルダバオトにも匹敵すると思えるほどのモノだった。
実際はデミウルゴスとハンゾウには大きな差があるのだがロケシュ達にはレベル差が激しすぎて測り切れていない。
「あと、大きなお友達も連れてきているから大丈夫!」
続いてネムが取り出したのは赤と白の珠だ。先ほどハムスケが飛び出したあれである。
「なるほど、強大な護衛に複数のマジックアイテムとそれに封じ込めた魔獣か。……もしお前に殺意があったなら我々はすでに冷たくなっていただろうな」
最初こそ魔導国の民になれなどと言われ正気を疑ったが今はそれに救われた気分だ。
この娘は正気で本気なのだ。本気で悪魔の支配からアベリオン丘陵を開放するつもりなのだ。まあ、その先がアンデッドの支配する国なわけだが。
「そんな事するわけないよ。最初に言ったよ、民になってくださいって」
「わかっている。ただの仮定だ」
「では早々に出発するかえ?」
「途中で察知され奇襲にならない可能性もある。防備を整える時間を与えるべきではないじゃろな」
「よーし、しゅっぱーつ!」
歩き出して3歩、ネムはバザーの肩に乗せられた。
「お前の足に合わせていては日が暮れる。ここで大人しくしていろ」
「はーい」
「ああ、それと出発の前にヘクトワイゼス殿。半人半獣の中で足の速い者を3騎ほど、我らと少し距離を開けて追従させておいてくれ。万が一の場合伝令としたい」
「了解した。選りすぐりを用意しよう」
決まり手一覧
ロケシュ:踵落とし
ナスレネ:腹パン
ハリシャ:説得。……説得?
ヘクトワイゼス:投降
ムゥアー:シャドーデーモンによるブロックで場外
次回、対悪魔戦