アイルービーバック
車両から降りると、ハンミョウと同じ真白のロングコートを纏い、仮面を着けた者が立っていた。
「どういう事だ、ハンミョウさん? 一人多いぜ?」
「かっこうさんが勝手に連れてきたんです。私に文句を言わないで下さらない、"ギラファ"?」
待ち構えていた者、ギラファにハンミョウは反論した。
「隊長はもう中へ?」
「七階層のモニタールームに控えてます。それより、どうすんです、その娘?隊長の前に連れてけませんよ?」
「かっこうさんが説得してくださるそうですわ」
「つまり、丸投げかよ……」
ギラファは肩を落とした。
「隊長は先に入ったから、今からじゃ話も出来ねぇぞ。後で怒られろよ、かっこう」
「……わかった」
はっきりと連れてくるなと厳命されている訳ではないが、本来虫憑きでもない
甘んじて叱りを受けるしかない。
これから貰うだろう説教に辟易する大介と、緊張した面持ちの亜梨子は別々の部屋に通される。
同性だからか、ハンミョウが亜梨子に付きそう形で長い通路を一緒に歩いていった。
一方、大助の方は亜梨子と同様、ギラファに付き添われる形で長い通路を歩いていた。
その途中ですっと静かに二人の人物が二人の両脇に揃って現れた。
「アトラス、状況は?」
「現在、リナは"処置室"にてセーフティネットの点検を受けてる。点検終了次第、予定通り『説得室』に入室する」
左脇に立つ白コートに仮面を付けた少年が、ギラファへ答える。
「予定通りだな」
「あぁ、ところで例の手はずはどうなってる?」
「お前さんの要望通り、隊長が進言して許可された。準備も完了して、あとはお前次第だよ」
大助の問いにギラファは面倒臭さそうに返答する。
「あんま変に無茶な作戦考えんなよ。只でさえ、俺らは上に睨まれてんだ。今回、お前が失敗すれば零番隊が不利益を被るのを忘れるな」
「心得てるさ」
ギラファの脅しとも言える言葉に大助は神妙な面持ちで頷き返す。言われずとも大助は理解していた。自分が裴晴に頼んだ事は幾ら本部付き部隊の隊長とはいえ、容認出来ない類いのものだ。容易く許可が降りた事も内心驚きがあった。
「で、あの娘はどうすんだ?そのまま、7階層に連れてって良いのか?」
「お前らも仕事があるんだろ?6階層で知り合いと落ち合う予定になってる。そいつも7階層の部屋に行くから、亜梨子はそいつに任せる」
「そうかい。精々、隊長に怒られんようにな」
ギラファは大助にそう言うと、同僚二人を引き連れて脇の道へ逸れて大助と別れた。
横並びに三人は裴晴に指示された位置へと向かう。
「今回の説得、上手くいくと思いますか、先輩」
ギラファの右側に並んで歩く少し小柄な白コートの人物。
体型と声音から少女と判断できる彼女はギラファへと聞く。
「十中八九、失敗するに決まってんだろ。分かりきった事聞くなよ、薄羽」
「そんな……なら、何故隊長はこんな無茶な作戦を採用したんですか?失敗したら隊長の立場が危うくーー」
「ならねぇよ。あの人の地位を揺るがすに足らない。こんな失敗は些細なものさ。昔ならともかく、入局以来隊長の上げた功績は計り知れない。数多の号指定虫憑きを捕縛し、反政府組織『ヤドリギ』の本部襲撃阻止、最初の火種一号指定虫憑き「フクロウ」の単独撃退。あの人を今の地位から罷免するのは無理だ」
裴晴が入局して関わった事件のどれも、大助が"ふゆほたる"を確保した事件に負けず劣らない特環の存亡に関わる案件ばかりだ。
本人も虫憑きで同類から嫌われ者だが、警察や自衛隊関係者で特環に関わりあいがある者達には、その活躍から裴晴を英雄視する者もいる。
政府関係者も裴晴の存在を危険視してはいるものの、大人しく彼らの命に従い、成果を上げているので下手に機嫌を損ねるような真似はせずに傍観しているのが現状だ。
「失敗しても責任はかっこうにおっ被せる腹積もりなのさ、許可した副本部長も」
「何故、副本部長が隊長を庇うんです。あの二人、めちゃくちゃ仲悪いですよね?」
分からず薄羽と呼ばれた少女は首を傾げる。
「敵の敵は味方…ということか?ギラファ」
「今一番、隊長が失脚して困るの副本部長だろうからな」
アトラスの考えにギラファは同意する。
あの得体の知れない女性の思考を読むなど、ギラファには無理だが特環の組織全体のパワーバランスを考えるに中央本部は裴晴を手放す事は出来ない。
「東の方が"ふゆほたる"の事件以降、きな臭すぎる。今、隊長が本部防衛から離れたら東中央支部所属の"かっこう"に対せる戦力がない」
「だから、副本部長は隊長を罷免しない。逆にかっこうの方をつついて、東を牽制する腹づもりか?」
「だろうな。隊長としてはどっちに転がっても良いのさ。失敗すれば東を牽制出来て、合法的に"リナ"を始末出来る。成功すれば、リナのカリスマ性に充てられた虫憑き達によって生まれるかもしれない"組織"を一つ潰せる」
結果がどちらに転ぼうが、裴晴に不利益はない。
「まぁ、誰かの思惑の中かも知れないが隊長にとって損はない。だから静観してるんだろうよ」
ギラファも裴晴の考えについて、今の所はある程度予想してはいるが実際は分からない。
自分の隊長が謎多き副本部長並に腹の底が読めないのは、今に始まった事じゃない。
「取り敢えず、だ。今日は大変な一日になる。ドジったら隊長が怒る前にヴェスパさんかハンミョウさんに叱られるからしっかり仕事しろよ、後輩」
「わ、分かってます!」
ギラファは薄羽へ忠告する。
薄羽は一番部隊で古株の二人の名を出され、緊張した表情を浮かべながら頷き返した。
部下三人が話しながら移動し、配置に付いた頃。
裴晴は7階層にある訓練所とは隔たれた広いフロアに居た。
フロア内には機械が並び、モニターがいくつも備え付けられている。
大勢の白衣を着た大人達がそれらを凝視している中、黒コートに"死神"と呼ばれる存在の気配を纏う裴晴は明らかに異質であった。
そんな中、フロアの入口の扉から二人の人物が入室する。
白衣達の視線がフロアに入室した人物達に集中したのを感じ、裴晴も扉へと振り返る。
すると、そこには顔見知りが立っていた。
向こうも裴晴の姿を視認し、近づいてくる。
「何で此処に居るんだ、亜梨子さん?」
「大助に連れてきてもらったの」
「アイツは…なんの為の監視役だ…?」
怒りを通り越し、裴晴は呆れた声音を漏らす。
「折角の機会だもの。どういう組織か知るには。仕事の邪魔はしないわ」
「どうだかな…。正直、これから起こる事は亜梨子さん的に気分が良いものじゃない。見ないにこした事はないよ?」
「それでも、よ」
裴晴の説得虚しく、亜梨子の意思は固いようだった。
此処に居る以上は最早、仕方のない。
「何があっても此処を動かない事。それだけは約束してくれ。勝手な真似はしないこと」
「…分かったわ」
渋々といった調子で裴晴からの指示に亜梨子は頷いた。
それを見て、次に裴晴は入ってきたもう一人へ声を掛ける。
「火種五号局員…名前は確か"アキ"だったな」
「中央本部勤務で異種一号のアンタに名前を知られてるとはな」
「特環所属の全虫憑き達の顔と名前、号指定から能力まで頭に入ってる」
裴晴がそう言うと、アキという名の少年は驚きが湧き上がる。号認定で最初から一号指定であった裴晴は特環所属の虫憑きの中ではエリート中のエリート。
大抵は高飛車で他の号指定の虫憑きなど眼中にない感じの輩が多いが裴晴はそんなタイプではないのが、アキにも予想外だったのだ。しかも、所属する全虫憑きのデータが頭に入っているなど、最早異常としかいえない。
「悪いが君には彼女の護衛を頼みたい。猪突猛進を絵に描いたような娘だからね」
「あんまりな言いようね、裴晴くん」
「言われたくないなら普段の言動を改める事だね」
頬を膨らませ、抗議する亜梨子に裴晴は苦笑を浮かべて言い返す。
そんな二人のやり取りに、アキは本当に眼前の黒コートを纏う少年が"死神"と恐れられる最凶最悪の虫憑きには見えなかった。自分の知るもう一人の一号指定…弟分のような大助とまた別の意味で普通の少年に裴晴は見えたのだ。
「火種五号局員"アキ"配置につけ」
「はい」
三人の輪へ白衣の一人が声を掛ける。
会話を中断し、命令のままにアキがガラス張りになった奥へ向かい、亜梨子もそれに倣う。
「防衛班長殿。準備は宜しいですか?」
「零番隊各員の配置は完了しています。いつでも開始して構いません」
「了解しました」
アキへの態度とは打って変わり、丁寧な態度で白衣が返事する。その様をアキも亜梨子も各々、思うところがある表情で一瞬、見るがすぐに超硬化マジックガラス越しのホールへ目を向けた。
裴晴も白衣との会話を済ませると、亜梨子達とは少し離れた距離からマジックガラス越しにホールを注視する。
ホールの手前、壁に開いた空洞から一人の人物が現れた。
裴晴と同じ漆黒のコートを纏い、手に拳銃をぶら下げている。
大助である。
「さて、お手並み拝見だ、かっこう……」
ホールに立つ大助を見ながら、裴晴は誰にも聞こえない音量で囁いた。