王都への街道をトブの大森林から離れて数日、3人を乗せた馬車がのんびりと進む。
キーリストランが隠密状態でその頭上を飛んでいて、オラサーダルクとヘジンマールはどうしたかといえば―
「ひぃ、ふぅ……お待ちください父上」
フロスト・ドラゴンはスリムで細長い体躯を持つ。その体はドラゴン種の中で軽い方であり飛行も得意である。
だが、ヘジンマールはでぶっていた。長い年月をほぼ自室として与えられたドワーフの書庫内に籠って過ごしていたためである。そもそも部屋から出ることすら数年ぶりである。そんなヘジンマールは飛ぶことはできたもののぎこちなくスピードもろくに出ない。
余りの情けない姿にオラサーダルクはぶち切れ特訓と称した半ば八つ当たり的な戦闘訓練を施すことにした。
エンリには見えないが遥か上空でなにかすごいことが起きているらしい。殺す気でかかると宣言したオラサーダルクと死にたくないヘジンマールによる周囲の天候すら変えかねない戦闘訓練。すごいのだろうけどイマイチ想像できない。
とりあえず、普段着に戻った今ちょっと肌寒く感じるのは上空で氷結のブレスが乱れ飛んでいるせいなのかもしれない。
「お姉ちゃん、遠くにお城が見えてきたよ!」
上空からネムの声が聞こえる。そう、上空からである。
キーリストランが隠密状態を解除して舞い降りてきた。ネムはその背に乗っていたのだ。
とてもじゃないけどマネできない。それに、キーリストランだけはかなり苦手だった。
ここ数日でオラサーダルクはエンリを主として第一に行動しているのが理解できた。
ヘジンマールはちょっと抜けているところもあるけどあの眼鏡といい知識欲といいどこか人間くさい部分がありそこまで怖くはない。
だが、キーリストランだけは別だ。ネムとは背に乗せるほど打ち解けてはいるがエンリとは必ず一線を引いた距離感を保つ。オラサーダルクを支配したことを許してないのか、あるいは自分も支配下に置かれることを危惧してか。
今の所、襲い掛かってくるつもりはないようだが怖いものは怖い。
「じゃあ、少し早いが昼飯にするか。キーリストラン、上の二人も呼んできてくれ」
「ええ、わかったわ」
ジュゲムが馬車を止め例の家を実体化させる。エ・ランテルを出る時に積み込まれていた食材もこの家の中に移動させてあり保存は完璧。トブの大森林近くを離れる際にいくらか補給したので食い扶持が増えてもまだまだ余裕はある。
そう、食い扶持が増えたのだ。ドラゴン達は自分で食料を確保してくるのかと思っていたし彼らもそのつもりではあったようだが。
「ジュゲム、今日はなんという料理だ?」
室内で待っていると一目見て強そうな戦士風の男が入ってきた。続いて、眼鏡をかけたなぜかあちこち傷だらけの知的な青年。最後にネムの手を引いた肌の白い美女。
何を隠そうオラサーダルク達がジュゲムのマジックアイテムにより人化した姿だった。
ただ、ジュゲム曰くこれも劣化複製品でありオリジナルの性能は再現できなかったようでこの姿をとれるのは一日に3時間までとなるらしい。
そんなすごいアイテムを食事の為だけに使っているのだった。
いや、確かにあんなものを食べたら虜になるのもわからなくはない。
初日の夜、シチューの残りを食べていると匂いに惹かれて興味を持ち一舐めして虜になった。強大なドラゴンが即落ちであった。そもそも調理という概念すら持っていなかったようなので衝撃を受けたようだ。
両手で抱えた寸胴鍋に顔を突っ込みぺろぺろ舐めるドラゴンらしからぬかわいい姿を見て食べにくかろうとジュゲムが劣化版人化の指輪を渡してからは必ずこうなっていた。
「今日はやきそばだぞ。もうすぐ出来上がるからおとなしく待っていてくれ」
「うむ、よい匂いだ。早くするがいい」
本当にジュゲムはすごいと思う。ドラゴンが唸るほどのマジックアイテムを自ら作り出したり一流料理人顔負けの料理もできたり。
本人曰く料理人は余ったから1レベル取っただけで大したバフもかからないとのこと。
何のことかわからないが初歩の料理ができる、という事だろうか?
余りに美味しすぎる料理なのであれが初歩なのかどうかも判断できない。
ともかくエンリにとって重要なことは一つ。
美味しいからといって食べ過ぎないようにすることだった。こんな食生活を続けていたら絶対に余分な部分に肉がつく。
かといって、鼻腔を刺激する魅惑的な香りを前に抗うことも難しいのだが。
その日の夕刻、ジュゲム達は王都リ・エスティーゼの門にたどり着いた。
ここでは最初からガゼフとエ・ランテル都市長の書簡を使い衛士の責任者に話を通してもらう事にした。すぐに本物であるという鑑定結果が出たため王都に入り、ついでにガゼフ邸までの地図も用意してもらう。
「結構遠いですね」
「そうだな……オラサーダルク達も呼び出して先に夕飯を済ませるか。呼んでくれ」
「はい」
エンリはオラサーダルクとのつながりのようなものを感じていた。
それは召喚されたものと主を繋ぐそれと同じようなものだがそんなことエンリは知らない。ただ、オラサーダルクが遥か上空にいてもトブの大森林まで戻って狩りに行っていても近くにいるような感覚があった。近くにいるのだから声は届く。
不思議な感覚だがこれもあの服の効果なのだろうと受け入れていた。
上空を旋回していたオラサーダルクはエンリの声に応え地上へ向かう。エンリの姿を見つけると大き目の建物の屋根に着地する寸前、人化の指輪を装備する。
少し遅れてキーリストランとヘジンマールも到着する。
「これほどの人間は初めて見るな」
「ええ、少しくらい食べてしまっても気づかれないかもしれないわね」
「特に光の当たらぬ場所は、な」
上から見て気づいたことだ。この人間の街には表と裏がある。
人間に疎いドラゴンですら気づけるほど濃厚な闇の臭い。
ヘジンマールから人間について少し聞いてはいたがそれとは大きく違う。
「いやーすごい! 書物から読み取るのと実物を見るのとでは大違いだ!」
ヘジンマールは非常に楽しそうで。
そんな変わり者の息子を一発引っ叩き正気に戻らせるとエンリと合流すべく屋根から飛び降りる。自分やキーリストランは問題なく着地するがヘジンマールは失敗し盛大にひっくり返った。人化に伴い大幅に弱体化しているとはいえ元のスペックが高いためか人間からするとかなりの高水準となっているようなのだが。
街を歩く中、思いをはせる。
触れれば折れそうな細い体、筋肉の量も少なければ身を守る強固な鱗もない。
群れると煩わしいが個では脆弱な生き物。それだけが以前の認識だったが少し改めさせられた。
加工し作り出す技術というものはドラゴンにはない。そんなことをしなくても十分に強いから。
だが、脆弱な人間は技術を生み出し伝え蓄積していく。それは独自の進化であり脅威だ。
視点が変わったからこそ気づけたことだろうか。知識を得ることに腐心していた愚かな息子も今の視点から見れば異端ではあるが普通のドラゴンとは別の方向に進化しようとした兆しなのかもしれない。
「へい、おまたせ」
ガラにもなく色々考えてはいたが目の前に並ぶ料理を前にするとどうでもよくなった。
一つ自信をもって言えること。
料理とは偉大である。
この技術だけはドラゴンの遥か先を行く。否、絶対にたどり着けない境地だろう。
これだけは知識のないオラサーダルクでも断言できた。
涎があふれそうになるのを堪える。エンリがまだ手を付けていないので待機だ。
今となっては信じてもいない神に対する祈り。
日々の無事に過ごし糧を与えてくれることへの感謝を名も無き神にささげる習慣。
村が滅びて神様なんていないということが分かったけれどなんとなく続いている。
何の心も籠っていない形だけの祈り。
オラサーダルク達が待ちきれない様子なので雑に手早く済ませると料理に手を付けた。
「思ったより遅くなってしまったな」
「こんな時間に訪ねても大丈夫でしょうか?」
「むしろこの時間なら家にいるだろう」
地図を頼りにガゼフの家に向かう一行。軽く食事を済ませた後向かうつもりだったが、ジュゲムが試しにとオラサーダルクに酒を飲ませたことで大騒ぎとなりかなり時間がたってしまった。まさかあれほどまでに酒に弱いとは思わなかった。そもそも飲んだことがないのでアルコールに対する耐性がなかったのかもしれない。
ネムはすでにジュゲムの背中で寝息を立てている。
「ん、地図ではここだが……なんか思っていたのとは違うな」
「もっと、大きなお屋敷かと思っていました」
王直属の地位だと聞いていたので大貴族並みの大きな屋敷を想像していたのだが。
地図の指し示す場所には周辺の住宅より一回り大きい程度の館があった。それなりの広さの庭もあるが想像とのギャップが激しい。
ジュゲムが何度も地図を見直すが間違いないようだった。
「……とりあえず、訪ねてみるか」
玄関の前でぼーっとしていても仕方がないのだ。
ノッカーを鳴らしてしばらく待つとガゼフではない男が出てきた。
青い髪に無精髭、粗野な雰囲気で使用人には見えない。
腰にはこの辺りでは珍しい武器、刀を佩く。
「こんな時間に何の用だ?」
ほのかに酒の匂いがする。それでも、ジュゲム達を警戒する目に曇りはない。
「こちらは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ様のお屋敷で間違いないでしょうか?」
「そうだが……客が来るとは聞いていないぞ」
「今日との約束はしておりませんが、以前助けていただいた際に王都へ来る機会があればぜひお屋敷へと。王都へは夕方についたのですがお恥ずかしい話ながら道に迷いまして……たどり着いてみればこのような時間に。失礼なのは重々承知の上でご挨拶に伺った次第なのです」
「だそうだ、ガゼフ」
入り口からは見えない位置にガゼフもいた。青髪の男と同じく何かを警戒していたのか剣を帯びている。だが、ジュゲムの姿を認めるとその目は驚きに見開かれた。
「なんと! ジュゲム殿か!? 後ろにはエンリ君も!」
「なんだ、本当に知り合いだったのか」
「ああ。さっき話していたカルネ村で会った方々だ」
「なるほど、借金取りか」
その言葉にガゼフは苦笑する。
「間違ってはいないが……こんなところで立ち話というわけにもいくまい。どうぞ、中へ」
「ありがたい。ではお言葉に甘えて」
「エンリ君も、よかった無事だったのだな」
「はい。おかげさまで」
「ネム君は……時間が時間だな。ジュゲム殿、2階右手奥の客室が空いている。彼女を先にそちらで休ませてはどうだね?」
「よろしいのですか?」
「かまわないとも。部屋はたくさん開いているからな。エンリ君も疲れているなら一緒に休むといい」
「ありがとうございます。ネムが起きた時不安がるといけないからそうさせていただきます」
エンリはそれほど疲れていなかったが、おとなしく休むことにした。酒を交えた大人の会話に自分はいない方が円滑に進むだろう。そもそも交渉事はジュゲムに丸投げすることに最初から決まっている。
部屋に入りネムをベッドに寝かせると窓の外から庭を見下ろす。
見えないし気配もないが3匹のドラゴンはそこにいる。上空をずっと飛び回っているわけにもいかないから少しでも翼を休めることができる広い場所があってよかった。
「召使はすでに休ませてしまってな。店屋物の残りしかなくて恐縮だが……再会を祝して乾杯といこう」
リビングではガゼフが音頭を取り杯が打ち鳴らされる。
「先に自己紹介を。私はジュゲム・ジュゲーム。南方から流れてきた商人です。旅の途中で立ち寄った村で戦士長殿に命を救われました」
「いやいや、命を救われたのはこちらの方だ。貴殿が売ってくれた水薬がなければ私はここにいない」
「あんたがとてつもない力を持った水薬を扱う商人、か。俺はブレイン・アングラウス。色々あってガゼフに世話になることになった」
「その武器、刀ですね。相当の腕とお見受けしますが」
「……どうだろうな。高みをひたすら目指していたが……人間ではどうにもならない相手に出会った。アレは正真正銘の化物だったな」
ジュゲムはブレインと名乗った剣士の雰囲気からそれ以上その話題を避けた。
話題を変えカルネ村からの旅路をそれなりにぼやかしてガゼフに伝える。
「それでですね。王都に来た目的の一つがある人物を見つけることなのですが、何分不慣れな土地ですので戦士長殿にお力添えをいただけないかと」
「お力になれるかどうかは……戦士長という位についてはいますが顔が広いわけではないのです」
「家もこんなだしな」
ブレインが茶化す。
「それはまぁ……少し予想外でしたが」
「残念ながら薄給でね。そういったわけだから今は持ち合わせがないのだ。ジュゲム殿への返済はもう少し待っていただけるとありがたいのだが」
話の流れで代金を請求する形にはなったが実際の所あれくらいの水薬は出費の内にも入らない。
とりあえず、商人というカバーを使っている以上、ただにするというのも変な話だろうから別の対価を請求する形へもっていくことにする。正直金貨をもらってもうれしくないし最低限旅費になればいいのだ。
「では、こういうのはいかがでしょう? ネムとエンリを休ませていただいている部屋をお借りできないでしょうか? 期間は王都での目的が済むまで。水薬の代金は日割りにし相殺という形で」
「本当にそれでよいのですか?」
「ええ。もとよりあれをお渡ししたのは自分達が生き残る確率をあげるためです。囮となった貴方達に少しでも長く生きてもらうために。再会できた今だからこそ正直に申し上げますが戦士長殿と生きて再会できる確率は低い、そう思っておりました」
ガゼフは少し悩んだようだが3食付き、人探しにできうる限り協力するという形で最終的には折れた。
「して、目的の人物とは?」
「共通の知人から聞いただけなのですが、今はイビルアイと名乗り冒険者をしているはずだと」
「イビルアイ……それはもしかして蒼の薔薇の?」
蒼の薔薇。王都に拠点を置く超有名な冒険者チームの一つ。つい最近まで2つしかなかった王国のアダマンタイト級冒険者チームの一つだ。
周辺国では知らぬ者なしの有名人だがジュゲムは知らなかった。エンリ達ですらチーム名くらいは聞き及んでいる。だが、ジュゲムは初耳だった。
「その蒼の薔薇というチームは有名なのですか?」
「なんと、ご存じない? 蒼の薔薇といえば周辺国でも一握りしかいないアダマンタイト級冒険者のチームです。その中の魔法詠唱者がイビルアイ殿ですな」
予想以上に有名らしいが南には伝わっていない体でごり押すことにした。
同時に大した情報をよこさなかった知人に恨み言を吐いておく。
「残念ながら故郷まではその名声も来ていなかったようです。しかし、それだけ有名なら見つけるのに苦労はしなさそうですね」
「あまり見つかるのが早いと一泊の宿泊費がすごい事になるな。王都一の宿だ」
ニヤニヤ笑いを浮かべるブレイン。ガゼフは本気で困り顔だった。
その後、ガゼフにイビルアイとコンタクトを取ってもらう事になりその日は借りた部屋で休むことにしたのだった。
一方その頃アインズ様
アルベドとデミウルゴスに王都の一件を丸投げにする。
「よきにはからえ」