王都にあるガゼフ邸の中庭。空気の澄んだ早朝にもかかわらず動く影がある。
「よいしょっと……オラサーダルク、窮屈じゃない?」
エンリとオラサーダルクだ。
エンリはオラサーダルクの背に特製の鞍と背負子を装備させる。
「初めての経験だ、少し違和感があるがすぐになれるだろう」
「途中でしんどくなったらその時は外しましょう。ちゃんと言ってね?」
「うむ。エンリこそ休憩が必要になればすぐに言え。丁寧に作られている品のようだがあくまで馬用、飛行中に起きる不具合は想定されていまい」
「うん。でも、多分大丈夫そうかな」
それはガゼフが有名な馬具工房に発注した特製品の鞍だ。座る部分には幾重もの革が張られていて思った以上に柔らかく座り心地も良い。何度か座ってみて鐙の位置を調整し固定する。
後は馬具に付属している背負子に荷物を括り付けていく。ガゼフが用意してくれた王国軍野営用品一式に食料、水、衣類と荒天時に使うフード付きローブなど積み込んでみると一人分にも関わらず大荷物になってしまった。
「これでよし、と」
「忘れ物は無いか?」
「うん、あとは出発の挨拶くらいかな」
「ではさっさと済ませてこい」
「そうね、早くしないとお義父さんもお城に行っちゃうわ」
そういうとエンリはガゼフの部屋に向かう。
危惧した通りガゼフは身支度を整え終えたタイミングだった。
「おはようございます、お義父さん。今から出かけるのでご挨拶に来ました」
「そうか。ドラゴンがいるとはいえ何が起きるかわからない。出来る限りの用心は怠らないように。使う機会がない方がいいのだが……護身用の武器はもっているのか?」
「武器といえるかどうかは分かりませんが一応これを」
エンリの手には武器と呼ぶには心もとない何の変哲もないナイフが一振り。だが、数々の武器を目にしてきたガゼフには異様なものに見えた。
「……これは?」
「たぶん、ジュゲムさんの物です。あの人が何かを作る時に使っていたものだと思います。悪魔襲来の夜、御守り代わりに借りてそのままに」
「見せてもらっていいか?」
ガゼフは手にしたナイフを色々な角度から眺める。エンリはただの加工用ナイフと思っているようだがとてもそうは見えない。素材からして一般に流通している鉄や鋼などではない。希少なアダマンタイトとも色合いが違う。下手をすれば国宝の剣と同等かそれ以上の品。鑑定不能のドレスといいこのナイフといいあの御仁はとんでもないものを持っている。
ガゼフはジュゲムの異様さを再認識する羽目になった。
「……とてもいい品だ。大事にしなさい。そして、できれば本当にそれを抜く機会がないように」
「はい。では、行ってまいります」
エンリが出ていくとガゼフは本棚の端にあった本を引き抜く。
ジュゲムの言葉が気になり調べた結果出てきた一冊。
ゴブリンの勇者と銘打たれた本でありそれなりに名の知れた英雄譚の一つである。
「この名前は意外と有名、か……」
翼が風を打つ音。高速で後ろへ流れていく地上の風景。
村で生きていたころは想像すらしなかった空を飛ぶという行為。
形容しがたい何かが心を満たしきゅっと肩を抱く。
「寒いのかエンリ?」
「いえ、大丈夫」
ガゼフ邸の庭を飛び立って数分、王都はだいぶ小さくなっていた。
地上から視認されるのを警戒して高度を上げているため少々肌寒いが耐えられないほどではない。時期的にも気温が下がってくる季節、少し厚着をしてきて正解だった。
「寒ければ私を支配した服を着るといい。覚えていると思うがアレは少々の寒さなど無効化してしまうだろうからな」
「うん、耐えられなくなったらそうするわ」
王都でガゼフの伝手を使い鑑定してもらったのだが鑑定不能といわれたドレス。ドラゴンですら支配下に置き、布地なのに針すら通らない。サイズは着用者に合わせて変わるし汚れや皺も脱いで数秒で元通りになる。それでいて着心地は最高に良い。
そんなものおいそれと着るわけにもいかず王都の家に置いておきたかったのだが家よりドラゴンの背の方が安全といわれ持ち出してある。
「ならこのまま飛ぶぞ。トブの大森林を目指しそこから森の端を南下でよいのだな?」
「地図や方角が読めれば一直線に行けたんでしょうけど……」
ガゼフが少しずつ時間を作り読み書き教え始めたが1か月ではまだまだ身につかない。地図を読む知識などまだまだ先だろう。
「徐々に覚えていけばいい。学び成長する時間はまだまだあるだろう」
「そうだね」
もし村が襲われなければ農村でそこから外の世界をほとんど知らずに一生を終えていただろう。だが、その仮定にはならず自分をとりまく世界は一気に広がった。村から街へ、街から国へ。そして、今は空に。
そのことも含めてカルネ村跡で眠る両親に報告しておこうと思う。
適度に翼を休めつつ日が暮れるまで飛びエンリ達はトブの大森林外縁まで到達した。
街道から少し離れたところにある小さな窪地に降り立ち今日はそこで野宿することに。
人間にしてみれば小さくない窪地だがオラサーダルクの巨体が隠れるほどではない。だが、ここ以上に適した場所もなかったので仕方がない。そもそも、大森林沿いの街道は人気が少ないのだからそこまで心配する必要はない。
エンリは火を起こすと夕食の準備を始める。焼しめて日持ちするように加工したパンと湯に溶かして飲むスープ、そこに干し肉を数切れ少し煮込む。簡素な食事だが街の外にいる以上上等な部類といえよう。
「はい、オラサーダルクの分」
「我らドラゴンは毎日食事が必要なわけではないぞ。それこそ月一度でも問題はない」
エンリを囲むようにとぐろを巻いていたオラサーダルクの巨体が消える。
「だが、人間の料理というモノは別だ」
人化の指輪を使い人間形態へ。ジュゲムの料理とは比べるべくもないがこの簡素な食事も悪くない。ただ、ちょっとした興味から口にした携帯食料は眉を顰めざるを得なかった。栄養価は高いらしいが味がひどすぎる。中でも果物味というソレはオラサーダルクの口に合わなかった。
「ごめんね、量が少なくて」
「どうにも空腹になれば森へ寄り道して狩りをするから気にするな」
そもそも王都にいる間は人間の生活に合わせエンリ達と共に食事をとっていたため栄養的には十全な状態にある。先ほど聞かせたようにエンリの故郷まで行って戻るまでの間何も食べなくても特に問題はないのだ。
通常、冒険者や街道を行き来する商人は一人で行動しない。眠らず行動することはできず、眠る時は無防備になるが故、野宿の際は見張りが必須となる。野生の獣でも脅威であり場合によってはモンスターに襲われることもある。
そう教えられていたエンリは獣やモンスターの襲撃を恐れていた。
が、完全に杞憂となる。
焚火の側になめし皮でできた敷物、その上にエンリが。そのエンリを取り囲むようにオラサーダルクがとぐろを巻き、翼を屋根のように覆いかぶせる。ぴたりと体に添わせることで機密性をあげ中は少し暖かくなった。
このエンリ専用のフロスト・ドラゴン製簡易テントはそこにいるだけで半径数百mの獣やモンスターを遠ざけた。自然界には寝ているドラゴンに近づく愚か者は存在しないのだ。
「暖かいけど……翼は熱くないの?」
「これくらいは問題ない。エンリこそ寝返りをうって焚火に突っ込むなよ?」
「ネムじゃないんだから寝相悪くないわよ!」
「どうだか」
王都での暮らしをはじめ習慣は少しずつ変わってきている。
日の出とともに起きて畑仕事をし、日が沈めばできるだけ早く休み翌日に備えていたカルネ村での生活。夜に灯す明かりすらなかったのだから当然だったのだろう。
王都の家には『永続光』という魔法の明かりがある。明るいという事は活動できるという事でありエンリは明かりの下で勉強に励んだ。
まあ、教えてくれるガゼフが忙しいので遅々として進んでいないのが現状。日々は書き取りの反復などに充てていた。
食事を終え片付けもすみ、勉強道具を持ってきていない今出来ることは体を休ませる事だけ。だが、さすがに眠気が来ない。普段21時か22時くらいにならないと寝ないのでその習慣が身についていたようだ。
「オラサーダルク、起きてる?」
横になって30分程だろうか。エンリが声をかける。
「起きているぞ。眠れないのか?」
「うん。最近夜更かししているせいもあると思うけど、一人で街の外に出たからちょっと心細くなっているのかも」
「一人……一人か。確かに、人間は一人だな。だが、私もいる。心細いとは心外だな」
「あ……ごめんなさい。でもね――」
喉元まで登ってきた言葉を飲み込む。
王都襲撃の夜からの違和感。こうして旅の翼となってくれて、今も安全快適な野宿を提供してくれている。でも、あの夜を境にしてできた距離感が日増しにはっきりと感じられる。
どうして、側にいてくれるのか?
聞くのが怖い。聞いてしまうと魔法が解けてしまう。
否、魔法はすでに解けている気がする。だからこそ聞くのが怖い。
王都襲撃の夜から3日目までの記憶はすべてあやふやだ。
炎の壁が消えた事、帰宅途中に自分の身に何かが起きたという事、その何かで意識を失っていた間にジュゲムの探し人が見つかったと話していた事、国に戻るのに私達は連れていけないといわれた事。それらが断片的に思い出せるだけ。
思い出せないだけでオラサーダルクとの距離を変えてしまう何かもあったのだろう。
「……何を言いたいのかなんとなくわかるが、それは杞憂だぞ」
オラサーダルクは諭すように。
「お前が生きている限り支配は続く。あの服はそれほどに強力な代物だ」
オラサーダルクは体を動かし内側を、エンリをのぞき込む。
「お前が望む、望まないにかかわらずその事実は変わらない。そういうものだと素直に受け入れておくのが建設的だぞ」
「……ありがとう」
エンリを見るドラゴンの眼差しはやさしくて。
さっきまであった心細さは解けて消えた。
翌日昼頃、何事もなく飛行を続け目的地に近づく。
「エンリ、廃村となったと聞いていたが?」
「どういうこと?」
「煙が上がっているようだ。だが、火事が起きているようではないぞ」
「誰かが村に?」
村が滅びたとはいえ焼け残った家や資産はあの時のままだ。もしかしたら移住者が流れ着いて住み着いているのかもしれない。あるいは、冒険者や旅商人が夜露をしのぎに屋根を借りた可能性もある。ともかく、人がいるのだ。
「オラサーダルク、驚かすといけないから村から少し離れた場所に降ろしてくれる?」
「かまわんが私も姿を隠してついていくぞ?」
村にいる人間が好意的とは限らない。万が一、住み着いているのが野盗の類ならエンリ一人で行かせるわけにはいかないのだ。
カルネ村跡地
そこに住んでいたのはオラサーダルクが危惧した通り普通の人種ではなかった。
傭兵崩れの一団で20人のメンバーからなる。別段強いわけでもなく王国軍や冒険者の集団に攻撃されればすぐ壊滅してしまうだろう。だから彼らは目立たないようにした。
偶然見つけた廃村に住みつき普段は村に遺された道具を使い農耕と狩りで生活し、たまたま村に立ち寄った旅人が現れた時には村人になりきり歓待し一服盛って殺し犯し奪ってきた。
「お、今日の獲物は女か」
畑を耕していた男が街道を歩くエンリを見つける。旅姿にしては軽装、大きな荷物も見当たらない。食料が入っているであろう背負い袋が一つだけ。一人で旅をするにはあまりに不自然。ひょっとすると魔法詠唱者の可能性もある。
男は見定めるためエンリに声をかけた。
「よぉ、お嬢さん。こんな森の近くを一人旅かい?」
「いえ、心強い味方がいるのですが色々あって私一人で先を急ぐことに」
「なるほど。しかし、ここから先に一人で行くのはお勧めしないぜ。最近森からモンスター共があふれ出てくる頻度が増えてやがるんだ」
人を欺くときは虚実を織り交ぜる。大森林内で何かが起きているのか森からモンスターが出てくる頻度が増えているのは事実で今日も隊員の一部が迎撃に出掛けている。
「もしよければ別行動のお仲間と合流できるまで村に留まらないか? 旅人なんてめったに来ないから歓迎するぜ」
「そう、ですか。……では、1泊だけお言葉に甘えます」
そういったエンリの表情はどこか暗かった。
夜、村長宅に案内されて歓迎を受けた。昼間案内された村は数週間前まで自分が住んでいた村。今いる場所も見知った場所。複雑な気分だった。
新たな村人は全部で20人。男性11人、女性9人、子供はいない。なんでもモンスターの大集団に村を追われ逃げてきたらしい。体の弱い老人や子供は脱落し生き延びたのは大人だけ。幸運にも遺棄された村にたどり着き遺された道具を使い生活を始めた。
そう話すのは20代半ばの女性。女同士の方が警戒されにくいだろうからエンリの周囲には女性ばかり。男たちは家から追い出された。
「子供を失ったのは悲しいさ。けど、あたしと旦那はしぶとく生きている。次の子供を必死に育ててもう一度やり直すのよ」
「強い、ですね」
「こんな世の中だからね。気持ちだけでも強くないとやっていられない。嬢ちゃんだってこのご時世一人旅なんて強いのかい? 武器らしい武器も見当たらないけど実は魔法詠唱者だったりして?」
食事の場で和気藹々と話をしつつ傭兵崩れたちは探りを入れてくる。
「私自身には何の力もありませんよ。でも、そんな言い方をするといつも小言を言われるんです」
「心強い味方ってやつかい。その人はここへ来るのかい?」
「先の村かエ・ランテルで待つことになっています。ですからここにいればすぐに追いついてくると思います」
本当は今も村長宅の外で待機している。エンリに手を出すようなら皆殺しにするつもりで。
経験の乏しいエンリは判断しかねているがオラサーダルクはすでに敵意を感じ取っていた。
だが、まだエンリは指示を出さない。
それからしばらくして、村長宅を取り囲むように家から追い出されていた男たちが集まり出した。それぞれが卑しい笑みを浮かべ中からの声を待つ。
エンリにふるまわれている料理には遅効性の麻痺毒が盛られていた。ゆっくりと体に浸透し一定量を摂取すると効果を発揮する。たとえ無手でも危険な魔法詠唱者も麻痺してしまえばただの獲物に成り下がる。
だが、待てど暮らせど声がかからない。
「なぁ、遅くないか?」
「おいおい、本当に女同士の話で盛り上がって毒盛ってないなんてことは無いだろうな?」
「流石にないだろそれは……」
待ちくたびれて思わずこぼれた会話。オラサーダルクが聞き逃すはずもなく。
「やはり毒か。酒を飲ませて酔い潰すかどちらかだろうとは思っていたが。だが、残念だったな。エンリに毒は効かん」
声と共に姿を現したドラゴン。男たちはただただ呆然とそれを見上げた。
エンリはジュゲムが与えた多重保護の指輪を常時身に着けている。本人はなんとなくすごい効果があるとしか思っていないがドラゴンの嗅覚はごまかせないのだ。ありとあらゆる状態異常を無効化し多重の加護を齎すアレは国宝級といわれてもおかしくない。
「この村はあの娘の故郷。貴様等の血で汚すのは不愉快だ。我が目の届かぬ所へ疾くと失せよ」
それは最後通牒だったのだが。
「う、うわぁ!!」
恐慌状態に陥った男が剣を抜いた。
「なんだい、騒がしいね……?」
「……きっと、追いついたのだと思います」
宴会のさなか、エンリは見てしまった。話を聞きに来る女の一人が首にかけているペンダント。薄緑の石を綺麗に磨き上げ蛙を模った首飾りを。忘れもしないジュゲムとの出会いの場。村の猟師に渡された魔法の品。
あの日、あの時、兵士の前に立ち塞がり命を落とした猟師と共に埋葬された品。
外の騒ぎはオラサーダルクが決定的な証拠を見つけたからだと悟る。
「おとなしく村から出て行ってください。お墓を暴いたことも見なったことにします。お願いですから早く出て行ってください!」
「嬢ちゃん、何を言って――」
「ド、ドラゴンだ! 殺される! その女が操っているぞ!」
大声と共に転がり込んでくる男。手には抜身の剣。
男は他のメンバーを犠牲にしつつも屋内に逃げ込むことに成功、ドラゴンを操っている危険人物を殺すべくエンリに駆けより剣を振り下ろした。
はて、とエンリは首をかしげる。
振り下ろされる剣。当たれば致命傷になりかねないそれがとてもゆっくり動くように見える。
しかしながら、動かなければ当たるので一歩横に移動することで回避する。
振り下ろされた剣は余りにも滑らかな動きで回避された。この女に武術の心得があるようには見えない。だが、今の動きは完全に攻撃を見切ったソレだった。見た目に騙されて喧嘩を売ってはいけない相手に手を出したことを悟ったがここでやめるわけにもいかない。
追撃に移ろうとしたがエンリの手にナイフが握られていた。何の変哲もないナイフ。握る手は震えているし構え方も素人以下。このギャップは何なのか。
理解できなかったがやることは変わらない。
男は邪魔なナイフを弾き飛ばすべく手甲を付けた腕を振るった。
だが、感触がおかしい。
ナイフの刃と手甲が当たった感触はあった。腕も振り切った。だが、ナイフは握られたままで。
エンリは見た。こっちへ来ないでと思いを込めて突き出していたナイフの刃が男の腕をすり抜けたのを。
抵抗が全くなかった。流れる水を切ったような感触。
だが、実際は――
「えっ……」
「う、うへ?」
エンリと男の声が重なる。金属の手甲ごと男の手首が床に落ちた。
血が勢いよく噴出し天井を紅く染める。エンリは呆然とそれを見る。
男は痛みと恐怖に顔をゆがませながらも即座に追撃を放つ。行動の違いは戦闘経験の有無だろう。
踏み込んでの水平切り。狭い屋内でもはや逃れる場所はない。
何かおかしい。真っ赤に染まった天井と床に落ちた手首に目が行っていたが今まさに迫ってきている剣も見えていた。だが、その動きも非常にゆっくりとした動き。
オラサーダルクが何かしたのだろうか?
でも、魔法はほとんど使えないと話していた。今は普段着だしこのナイフに何らかの魔法の力が込められている?
色々疑問だったが悠長に考える時間は無いので即座にしゃがむ。頭上を剣が通り抜ける。男は驚愕の表情を顔に浮かべ振り切った体勢のまま硬直。
距離を取るべき。そう思ったので立ち上がる勢いを利用してその男を両手で押した。
その男がぶつかって後ろにいる武器を持った他の人間が怯めばオラサーダルクを呼ぶ一瞬の時間が稼げる。
そう思ったのだが。
男はとてつもない勢いで吹っ飛んだ。
背後にいた数人、テーブルなどを巻き込んで壁に激突、その首はあり得ない方向に折れ曲がって揺れていた。一目見てわかる。即死だった。
誰もが困惑して動かなくなる。
「……う、うそ?」
そんな中一番困惑していたのはエンリだ。
さて、なぜこんなことになったのか。それは王都襲撃の夜まで遡る。
ユグドラシルにおいて騎乗、およびテイムモンスターの得た経験値はその半分がその所有者に譲渡される。それを止めてモンスターの育成を促進するアイテムも存在するがオラサーダルクはそんなもの装備していない。
あの夜、オラサーダルクが倒した悪魔の数およそ500体。低レベルの悪魔だったためオラサーダルクのレベルからすると大した経験値ではないのだがファーマーレベル1のエンリにとってはそうではない。たとえ半分であっても膨大な量が転がり込んだ。
その経験を踏まえ世界が定めたレベルはドラゴンライダーレベル11、アジテイターレベル3、ゴッデスレベル1。元々のファーマーと合わせるとレベル16。この世界では十分に一線級の戦力である。指標を出すならミスリル級冒険者からオリハルコン級冒険者手前くらい。
つまり、周りが遅くなったのではなくエンリの身体能力が劇的に伸びていた。
結果がコレだ。
硬直する空気を打ち破ったのは家屋の天井を根こそぎ吹き飛ばす尻尾の一撃。
のぞき込むオラサーダルクにエンリは手を伸ばす。
オラサーダルクは青ざめこわばった表情で何事かを呟くエンリを胸元に抱き寄せると呆然と見上げる人間達に特大のブレスをぶち込んだ。さらに凍結した人間達を念入りに家ごと踏み砕く。そこに何体分の死体があったのかあっという間にわからなくなった。
「……私、どうなっているの?」
エンリは震える声で問う。
「竜種と人間では成長の仕方が違うかもしれないという前提で話すぞ。我ら竜種は年月を経ることで徐々に強くなっていく。だが、それ以外でも強敵を打倒する、群がる敵を殺すことで一回り大きな力を得ることもある。お前の変化は後者のそれが当てはまるのではないか?」
「私は……戦ったことなんてない」
「うむ、そうだな。だが、王都では私が数多くの悪魔を殲滅した。何度も言うが私はお前の剣であり盾である。それが振るわれ悪魔を殲滅したと考えるならそれはエンリの経験となり大きく躍進するきっかけになったのではないか?」
無論、想像だがなと付け加えるオラサーダルク。ほぼ正解だった。
「……怖い……」
「己の力とは恐れるものではない。使いこなすものだ。自身の内にあるモノから目を背けてどうする」
「そんなの難しいよ」
「何も急に考え方を変えよといっているのではない。望む望まないにかかわらずそこにあるのだ。ゆっくりと向かい合っていけばいい。それにエンリよ、お前はドラゴンである私ともうまくやっているのだ。内なる自分とうまく向き合えない道理はないだろう」
オラサーダルクに諭され少し落ち着いてきた。
眼下の廃墟を見下ろす。凍り付き完膚なきまでに破壊されたそれは人の手では成しえない所業。オラサーダルクのエンリが手にかけた男を見ないで済むようにというある意味気遣いなのか。
でも、エンリは忘れない事にした。
突き飛ばした時の感触も困惑の表情を浮かべたままあらぬ方向に折れ曲がった男の首も。
それからエンリは村長宅の外でオラサーダルクの餌食となった男たちの死体を廃墟となった村長宅に集め火をかけた。
アンデッドの発生を防ぐため村に死体をそのままで置いておくわけにもいかなかったから。その作業中にもエンリは自身の変化を自覚することになる。久しく農作業から離れていたにもかかわらず成人男性の死体を運ぶことに肉体的な疲労は感じなかった。
自分の二の腕を触ってみるが以前以上に筋肉がついたわけではない。それなのに重いものを運ぶという事が簡単にできる。なんとも不思議な感覚。
だが、肉体的な疲労は無くても精神的にはかなり疲労していた。運んだ重いものは死体なのだから当然といえば当然なのだろう。
火が回ったことを確認すると意識が遠のいた。
窓から差し込む陽ざしで目を覚ます。
生まれた時からずっと見てきた天井。そこは焼け残っていたエモットの家で子供達二人の部屋。
「オラサーダルク」
壁一枚隔てた家の外にはオラサーダルクの気配が。
声をかけると窓から大きな竜眼がのぞいた。
「心配かけてごめん。あと、ここに運んでくれてありがとう」
「そこにはかなり薄れていたがお前の匂いが残っていたし野晒しで寝かせておける気温でもないからな。都合がよかった」
わざわざ人化の指輪を使って部屋まで運んでくれたようだ。昨夜の事といい、気遣いがありがたい。
「ちょっと待ってて。すぐに出て朝ごはんの用意をするわ」
少しだけ名残惜しかったが部屋を出るとそのまま外へ。幸いというかなんというか、この家は誰にも使われていなかったようだ。村を離れる前に立ち寄った時のままだった。
広場に作られた村人たちの墓を直す。大半が掘り返されていて個々の墓標は立てられなかったのが悔やまれるが掘り返された骨がどこへ行ったのか分からなかったためどうしようもなかった。
墓標を立て花を供え手を組み祈りをささげる。両親がここに残っているのか最早わからない。それでもエンリは村を離れてからの事を墓前で語った。
少し離れたところでオラサーダルクはその姿を見ている。
ドラゴンに、少なくとも自分の種族に死を悼む者はいない。死とは万物に等しく訪れるものである。弱肉強食の世界では遅いか早いかの違いでしかない。
弱い種である人間は寿命も短くオラサーダルクより先に死ぬだろう。その時自分はどう思うか。今はまだわからない。
分からないからこそオラサーダルクはエンリの後姿を黙って見つめる。
いつまでそうしていただろうか。
エンリが動くまでオラサーダルクも動く気はなかった。
だが。
オラサーダルクの広い視界に何かが映った。それが何かを認識すると同時にオラサーダルクは猛烈な勢いで動いた。地面スレスレを飛び墓の前にいるエンリを鷲掴みにすると家と家の間に体を滑り込ませる。
「オラサーダルクどうしたの!」
「静かにしろ」
ちょっと強めにエンリを黙らせ自身は翼をたたみ、体を縮めて息を顰める。
視線は上空。気づいてくれるなと祈りながら。
エンリはオラサーダルクでも勝てない相手が近くにいるのだと悟った。あの夜見せた態度と酷似していたから。それが何かわからないがオラサーダルクが上空を見ていることに気づく。目を凝らすと雲の隙間に何かが見えた。
ソレはかなり上空にいるにもかかわらず大きな翼を広げて飛んでいる。
体の形は違うがオラサーダルクと同じ竜種なのだろう。飛んでいくのは東の方角。
「何があったの?」
「……私をはるかに上回る力を持つドラゴンがいた。おそらく、評議会の竜王よりも格上だろう。……あんなものが存在していたとは」
エンリには言えないが一度死に復活させられたあの地にいたならあり得なくもないと思う。
だが、エンリはあの地に行っていないことになっている。自分も二度と関わりたくないと思っている。上には上がいるという事を教えられた。自分の世界を広げるきっかけになった。そこは感謝してもいい。それでも、それなりに脳みそが詰まっているならばあんな地獄と呼べそうな場所には関わりたくないだろう。世界でも有数の強者であると誇ってきた自分が虫けらのように捻りつぶされる世界など。
「念のため帰りはルートを変えるぞ。大森林から離れ西へ飛びその後北上する」
「う、うん」
「荷物をまとめろ。長居したいのは分かるが今は危険だ。また時間を空けてから来たらいい」
「わかったわ」
エンリはすぐに荷物をまとめにかかる。
その間オラサーダルクはずっと空を見上げていた。
遥か上空、その巨体はトブの大森林上空に差し掛かっていた。
「見逃してよかったの?」
「いいのよ。アレはアインズ様が手出しを禁じた人間でしょ」
「……ただの人間なのに」
「ただの人間だけどネムの姉よ」
弟はそのネムが姉の中でシコリになっていることを知っている。
姉が誇りを持っているその力、魔獣を支配する力。
ネムはその一点においてのみ姉を、アウラを上回ってしまった。それ故特例扱いされ仮初とはいえナザリックの所属とまでなった。
人間がナザリックにいる事はふさわしくないと思っていた。だが、アインズがナザリックの所属を認めて一定の待遇を与えたと同時に内に秘めていた敵意や嫌悪感が消えてしまった。マーレにしてみれば第6階層で勝手に遊んでいても気にならなくなったし、ネム自身も自分の立場を理解しているのかこちらに向けてくるのは純粋な好意や崇敬の意だ。人間を玩具ととらえていたデミウルゴスや人間を食料として見ていたエントマなんかも自然と受け入れてしまっている。
そんな状況だ、アウラは消えてしまった敵意に困惑し同時にわいてきた別の感情に苦しんでいる。
いうなればソレは嫉妬だった。
同じ力を持っているのに、あいつはそれしかもっていないのに。
どうして、と。
「気に食わないけどあいつはアインズ様に貢献している。何かあっても姉と養父への手出しは禁止という命令は貢献に対する褒美なのよ。気に食わないけど」
褒美なんてお褒めの言葉や頭を撫でてもらえるだけで充分なのだ。それ以上を望むなんて不敬だと思う。
「じゃあ、僕たちも仕事を早く終わらせて急いで帰ろう。すっごく早く帰ったら、もしかしたら、アインズ様が褒めてくれる、かも?」
「そうよね! 急ぐよ、帝国へ!」
アウラの声に応え騎竜は大きく翼を打った。
ゴッデスなエンリ嬢のクラス解説
ドラゴンライダー:ドラゴンを乗りこなす経験から。騎士要素が薄いのでドラゴンナイトにはなってません。
アジテイター:扇動者。彼女の声はよく通り、大衆に対して心を揺さぶる言葉になります。世界線が違えば村長になるカリスマは少し違う発揮のされ方をしました。
ゴッデス:女神(笑)。実はユグドラシルでは隠し職だった。レベル1では象徴として担ぎ上げられやすくなる程度の効果。レベルアップに特殊条件があり通常の経験値では上がらない。もしレベル5まで上げることができたなら……