評価して下さった皆様、誤字報告をして下さった方々。
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翌日。
学校を休み、朝から裴晴は特別環境保全事務局、中央本部に出頭していた。
赤牧市の地下深くに隠された巨大施設の第6層。
白一色に囲まれたミーティングルームに彼は居た。
広い室内には円卓と椅子があるだけで余計なものは一切ない。高い壁の上部は四方が色の違う材質で囲まれている。マジックミラーになっていて、向こう側には局員が数名くらい待機しているのだろう。
余りにも無駄な備えとしか言う他ない。
「何を企んでいるんですか?」
室内に居るのは二人だけである。
裴晴と円卓を挟んで向かい合っているのは長身の女性だった。
パンツスーツを着た、細い目の下にあるホクロが艶やかな美人である。
「なにがですか?」
中央本部副本部長、魅車八重子の問いに、裴晴は惚けた調子で聞き返した。
今の彼は学生ではなく、戦闘班零番隊隊長"オオムカデ"千堂裴晴としてここに居た。
黒いロングコートを纏い、彼女と相対する姿は普段の彼とは雰囲気がガラリと違って見える。
「何故、東中央支部所属の"かっこう"をわざわざ呼び出したのですか?」
「なんの話ですか?彼を招聘したのは貴方がた上層部でしょう。俺は何も関わってませんよ?」
嘘である。
八重子の指摘通り、大助を中央本部に招聘するように画策したのは裴晴であった。
だが、当初から大助が中央本部に来るのは決定していた。裴晴がしたのはちょっとした八重子に対する嫌がらせのような小細工である。
「もともと、彼を呼ぶことにはなっていたと聞きました。俺の意思が介在する隙はないように思えますが?」
あからさまで白々しい程の惚け方だ。
異常なまでに面の皮が厚すぎる。
「では、彼の預かりが本部そのものでなく、貴方の零番隊になっているのはどういうことですか?」
「さて?奇妙なことがあったものです」
鎖の笑みと道化の笑みがぶつかり合う。
狐と狸の化かしあいは平行線となる。
「まぁ、良いでしょう。しかし、彼が何かミスを犯せば、その責任は貴方に振り掛かります。よろしいですね?」
「どうぞ、ご随意に」
八重子の言葉を歯牙にも掛けず彼は微笑みを崩さない。
例え問題が起きたとしても裴晴に類が及び降格などという処分が降る確率は低い。
彼のバックには政界、経済界関係の権力者すら無視できない存在が控えている。
幾ら八重子でも、おいそれと彼に対して干渉出来ないのだ。
「話が以上なら失礼させてもらいます。これから俺の持ち場で荒事が起きそうなもので」
裴晴は一礼し、白い部屋から退出しようと踵を返す。
「余り下手な考えは起こさない事です、千堂裴晴」
「肝に命じておきますよ、魅車副本部長殿」
穏やかな笑みを崩さず、警告めいた台詞を投げかけてきた八重子に、裴晴は振り返ることなく、挑発的な口調で返事をした。
部屋から廊下に出ると、裴晴と色違いの白いロングコートを身に纏い、顔にゴーグルを掛けてコートのフードで頭を覆った三人の局員が待っていた。
「裴晴さん、ご苦労様です」
「あぁ、早速だが歩きながら今の状況を聞かせてもらえるか?」
裴晴は三人を促すと長い廊下を歩き出した。
三人の局員は追走し、その内の一人が裴晴と横並びになり、報告を始める。
「0730、対象は普段通り、学校に登校。今は目立った動きを見せていません」
「"かっこう"は?」
「同時刻、問題なく校内に侵入。対象の監視を開始しています」
廊下の終わりに来ると上に行くエレベーターがある。
四人はエレベーターに乗り込むと上の階のボタンを押して上層に移動する。
「配置は誰が付いている?」
「"ギラファ"が近場に控えています」
出てきた名前は無論、裴晴の配下。
攻撃に特化した虫憑きだ。
「"ハンミョウ"は?」
「即座に"領域"が展開できるよう、かっこうの支援を兼ねて一足早く登校しています」
裴晴が名指ししたのも彼の部下。
中でも特殊型と呼ばれる虫憑きで精神干渉系の能力を持ち、《領域支配》という技能に特化している。
「我々はどうしますか?」
「"ヴェスパ"は"薄羽"や"アトラス"と共に本部待機。主の防衛任務に従事しておけ」
「了解」
裴晴に報告していた少年…"ヴェスパ"というコードネームを与えられた彼は首肯した。
エレベーターは上の階に到着し、地下から地表に舞い戻った。
「第四層に収容している"リナ"にも警戒しておけ。施設内で着々とシンパを増やしている。局員が影響されていないか、内密に調べろ」
「リストアップしておきます」
「号指定員が居た場合は、特に優先で報告してくれ」
と、言いながら裴晴は着ていた黒いロングコートを"ヴェスパ"に預けた。
コートを脱ぐとホルス聖城学園の制服が露わになる。
「俺はこのまま学校に向かう。何かあれば、ギラファは個人の判断で動けと伝えてくれ。"ハンミョウ"には電話で昼休み中に保健室を制圧しとけと連絡を入れろ」
「はい。お気をつけて」
事後の指示を出し終えると、裴晴は偽装として上に建てられている赤牧市民族資料館から外へ出た。
途中でタクシーを拾い、学園へと走らせる。
学園に着くと午前中の授業は既に終了し、昼休みに入っていた。門の守衛に事情を話し、IDを通してなんなく登校するとクラスに素知らぬ顔で溶け込んだ。
昼休み中に"かっこう"と接触しようと携帯に電話し、場所を教室前に指定して呼び出す。
数分してホルス聖城学園の制服を着た大助が教室の扉に近くに姿を見せ、裴晴は自然に席を立ち、彼の元へ近づいた。
「人の多い場所に呼ばなくても良いだろ。目立つ」
「人を隠すなら森の中。内緒話を伏せるなら喧騒の中だ」
不機嫌そうな顔で文句を言う大助に裴晴が苦笑しながら答えた。
「で、どうしたんだ?」
「ウチの隊員を内外に一名配置した。対象が行動を起こした場合、即座に動けるぞ」
「昨日の今日で随分手回しが良いじゃないか」
「一応、零番隊は独自行動を許された遊撃部隊だからな。色々と自由が聞くんだよ」
「それはまた…上層部に睨まれる訳だ」
一号指定で一部の輩の間では"かっこう"を凌ぐ最強の虫憑きと裴晴は謳われている。
そんな存在、独立行動権を有し、直轄の部下まで居るとなると特環も気が気ではないだろう。
いつ、牙を剥くか分かったものでない。
「お膳立ては整えた。後はお前次第だ」
「了解だ…。要件はそれだけか?」
大助に他にないか聞かれ、裴晴は顎に手を当てて少し考え込む素振りを見せると、言いづらそうに口を開いた。
「もう一つ。校内探索中にポニーテールの髪型をした女子生徒を見つけたら、全速力で逃げろ」
「ポニーテールの女?ソイツがどうかしたのか?」
「俺の友人でな。とある事情から"虫憑き"を探している。下手にバレたらしつこく付き纏われるぞ」
「お前…ソイツと一緒に居るのによくバレないな」
「隠すのは得意でな」
現に特環に入局するまで裴晴の素顔を知られた事は一度もなかった。
「まぁ、留意してくれ。お転婆で少し無鉄砲な所がある」
「お前、心休まる時あるか?」
「勿論。だからこうして長生き出来てんだ」
そうでければ、当の昔に裴晴は虫に夢を食い尽くされている。今もこうして生きていられるのは最愛の少女との約束と夢の続きを見るという誓いがあるからだ。
「因みに付け加えると彼女は武道の練達者だ。薙刀持たせたら鍛えてる俺でも十中八九、負ける」
「……嘘だろ……」
虫憑きの中でも怪物と称され、"死神"とまで呼ばれた男が負けると断言する相手。本当に人類か疑いたくなる事実だ。
「話は以上だ。あまりウロウロして目立つなよ」
「分かってる」
大助と別れると丁度、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
午後の授業が始まる。
普段の裴晴ならばそのまま授業を受けるが、今日はそうしない。
五時限目の担当教師に具合が悪いと嘯き、保健室に行きたいと告げて、授業を合法的にサボる。
実際に保健室には行くので嘘ではないが、大人しくベッドで寝てる気は更々ない。
教室から保健室に移動し、ドアをノックして入室すると室内は視界を覆うほどの霧に包まれ、微かな果物の甘い匂いに満たされていた。
「制圧は完了しているようだな、"ハンミョウ"」
「えーえー。アナタの仰せのままに致しましたわ"オオムカデ"様」
霧の奥から裴晴に呼ばれ、学園の制服を着た少女が肩に金属光沢のある緑色した"ハンミョウ虫"を留めて現れた。表情には不満の色が帯びている。
「保険医は?」
「ベッドに寝かせています。来る生徒も精神操作でお引き取り願っていますわ」
「それは重畳。かっこうがおっ始めたら、予定通りにやってくれ」
「分かりました」
ハンミョウと呼んだ少女に指示を出すと、裴晴は保険医が毎日座っている椅子に腰を下ろしてポケットに入れていた文庫本を読み始めた。
「宜しいのですか?そんな呑気に読書なんかしていて。副本部長に呼び出されたと聞きましたわよ?」
「問題ない。副本部長の用件はかっこうが俺ら零番隊の管理下に入るということに対する疑念の追求だった。あの女は俺を追い落とせる材料探しをしてるらしいな」
入局して一年近くしか経っていないが、裴晴の中央本部での権勢は虫憑きとは思えないほど強大になっている。控えている後ろ盾が後ろ盾なだけに、特環は現状、裴晴を持て余していた。
それこそが裴晴の狙いでもあるのだが。
「現状、あの女が俺をどうこう出来はしないから気にするだけ無駄だ」
「余裕ですわねぇ」
「余裕じゃなくて事実だ。封殺して見動きできなくしても良いが残念ながら今は俺個人の目的優先だ。あの女にはまだ生きていてもらわないと困るから排除しないだけだ」
八重子の存在は忌々しいが今の日本情勢下に必要だ。
遠からず始末をつけるにもしても、まだ特環の音頭を取っていてもらわねば困る。
「本当に怖い
「言ってろ」
からかうように微笑むハンミョウと呼ばれた少女はそれ以降、裴晴との会話を切り上げ、ポケットから携帯を取り出して弄りだした。
今時の学生らしい仕草である。
裴晴は特に咎めることはせず、彼女のやりたいようにやらせ、読書に没頭する事にする。
そうしている内にニ時間ほど経過し、午後の三時を回った頃。
どこからか悲鳴とガラスの割れる音がした。
警報が校舎内に響き渡り、辺りがざわめき出す。
「出番だ、ハンミョウ」
「はいはい」
少女は保健室の扉を開けて充満させていた霧を校内に解き放った。いつのまにか肩に止まっていたハンミョウ虫の姿が消えている。
霧はよく見るとキラキラとした光沢を帯びた緑色の粒子状のモノが混ざり合っていた
密室から開放された霧は薄く、広く周囲に散布されたことで普通の人間では感知できないほどの濃度となり、空気中に溶けていく。
「これで良いですわ。騒ぎは直ぐに収まりますし、襲われた生徒の記憶操作も楽に出来るでしょう」
「そうか。では、そちらは任せた」
「お任せを。あ、ギラファから連絡ですわ。対象は逃亡…現在、かっこうが追跡中。今その後追随してるようです」
「分かった。体制は現状を維持。捕獲対象、"播本潤"の処遇はかっこうに任せるとしよう」
携帯に受信される仲間からの報告を読み上げる少女。
無傷で確保するもよし、虫を殺して欠落者にするもよし。対象の扱いは大助に押し付ける事にして、裴晴はこれからの事後処理をどうするかを考え出す。
「あ、更に追伸……貴方の友人の一之黒さんが同じクラスのお友達を連れてタクシーに乗り込んで、播本潤を追跡してるみたいですわ」
「ぶっ!」
更なる情報に裴晴は思考が乱れ吹き出した。
頭痛を覚えるほどの厄介な知らせに裴晴は頭を抱える。
「……あのお転婆娘はなにしてんだ?」
「どうされますか、隊長?」
「……はぁ…」
聞いてくる少女へ直ぐに応えず、裴晴は深い溜息を漏らしながら口を開く。
「…ハンミョウは学園側の事後処理をしろ。記憶を改竄し、事件を揉み消せ」
「かしこまりました。けれど、いい加減記憶の改竄だけでは整合性が取れないケースが出て来ていますわ。やはり人工物の損壊とかは誤魔化せませんから、改竄しても思い出してしまうかもしれません」
「今回も最悪、それでいい。物質の修復に関してはアテがある。近々引き入れるつもりの虫憑きがそういう能力だ。暫く辛抱しろ」
裴晴はそう言うと、少女に背中を向けて保健室の扉に手を掛けた。
「隊長はどちらへ?」
「阿呆娘を迎えにいってくる。ギラファにはメールで俺が着くまでに危険な状況になったら即座にかっこうの支援に入って播本を始末しろ、と伝えろ」
メールで送ってもらう内容を伝え、裴晴は足早に保健室から出ていった。
廊下から正面玄関へと走り、学校を抜け出すと危険の渦中に飛び込もうとしている大切な少女の唯一の親友を守るため、裴晴は赤牧市内のビル群を一年ぶりに疾走した。