説得の定義とはこれいかに。
大助の指す"説得"は実に斬新であった。
説得というよりも最早、恐喝や恫喝に近い。
裴晴も大助と同じ考えが浮かばなかった訳ではないが、それを行なった後のリスクを考慮したのだ。
それに裴晴は端から"リナ"を説得するのは自分では無理だということを理解していた。
なにせ、彼女を特環に捕縛させたのは裴晴のようなものだ。
リナから恨まれているし、裴晴自身も彼女に対して思うところが無いわけじゃなかった。
だから、説得には関わらず彼は別の方へ労力を割いていた。
目の前で"かっこう"としての大助によるリナの前で彼女以外の捕縛した虫憑きを痛めつけ、リナを服従させようというヤクザ顔負けの恫喝紛いの手法が繰り広げられる中。
裴晴の意識と思考は眼前の情景よりも別にあった。
(裏切り者の炙りだしが楽だな)
ホールで行われる非人道的な行為にアキや亜梨子が白衣の研究者達に物申しているのを横目に見ながら裴晴は思う。
(リナに共感した特環局員は多い。ヴェスパに探らせてリストは出来たがどう炙り出すか困っていたが)
動揺するアキを一瞬見て、裴晴はホールにいる大助に視線を注ぐ。
阿鼻叫喚といった様相に裴晴はそろそろ頃合いかと腕時計に視線を落とすと、ガン!という甲高い音が響いてきた。
音の方へ目を向けると、亜梨子がホールへと繋がる扉の前に立ち、片っ端からボタンを乱暴に叩いている。
「おい、やめろ!…ゲストのセーフティネックを稼働させろーーー」
「止せ」
亜梨子の首に付けられた安全装置を稼働させようとした白衣の前にある機械を裴晴は即座に"尾"を展開し、破壊した。
これには白衣達だけでなく、アキや亜梨子も度肝を抜かれる。
「"オオムカデ"!一体、何を?!これでは被験者達のーー」
「彼女のセーフティを稼働させるな。下手な真似をすれば、貴方達の命が危うくなる」
どういう意味が分からず、アキと白衣達は困惑の表情を浮かべるが、亜梨子だけは裴晴の言葉を理解した。
自分の頭上をいつの間にかモルフォチョウが旋回し、きらびやかな鱗粉が舞っている。
せわしなく"虫"が飛ぶ様を見て、他の人間もようやく事態が飲み込めた。
「今、ここで彼女の"虫"に暴れられたら怪我では済まない。彼女を望み通り、ホールへ通して差し上げてください。貴方達もここで暴れられたくないでしょう?」
裴晴の言葉を聞き、白衣達は先程とは打って変わって迅速にホールへの入口を開いた。亜梨子は身を翻し、扉を潜りぬけていった。彼女が行く姿を見届けると、裴晴はアキに顔を向ける。
「何をしている。火種五号局員"アキ"。君には彼女の護衛を頼んだはず。追わないのか?」
「…何を企んでる、お前…」
「何も企んじゃいないさ」
肩を竦めて返す裴晴を訝しむ視線で見詰めるも、アキは結局、亜梨子を追って部屋を出ていった。
二人が居なくなったのを機に裴晴は白衣達へ告げる。
「これより大規模な虫憑き達の暴動が予測される。安全の為に部屋より退避願います」
「しかし、データの記録が…」
「そのデータに"命"を賭ける価値がお有りならどうぞいてくださって結構。我々、零番隊は守りませんのであしからず」
裴晴の言葉に白衣達は一瞬絶句するが、やはり我が身大事なのか、慌てて部屋から退出していった。
部屋にポツンと一人なると、イヤマイクを繋げた通信機に連絡が入る。
『どんな状況ですの?研究員達が慌てて出て行っていますけど』
ハンミョウが通信機越しに不思議そうな声音で聞いてきた。
「うちのじゃじゃ馬姫が暴走してるだけだ。こっちは手筈通りに動け。後、"ねね"を呼びもどしておけ」
『"あさぎ"の教練中です。後で彼女に怒られますわよ?』
「緊急時だ。中断はやむ得ない。今後も呼出があるのは、あさぎにも伝える。彼女の能力は貴重だから仕方ないとな」
最後にそういうと裴晴は通信を切り、踵を返す。
ホールの入口へ足先を向け、そのまま扉を潜り、彼も部屋から出ていった。
通路を歩いていく中で、通信機に再び連絡が入る。
『状況を送りなさい、"オオムカデ"』
「これはこれは副本部長殿。如何しました?」
『第7階層で問題が発生したと聞きました。状況はどうなっているのですか』
「何も問題ありません。かっこうの作戦通りに進行しています」
『観測員達を部屋から退出させたと聞いていますが?』
「安全上の保険です。只でさえ我々を恨んでいる虫憑き達を一箇所に集めたんですから」
問題が起きない方がおかしい。
しかも殆どがリナに共感している虫憑き達だ。
何も起こらないなどあり得ない。
『作戦立案段階で分かっていたことでしょう』
「えぇ、貴女も俺も理解していた事だ。それでもゴーサインを出したのは、俺の意図を理解していると認識していますが?」
『…裏切り者達は炙り出せましたか?オオムカデ』
「つつがなく。零番隊以外の局員で最も可能性が高い奴らを呼んで配置させましたから」
『では、速やかに事態の集束を図りなさい。裏切り者は確実に始末を』
「善処しますよ、副本部長殿」
了解と確約を述べずに裴晴は通信を切った。
通路が終わり、ホールの中へ進入する。
現場は既に混迷の様相を呈しており、亜梨子と大助が声を張り上げながら言い合いをしている。
その隙きをついて、今まで大助に拷問紛いの攻撃を受けていた"虫"が宿主の意志によって彼へ襲いかかろうとする。
だが、
「邪魔だ」
そう吐き捨て、裴晴は無情にもその"虫"を身体に顕現させた四つの尾で貫いた。虫を殺され、宿主は身体を一瞬、痙攣させるとバタリと倒れる。
大助や亜梨子が唖然とした顔で裴晴を見る。
「何て顔をしている、かっこう。任務を継続しろ。一人くらい問題はない。生贄は腐るほどいる」
冷酷な声音でそう告げる裴晴に亜梨子は背筋を凍らせる。
今の大助も充分に冷酷に見えたが、裴晴はそれ以上に同じ虫憑きに対して何の感情も持っていないようであった。
続きを促すように大助へ裴晴が指示するその時。
「っ……しに、がみぃぃぃーー!?」
憎悪が燃えたぎる如きの憤怒の声がホールに響く。
リナが目を見開き、怒りを讃えた瞳で裴晴を見詰めていた。
裴晴は口元に微笑みを浮かべながら、リナの前に立った。
二人は硬質ガラス越しに対峙し、話し合う。
「久しぶりだな。リナ。元気そうでなにより」
「許さない、許さない!"死神"、あんたと"ハンター"は絶対殺してやる!」
「今は特環の異種一号指定局員"オオムカデ"で通っている。余り昔の名で呼ばないでくれ」
「なっ…んですって…」
裴晴の言葉にリナは絶句した。
あれだけ無差別に虫を屠り続けた奴が、虫憑き達を弾圧する組織に入ったなど悪夢以外の何ものでもない。
「君ら野良の虫憑き達の命は今、俺の掌中にある。下手な言動は慎むべきだぞ?」
「ふざけるな!アンタも同じ虫憑きなのに、どうしてここまで、あたしたちを苦しめる?!」
「君らが勝手に苦しんでるだけだ。特環に服従を誓えば、仲間も君も迫害されることはない。命の安全は保障しかねるが」
「つまり所詮は体の良い奴隷じゃない!そんなのは生きてるとは言わない!」
「どんな形であれ生きているのは素晴らしい事だと思うけどな」
ガラス越しに互いの意見をぶつけ合う両者。
その間、リナが顕現させた巨大な天道虫はギチギチと顎を鳴らして裴晴を威嚇する。リナの殺意が天道虫を通して目に見える。
「まぁ、君と意見が合うとは俺も考えてはいない。だから、そうだな……少し手法を変えようか」
そう言って裴晴は大助へと振り返る。
「零番隊隊長として命じる。火種一号局員"かっこう"。リナが服従を誓うまで今から一分ごとにリナ以外の虫を一匹ずつ殺せ」
非情過ぎる指示に、指示された側の大助は勿論、亜梨子、リナは言葉を失う。
人とは、ここまで冷酷に非情になりきれるのかと。
「どうした、かっこう。復唱もしくは応答しろ」
「……了解」
裴晴の命令に首肯し、大助は銃口を集まっているリナ以外の虫憑き達へと向けた。
その光景に、遂にリナの中で何かがキレる。
「許せない……死神、いえ特別環境保全事務局、あんたら皆、ブッ潰してやるわ……!」
リナが絶叫した。
「アンタたちみんな、ぶっ殺してやるっっ!」
天道虫が巨大な翅を拡げた。
虫の様子を見て、裴晴は即座にガラスから距離を取り、身を翻しながら、亜梨子や大助を回収する。
「裴晴くん?!」
「少し大人しくしていて」
亜梨子にそう言うと、裴晴を尾を六本にまで増やし肥大化させ、これから来るであろう衝撃から身を守る為の盾を形成し防御体勢に入った。
そして次の瞬間。
爆発が起きた。視界が真っ白に染まるほどの閃光と衝撃波がホール全体へ拡散し、汎ゆる全てが消し飛んでいった。
天地を揺がすような咆哮が施設内を突き抜けていく中、裴晴だけは、その衝撃に対抗していた。
「っーー無差別にも程がある」
これでは他の虫憑き達も無傷では済まないだろう。
徐々に衝撃波が止んでいくと、巨大な天道虫の咆哮が上がる。覚醒の咆哮、解放の閧の声だ。
「何処に居る、"死神"、"かっこう"、殺してやるわ!"ハンター"も逃さないわよ!」
「やれやれ、初対面の時はまだ可愛げがあったのに…」
億劫そうな声音を漏らしつつ、裴晴は眼前に積み上がる瓦礫を押しのけながら、リナの前に姿を現した。
「腕を…いや成長したな、リナ。当時の君は歯牙にも掛からない雑魚だったが、認識を改めよう。今の君は充分に俺が相手をする価値がある」
「偉そうに。アンタなんて、今のあたしの敵じゃないわ」
「ははは。そうかそうか。それは楽しみだ。存分に抗ってくれ。それで名目が立つ」
彼の腰部から禍々しい6本の尾が伸びて背後で蠢きだす。
完全に臨戦体勢へ移った裴晴を見て、大助は亜梨子を背後に庇う。これから起こるだろう戦闘から亜梨子を守る為。
大助は普段静かな裴晴の気が殺意を迸らせているのをヒリヒリと感じ取っていた
「あの時の続きといこうか?」
宣言と同時、六本の尾が高速で伸び、天道虫へと迫る。
巨体では、裴晴の一撃を躱すのは難しい。
鋭く硬く柔軟性も兼ね備えた裴晴の尾は正確に天道虫を刺し貫き、蹂躙する…はずだった。
「ぐっ…」
「がっ」
それを白コートを纏った特環局員が間に割って入り、防いだ。彼らの虫が盾となり、裴晴の尾に刺し貫かれる。
突然のことに困惑するリナを一瞥すると裴晴は庇って入った局員へ声を掛ける。
「随分と命知らずな真似をするな、君達」
「っ……そうかい、お前に一矢報いれたなら上々だ」
「…リナは…絶対に…やらせない」
尾に貫かれた虫のダメージは宿主に伝わり、二人は片膝を付いて入った裴晴を見上げていう。
「馬鹿な奴らだ。本当の"敵"を見失い、そんな奴を庇うとは。馬鹿は死ななきゃ治らんらしいからな。一片、欠落してこい」
「っ…待って」
リナの静止虚しく、宣告とほぼ同時に裴晴は貫いた虫達を尾でそのまま引き裂いた。体液が周囲へ飛び散り、宿主達は虫を殺された事で"欠落者"となり、意識を失い倒れ込む。
「アンタの…仲間じゃないの?!」
「彼らは裏切り者だ。組織に反旗を翻せば、処罰されるのは当然。当たり前の事だ」
理路整然と裴晴は言う。
能面の様にまるで感情が欠落した顔で。
その表情にリナは初めて裴晴に怖れを抱いた。
人とはここまで割り切り、感情のない機械的な顔になれるのか。
裴晴の冷徹な佇まいに充てられ、リナの激情はいつの間にか霧散する。
彼女が知る人間像から逸脱している存在を前にしたがゆえに。
そんな彼女の心情など知らず、背後に阿修羅の如き6本の凶器を揺らめかせ、裴晴は一歩一歩、リナへ歩み寄る。
「っ…ナナホシ!」
後退りながらも、天道虫へ命じ、リナは衝撃波を裴晴へ放つ。
裴晴は一本の尾を横薙ぎに一閃し、衝撃波をかき消した。
「どうした?もう力を使い果たしたか?先程の出力が出ないと俺は殺れないぞ?」
「くっ」
挑発する様な発言をする裴晴に歯噛みしつつ、リナは衝撃波を放ち続ける。
見た目、接近戦闘型だと裴晴は思われている。
近中距離戦闘型のリナは相性の良い相手ではないと誰もが、彼女自身もそう思っているはず。
しかし、
「射的遊びがしたいなら付き合ってやる」
迎撃用に二本の尾で衝撃波を払いながら、裴晴は残り四尾に備わる棘をまるで散弾の周囲へと射出した。
その周りの被害を考慮しない無差別攻撃にリナは「なっ」と動揺をするも天道虫が宿主を守る為に甲殻部を展開し、守勢を取った。
棘状の散弾は残存する虫憑き達へ降り注ぎ、宿主の防衛本能に反応し、顕現した"虫"達の肉体を粉微塵に蹂躙していきながら、リナの巨大天道虫の身体も貫いていく。
その光景を見たアキは、
「リナを守れ!」
周りの生き残る虫憑き達に呼びかける。
それを見て、裴晴は口元に微笑を浮かべた。
「この光景を目の当たりにしても裏切るか、"アキ"」
「今更だろ"オオムカデ"。アンタは知っていたはずだ」
「あぁ、知っていた。そして、此処がお前達、裏切り者達の墓標となる」
そう告げると、裴晴の腕がスッと上げられる。
彼の合図に呼応して、控えていた零番隊の戦闘要員達がホール外縁部に姿を見せ、裏切った局員や捕縛された虫憑き達を取り囲む。
「零番隊、リナ信奉者全員の"虫"を駆逐せよ」
「やっぱり…そういう算段か!」
此処に来てアキは理解する。
どうにも今回のリナの説得には合点がいかない工程があったが、全て眼前の"死神"の企みだったのだ。
今までの過程は全部、自分達の様なリナに賛同する特環局員を燻り出す為の布石。
まんまと、彼らは出し抜かれた。
「そう簡単にやられてやらねぇぞ"オオムカデ"」
「そうか。精々足掻け。"元"五号局員"アキ"」
裴晴はアキにそう言い残し背を向けてリナの元に向かう。
敵としてすら見ていないその態度にアキは自身の"虫"を展開し、裴晴へ差し向けようと動いた。
だが、
「簡単に"
「ぐっ」
数多のオオスズメバチを従えた特徴的な仮面に白コートの人物が二人の間に入り、アキの腹へと蹴りを放ち、後方に吹き飛ばす。
「…零番隊か…!」
「零番隊異種二号指定"ヴェスパ"だ。元五号局員"アキ"、お前を駆逐する」
コートのポケットに手を入れ余裕の出で立ちを見せ、ヴェスパはアキに宣告する。
ヴェスパの言葉にアキは歯噛みする。
号指定は若い数字ほどその実力と能力を如実に現す。
二号指定、しかも戦闘班零番隊ともなれば、火種という戦闘特化の種別でなくても彼の戦闘能力は推して然るべきもの。
更に、
(ヴェスパ…零番隊、噂の副長か…)
零番隊の隊員構成は上層部以外には非公開扱いだが、隊長と副長に関して人の口に戸口は立てられず、噂は流れていた。
"ヴェスパ"
零番隊No.2にして"オオムカデ"の右腕。
火種指定を受けていてもおかしくない戦闘能力保有者。
戦闘教官"あさぎ"とタメを張るほどバリバリの武闘派だと。
「アンタまでお出ましとは"本気だな"」
「隊長が居る時点で"遊び"はない」
アキの言葉に答えながら、ヴェスパは静かに構えを取った。
手はコートのポケットに入れたまま、周囲を飛び交うオオスズメバチの群体が羽音と歯を鳴らす。
「降伏すれば半殺しに留めてやる」
「舐めんじゃねぇ!」
ヴェスパの挑発を受け、アキは彼へと立ち向かっていった。
二人が戦闘開始したと同時に零番隊も特環へ叛意した局員やリナを守る虫憑き達との交戦を始めた。リナは裴晴の散弾をどうにか凌ぎきれたものの、消耗が激しく気を失っている。
そんな彼女を抱え、虫憑き達は逃げながら零番隊達に応戦していた。
「リナを…リナを守れ!リナさえ無事なら……」
多くの虫憑き達がリナの為にその身を粉にして逃亡戦を繰り広げていく。
零番隊は裴晴の命に従い、そんな虫憑き達を一人また一人と欠落者に変えていった。
異種3号指定"アトラス"は激しい雷撃を操り、周囲の虫を焼き焦がし。
火種四号指定"ギラファ"は風刃を嵐の如く放ち、虫を尽く引き裂き。
異種五号指定"薄羽"は揺らめく陽炎を周囲に放ち、虫を静かに焼滅させていった。
それぞれが一騎当千。
どれだけの数がいようが、捕縛されていた虫憑き達や元局員達も徐々に数を減らし駆逐されていく。
そんな地獄の様な光景を大助と亜梨子は眺めるしかなかった。
そこに、
「参戦しませんの?"かっこう"」
ハンミョウが彼らの側に気配なく現れた。
「相変わらず神出鬼没な女だな」
「領域展開中の私を捉えられるのは隊長か、余程優れた感知タイプの虫憑きくらいです。混戦状態じゃ誰も気が付きませんわ」
そう言うと、戦場であることを気にしていない様にハンミョウはその場に座り込んだ。
「それで?参戦されませんの?」
「お前はどうなんだ?」
「精神汚染、操作しか出来ない私に鉄火場に立てと?あんな場所、入れば死んじゃいますわ」
裴晴に見いだされ、鍛え上げられた零番隊隊員達の中でハンミョウだけは直接戦闘能力皆無の非戦闘員。完全な後方支援要員だ。それ以上にハンミョウが全力を出せば、敵味方共にただでは済まないが。
「貴方の立案した作戦は失敗しました。少しは戦闘に貢献しておかないと、副本部長に処罰されますわよ」
「最初から……お前らはこうするつもりだったんだろう?」
大助の指摘にハンミョウは小首を傾げ、「そうですが、それが?」といった軽い調子で返した。
その態度に大助は悔しさに歯を食い縛る。
「…いつから、だ…」
「貴方が本部に来た日には、隊長から"リナ"に汚染された局員を洗い出すように指示されていましたわ。どう始末をつけるかは、貴方が説得の為の作戦を提案してきた時」
裏切り者のリストアップは難しかったが、然程手間は掛からなかった。問題だったのは裏切り者の処分方法。
「大義名分が必要でしたの。誰もが納得するような」
「他の所属局員に影響を与えないように…か?」
「昨日まで居た仲間が次の日、突然消えたらおかしいでしょう?」
特環の仕事は非合法活動に分類され、表沙汰には出来ない。
だが内部で毎日、顔を合わせている同僚が消えれば組織内部で騒ぎにはなる。たとえそれが人間扱いされない虫憑きであろうと例外ではない。
「目に見えて裏切りで処分された方が、後々の対策にも繋がりますしね」
つまりは見せしめ。
裏切ればこうなるという指針。
以前、東中央支部の支部長が本部にクーデターを画策したが今の支部長と大助によって潰されている。
その時は加担した支部の関係者だけでなく、虫憑きも多く処罰された。
それはそれで内輪で処理され、表沙汰にはならなかったが今回は違う。
「今もこの光景は録画されています。この件が終わった後に全ての局員がこれを見せられ、そして心に刻むはずですわ」
「これが…お前らのやり方、か」
「えぇ、これが"零番隊"の…千堂裴晴という男の手口ですわ」
使えるものは何でも使い。
目的の為なら非人道的な手段すら厭わない。
汎ゆる全てを用いて目的を達する。
それが千堂裴晴。
数多の虫憑きから"黒の死神"と怖れられる少年である。
「どうして…こんな…貴方達は…裴晴くんはこんなひどい真似が、できるの?同じ虫憑きじゃない、の?」
悲しげに苦しそうに、亜梨子が絞り出すように零した。
隣でそれを聞いたハンミョウは、
「"虫憑き"だからですわ」
と、亜梨子の疑問に答える。
この場に居ない裴晴の代わりに。
「幼く子供だろうと"虫"という超常存在に取り憑かれた時点で私達は他の人間よりも大きい責務を負います。己が夢を叶える代価に、超常の力を得てしまった我々は他の人間よりも多くの負担を強いられるのは当然」
かつてそれは、初めて局員となった時、裴晴にハンミョウ達が言われたこと。
「人は己と違う者を受け入れるのに"時"が掛かる。それは世界的人種問題、宗教問題を見ても明らかなこと」
自分達と何処か異なる者を迫害、畏怖するのは人類史上珍しくもない。
「故に私達"虫憑き"は誰よりも己を律し"人"に害なすものでないと示さなければならない。その過程でどれだけの非道や迫害に遭おうと"始まりの三匹"を討つその日まで、これからも生まれ続ける同胞を護る為、私達は必要悪となりましょう」
いつか誰かに敗れ、欠落者になるか。
いつか虫が"成虫化"し命果てるか。
その時が来るまでは。
「私達は"未来"の虫憑き達を護る為なら何度だろうと同じ事をしますわ」
それが彼らの覚悟。
未来の大を救う為なら小を捨てさろう。
彼らの長が目指すものを実現する決意。
虫憑きを生み出す原虫指定。
悲劇の元凶。
"始まりの三匹"と呼ばれる怪物達をこの世から消し去るまで彼らは今よりも先を護らないといけない。
でなければ、虫憑きという存在は本当に滅ぼされる。
それを防ぐ為、彼らは決して止まらない。
入り乱れる怒号と悲鳴、そして爆発音。
特別環境保全事務局の中央本部は一人の少年の策略によって地獄絵図と化した。
三人はその光景を見守る事しかできず。
後に残ったのはほぼ原形を留めないホールと数多の欠落者。
そして、零番隊の隊員達のみが瓦礫の中に佇んでいた。