それからしばらく村は何事もなく平穏だった。朝からいつも通り畑仕事をして夜には眠る。
当たり前で平穏で日常だった。以前と違う点といえば猟師の狩りの成功率が上がり肉の供給量が増えた事とエンリが革紐に通した指輪を首にかけていることぐらい。
結局のところあのゴブリンとの邂逅はエンリと猟師の秘密となった。
もうあんな遭遇は起きないだろう。人間とモンスターが会話をしてアイテムをもらった。
お伽話でもないのだから。
だから、いつも通りの日常が続くと思っていた。
否、願っていた。これは夢だ。悪夢だ。そう思いたかった。
きつく握りしめた手。握り返してくる幼い妹の手の感触。それは紛れもない現実で、馬のいななきも悲鳴も村で上がる火の手も否応もなく現実だった。
エンリは幼い妹ネムの手を引き走っていた。後方には全身鎧の兵士が二人。手には抜身のロングソード。
今カルネ村はこの兵士たちの襲撃を受けていた。家には火をかけられ村人は凶刃に倒れた。
父も母も自分達を逃がすために囮になった。
狭い村だ。家族も同然の付き合いがある人ばかりだ。そんな人々が物言わぬ骸になり果てている。村中に立ち込める血の臭いで吐きそうだった。多くの死を目の当たりにして気が狂いそうだった。
囮になった両親にネムを託されていなければ本当に狂っていたかもしれない。
狂っていないのなら走らねばならない。目指すはトブの大森林。外縁だけとはいえ知識のあるエンリなら兵士から隠れおおせるかもしれない。今はその可能性にすがるしかなかった。
だが、森は無情にもエンリ達を受け入れなかった。
森の入り口。普段なら気にもしない地表に出た木の根。普段なら幼いネムでも躓いたりしない。殺されるかもしれない恐怖と全力疾走で普段通りにはいかなかった。
ネムが木の根に躓き体勢を崩す。その手を握っていたエンリもつられる形で立ち止まった。
「手間かけさせやがって……楽に殺してやろうかと思ったが止めだ」
彼我の距離は2、3m。熟練の兵士からすればあってない距離だ。
手前の兵士はヘルメットのバイザーを持ち上げた。その目は情欲に燃えエンリを捉える。
「この村が最後らしいから。少しくらい慰安に使わせてもらってもかまわんだろ」
「はは、いいなそれ。しかも、人気のない森に逃げてくれた。ちょっとくらい遅くなっても問題ないだろう」
エンリは何をされるか気づいてしまった。年頃の女の子だ。夜中に両親が何をしてるだとか、祭りの夜に恋人同士が人気のない所へ消えていくのは何故なのか経験はないが知識はある。
エンリは逆にチャンスととらえた。自分はこれから穢される。だが、獣二匹がエンリにかまっている間にネムを逃がせるかもしれない。気に入られれば二人とも殺されずに済むかもしれない。
「さて、まずは下準備だな」
二人まとめて突き倒される。
起き上がる時間もなく膝が灼熱した。
全身鎧の踵部分が振り下ろされた。
「―――っ!!」
痛みは一瞬で許容量を超え悲鳴は音にならなかった。無残に踏み砕かれた膝はどくどくと流れ出る血の中白い骨をのぞかせていた。
激痛のあまりネムを必死に抱きしめていた腕が緩む。
もう一人の兵士がネムはエンリから引きはがした。
「お姉ちゃん!」
妹の伸ばす手は姉に届かない。
「俺はこっちを使う」
「はん、相変わらずのクズっぷりだな」
「お前も似たようなもんだろうが」
「違いないな」
笑いあう兵士。
エンリはチャンスなんてなかったことに今更ながら気づいた。このままではネムも。
「お、お願いします! ネムだけは……妹だけは……!」
痛みから必死に目をそらし必死に訴える。
「ああ、安心しろ。適度に使ったら後を追わせてやるよ」
一縷の望みすら無いと告げられて。
スカートが乱暴にまくり上げられる。緩慢になる思考の中で繕い物が増えないのはいいことだと思った。てっきり破り捨てられると思っていた。
こんな時に何を考えているのか。あきれてモノも言えない。
でも、最期にこれだけは言っておかねばならない。
「ネム、お願い……目を、閉じていて」
聞こえたかどうかわからない。獣欲に身を任せた兵士が息を荒げ覆いかぶさってきた。
砕かれた膝の痛みが強すぎてそれ以外何も感じない。それが救いといえば救いだった。
散々エンリを好き勝手していた男が動きを止めた。
娘の反応が何もなく面白くなかった。まだ辛うじて生きてはいるがこれでは死体を抱いているのと変わらない。だから終わらせることにした。
「おい、知っているか? 死ぬ直前は最高に締りがよくなるんだとよ」
「ほうほう、面白そうだな。後で感想を聞かせてくれ」
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ、お姉ちゃんが死ぬところをちゃんと見てあげましょうねー」
ネムはまだ何もされていなかった。ただ、凌辱される姉を見せつけられていた。
兵士の手がエンリの首にかかる。膝の出血で放っておいても死ぬだろうがこうした方が面白い。兵士は暗い欲望に身を任せ手に力を籠める。
次の瞬間、エンリに覆いかぶさっていた兵士はどこからともなく現れた大蛇に頭部を食いちぎられた。続いてもう一匹現れた大蛇が痙攣し首から噴水のように血を吹き出す兵士の体を咥え力任せにブン投げた。重鎧を着た大の大人が子供の癇癪で投げ捨てられた人形のように飛び木に叩きつけられ色んな方向に曲がった四肢を投げだす。
ネムを拘束していた兵士はそれを目で追う。鍛えられた兵士ではあるが想定外過ぎる出来事に反応してしまった。
そして、その動きは致命的過ぎた。気づいて視線を戻した彼が最期に見たモノは目と鼻の先に迫った大蛇の牙だった。
二人の兵士を瞬殺した大蛇は鎌首を持ち上げエンリを見下ろす。
「お姉ちゃん!」
姉は殺されそうになったがそうならなかった。その事実は壊れかけていたネムの心をギリギリの所で繋ぎ止めた。そして、今度は姉を守るため走る。
「お、お姉ちゃんに近づくな!」
エンリの横に立ち拾った木の枝を大蛇に向ける。涙で顔はぐちゃぐちゃ、足は恐怖でガクガク震え何もかも漏れてしまいそうな状況だったがこの時のネムは姉を守ること以外すべて頭から抜け落ちている。
そんなネムを前にして2匹の大蛇は困ったように顔を見合わせ急速にその姿を崩れさせていった。
きらきらと光る粒子となりエンリとネムに降りかかる。
ネムは手にした枝で振り払おうともそれはかなわず光はエンリの体に吸い込まれていった。
効果は劇的だった。無残に砕けた膝が数秒のうちに癒えていく。体中の痛みが嘘のよう消えた。
何が起きたのかわからなかった。だが、姉妹は生き延びた。
それから、お互い力尽きるまで抱き合い泣き続けた。
どれくらいたっただろうか。
「まさか、こんなにも早く使われるとは思わなかったが……」
二人が顔を上げるとゴブリンが立っていた。
声を覚えていたエンリは少し驚いた程度で済んだ。
生まれて初めて間近でゴブリンを見たネムは恐怖から失禁した。
今まで耐えられた。生き延びられたことで気が緩みゴブリンとの初遭遇である。
「あー、すまない。自分の成りを考慮していなかった」
「いえ。それより、どうしてここに?」
エンリは冷静だった。兵士達に比べれば目の前のゴブリンに恐怖を感じない。
それに、抱き着いてくるネムの感触がエンリを奮い立たせていた。
「俺が作ったアイテムにはアフターサービス用に魔法が掛けてある。使い切りのアイテムが使用されたら知らせてくれる。望むなら効果を再充填するし、商談の場を作る切欠になる」
ゴブリンはエンリの髪留めを指さした。外してみると彫り込まれていた蛇が無くなっていた。そして、自分達は大蛇に助けられた。このゴブリンは言っていた。命の危険が迫った時守ってくれるだろう、と。
小さな髪留めはとんでもないマジックアイテムだったのだ。
「正直に言うと君らに声をかけたのはついでだ。ここらで大事なものを落としてな。探しに来ていた時に知らせが来た。捨て置いて結局死なれても目覚めが悪いからな。もう少しだけ様子を見ていようかと」
助けに来たといわれるよりよっぽど現実味があった。
貸し借りで言うならエンリはゴブリンに水を与え助け、ゴブリンはエンリに与えたアイテムでその命を救った。それで終わっている。
「で、どうするつもりだ?」
ゴブリンは村の方角を見ている。近くに転がっている首なし死体と合わせてなんとなく事態を悟っているのだろう。
「村に、帰ります。生き残っている人がいるかもしれないから……」
望みが薄いのは気づいていた。兵士たちは言っていたこの村が最後なので、と。
最後の村なので全滅させてもかまわない。そういう風に聞こえた。
村には死しかなかった。いたるところに死体が放置されている。
そして、広場には一か所に残りを集められ惨殺されたであろう村人の死体が山になっていた。
動くものはない。
エンリは吐いた。死臭に耐えられなかった。座り込み胃の中のものが無くなってものえづきは止まらなかった。
「全滅だな。ぐるっと一周回ってきたが皆殺しだ。家畜まで殺す徹底ぶりだ。相変わらず人間ってやつは……」
村に入ったあたりから姿が見えなくなっていたゴブリンが戻ってきた。
「誰も、生きていませんでした」
「親は?」
「……そこに」
死体の山の中に埋まっていた父と母。ネムはずっとエンリにしがみついたまま何も見ようとしない。
「村の外にあてはあるのか?」
もはやカルネ村は滅んだ。二人だけ生き残ってももはや立て直しようもない。そして、この村では彼女達の生きる術もない。
エンリは首を横に振った。
「そうか。では取引だ。首にかけているその指輪、返してくれるなら生きる術が見つかるまで君らの面倒を見よう」
おかしなことを言う。エンリはそう思った。ゴブリンが失くしたといっていたものはやはり自分が拾い返しそびれていたこの指輪だった。そして、気づいていたなら殺して奪えばそれで済んだのに取引などという。しかも、相手は人間ではない。
「なぜ、そこまで?」
わずかな沈黙の末ゴブリンは口を開いた。
「人間だった頃の家族に似ていた。まあ、なんとなくでありもはや記憶もおぼろげなんだがな……」
人間だった頃。つまり人間からゴブリンになってしまったということだろうか?
よくわからなかったが懐かしむようなその目は噓を言っているようには見えなかった。
エンリは指輪を外すとゴブリンに差し出した。
どうせこのまま村にいてものたれ死ぬ未来しかないのだから。この奇妙なゴブリンに全てをゆだねてしまってもいいような気がした。
「エンリ・エモットです。妹はネム」
「ああ、そういえば名乗ってすらいなかったな。俺はジュゲム・ジュゲーム。見ての通りのグリーンスキン。いわゆるゴブリンだ」
その2度目の出会いは少女達の運命を大きく変える分岐点となる。
あとがきではアインズ視点をや出来事を数行で補填していこうかなと。
個人的にですが読み手自身も想像を巡らせるのも二次創作の醍醐味と考えています。
遠隔視の鏡の操作に原作より手間取ったモモンガ様はエンリの凌辱シーンを見てしまいました。
不快なシーンに精神鎮静化を発動しつつ鏡の使用を停止しました。
この村はもう手遅れ。そう判断を下します。
小休止の後、別の方角に他の村が無いか、探索に入ります。
そうそう、これくらいの表現ならR15で大丈夫、ですよね?