今世の身体がおよそ2歳になる頃、僕は僕として初めてこの世界を認識した。
僕が産まれたのは住民が100人もいないような小さな村で、畑で作った作物や森で伐採した木などを街に売りに行ったり、たまに訪れる行商人に買い取ってもらったりして村人たちは生計を立てているらしい。
僕は男手一つで育てられていた。自我が宿ってからほどなくしてお父さんにお母さんのことを聞いてみたら、僕を産んでから1年もしないうちに亡くなってしまったと、少し悲しそうな表情で頭を撫でられながら伝えられたのを覚えている。
ある時、僕は村の人からお父さんが紀行家だったという話を聞いて、一目散に家へと駆け込んだことがある。キョトンとした表情で僕を見るお父さんに、僕は村の人から聞いた話が本当なのかどうか尋ねた。すると、お父さんは少し恥ずかしそうな、それでいて誇らしそうな表情をして、それを肯定した。
それから僕は毎晩、寝る前にお父さんに冒険の話をしてもらうようにお願いした。見たこともない、聞いたこともないようなワクワクする話をお父さんはしてくれて、僕はお父さんが呆れるくらい何度も何度も繰り返し聞かせてもらった。その時に一度だけお父さんが血は争えないなと言ったのが僕の記憶には強く残っている。
昼は農作業を手伝い、夜はお父さんの冒険の話を聴く。そんな日常をしばらく過ごして僕が10歳になった頃、僕はお父さんに稽古をつけてくれとお願いをした。お父さんみたいな紀行家になりたいという想いを真っ直ぐに伝えると、お父さんは手伝いをサボらないという条件付きではあるが、驚くほどあっさり承諾してくれた。後で理由を聞いてみると、お前は俺の息子だからな、と頭をくしゃくしゃに撫でられながら言われた。少し気恥ずかしかった。
それから僕の一日は忙しくなった。朝は早く起きて体力作りや武器の扱い方をお父さんに指導してもらい、昼は村の人たちと一緒に仕事をして、夜はご飯を食べてから寝るまでの間、お父さんから冒険するのに必要な知識を教えてもらうという生活を送ることになったからだ。目まぐるしくはあったけど、僕はそれがとても楽しかった。夢に一歩一歩近づいていけていると感じたから。
数年の指導を経て、お父さんから太鼓判をもらってからも僕は鍛錬を続けた。背はあまり伸びなかったけど、村の誰よりも強い身体になれたと思う。
そして、運命の時は来た。僕が15歳の時にお父さんが病にかかってしまったのだ。今の医学では治す術はなく、長くても数ヶ月だと街の医者に言われた。僕は村の人に協力してもらいながら懸命に看病したが、それから3ヶ月後、お父さんは亡くなった。僕の誕生日の前日だった。
僕は泣いた。産まれてきてから一番泣いたと思う。お父さんとの楽しい思い出がより一層悲しみを引き立てた。
お父さんの葬式には村中の人が集まった。お父さんが慕われていたことを改めて思い知って、僕はまた泣きそうになった。
僕は今、村の外れにあるお父さんの墓の前にいる。別れの挨拶をしに来たからだ。僕は墓に花を供え、目を瞑って手を合わせた。お父さんとの思い出を振り返り、そして、僕の今後の旅の無事を祈った。
「じゃあ……お父さん、お母さんとそっちで仲良くね。行ってきます」
アドル=クリスティン、16歳、旅に出ます。