遠く、意識は波間を漂っている。
揺らめく波紋、まどろみの中、夢と現の狭間で意識は浮き沈みを繰り返す。
「ーーー嫌だ、もう嫌だ。人を食べたくない」
遠く、いや近く。縋る声、突き離す声、涙声、感情を凍らせた声。声。
ーーーまるで、幼い子供が泣いているよう。
「助けて……誰か、誰でもいいから」
「――必ず、助けます」
そんな強い決意だけが残り、置いていかれる。
なにもかもが消えていく、置いていく、行ってしまう。遠く、遠く。
そして――、
見慣れない天井の模様を目にしながら、レムははぼんやりと目を覚ます。
「ぅ………」
身体の一部一部に痛みが流れ悶えてしまう。自分の体の各部を確かめるように撫でる内、かすかな痛みとともにゆるやかに記憶が戻り始める。
そう、自分は確か、子供達を探しにいき、魔獣に遭遇して――
「チヒロ……君…」
襲われるレムを庇い、全身に魔獣の牙を浴びたネオの姿を思い出す。
猛獣の顎はネオの肉体を容易く噛み砕き、引き千切り、ボロクズのように切り裂いた。
ーーーそして、千翼はあの悍ましい姿へと変身したのだ。
「そうだ、チヒロ君が…」
簡素な寝台から体を跳ね上げて、レムは状況を把握しようと周囲を見回す。
「よう、起きたか」
入口のすぐ側――木製の椅子に腰掛けている青年の存在に気付いた。
「貴方は………新入り…」
「いい加減、名前を覚えろ。門矢 士だ。姉妹揃って、あだ名をつける癖でもあるのか?」
「そんな事よりチヒロ君は……チヒロ君はどこに!?」
悪態つく士に、レムは痛む身体に鞭打って上半身だけでも起き上がらせる。
恐らくここは村の空き家の1つなのだろう。自分がこうしてここにいるならもしかして千翼も……そんな希望は、士の言葉です容赦無く叩き折られる。
「あんな怪物をどうにかできる訳ないだろ。お前と子供だけでも助け出せたんだ。寧ろ褒めるべき点はそこだろ?」
「ッーーー!!!」
悪びれる事もせず紅茶を口をつける士の態度に、レムは痛みさえ忘れで起き上がる。士の首を掴もうとするも、逆に掴まれて床に伏せられてしまう。
「何で……何でぇ!!!」
「何で怒っているか想像つくが、よく考えろ!辺りは魔獣だらけ!しかもどうしようもない化け物もいて、その上で子供とお前を救ってやったんだ!」
「……でも、それでも!」
不甲斐ない自分に対して、レムは目頭に涙を浮かべる。
それを見た士は慌ててあやそうとするも、
「レム、目を覚ましたの?気分はーーー」
最悪のタイミングで入ってきたラムに見つかり半殺しにされた。
▼▼▼
それからラムに続き、エミリアとパック、ベアトリスが合流した。全員集まり、事態の状況説明がラムの口から行われる。
「昨晩、ほつれていたらしい結界は結び直したわ。そのあとも、一晩かけて結界に問題はないか見て回ったから、こちらへ抜けてくる魔獣はいないはずーーー魔獣
『だけ』というラムの発言の意図に、レムは直ぐに理解した。
――ふと、返り血を浴び、絶叫を上げながら暴れまわる千翼が脳裏を過った。
瞬間、レムの身を震わせたのは、恐怖などという感情ではなかった。もっと圧倒的な、生物として見上げるほど上位の存在を目前にしたような、言葉にし難い感情だ。
「今………森の状態は…」
恐る恐る発したその疑問に答えたのはパックだった。
「村の人達には何とか言い聞かせてるけど……今でもあの森でとんでもない気配が暴れ回ってるよ。彼には何かあるとは思っていたけど、ここまでとはね」
「気休めにしかならないけど、森全体にも結界を張ってるわ。でも、千翼が結界を突き破るのは時間の問題…」
緊迫した気まずい空気が一室に漂う。その空気は破ったのはベアトリスだった。
「はっきり言って奴は危険すぎるのよ。今の内に始末した方がいいかしら」
「まぁ、それが当然だろうな」
「だから、諦めるんですか。助ける方法は、他には」
「無いな」
ベアトリスに同意する士。それに対してエミリアとレムは反対するも、レムの言葉を容赦無く切り捨てる。
「そもそも助けて何になる。あんな怪物、誰が受け入れるんだよ」
士の言葉は正しい。千翼の危険性を目の当たりにした士だからこそ、よく理解している。しかし、それでも引かない者がいる。
「エミリア様、何処へ?」
無言でパックを連れて去ろうとするエミリアを止めるラム。エミリアは止まろうとしない。
「千翼を助けに行く。今、千翼は苦しんでる」
「だから、会話で何とかなるもんじゃ……」
「そうかもしれないけど、私は千翼に助けて貰ったの!だから今度は私がーーー」
その時、士のライドブッカーから放たれた光弾がエミリアの額に向けて放たれた。それにより倒れたエミリアをラムが抱える。
「かなり手荒だね君」
「こうでもしないとやめないだろ」
「まぁ、正直礼を言うよ」
呆れるパックを背に、士はライドブッカーの銃口をレムの方へ向けて威嚇する。
「お前も寝てろ。足手纏いだ」
「貴方は……何を…」
「千翼は………俺が倒す」
▼▼▼
「貴方は相当バカかしら」
「いきなり何だ」
エミリアとレムを黙らせ森の方へ通じる道を歩く士の前に現れたベアトリス。早速、毒を吐く彼女に士は顔をひきつらせる。
「お前はあいつを倒すつもりなんてないのよ。寧ろ、救おうとしているのかしら」
「ガキのクセに……相変わらず生意気な奴。大人への対応を教えてやろうか?」
「……あの化物を連れ戻すってことは、自分の命を諦めるってことなのよ。お前はそれが理解できているのかしら?」
「諦める?俺の命を?バカはお前の方だ」
「死ぬ気なんて一切ない」と、言わんばかりの自信満々な士。そんな彼の表情にベアトリスは不機嫌に顔を歪める。
「なにを考えているのかわからないのよ。でも、勝手にすればいいかしらーーー偽悪者」
「偽悪?違うな、俺は
ーーー破壊者だ」
「はぁ?」
「俺は他人の為に戦った事なんて一度もない、今までもこれからも。俺は常に自分の為に戦う、今までもこれからも」
森を振り返り、その深い闇の中で今なお、己と戦っているだろう少年を思う。
「どこの世界にも、仮面ライダーは面倒なのばっかりだ」
拳を鳴らして決意を後押しし、魔獣の森へ向かって宣言する。
「仮面ライダーってのが何なのか教えてやるーーーーーー後輩」