ムシウタ:re   作:上代 裴世

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第四話

 

 

 

今日の朝になって、裴晴は軽く自己嫌悪に陥りながらも学校を終えた後、病院に足を運んでいた。

軽く喧嘩しただけでは、こうも気は重くなりはしない。

説教染みた話をして彼女を追い詰めてしまった。

遠からず自覚してしまう事だと思い、己の口から自分達が如何に罪深いを悟らせた。

このまま、虫憑きの争いから足を洗わせる意味合いもあった。

けど、結果的に摩理を追い詰めてしまったのではないか、とも考えられる。

正直、今日は見舞いをやめようかと思いはしたが、先の摩理の過剰な反応が引っかかり、出来なかった。

暗鬱になりながら摩理の病室へと足を向け、移動していると、

 

「やぁ。昨日何かあったみたいだね」

 

このタイミングで出くわしたくない相手と顔を合わせてしまった。

 

「苦虫を潰したみたいな顔をしないでくれるかい?」

「何でここに居るんですか」

「さっきまで摩理の病室に居たんだけどね。あの娘が来たから逃げてきたんだ。そうしたら君が上の空で歩いて来たわけだよ」

 

どうやら亜梨子が昨日の別れ際の言葉通り、見舞いに訪れているようだ。

 

「別に逃げる必要なかったじゃありませんか?」

「いや…そうなんだけどね…」

 

口籠りながら"先生"は視線を泳がした。

 

「苦手なんですか、一之黒さんが?顔を合わせたことありませんよね?」

「けどね。僕の場合、彼女くらいの少女は"彼"の食欲センサーに引っ掛かってね。」

 

つまり身に宿るアリア・ヴァレイが思春期の少女の美味しそうな"夢"に反応して飢餓感がこみ上げてくるらしい。

 

「よくそれで小児科医が務まりますね」

「まだ新米だから。夢もあやふやな三、四歳の幼児しか診療していないんだよ」

「なるほど」

 

それ位の年頃ならアリアの食欲に見合う夢は持ち得ないだろう。純粋だが未来への感覚が不透明だ。

先生の言う食欲センサーにヒットしないのだろう。

 

「まぁ、僕のことはともかく。君達のことだ」

「誤魔化しましたね?……昨日ーーいや、もう今日でしたか、チョッと喧嘩してしまって」

「へぇ…珍しいね、君達が喧嘩なんて。辺りが更地に変わりそうだ」

「ただ軽く口論しただけですよ」

 

実際は槍を振り回され殺しに来たが言う必要はない。

大仰な言い方をする先生に、裴晴は肩を竦める。

 

「…摩理は相当参ってるみたいだ。昨日返ってきた時、薬瓶の錠剤を規定量以上飲みだした」

「っーーー」

 

先生の言葉に裴晴の顔色が一瞬で変わった。

狼狽し先生の白衣に掴み掛かる。

 

「彼女の容態は!?」

「だ、大丈夫……流石に過剰摂取だけど命に別状はなかったよ…く、苦しい」

「あ…」

 

勢い余って首も締め上げてしまい、先生が掴む手を叩いた。裴晴は慌てて先生を解放する。

 

「す、すいません…」

「い、いや…今のは僕も悪かった。すまない」

 

白衣の乱れを直し、先生は居住まいを正して話を続ける。

 

「でも、病状は悪化している。自然治癒に任せるのが一番最良だけど…今の摩理の状態はーー」

「分かっています。彼女の病状は俺も把握しています。計画を前倒しに出来るよう努めます」

 

幸か不幸か、現在の赤牧市には虫憑きが集まってきている。遠出してまで獲物を探す必要がなく、餌には困らない。

 

「摩理は君の計画のことについては?」

「知りません。以前なら話しても良かったかもしれませんが、今の摩理は絶対に反対しそうですから」

「確かに…」

 

そもそも博打の要素も強い計画だ。

計画によって生じる犠牲を知れば、如何に摩理と云えど反対することは分かりきっている。

 

「くれぐれも口を滑らさないで下さいね、先生」

「信用がないね」

「口が案外軽いですから貴方は」

 

では、と軽く頭を下げて先生と別れると裴晴は摩理の病室に改めて向かう。

病室の前まで来ると昨日と同様、明るい声が室内から聞こえてきた。

扉の取っ手に手を掛けて、裴晴はいつも通りに病室へ入っていく。

 

「こんにちは。摩理、一之黒さん」

 

挨拶を告げると、亜梨子が元気よく挨拶を返してきてくれたが、摩理はフッと顔を逸らして裴晴と目を合わそうとしない。

 

「こんにちは、千堂くん。本当に毎日お見舞いにきてるのね」

「まぁね。一之黒さんはもう帰るのかい?」

 

亜梨子は丁度、鞄を持って椅子から立ち上がるところだった。

 

「うん。今日の摩理、顔色があんまり良くないみたいだから」

 

名前で呼び合うくらい仲良くなったのかと思いつつ、亜梨子の指摘に裴晴は摩理の顔色を確かめようとベッドに近寄った。

 

「確かに、余り調子は良くなさそうだ。朝昼飯抜いて、寝不足な感じだな」

「超能力者かなにか、貴方?」

 

裴晴の列挙した体調不良の原因は総て正鵠を得ていた。それだけではなく、薬の過剰摂取も要因に上げられるのだが、その事には亜梨子が居る手前、理由を聞かれては面倒なので口には出さなかった。

 

「君を近くで見てきた者としての経験だよ。今日はそうそうにお暇した方が良さそうだ」

 

とはいえ、摩理には伝えなければならないことがあるので、まだ帰る訳にはいかない。亜梨子が居たら話せない事でもあるので、彼女が帰るのを待つ。

亜梨子は鞄を片手に病室の扉へと移動し取っ手に手をかける。

 

「あーー」

「ん?」

 

摩理が咄嗟に口を開くと、取っ手に手を掛けたまま、亜梨子が振り返る。

 

「また……来てくれる?」

 

摩理の言葉に亜梨子の表情が固まり、裴晴は懐かしそうに目を細めた。

 

ーー"ねぇ……また明日も来てくれる?"

 

まだ会って間もない頃。

初めて見舞いに来て帰る際に摩理が裴晴へ投げ掛けてきた言葉。

ほぼ全く同じ事を摩理が亜梨子へ口にしたのだ。

よっぽど嬉しかったのか、見る見るうちに少女の顔が輝いていく。

 

「明日、また来るわね!」

 

ーー"あぁ、明日必ず来るよ"

 

かつての自分と似たような返事、似たような反応。

あの日から続く小さな約束はいまでも固く果たされている。

ビッと親指を立てて、亜梨子は去っていった。

ドアが閉じられると、静寂が病室を満たしていく。

ペラペラと摩理が亜梨子に渡されたらしい紙束をめくる。紙面に目を通していくと、プッと摩理が思わず吹き出してしまったように笑った。

 

(そんな顔は久しぶりな気がするな)

 

摩理が笑う顔は本当に貴重だ。

裴晴自身が笑わせた時など、いつの頃だったか…もう思い出せない。

その笑みを陰らせたくはないが、裴晴は口を開いた。

 

「すまなかった」

「……」

 

何が、という返しはなく、摩理は笑みを消した。

紙束に視線は落としたままに言葉を紡ぐ。

 

「最近謝ってばかりね…」

「そうだな」

「謝れば直ぐ私が許すとでも思ってるのかしら?」

「…そういう訳じゃないけど…」

 

中々に当たりの強い台詞に、裴晴は言い淀んだ。

簡単に許されるなどと微塵も思っていない。

寧ろ激しく罵倒されるものと、実際は戦々恐々としていたくらいだ。

あからさまに困った表情を浮かべる裴晴を横目で見て摩理は口元に笑みを戻して言う。

 

「ふふふ…貴方がそんな顔をするのは久しぶりに見た気がするわ」 

 

本当に可笑しそうに笑う摩理。

どうやら、からかわれたらしい。

いつもは裴晴がそちら側なだけに、こんな形で仕返しをされるとは思わなかった。

 

「ねぇ…明日から勉強を教えて」

「はっ?」

 

摩理の唐突な申し出に裴晴は目を丸くした。

 

「私が出来るお礼なんて課題を手伝ってあげることくらいしかできないから……」

 

呟き、本日初めて摩理は裴晴を正面から見た。

 

「それで貴方を許してあげる」

 

惚れ惚れするほど優しい微笑みを浮かべる摩理の願いに断る術がなく、裴晴も口元を綻ばせ、快く了承した。

 

翌日から摩理の勉強が始まった。

午前中は摩理一人で勉強しなくてはならなくなるので、裴晴は本棚の奥でホコリを被っていた中学の教科書を引っ張り出して、自習出来る範囲に付箋を貼って手渡した。

自習で解らない部分は、午後、亜梨子よりも早めに見舞いに来ることで裴晴が教えることとし、スケジュールを組んだ。

 

「勉強するのは良いが根を詰めすぎるのは禁止な?」

「大丈夫よ」

 

微笑する摩理。

昨日の今日で体調が回復するはずも無い。

裴晴は無理はしないようにと念を押しておいた。

取り敢えず、宿題として出された範囲を自力でなんとかしようと費やした。

午後になると、亜梨子より先に裴晴が見舞いに来て、彼女が来る頃まで勉強に付き合う。

 

「こんにちは!」

 

いつもの時間に亜梨子が来た。

今日あった出来事を話そうとした亜梨子に対し、摩理は課題がないのかと尋ねる。

亜梨子は不思議そうにしながらも、ないと言った。

摩理は少し残念に思ったが、すぐに別の話題になった。

亜梨子は思い出したように自分の事を話し出す。

摩理もまた自分の事を話した。

お互いの事を話終えると、二人の視線が裴晴に集中する。

 

「千堂くんも話してよ」

「俺も?正直、二人みたいに良い家柄でもないから君達の期待に答えられるような話はないよ」

 

裴晴の家は平々凡々。

父は公務員で、母は専業主婦。

二人の家のように良家の血筋という訳ではない普通の家系だ。話せるエピソードなんてない。

 

「じゃあ、二人の馴れ初め。どうして仲良くなったの?」

「大した話じゃないんだが…」

 

亜梨子に促され、裴晴は摩理との出会いを語る。

出会いの場は今、自分達の居る病院であったこと。

検査を受けに来た時、待合室で待っていたら摩理が車椅子に乗って担当医と一緒来たこと。

順番が来るまで相手してほしいと頼まれ、そこから初めて言葉を交えた事。

共通の趣味があったので意気投合、以来見舞いに来るのが習慣化、当たり前になっていた事を話した。

 

「ごくありふれた話だろ?」

「そうかな?」

 

なにも特別な話ではない。

偶然にもそこに居合わせた少年少女が共通の話題で盛り上がり、仲良くなった。

特別というより特殊な点は少年が前世の記憶を持っていた転生者で一方的に少女を知っていたというだけ。

 

「単純に趣味が合った者同士が仲良くなっただけさ」

 

興味が先か、同情が先か。

そんな事を忘れてしまうほど、知り合ってから時が過ぎた。

 

「私も本は読むけど千堂君や摩理の読む本って活字だらけで難しそう」

「実はそうでもないんだよ。例えばーー」

 

裴晴は摩理から許可を取らず、本棚からある本を抜き出した。彼が手に掴んだ本を見て、摩理が「あっ」と声を漏らした。

 

「これなんて摩理の一番お気に入りの本なんだよ」

「これって……絵本?」

 

裴晴が亜梨子に手渡したのは摩理が好んでよく読む"まほうの薬"という絵本であった。

 

「俺と初めて顔を合わせた時も摩理が持ってきていたものだよ」

「へぇ〜、そうなんだ」

 

亜梨子はピラピラと絵本の中身を確認する。

ベッドの上で摩理が裴晴へ恨めしい視線をぶつけてきた。

 

「しかも、名前を名乗る時に摩理はーー」

「っーーーその話はしなくていいから!」

 

なし崩しに恥ずかしいエピソードを暴露されかかり、慌てて摩理が待ったをかける。

そんな風に話している間に夜となり、面会時間が終わりを告げた。

 

 

 


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