冒険に憧れて
意識が覚醒した時、僕は何も無い真っ白な空間にいた。視線を漂わせてみたが視界は白以外何も映さず、それは延々とどこまでも続いているかのように思われた。視線を落としても自分の身体さえ目には映らず、ただでさえ混乱している頭がショートしてしまいそうになる。
「困惑しているみたいね」
疑問が次々浮かんでくる頭に突如、女性の声が響いてきた。
「ここは……何処なんでしょうか?」
訳の分からないことが続き、こんがらがる頭でとりあえず一番知りたかった問いを僕は見えない存在に投げかける。
「そうね……ここは死後の世界。あなたたちの言葉で言う天国、そこへ行く途中の道のようなところね。」
ストン……と女性の言葉が胸に落ちた気がした。そうか、僕は死んでしまったのか……。
「死んで……僕は死んでこれから天国へ行くのでしょうか?」
「あら、何で死んだのかとか、何で死んでも意識があるのかとか聞かないのね」
「聞いてもどうしようもないですし」
「ふふ、それもそうね」
僕の返答が予想外だったのか、楽しそうに彼女は笑った。
「普通はね、あなたのように天国に辿り着くまでに意識が覚醒するような子はいないのよ」
楽しげな彼女の声色が更に喜色を含むようになる。
「えっと、それってもしかしていけないこと……なんですかね?」
「いいえ、寧ろ私たちにとっては嬉しいことだわ」
満面の笑みで、早く私に説明をさせてくれと言い出しそうな雰囲気を彼女の声が纏い始める。僕は無言で先を促すことにした。
「ここで目覚める人間はね、資質があるのよ。とても強い資質が」
資質? 僕はそこまで褒められるほど才能溢れる人間ではなかったはずだが。
「強く心に残ったあなたの未練。まだあなたは死にたくなかったはずで、あなたの魂はその未練によって今ここで覚醒した」
ガツン、と無い頭を殴られたような衝撃が走った。そうだった、僕はどうしてもやりたかったことがあったのだ。
「僕は冒険できなかったのか……」
ようやく落ち着いた頭で生前の未練を、絶対に叶えたかった夢を思い出した。しかし、不思議と気持ちは沈まなかった。だってまだ彼女の話は終わっていない。勘がいいとは言えないが、この時ばかりは未だに楽しそうな彼女の話の続きを絶対に聞かなければならない気がした。
「ふふふ、その未練、憧れ、とても素敵ね。続きは聞きたい?」
見えていないはずだが、僕は力強く頷いて彼女の言葉を肯定する。
「私たちはここで目覚めるほどの強い未練を持った人間たちにね、転生をしてもらうようにしてるのよ」
「転生……また生き直すということですか?」
「ええ、そうよ。ただし、産まれ直してもらうのは元の世界じゃないわ」
感じない鼓動が早まるような気がした。夢が叶う予感を感じて。
「私たちでいうあなたたちの世界、つまり、創造し、管理している世界。まあ、早い話創作物の世界にあなたの魂を飛ばします。魂だけしか飛ばせないからその世界の誰かの身体に入ってもらうことになるけどね」
「憑依転生……?」
「あら、そういえばあなたの世界ではそういう創作物も流行ってるんだったかしら? 異世界に行って何とか〜みたいな」
「く、詳しいんですね……」
「神界には娯楽が少ないのよ。だから観察している世界の創作物を楽しんでいるようなのがいっぱいいるの。そして、これもその一環ね。観察している世界の住民が自分たちの観察している世界に入り込んだらどういうことをするか。それを観察して楽しむのが私たちの間で最近流行ってる娯楽ね」
はしゃぎながら話す女性の声を聞き、上位存在が一気に俗っぽくなったような気がしたが、神話の神なんかも割とそんな感じだったことを思い出し、とりあえずこのことは隅に置いておくことにした。
「あなたが行く世界なんだけど、これはあなたが一番行きたい世界を選んでいいわ」
「つまり、僕は」
「ええ、あなたはようやく冒険ができる」
歓喜に脳が打ち震える。長年思い続けて、もう叶わないと思っていた夢が叶うという事実を目の前にして。
「行きたい世界は決まった? 考える時間ならまだいっぱいあるけど」
「イースの世界へ」
女性の言葉に僕は一瞬の躊躇もなく答えた。稀代の冒険家が物語を綴った世界の名を。
「決まっているならよし。ここからはまあ、何というかあなた的にはお約束だろうけど、あなたの旅は一応私たちの娯楽も兼ねているから簡単に死なれたら困るというのは、分かるわよね。」
その後の展開を容易に予想し僕は首肯する。
「それでいくつか私からあなたに加護を授けたいと思うの。下位世界への干渉だからだいたいのことは叶うけれど何かリクエストはある?」
女性の言葉に僕は少しだけ考えた。最も冒険を楽しむにはどうしたらいいのか。
「では、旅の道具を何処でも出し入れできるような空間を操れるような能力があればいいかなと。可能でしょうか?」
「それはできるけど……いいの? もうちょっと欲張ってもいいのよ?」
「それなら、今までの身体よりも少し頑丈にしてもらってもよろしいですか?」
「あ、あんまり欲が無いのね……。他所のとこが送った子はもっとこう、凄かったわよ?」
いったい何を頼んだのだろうか。気にはなるが、僕は冒険を楽しむために行くのだ。あまり至れり尽くせりだとスリルも無くなってしまって困る。ここで僕は一番重要なことを言ってないことに気がついた。
「最後に、出来ればでいいんですけど、イースに関する記憶を消してもらえませんか?」
「何でそんな……ああ、冒険に行くんだもんね」
「はい、覚えてたらこう、感動というか、そういうのが薄れそうで」
「はいはい、分かったわよ。これで全部?」
「はい、お願いします」
いよいよ旅立つと思うと、思わずにやけてしまいそうになる。顔はないのだけれども。
「あ、そうだ、言い忘れてたことがあったわ。」
「何でしょう?」
「あなたはあなたが望んだ世界に行ける。ただ、そこはその世界の平行世界で、つまりはその世界の人物の1人がその人ではなくあなただったらというifの世界よ」
何故そんな話をと思ったが、彼女の声はこちらを心配している声色で
「まあ、その、ね、だから、あなたはその世界に生まれるべくして生まれるわけで、成り代わってしまっただとか、他の人の人生を違うものにしてしまっただとかは気にしないで、あなたはあなたが思うがままに進みなさい!」
つまりは優しい女神様なのである。
「はい!」
「よし! じゃあ行ってきなさい!」
「行ってきます!」
別れの挨拶を済ますと、僕の意識がだんだん消えていくように感じた。これから僕の冒険が始まるんだ。
「後悔のないように、精一杯生きなさい」
意識が消える直前、彼女の優しい言葉が僕の頭に響いた。