相手が、相手が悪すぎたのだ・・・
翌朝、ジュゲムはさっさと朝食を済ませると街に行ってくると一人姿を消したらしい。
時間はまだ早朝といえる時間。エンリもネムも長く寝ていたわけでもないのだが。
ガゼフ邸に仕える使用人は住み込みの老夫婦が二人だけ。
彼らは人数が増えた事で食事の作り甲斐があると喜んでくれた。素朴な味は村にいた時を思い出させる。ジュゲムの料理に慣れてきつつある今はちょっと薄味に感じるが老夫婦の年齢を考えるとこれくらいなのだろう。ただ、ガゼフに出すには自分以上に物足りなさを感じるのではないだろうか。
食事の後やることがなかったので老夫婦の手伝いをして過ごした。最初こそ客人にそんなことはさせられないと固辞されたが暇を持て余すのが嫌だったエンリの熱意に負けて結局受け入れてくれることに。
ネムと共に客間の掃除をしていると青髪の男が血相を変えてガゼフ邸に飛び込んできた。
玄関で少し顔を負わせただけだがその表情には怯えの色が見える。
「どうかなさったのですか?」
「ん……なんだその恰好……? いや、いいか。庭に出るな。何かいる。見えないがかなりやばい奴が複数」
エンリもネムも普段着に借りたエプロン姿。客として受け入れられた者の装いではない気がする。だが、それよりも気になるのは青髪の男の事。庭にはオラサーダルク達がいる。
見えてはいないようだがその気配は察したようだ。ジュゲムは滅多な事では看破されないと言っていたが……。
青髪のブレインは『領域』という武技を使う。訓練をと展開したそれは半径3mほどの範囲内を極限まで高めた集中力ですべて把握する技。ドラゴン達はそれに感知された。
ジュゲムの作った隠密のアミュレットはユグドラシルとは違う製法で作られている。ユグドラシル産オリジナルはデータクリスタルを用いて作る。しかし、こちらに転移してきて以降データクリスタルは一切発見できておらず代わりの製法を探す必要があった。長年の研究の末、類似の魔法を封じ込める技術を開発したのだがどれも機能が劣化していた。
隠密のアミュレットのオリジナルはレベル60程度、劣化品はレベル45以上の相手には基本的に看破される。
この世界の人間のレベルが極端に低いことからまず大丈夫だろうと高をくくっていた。
ブレインもそのレベルには達していないが感知することに特化した『領域』を使った瞬間だけはそれに匹敵したらしい。
ブレインは庭への扉から外を警戒している。
エンリには見えないがオラサーダルクがそこにいるのはわかる。気づかれたことに驚いたようだ。
「何もいないようですけど……?」
いないということにしておく。気づかれたら大騒ぎになるだろうから。
しかし―
「え、お姉ちゃん。オラサーダルクさん達がいるよね?」
妹はそこまで考えられなかったようだ。エンリは思考停止。
ブレインの目が大きく見開かれる。
「嬢ちゃん、見えるのか?」
「見えないよ? でもお友達がいるんだよ」
「お友達……?」
小さい方は本気らしい。姉の方は何やら複雑そうな表情。
「おい、何を隠している!」
ブレインはエンリの胸元を掴んだ。次の瞬間ブレインは空中にいた。
見えない何かに掴まれて拘束されている。
がっちりと鷲掴みにされているのか全く動けない。
「だめ、オラサーダルク! 私は大丈夫だから!」
エンリの声がかかり数秒後拘束が緩む。慌てて地上に飛び降り刀を構えるが相変わらず何も感じない。背中に嫌な汗が伝う。
「嬢ちゃん達……何もんだ?」
「ごめんなさい。街の人達を驚かせたくなかったから姿を隠してもらっているんです。ここにいるのは旅の途中で仲間になってくれた護衛なんです」
その必死なそぶりから嘘を言っているようにも見えない。
「キーリ、出てきてよ」
ネムはエンリの心境をよそにキーリストランがいるであろう方へ。キーリストランは一瞬悩んだのだろうが結局姿を現した。ネムは見えるようになったキーリストランの顔に抱き着く。
「ね? お友達だよ!」
さも、当然のように。
「ドラ……冗談だろ……」
姿を隠し人間に従うドラゴン。ドラゴンと触れ合う少女。そんなもの常識の外だった。
見えているものが事実でも頭が受け入れてくれない。
「冗談ではないぞ、人間」
上から見下すように青白い鱗を持つ巨体が姿を見せた。
「もし、主が止めねば握りつぶしてやるところだ」
竜を狩ることは強さを得た者が一度は目指す誉。ブレインもガゼフと戦う以前は考えたものだ。だが、ドラゴンハントは事前に準備した上で万全の状態で挑むもの。高ランクの冒険者でも強力なドラゴンとの不意遭遇戦での勝率は恐ろしく低い。
今姿を見せたドラゴンはとてつもない力を秘めていることが感じ取れた。全力で挑んでもおそらく勝てない。自分の心をへし折った化物よりは幾分ましだとは思ったが……。
この短期間で何度も圧倒的強者にあうなんて思いもしなかった。
「外から見えちゃうから隠れて!」
ネムと戯れているドラゴンは伏せているが目の前のドラゴンは立ち上がっている状態。庭を囲む塀があるとはいえ一目でバレる。
「では、こうしようか」
ブレインは目を疑った。ドラゴンが消え一人の屈強な男が現れた。武器は帯びていないがただ者ではない気配。
「信じるか信じないかは貴様の勝手だが、私は人間であるエンリに仕えている。ゆえに私から人間と敵対することは無い。エンリが敵とみなすか、エンリに手を挙げたなら容赦はせんぞ」
オラサーダルクはブレインの胸元を掴みつるし上げる。鍛え上げた肉体を持つブレインも軽くはないがあっさり片手で。離そうと抵抗するが万力で挟まれたかのように動かない。
「くそっ、放しやがれ!」
「もう、やめてください! オラサーダルク、命令です!」
見かねたエンリが止めに入る。
そして、それはエンリがオラサーダルクに出した初めての命令。
オラサーダルクに言わせれば今までのエンリは支配者の自覚が足りない。それがマジックアイテムの効果であれ自分の能力であれ関係ない。支配した者と支配された者の関係がある以上自覚を持ってもらわねば困る。
そんなエンリが漸く一歩踏み出した。
「ふむ。それでよい」
オラサーダルクはブレインを開放すると姿を消した。庭に出ると人化を解除し満足げに体を横たえる。少し前まで支配する側だったオラサーダルクにとって初めて受けた力のこもった小さな命令。この時、エンリとの間にあった繋がりがよりはっきりと認識できた。
それは心地よく今なら全力以上で戦える気がした。
世界を渡った時、世界の欠片たる200も多くが変化した。この世界に馴染むように進化をはたし、それは傾城傾国も例外ではなかった。
今まで支配する対象は自意識の無い者かゲームというシステム上制限のある他のプレイヤーに限られていた。しかし、この世界でとる対象はそうではない。
支配者と被支配者が互いを受け入れ認めあった時今まで誰も知ることのなかった力が適応された。
「本当に嬢ちゃんが支配できているのか?」
「……はい」
この状況下エンリは開き直ることに決めた。決めたのだからちゃんと宣言する。
「あのドラゴンは私のモノです。だから無暗に暴れたりしません」
宣言と同時に何か心地よいものが体に満ちる。今までよりさらにオラサーダルクが身近に感じる。最初のころに感じていた恐怖は融けて消えた。
心も体も軽くなったような気がした。
「はぁ、まあ、それならいいんじゃないか? 一応ガゼフには言っておくべきだろうが……。やれやれだ」
色々ありすぎだろうと思う。化物と出会い心折られて、その化物に匹敵しそうな老人と出会いさらには隠密行動し人に化けるドラゴンとそれを支配する一般人にしか見えない少女。
自分よりはるかに強い者がゴロゴロいる世界。弱者は弱者なりに抗ってやろうか。
少しだけそんな気分になった。
昼過ぎ、ガゼフが家に戻ってきた。
「……エンリ君、何だねその恰好は?」
エンリの姿を見るとやっぱり呆れられた。普通の反応だろう。
ジュゲムと違ってできることが少なく時間を持て余していたと訴えて何とか認めてもらう。
「まあ、好きにするといい。ところでブレインはいるか? あー、昨日玄関で会っている青髪の男だが」
「ブレインさんなら昼食のあとまたお庭で訓練だと思います」
「庭か。ありがとう」
「あ、私もついて行っていいですか?」
エンリの手には水差しが。
「ネムもー」
そして、ネムの手にはタオルが。
「かまわないが訓練をするわけではなくてな。すぐに出かけるつもりだ」
庭に出たガゼフの足が止まる。これも普通の反応だろう。
激しい剣戟の音。ブレインの刀とオラサーダルクの爪がぶつかる音だった。
かなり本気に近い速度で刀を振るっているのであろうブレインと体を横たえつつ片手のみでそれを捌くオラサーダルク。このくらいの姿勢ならわざわざ塀を登り庭を覗かない限りオラサーダルクの姿は見えないだろう。音だけならガゼフが訓練しているだけと聞こえるかもしれない。
「ドラゴン!? どうしてこんなものが家の庭に!?」
歴戦の勇士といえども想定外過ぎたのだろう。さすがのガゼフも混乱していた。
そりゃそうだと思う。エンリはガゼフの横をすり抜けるとブレインの側に。
「エンリ君! 何をしている危険だ!」
ガゼフは抜刀しブレインに加勢すべく庭へ駆け出す。
「ブレインさん、お水持ってきましたよ」
「おお、助かる。んじゃ、ここまでにしとくか」
「なんだ、もうよいか?」
「休憩だ、休憩。あんたらドラゴンと違ってこちとら脆弱な人間様なんだ」
臨戦態勢のガゼフをよそに何でもない雰囲気でドラゴンと会話するブレイン。エンリもまったく気にしていない様子。
本当に訳が分からなかった。そんなガゼフの体をつつくものがいる。
「ガゼフおじさん」
ネムだった。ドラゴンから注意をそらさずそちらを見る。
人生最大の恐怖を覚えた。何度もくぐってきた死線とはまた違う怖さがそこにはあった。
彼我の距離は1mもない。そんな距離に影も形もなかったはずなのにもう一匹のドラゴンがおり、ネムに鼻先を撫でられ気持ちよさそうに目を細め子猫のように喉を鳴らしていた。
「お友達なんだよ!」
ネムは屈託のない笑顔で。
「頼む……」
意識を手放さなかったのは王国一と謳われる戦士の叙事ゆえか。
「誰か、説明してくれ……」
それでもひきつった顔でそう絞り出すのが精いっぱいだった。
王都を目指す途中、街道から少し離れた場所に瀕死のドラゴン達が落下してきた。エンリ達の目から見てもそのままにしておけばまもなく死ぬ怪我。
普通なら関わらずに逃げるだろう。だが、商人であるジュゲムの目には宝の山に映った。
ドラゴンは鱗爪皮肉骨血の一滴まで余すことなく高級な素材として活用できる。成竜3匹分の素材となれば一生遊んで暮らせるだけの財産となるだろう。まさに降ってわいた幸運だった。
ドラゴン達はもう動くこともなく死を受け入れているのかただ静かに地に伏しているだけ。ジュゲムは少し離れた位置でドラゴンが死ぬまで留まることにする。ドラゴンの生命力は高いがそう何日も持たないのは明白だったから。
事件はその翌日に起きた。ネムがジュゲムの商品である水薬を持ち出しあろうことかドラゴンに与えてしまった。ネムを止めに追いかけていたエンリも動き出したドラゴンを前に死を覚悟したのだが。
何を求めて傷を癒したのか問うドラゴン。
「じゃあ、元気になったらお友達になって!」
村での死にそうな体験から恐怖というものが麻痺してしまったのか、物おじもせず言い切った。エンリもとっさに頭を下げた。どうか、殺さないでと思いを込めて。
「それで、本当にドラゴンが従ったというのか?」
「はい」
よくもまあ、これだけ嘘を吐けると思った。エンリ自身驚いている。
せめてジュゲムに迷惑が掛からないように無い知恵を絞った結果であった。
「まさかそんな願いを口にするとは思わず驚きはしたが恩義を感じたのも事実。住処を追われ逃げ延びてきた共通する境遇。それに人間の生はドラゴンと比べると恐ろしく短い。ならそれくらいの間つきあってやろうと思ったのだ」
オラサーダルクが結びエンリ即興の話が終わる。
エンリから聞いただけなら作り話と一笑に付していただろう。話の中に出てきたドラゴン自身が認めてしまえば作り話も事実となる。
「大丈夫、私が指示を出さない限り暴れないと約束してくれていますから」
エンリも自然体でドラゴンの首を撫でている。人間にそんなことを許すほどこのドラゴンは気を許しているのか。
信じられないが目の前には純然たる事実がある。
「ごめんなさい、黙っていて。でも、この子たちは姿を消す力を持っているからお庭でじっとしていれば無用な騒ぎを起こさないと思っていたんです」
だが、訓練にと極限まで集中を高めたブレインに看破されたらしい。そこでもひと悶着あったが今では訓練相手をしてくれるほど打ち解けていた。
「嬢ちゃんの言っていることは事実だと思うぜ? 俺でも武技を使ってようやく何かがいると気づけた程度だ。それこそアダマンタイト級のレンジャーでもない限り気づけないだろうさ。それに、実際お前も3匹目に気づけていないだろう?」
話の中には3匹のドラゴンが出てきた。見えるのは2匹。レンジャー職でないガゼフがどれだけ集中し目を凝らしても見えない。
「ヘジンマール」
エンリが声をかけると3匹目が姿を見せる。
この娘は本当にドラゴンを従えているというのが実感できた。
「む、しまった。ブレイン、ちょっと一緒に来てくれるか?」
そもそも家に戻ってきたのはブレインを連れ出す目的があったからだ。ついつい話し込んでいたが時間が差し迫っていた。
「かまわんが……どこへ連れていくつもりだ?」
「道中で話す。エンリ君、夕食は外でとると伝えておいてもらえるか?」
「あ、はい」
何かよほど大事なことがあるようで、ガゼフはブレインを連れだって屋敷を出ていった。
「はあ、疲れた」
残されたエンリは緊張が解けたのか座り込む。
「即興にしてはよくできていたではないか。虚実織り交ぜジュゲムの関与を悟らせなかった。それは賢き判断だ」
「ん、ありがと」
オラサーダルクはエンリの背もたれになるように体を動かす。エンリも自然な動きでオラサーダルクに体を預ける。ひんやりとした鱗が緊張で火照った体に心地よかった。
一方その頃アインズ様
高額報酬にホイホイつられてエ・ランテルから移動中。
部下たちの暗躍はまだ知らない。