ロベスはテントの外で椅子に腰掛け、昼から軽く一杯やっていた。木漏れ日のさす中、小鳥のさえずり、澄んだ空気に新緑の香り。悪くない。
そこへ、昨晩のフイヤンを埋葬してやってくたくたの身体を引きずったジロンドが、まだ目を赤くして水汲みから戻ってきた。当然、金の歯は生えていない。
ジャコバンも自分のテントからのっそりと出てくる。
ジロンドがロベスをねめつて言った。
「いい身分だな」
「わたしにも出来ることと出来ないことがある。それより、そろそろ取引の時間だ。エルフどもの身を清めるように言っておいてくれ」
「わかってるさ、言われなくてもよ」
ジロンドは不快感を隠そうとしなかった。ジャコバンがたしなめる。が、雑用が嫌なわけではないと反論する。
「わからねえのは、フイヤンが死んだってのになんでそんな平気なのかってことだよ」
「死んじまったもんはしょうがねえ。悔やんでも生き返るわけじゃねえからな」
そうとも、とロベスが後を継ぐ。
「そうとも、彼のぶんまで生きて楽しまなくてはな。どうだね二人とも、これからの取引の成功を祈って、景気づけに一杯」
そりゃいいと盛り上がる二人を尻目に、ジロンドはつきあってられないと捕らえてあるエルフが雑魚寝するテントへ向かう。一人ずつ小川に連れて行ってやり、縄を解くが逃げれば二人の命はないと、軽く身体を洗わせる。
先日まではフイヤンと取り合いになるこの役目も、エルフの裸体を見てもジロンドの心は沈んでいた。どうしてあの二人がああも割り切れるのか、わからないでいた。そんな沈んだ気をよそに、取引の時刻は迫っていた。
フイヤンの埋葬もそこそこに。日が頂点に達する前に取引の用意を整え、ロベス、ジャコバンとジロンドは三人の女のエルフを連れて
待ち合わせの場所へ向かう。そこにはすでにフードを目深に被った仲介人が三人。
ロベスがそのうちの一人に契約書を渡し、かわりに仲介委任状を受け取る。直接に買い手と会うことはない。互いに買い手の依頼人であることを書面により確認する。
あらかじめ襲撃日に仲介人は森の外で待機していた。昨日今日での迅速な取引は、警務など行政機関の干渉の際のリスク回避。また、商品に手をつけさせないためでもあった。
仲介人が、後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされたエルフの身を手早く確かめる。危険物はない。
次にかがみこみ、陰部を押し広げて確認する。エルフの女の顔が羞恥に赤らんだ。目の端に涙を浮かべる。
結局はロベスたちの証言を信用するしかないのだが、運よく処女膜らしきものを目視できればそれに越したことはない。あとは鼻を押し当て、男の性の臭いがしないかどうか。これも気持ち程度の確認方法だった。これらは儀式的意味合いが強いが、形のない信用を構築する材料にはなるものだ。
最後に仲介人が尋ねる。 「あの男たちに強姦されていないか」 女の声だった。
仲介人はみな女性である。こういった商売は、いかに商品を傷つけないことを買い手にアピールするかが重要だった。続けて言った。
「仮におまえが嘘を吐いても、男たちが罰せられることはない。金が減るくらいだ。だがその程度のささやかな仕返しは考えないほうがいい。減れば増やすべく、多くの同胞が捕らえられるだけなのだから」
エルフ達はただ、力なくうなずくだけだった。
ロベスがエルフ三人分の金貨を受け取ると、抑揚のない声で仲介人が言った。
「次の収穫の予定はあるか」
「今日だ」
「結構」
翌日の取引場所と時間を取り決め、それで取引は終了した。報酬は金貨の詰まった重い木箱などではなく、持ち運びを考慮して一袋の貴金属や宝石の類だ。それを持ってアジトへと戻る。
ロベスはエルフ側の魔術師の事を考えながら、自分に言い聞かせる。そうとも、やってのけるのはたやすいことだ。
盗賊たちを殲滅できていないことから、おそらく魔術課ではない。素人同然らしいのだ。それならばなんの問題はないのだが、重要なのはエルフを狩っている人間がいるという情報が、他の村に伝わってしまったということだった。
最初に襲撃した村のエルフはみな、殺すか捕らえたはずだ。事前に天使によって上空から観察させていたので、死体と捕虜の人数の合計は間違っていない。家屋の倒壊に巻き込まれて半死半生な者や、傷つき商品にならない者までカウントしてある。
そのおぞましい光景を思い出しロベスは少し吐き気を覚えたが、それは同時に優越感だった。住居の柱に押しつぶされた老若男女。天使の剣により切断された胴から覗く内蔵。半死人は虫の息で救いを求めていた。
だから少なくとも、天使という強力な力を持つ魔術師が人間側にいるという情報は、渡っていないはずなのである。
一人、血のあとを辿っていくとエルフの男が離れた場所で突っ伏していたらしい。
しかしジャコバンが言うには、他の村との距離の関係上、あらかじめそこで落ち合う約束でもしていない限り、他の村のエルフとは接触していないはずだ。
もし接触しているとすれば、その他の村のエルフは、まだ夜も明けないうちから最初に襲った村へと移動していなければならない。
懸念するべきは村どうしで団結されることよりも、天使の脅威を恐れ、村を捨てて隠れ潜まれてしまうことだ。こうなってしまうと手が出せない。もう五人、欲を言えば十人捕らえたいところではあった。
すでにロベスはエルフ側の魔術師についての関心から、欲望へと思考を移ろわせていた。対魔術師戦闘は未経験ではあったが、ど素人に負ける気などしなかった。
そこまで考えて、頭を振った。万が一にも特別官務員や魔術課の可能性はある。戦闘能力の低い斥候なのかもしれない。だとすると本隊がやってくるまでにこのヤマを終わらせる必要がある。急ぐべきだと狩りの決行を早める。
手は抜かない。相手が素人という報告は所詮盗賊の主観に過ぎない。本隊の有無を吐かせ、必ず息の根を止める。
アジトへの帰路の途中で、ジロンドは今更ながらに気がついた。フイヤンがいなくなったので取り分が増えるという事に。それで、戻ったら一杯やろうと、そう思えるようになった。
アジトに着くと、三人は近くの木の根元に穴を掘り、そこに宝石の入った袋と書類を埋めた。一時の保管として、そのような取り決めになっていた。持ち歩いていては邪魔になるし、事が公になったら、ほとぼりが冷めるまで置いておけばいい。
発案したジャコバンは土の付いた手で額の汗を拭う。思い返せば奇妙なことになったものだと過去も掘り起こす。
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三人の盗賊がロベスと出会ったのは偶然だった。
都市をつなぐ中間点には、小町 ――街というほど大きくはないが、村というほど小さくない―― が存在し。主に商人や運送業を営む者が立ち寄り、お金を落としていく。馬の餌、痛んだ馬具の交換、日用品や食料 ――時に女―― などの需要は一定数あり。栄えている小町では、そこで商人どうしの取引もある。小町から街へと発展したケースも少なくない。
三人は、そんな小町の酒場で一杯やっていた。ちょうど一仕事終わったところだ。疲れてくたくたの体に染みるビール。食いでのある、ごろりとした胸肉と野菜の入ったスープ。あつあつのうちに、口周りに汁が付こうがお構いなしに胃に収める。それなりに贅沢な食生活だった。
「こいつは」 スプーンですくった鳥の肉をしげしげと眺めてフイヤンが言った。 「今日おれたちが荷下ろした鳥かな」
かもな、と指についた脂をなめてジロンド。 「こいつはメスだな、柔らかい。白くて綺麗な羽だった……肉付きも」 別のテーブルで、注文をとるため、前かがみになった酒娘の突き出た尻を眺める。うっすらと浮き出た割れ目がそそった。
皿に滴った黄色い脂をパンで拭ってジャコバンが言った。
「親鳥若鳥ならともかく、オスもメスもあるか。柔らかい腿肉にするならパンとポテトかビールは諦めろ」
しめにしょっぱい安ウィスキーをショットグラス一杯分、それと渋い干しぶどうを注文する。さっきの酒娘が運んできた。そばかすのある、野暮ったい三つ編みお下げの浅黒い肌をした田舎娘だったが。男を知らないであろう未熟で活発な雰囲気と、ふくよかな体つきににジロンドの鼻の下は伸びた。
悪酔いする事で迷惑がられている中年が、支離滅裂な大声を張り上げた。
三人は、やれ家畜のフンが、荷が重いと思ったら鉄だっただの、雇い主が気にいらねえだの愚痴をこぼす。その後、ちょっとした公衆浴場で汗を流して、寝るためだけの安宿で夜を明かす。彼らはこの生活におおむね満足していた。
問題があるとすれば、その日に稼いだ金のほとんどはそれで終わりだということだった。
彼らは日雇い労働者なのである。その日暮らしの低所得者。主に小町で荷の降ろし上げ、積み替えや蒔き割りをやっている。そしてたまに商人の護衛兼目的地での雑用を受けることがあった。大抵が日雇いの賃金より払いが良く。そんなときは都市や街、別の小町までついていく。盗賊などの危機は少なく、多くの脅威が野犬より少し上程度で実りはそこそこ。
行き先が小町ならそこであらたに日雇いをやりつつ、護衛の報酬でしばらくの間は鳥肉を腿にできる。都市や街なら、倹約しながら次の護衛の依頼が来るまでのんびり羽を伸ばす。
こんな暮らしも悪くはねえんだが。と、ジャコバンは硬いベッドで寝返りをうって自答する。もっと贅沢がしてえ、だがこれ以上働くのは面倒だ。女も欲しいが。
一度、ある雇い主から正式に雇用してやろうかと誘われたのだが、断った。なぜなら二人がいない時に、ジャコバンだけに話を持ちかけられたからだ。
それは間違ってもフイヤンとジロンドを見捨てることになるから、という同情心でも仲間意識でもない。理由は以前の仕事、派手で雑な盗賊強盗行為が三人共通の秘密になっているからだ。
もしもおれ一人が職に付けば、あいつら二人は妬みから雇い主に秘密を暴露するかもしれない。
ジャコバンにはその様子が簡単に想像できた、最初は 『あいつも職に付くなんて、面倒なだけなのに。ああ、おれたちゃ休みたいときに休んで、働きたいときだけ働く。気楽でいいぜ』
と、冷ややかに見下すのだが。あいつらもいずれは意識してしまうだろう。おれだけが職に付き、貯蓄を考えなければ、おれだけが毎日若鳥のモモ肉にありつけ、おれだけが週に一度は女を買え、おれだけが月に一度はなかなかのウィスキーを一本空け、おれだけが一生の伴侶を得るだろうという現実に。
嫉妬、羨望。見下していたはずの存在が贅沢をしている。フイヤンとジロンドの生活は変わらず気楽だが、今のところ特別苦しくはないが、欲は満たされない。ほどなくして必ず雇い主にこう言うだろう。
『実はあいつ、スネに傷を持ってましてね。ちょいと街の警務官に顔を合わせてごらんなさいや。足を洗ってずいぶん経つんで一見しただけじゃあわからないでしょうがね、叩けば埃が……え、おれたち? ははは』
ま、職に就けば窮屈な生活を送ることになる。二日酔いを理由に休むことも、酒場でむかつく相手に喧嘩を吹っかけることも、世間知らずの相手をボッタクルことも。
しかしジャコバンは知っている。自分たちの年収が、同世代と比べて三分の二程度だということを。下手をしたら半分以下だということを。くだらないと一度は捨てても、脳裏に思い浮かべてしまう。
『おいジャコバン。おまえ、日雇いなんてやめてうちで働かないか……そうだ、おまえだけだ、悪いがあの二人は駄目だ。見込みがない、働こうという意思や向上心も。日雇いは精神的に楽だろうが、先はない。それを知りつつも楽な方へと身をまかせている。
だがおれはおまえを買ってるんだ。ずっと不思議だったよ、あのボンクラな二人がどうして野垂れ死んでないか。それはたぶん、おまえがいるからだろう』
あの言葉を聞いたときは、正直に白状すると年甲斐もなく心臓が踊った。うれしかったのだ、社会的に認められたことが。しかし責任は嫌いだ。いちいち客に愛想を振りまくのも面倒だし、気に入らない同僚がいても仲良くやっていかなくてはならない。やはり日雇いのほうが精神的に楽だ。
やがて夢うつつにジャコバンは盗賊時代を思い出す。
なんで盗賊稼業を辞めたんだっけか。たしか通りすがりの不運な犠牲者があまりにもショボくれた物しか持っていなかったので、リスクに見合わなかった。
大切そうに懐に手をやってこそこそしているから、それほどの価値のあるものを秘密裏に運んでいるのだろうと思ったが。つまらない、ただの口紅だった。それも安くはない代物だったが、肩透かしを食らった。
それでなんとなしに不景気だと感じてやめた。人が一人死んだ割には適当な理由だった。
だがあの瞬間は楽しかった。いろんな人間がいた。
商品なんてほっぽり出して逃げればいいのに、馬鹿でかい皿を担いで逃げるから追いかけて殺した。自分の命よりも皿が大事な商人。
妻子を殺すならわたしを殺せという、父親の鏡のようなやつもいれば。われ先にと家族を見捨てて逃げるやつもいた。どちらにせよいただいくことに変わりはなかったが。
そういえば、まだ初潮を迎えてもないだろう子供を犯したことがあった。涙と鼻水で顔がひどいことになってたなと、思い出し笑いをする。
記憶の中の少女は、もっとこういうほうがいいと、彼好みの豊満な肉体の女へと徐々に姿を変えた。蝋燭の薄暗い明かりの中、狭いベッド、汗でじっとりと濡れた柔らかい足を鷲掴みにして無理やり股を開く。五指が食い込むほどの太ももに頬ずりしてやる。女はいつのまにか、きょう見たそばかすの酒娘。泣いている。嗜虐。
そこで目が覚めた。
ジャコバンは舌打ちしたあと、大あくびをかく。きょうも斡旋所、というより小町では、商人などが泊まるような宿の主人が、客からの仕事内容を聞いて日雇いに言い渡す。――多くの宿屋では酒場も経営している。紹介料などの中間搾取はしないが、紹介された日雇いはその酒場でしか飲まないのが暗黙の了解である――
目頭を強くもみ、首の骨を鳴らして宿屋へ向かう。途中でフイヤンと合流した。
「ジロンドはまだ寝てるのか」 大きくあくびをしてフイヤン。
「さあな」
その日も三人は働いた。ジャコバンは見知った旅商人と再会し、小さな手鏡を見せてもらった。
「いいできだろ?」
「おれにゃあ必要ねえな。どこぞのお嬢さんが買うんだろ」
「いいや、この大きさの手鏡はもう庶民でも手が出るよ。一つどうだい? 年頃の娘さんは喜ぶぜ。安くしとくよ」
ふうんとジャコバンは手にとって自分を映してみた。髪に一本、白いものが混ざっていた。目じりに数本、時間が刻まれていた。初めて老いを感じ、小さく足が震えた。
「いくらだ」 もう一人の自分を眺め、冷めた声で尋ねる。商人は答えた。それはジャコバンの日給とほぼ同じだった。
趣味じゃねえなと手鏡を返し、仕事に戻ろうとすると。 「新しい商品に手を出そうと思ってな」 商人がその背に投げかけた。歩みを止める。
「するとまあ当然、人手がいるわけだ」
ジャコバンは振り返らない。
「あんまり何度も誘うのはおまえにとっても鬱陶しいだろうしな。これで最後だ、やる気があるなら明日の早朝の出発について来い。護衛の依頼じゃあないぜ……おまえの過去は聞かないでおいてやる、日の出と共に出る」
早朝、あれで商人は気を利かせている。二人は眠りこけているだろう。ジャコバンは無言で歩き出した。
おれは、今日も。と心中で呟く。おれは――
――その日も汗を流す。重い荷を運ぶ。正規雇用の年下に顎で使われる。遠くで、そっちじゃねえよとジロンドが怒鳴られている。山ほどある木箱を、正しい場所に持っていかなければならない。日は傾き始めている。ジロンドが痛そうに腰をさすりながら運んでいる。それが手伝えという意味を含んだ演技だということを、おれは知っている。フイヤンはたぶん、ジロンドが怒鳴られているのを聞いて姿を隠した。演技に気づかないふりをして、仕方がないから手を貸してやる。中身は塩らしい。重い。余計な仕事が増えたが、手取りは増えない。終わりそうなところでフイヤンが手伝いに来る。今更だ。
きょうも酒場で一杯やる。いつものように、そのつもりだった。
別のテーブルで、商人がそばかすの酒娘にそれとなく手鏡を渡していた。酒娘は大事そうに胸元で抱え、いったん自室に持ち帰ったのだろう。再びホールに現れたときは、うっすらと淡い桜の紅をつけて商人の隣に座り。微笑んで、一度だけお酌をした。
他の客に呼ばれると慌てて厨房に引っ込み、出てきたときには紅は拭われていた。今度は、笑顔で、注文をとっている。
口紅も安価になったとはいえ、以前と比べてだ。そんな使い方をする女は見たことがなかった。
きょうも酒場で一杯やる。いつものように、そのつもりだった。食後のウィスキー一杯と干しぶどうを、おれは注文しなかった。
「ジャコバン、飲まねえのか」
ジロンドが意外そうな顔で聞いた。フイヤンは奇妙なものを見るような目を向ける。
「いや、おれは」
ポケットの中の硬貨を握り締め、らしくもなく口をまごつかせていると、一人の男が扉を軋ませた。外套をはおり、目深にフードをかぶった、体躯からして男。大事そうに布に包んだ細長い棒を手にしている。うえを向いた先端のふくらみから槍、だが長すぎるわりに細身の男が余裕を持って片手で持てるということは、実用性のない装飾、鑑賞、あるいは儀式用といったところだろう。そういったものはおうおうにして金になる。
「ジャコバン?」 と、フイヤン ――いやジロンドか……どっちでもいい―― の声でわれに返る。ふと盗賊時代の思考になっていることに気がつき、自分でも驚く。
「なんでもない」
おれは酒娘を呼び、いつものやつ、と注文した。鐘のように響く声で酒娘は、わかりましたーと笑顔で承る。
おれに微笑みはなかった。その理由を非正規雇用者であることにはしたくはなかった。いや、逆か。
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ジャコバンから見て、フードの男は明らかに場慣れしていなかった。フイヤンとジロンドのお決まりの愚痴を話半分に観察を続ける。
しばらくして酒娘が注文を取りに来る。酒場では注文時に金銭を支払う。根無し草のごまかしを見つけたところで、押さえるべき資産は持っていないからだ。常連ともなれば別なのだが。
ジャコバンはその瞬間を見逃さなかった、遠目から見ても汚れのない硬貨。いいとこの生まれらしい。
やがて酒場がやかましくなる。
中年の酔っ払いの一人が赤い顔をしている。中年もまた日雇いだった。新たにビールを注文するのだが、その中年は悪酔いすることで知られていた。もう危ないからと酒娘がたしなめ、断られていた。
ジャコバンはふと思いついて、便所に行ってくるついでに、まだ手を付けていない自分のショットグラスを手に隠し持ち、すれ違いざまに、机に突っ伏している中年のテーブルのビールジョッキにウィスキーを注いだ。
帰りにジョッキを見やると、やはり中年は勘違いしたらしい。度数の高いアルコールをビールのごとく飲んだようだ。
ジャコバンの目論見通り、中年の酔っ払いが暴れだした。何が気に入らないのか別の客のテーブルをひっくり返す。
馬鹿なことを。事情を知らないフイヤンとジロンドは青白い目で眺めて思った。
もうこの宿屋で仕事をもらうことはないだろう。宿屋と日雇いは対等な関係なのだ。だから宿屋の負担になるようなことをすれば、日雇いもまた相応の負担をこうむる。
テーブルをひっくり返されたのは隣にいたフードの男だった。布に包まれた槍を手にし、威嚇すように立ち上がる。
ひょっとするとあれは杖なのかもしれないとジャコバンは考えた。そして盗賊の嗅覚が、恩を売っておくべきだと告げる。
するりと他の客の間をすり抜け、中年を背後から羽交い絞めにし、表に放り出した。何かをわめいているが、どうでもよいので憂さ晴らしに数発ほど殴って酒場に戻る。
ああくそ、金さえありゃあ。背後から、かろうじてそう聞こえた。
酒場に戻ると、みないつもと同じだった。先程のあれは夢だったとでもいう振る舞い。ただひとり、ローブの男だけがおどおどしていた。
「大丈夫だったかい」 と、ジャコバンは似合わない笑みをうかべる。
「あ、ああ。問題ない、先程は助かったよ」
「あんた、ひょっとして魔術師か?」 ローブの男がぎょっとしたので、肩をすくめて続けて言った。 「その棒、杖だと思ってさ」
「まあ、そうだ」 言いよどんでフードの男。先の酔っ払いなど魔術で眠らせればよかったのだが、今は追われる身なのだ。不用意に足跡をつけることは避けたく。だからジャコバンの助けはありがたかった。
「そうだ、お礼に一杯おごらせてくれ。あー」
「いや、いいよ。店からサービスが出たみたいだ」 あごでフイヤンとジロンドがいるテーブルを指す。追加のグラスがあった。 「おれはジャコバン。あんたは」
「わたしは……ピエール・ミラボー」 可能な限りの威厳を混ぜて、ロベスは偽名を言った。
しかしその一瞬のいいよどみに、ジャコバンは偽りを見抜く。どうやら社会的な弱みがあるらしい。
「ピエールか、ピエールね。ところで一緒にどうだい。たぶんあんたにも店から一杯サービスがあると思うが」
ロベスはじろりとジャコバンを上から下まで眺める。身なりは薄汚いが、口調からはそれなりの知性を感じられる。かなり腕が立つようだし。なにより、先の一件から親切に映った。
それでは狼藉者に乾杯と、席をともにして思った。手駒に丁度いいかもしれない。いざとなったら簡単に切り捨てられる愚か者を、ロベスは必要としていた。
それになんだかんで話は弾んだ、といっても先の酔っ払いの悪口だったが。それでロベスは、酔いと追われる焦りから、飲みなおそうと三人を宿の自室に招いて計画を話した。
「実は知り合いにエルフを欲している物好きがいる。ここは一つ、大もうけをしようじゃないか。ツテはあるのだ」 薄暗い室の中、グラス片手に大仰しくロベス。 「エルフはたしかに強靭だし、森での戦いは不利だが、わたしにはこれがある」
言って、長棒の布を剥ぎ取る。ジャコバンたちは目を丸くした。どれほどの価値がつくのか美しい銀の槍。しかも、それは天使を従えることの出来るアーティファクトなのだという。
作戦は簡単なものである。まず天使を使って村を襲う、この際何人死んでも構わない。エルフひとりでかなりの金になるからだ。
無知と決め付けた者の驚きに満足し、悦にひたるロベス。ただ、ジャコバンだけが表情の下で試算していた。
アーティファクト。現在の技術による機械や魔力を付与された道具。または失われた技術で創られたもの、らしい。天使を従わせるほどならば、槍は後者だろう。もっとも、天使をこの目で見たことなどないが。
それほど強力なアーティファクトを、こいつはどうやって手に入れたのか。よしんばこいつが創ったものだとしても、なぜエルフを売買しなければならないほど金に困っているのか。危ない橋を渡るより、アーティファクト師として国に雇われたほうがいいに決まっている。
となるとどこかの遺跡から発掘したか、展示品を盗んだ。どちらにせよ後ろめたいルートなのだろう。偽名からすると昔の同業者か。
「ひとまず証拠を見せてくれよ。その天使さまとやらがピエール、あんたの言うことを聞くっていう」 半信半疑にフイヤンが言った。
ロベスは神妙にうなずき、部屋のカーテンを閉める。実家からくすねてきた、ポケットの中の家宝、【虹色のレンズ/Prismatic Lens】を起動させた。
装飾品に嵌められた、眼鏡ほどの大きさのレンズが場のマナを吐き出す。ロベスは自らが吸い上げたマナと合わせ、【月銀の槍/Moonsilver Spear】を振る。
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三人は押し黙り、ロベスに協力するかどうかを思案した。といっても、フイヤンとジロンドはジャコバンの決定を待つだけのフリだったのだが。
「どうするジャコバン?」 と、ジロンド。 「おれは、あれだ、妥当な金額だと思うぜ。なんせ当分は働かなくてすむ」
フイヤンは眉間にしわを寄せて、睡魔と格闘していた。
ジャコバンだけは考える。たしかに先程見た天使には驚いた。今でも身の震えを隠すのが精一杯だ。この魔術師がいれば怖いものはないだろうが。と、弱者への優越感からご満悦の魔術師を一瞥する。
恐いのは特別官務員と魔術課だ。おれは魔術を使えない。だから当然、魔術犯罪に手を染めたことがないから噂でしか知らないが、はたして公的組織が出張った場合、こいつは勝てるのだろうか。
いや、勝敗ではない、逃げ切れるかどうかだ。その場で打ち負かしても、次次と追っ手は来るだろう。こいつはそのことをわかっているのか?
それにエルフの森で悪事を働き、捉えられれば人間の法など通用しない。良くて処刑、悪ければ……。
「急かすようで悪いが、今日の日の出とともにこの小町を発つ予定でね」
そのロベスの言葉に二人はジャコバンに視線を集めた。そこには、どうするんだ、はやく答えろ、おれは考えないという心理が含まれている。
今日の日の出。
その言葉から、脳裏に商人が浮かんだ。過去は気にしないと言ってくれたあいつは腕利きだ、おれのたぶん後ろめたい過去を察している。
ジャコバンは一人、境界線の上に立っていた。二律背反。進むか、戻るか。昔やった賭けを思い出した。水で満たされたグラスに順にコインを入れ、溢れさせたほうが負け。不思議にコップの縁よりも盛り上がった水。溢れさせたら終わりだ、こぼれた水は元にはもどらない。
正規雇用されれば、生活は安定する。そうすればあの女も、そばかすの酒娘、肉置きのいい身体。まだあどけない田舎娘が仰向けのカエルのように足を広げて喘いでいる、大きな乳房が揺れている――商人の下で。
ややあってぽつりと。 「わかった、協力する」
「おれも乗るぜ。退屈な小町での仕事に飽きてきたところだったんだ」 とジロンド。
「まあいろいろと考えてみたが、悪くない条件だ」 続けてフイヤン。
こいつはいい手駒が揃ったとロベスはほくそ笑む。 「では明日の早朝に酒場の前で」
「いや、今から出発しよう」
ジャコバンの言葉に、まだ酒の残った顔をした全員が面倒臭そうな目を向ける。
「そのエルフの森まで近いわけじゃないし、着いてから拠点を構えなきゃならねえ。それに、手間取って長期の狩りになるかもしれん。行きがけの駄賃だ。早朝なんて目立つ前に、おれたちの馬や食糧をかっぱらおう。武器もいるな、だが幸い小町だ、いろんな商品が集まっている。ピエール、協力してくれるな……ピエール?」
偽名を忘れ、自分が呼ばれていることにやっと気がついて、ロベスは慌てながら内容を噛み締める。ジャコバンの提案はなんとも粗野で直感的な行為だったが、なんだかんだで安全に暮らしてきた彼には、それがかえって頼もしく魅力的に思えた。もちろんだと危険を忘れて了承する。
そこから先の行動は早かった。荷物番はもちろんいるのだが、死角からロベスが【虹色のレンズ/Prismatic Lens】に無色のマナを流し込み、起動させる。レンズは無色のマナを吸い込むと鏡面を通して光子のごとく屈折させ、青のマナへと変換した。
あとは【万の眠り/Gigadrowse】で昏睡させ、ジャコバンたちが必要なものを奪ってくる。簡単な作業だった。
しかしロベスはいままでにない興奮に胸を高ぶらせていた。博物館のときは逃げる為にしかたなしに行使した消極的な攻性魔術だったが、今回は奪うという目的の為に行使しているのだ。この差は大きい、自己の目的のために積極的に力を振るうという事実は。
圧倒的優位に凄まじい優越感を覚えた。やはり、おれは特別なのだと再認識する。あの荷物番はなすすべもなく崩れ落ちた、目を覚ましたときの商人は唖然とするだろう。すべてこのおれがやったのだ。
その後いくつかの保管所をめぐり、さあ出発という段階で、ロベスは来た道を振り返り、遠く見えない都市をねめつけた。
「どうした、忘れ物か」 と、フイヤンが冗談交じりに。
「ああ」 馬の手綱を握り締め、姉の肢体への欲望を押さえつける。 「一仕事終えたら取りにいくつもりだ。必ず」
「こんな暗闇で明かりなんて点けたら目立っちまうぜ」 ランタンを片手にジロンドが言った。 「どうしたんだ、それ」
「落ちてたから拾ったのさ」 手鏡を片手に頭髪をいじるジャコバン。ようやく白髪を引き抜き。満足そうに手鏡を懐に収めて馬にまたがり、さて行くかと走らせた。遅れて三人が続く。
月が雲に隠れる夜、気持ちの良い風を受けてジャコバンはほくそ笑む。おれの計画が上手くいきゃあ、大金持ちだ。利用できるものはなんでも利用してやればいい。
都会の洗練された女性が薄着で媚びるように甘えてくる様を想像する。酒娘は忘れた。どうでもいい。あんな小便臭いのよりましなのは世の中に腐るほどいる。
・登場カード紹介
カード名 虹色のレンズ/Prismatic Lens (にじいろのれんず)
マナコスト (2)
タイプ アーティファクト
テキス
(T):あなたのマナ・プールに(1)を加える。
(1),(T):あなたのマナ・プールに好きな色1色のマナ1点を加える。
フレーバ それは光ではなくマナを曲げ、乱れた流れを神秘的な目的のために鋭い角度へと整列させる。
・まあまあ使えるカード。銀月の槍と合わせると、なんとなくロベスの才能の限界が見え隠れする。
カード名 月銀の槍/Moonsilver Spear (つきぎんのやり)
マナコスト (4)
タイプ アーティファクト — 装備品(Equipment)
テキスト
装備しているクリーチャーは先制攻撃を持つ。
装備しているクリーチャーが攻撃するたび、飛行を持つ白の4/4の天使(Angel)クリーチャー・トークンを1体戦場に出す。
装備(4)
・飛行はえらい、が。いかせん装備コストが重い。そして聖トラフトの悪霊がいるのでさらに影が薄い。