数分も歩くと五人は目的地に到着した。
大きな広場には長いヘビの様にクネクネとカーブを描く人の列があった。先頭にあるのは巨大な輪っかだ。
直径120メートル、地上高は130メートルある大観覧車。赤牧市が誇るデートスポットの一つだ。
病院を出た場所から六角に区切られて六式のイルミネーションを輝かせていたが、今は全体から淡いブルーの光を放ち、夜空に浮かび上がっている。
「うはー、これぞ観覧車って感じね!」
「これに乗るんですよね。私、楽しみです」
「ほら、大助もいつまでもスネないてないで。さっさと並ぶわよ」
亜梨子が呼び掛けると、憮然とした顔の大助が彼女達を見る。
先程、恵那達がからかったことをまだ怒っているのだろう。
そんな四人のやり取りを裴晴が面白そうに眺めていると、彼の携帯が鳴り響いた。
「おっと…失礼」
胸ポケットから携帯を取り出すと、裴晴は四人から離れて耳に当てた。
『裴晴さん、今どちらに?』
通話の相手は零番隊で副長の地位に居る火種二号に指定されている"ヴェスパ"という虫憑きであった。
「大観覧車の前だが…どうした?」
『以前から裴晴さんが目を着けていた虫憑きが貴方の今、居られる所に向かったようです。戦闘班が対象を発見し、追跡していると先程本部に報告が上がってきました…』
「おい、あの娘の確保はウチが主導のはずだろ。何でいっかいの戦闘班がでしゃばってくる?」
『魅車副本部長の指示だからかと』
「…あの女…」
単体での戦闘能力は言わずもながら、裴晴の部下は二〜五号指定されている強力な虫憑きだ。
八重子としてはこれ以上、零番隊が戦力を増強するのは面白くないのだろう。
『如何されますか?』
「出動準備は整っているな?」
『滞りなく』
「では、直ちに出動を。目標を発見次第確保だ。穏便に、な。彼女の側に居る仲間も一緒に丁重にお連れしろ」
『了解。裴晴さんも合流されますか?』
「近くに友人が居るから派手に動き回れない。彼女達が観覧車に乗り込んでから合流する」
と言って裴晴は通話を切る。
亜梨子達の元へ戻ると、彼女達は既に長蛇の列に飲まれていた。大助の姿が見えないのに、嫌な予感がし聞く。
「あれ、薬屋くんは?」
「裴晴くんと同じ電話が来た後、用事が出来たって言って何処か言ったわ」
裴晴の問いに亜梨子が答えた。
タイミング的に特環からの任務指示であるのは予想が付く。
(今のアイツはウチの所属のはず…。俺を飛び越えて本人に直接指示できる人間となると…)
思考の中に憎らしい女の笑みがチラついた。
どうやら、裴晴の元にこれ以上優秀な虫憑きが集中するのを是が非でも防ぎたいようだ。
本来なら出向扱いの火種一号を護衛の名目で未だに麾下に加えているのだから尚更だろう。
(ま…なるようにしかならないか…)
どんなに策謀を巡らそうと予定外の事は起きるものだ。今回は意図的に出だしを挫かれてはいるが、こんなものは誤差の範囲に過ぎない。
邪魔されるのは分かりきっているのだから、臨機応変に対処すれば良い話だ。
幸にもそれを成せるだけの力と人を裴晴は獲得していた。
長蛇の列に並ぶこと一時間ほど待つと、ようやく入り口が見えてきた。大助や零番隊からの連絡がない。
(対象は既にこの近辺にいるはず。なのに避難勧告が為されていないというのはどういうことだ?)
裴晴の部下達ならばあり得ない手落ちだ。
一般人が犇めく場所で捕獲行動を起こせば、物損だけでなく、人的傷害が起きる可能性がある。
電話から一時間経過している現状、裴晴の部下達ならとっくに現地に到着し、配置完了の報告をしてきてもおかしくない。
だが、連絡は一つもない。そこから導き出されるのは…
(したくても出来ない。本部の戦闘班に絡まれてるか?)
中央本部の戦闘班と零番隊は相性が悪い。
同じ戦闘班所属にも関わらず、裴晴が設立した零番隊は好待遇で、他の局員とは扱いが異なる。
彼ら自身が打ち立ててきた数々の功績が今の待遇に繋がっているのだが、その他の戦闘班員にとって面白くないらしい。時たまに顔を合わせ鉢合えば、
(身内で争うほど愚かな事はないな…)
どいつもこいつも、本当の"敵"を見誤っている。
虫憑き達が戦わなければならない相手は常に身近に居るのだ。誰もが無意識にそれを知りながら目を背けている。
裴晴が無情な現状に軽く内心で嫌気を指しながら、順番を待っていると、残すところ後数組というところまで来た。
「申し訳ありません。席は四人乗りでして……」
「参ったな。一人余っちまう」
前のグループと係員の会話が聞こえてきた。
五人組の男女である。うち一人、雑誌モデルのような長身でロゴの入ったシャツの上にジャケットを羽織った少女には見覚えがあった。
(おいおい…今日は厄日かよ…)
その少女は裴晴が勧誘しようとしていた虫憑き。
とある野外での音楽ライブで見かけ、その能力に目を付けてから、強制的に捕獲するのではなく、彼女の方から協力させる形で誘おうとしていた。
それが何の因果か、裴晴の目の前に居る。
状況は最悪のイメージしか浮かばない。
「悪い、寧子。俺たち先に乗っていいか?」
「えっ…?」
彼女の音楽バンド仲間の一人、ギターケースを背負った少年が少女へ言う。
他の誰も異論を口には出さず、少女自身も反論しなかった事で、一人を残し、やってきたゴンドラに四人の男女が乗り込んでいった。
係員が次の順番である亜梨子達の下へやってくる。
「お客様がた、四名様でよろしいでしょうか?」
「いえ、俺は付き添いで乗るのはこの三人です」
「そうですか…。では、申し訳ありませんが、前の方と相席していただけませんか?見ての通り、大変混み合っておりまして……」
不味い流れである。
捕獲対象の虫憑き少女と亜梨子達を一緒に乗せるのは最悪の未来しか思い浮かばない。
係員の要望に恵那が「えー?」と不満そうな声を漏らしていることから、体よく断って不味い流れを断ち切ろうと裴晴が返答しようとしたら…
「いいですよ」
亜梨子が先に返事をしてしまった。
前のゴンドラを睨み付けながら不機嫌な顔をしている。
なにかが彼女の琴線に触れたらしい。
こういう表情をした亜梨子は梃子でも意見を翻したりしないだろう。
係員がホッとしたように「申し訳ありません」と言い残して入り口に戻っていく。
「なんでOKしちゃうかな。この子は…」
「良いじゃない。誰だって一人は寂しいでしょう?」
「千堂くんと乗せる手だってあったのに」
「乗らんからな。絶対」
喋っている内に亜梨子達の順番がやってきた。
乗車口に新しいゴンドラが降下し、乗客が降りる。
係員の誘導に従って長身の少女と亜梨子達がゴンドラへ乗り込む。
彼女達が乗り込んだゴンドラが無事に上昇していくのを見届けると、裴晴は列から離れて少し遠目から見守る事にした。
「裴晴さん」
人目の付かない場所まで来ると、背後にあった並木から声を掛けられた。
「"ヴェスパ"か?」
「連絡も取らず遅れてすいません。少々、妙な話になっていまして…」
何処か奥歯に物が挟まった物言いでヴェスパが裴晴に説明をする。
「我々より先に到着していた戦闘班が対象の仲間達と接触して密約を交わしたようで」
「…密約?」
「どうやらあの仲間四人は自分たちを見逃してもらう代わりに対象者を売ったようでして」
「ほぅ…」
裴晴はヴェスパからの報告で四人の奇妙な行動に得心がいった。一見、人数があぶれたように見せかけておいて、対象の少女を孤立させ、特環へ引き渡すお膳立てを整えたようだ。
恐らく乗るまで、彼ら四人の予定通りに事は運んでいただろう。
でも現実、問題が生じている。
「仲間を売るのは結構だが、俺の友人を巻き込むのは止めて頂きたいものだ」
「は?それはどういうーー」
「対象の乗っているゴンドラに亜梨子さん達も乗ってる」
「はいーーー?!」
裴晴の返答にヴェスパが驚愕の声を上げた。
彼としても対象の少女の側に、現状それ以上に気を使わなければならない監視対象の少女が共に居る等と想像もしていなかったのだろう。
「"かっこう"は!あの男は何をしてるんです?!」
「副本部長辺りから直通の指示でも受けたんだろう。列に並ぶ前に姿を消してたよ」
「ーーっ、裴晴さんも何故にお止めにならなかったのですか?」
「止める前に亜梨子さんが一緒に乗るのを了承しちゃったんだよ。一般人の友人も居る手前、虫憑きの娘と一緒に乗るな、なんて言えるか?」
"虫憑き"の存在を政府はひた隠しにして、現実には居ないものとしている。
人の口に戸口は建てられない為、完全ではなく、噂レベルでそれなりに社会へ浸透していっているが、ここでそれを漏らす事は裴晴の立場上、言えはしない。
「…どうされますか?」
「一先ずは様子見だ。"
「はい。"ハンミョウ"は既に静かに"領域"を展開しています。避難誘導の為の催眠を始めておきますか?」
「そうだな。本部の
裴晴から指示を受けると、ヴェスパは顔にしたゴーグルに備え付けられている通信機から他の隊員に伝達した。
「裴晴さんはこのまま此方に?」
「待機してるよ。あ、俺のコートと仮面持ってきてるか?」
「必要になるだろうと用意してきましたよ」
ヴェスパはそう言って背負っていたリュックから黒いコートと、内側に変声器を内蔵させた髑髏の似た作りの仮面を取り出し、裴晴へ渡す。
受け取ると、裴晴は黒いコートを纏い、顔を仮面で覆ってフードを被った。
特環での仕事装束に早変わりである。
「いつか聞こうと思っていたんですが、本部のコートではなく、何故東中央支部のコートを着るんですか?」
『単純な理由だよ。基本、夜行動するのに白いコートは目立つ。態々、見つかりやすい格好するのはバカみたいだろ?』
「…我々部下の今の格好はどうなんですか?」
『別に本部のコート着るように強制した記憶はないが?』
変声器で変わった声音でさらりと返してきた裴晴に、ヴェスパはガクリと脱力するように肩を落とした。
確かに裴晴から特に命令された記憶はないが、本部のコート色は白なのでそれが当たり前なのだと思っていたがどうやら違ったらしい。
『お前も配置に付け。動きがあり次第、行動は独自の判断に任せるが、基本は一般人の避難と保護を最優先にしろ』
「了解。ではーー」
ヴェスパも避難誘導をする為、所定の位置へ移動していった。
一人残った裴晴は観覧車を見上げ、亜梨子達が乗っているゴンドラの様子を注視する。
その間にハンミョウの"虫"の能力である細やかな精神支配によって観覧車の周りから徐々に人が去っていく。列を為していた人達も一人また一人と、何故か観覧車に乗る気を無くして、列から離れて帰っていき、下車した客も足早に帰路についていった。
あと残っているのは未だにゴンドラに乗っている乗客達だけである。
『……一般人の避難、八割完了』
『本部戦闘班、また"かっこう"の姿を視認。そちらに向かいました』
耳に付けた小型通信機から部下達の報告が上がるのを流し聞く。
亜梨子達が乗るゴンドラは丁度、頂上までの半分を越えた辺り、街の全景が一望出来る高さに達した頃…裴晴の目があるものを捉えたのと同時に通信機から報告がきた。
『かっこう及び本部戦闘班、分離型"虫"実体化。対象を乗せたゴンドラへ向かっています』
『不味いな…。"薄羽"、"アトラス"その位置から撃ち落とせるか?』
『殆ど飛行型です。接近すれば可能でしょうが、攻撃範囲に観覧車が入ります。まだ乗っている乗客達に危険が及ぶ恐れが……それに"かっこう"止めるなんて無理ですよ』
部下達がヴェスパの指示で其々の視点から独自の判断を下しつつ会話をしているのが耳に入る。
『零番隊各員に通達。一般人の避難を最優先。かっこうと戦闘班は俺が対応する』
『それは……大丈夫ですか、裴晴さん?』
『民間人がまだ乗っているのに強襲しようとしているあのバカ共が悪い。邪魔しても言い逃れの材料はごろごろ転がっているよ。避難誘導完了次第、援護に来てくれれば良いさ』
『分かりました。ご武運をーーー』
通信機の会話を終えて、裴晴は改めて視界に収まる巨大な観覧車へ目を向けた。
視線の先に映ったのは特定の……亜梨子達の乗車しているゴンドラに向かって飛翔し、体当たりをしていた。
遠目に見ても凄まじい揺れと衝撃があるのが明らかだが、ゴンドラに破壊の後は見受けられず、ガラス破片一つも落ちていなかった。
(あの娘…まさか…)
裴晴はその不可思議な現象の心当たりが思いついた。
自分の想像通りなら、そのまま放っておく事は出来ない。
裴晴はタツノオオムカデと即座に同化し、脅威に晒されているゴンドラに居る亜梨子達を救う為、強化した脚力で地を蹴った。