ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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065.『覚醒』【艦娘視点④】

「第一、第二主砲、斉射――始めます!」

「う、撃ち方、始めて下さーいっ!」

「姉さんも頑張ってるかな……撃ちます!」

 

 C島方面連合艦隊。妙高、羽黒、筑摩が一斉に放った砲撃が深海棲艦を射抜く。

 連合艦隊――と言っても、次々に投入される敵の増援に対応するため、B島方面で大淀が指示を出したように、こちらももはやその体を成していなかった。

 現在は妙高、羽黒、筑摩、大鷹による第一艦隊と、天龍、暁、ヴェールヌイ、そして龍田、雷、電による小規模の水雷戦隊に別れて戦闘している。

 

 提督の指示によって向かったC島を占拠している深海棲艦の一団との交戦時には、赤城、翔鶴、大鷹の三人により制空権を確保し、手早く勝利を成し遂げる事ができた。

 敵増援が合流する直前というギリギリのタイミングも功を奏したのだろう。

 敵艦隊を仕切っていたのは港湾基地型深海棲艦・港湾棲姫。

 このような鎮守府近海での遭遇など前代未聞であったが、今回の戦いが相当厳しいものになると予想されていた事。

 そして妙高、羽黒、筑摩の三人に三式弾の装備が指定されていた事により、陸上型深海棲艦の存在を想定していた事から艦隊の動揺も少なく、有利に戦闘を進める事ができたのだった。

 

 イムヤの一件により提督への信頼が最大限まで高まった艦娘達の勢いもさることながら、最も気迫に溢れていたのは妙高であった。

 足柄のカレーを食べられなかった件で提督を疑ってしまった事による自責の念を抱いていた妙高だったが、それにもかかわらず連合艦隊旗艦を任されるという評価。

 元々は香取と共に秘書艦の役目も任されようとしていた事が示す通り、提督は自身を高く評価してくれているという自覚。

 提督からの信頼に応えるべく全力で戦う横須賀鎮守府最強の重巡洋艦・妙高の気迫に引っ張られて、艦隊全体も鼓舞される。

 また、第二艦隊旗艦を任された天龍の檄により、艦隊の勢いはますます増した。

 

 C島を奪還後、すぐに日没してしまい、艦載機を発艦できなくなった赤城と翔鶴は海上にいるより安全だろうという事でC島に上陸し、避難。

 夜に恐怖心を感じている大鷹も避難させるかと妙高はしばし悩んだが、他ならぬ大鷹本人が戦闘の継続を志願。

 つい先日提督により発見された夜戦攻撃の特性――ここで活かさなければ意味が無いのだと。

 そうは言ったものの、羽黒が振り返って最後尾の大鷹を見れば、やはり落ち着かぬ様子で顔色も悪く見える。

 

「あの、大鷹さん。大丈夫ですか、怖くは無いですか」

「そ、そうですね……やっぱり夜、夜は……怖いですね。海が、黒くて怖い……」

「やっぱり赤城さん達と陸に上がっていた方が……」

 

 羽黒の気遣う言葉に、大鷹は無理やり身体の震えを抑えるかのようにぎゅっと自身の肩を抱いて言葉を返す。

 

「い、いえ! 怖いのは確かですが、今は私も貴重な戦力の一人のはずです。少なくとも、提督はそう思っているはず……それならば私は戦いたいと、そう思っているんです」

「大鷹さん……」

「怖くても戦えます……! 提督が見つけてくれたこの力で、私は戦います! 大鷹航空隊、発艦始め!」

 

 大鷹から発艦した攻撃機は、深海棲艦の群れに上空から攻撃を開始する。

 たちまち数隻が撃沈され、必然的に深海棲艦はそれを無視できず、どうしても意識を頭上に向けてしまう。

 それがどれだけ私達にとって有利な事か――。

 妙高と筑摩の砲撃が敵艦を射抜き、数瞬遅れて放った羽黒の攻撃も無事に着弾した。

 水上艦による砲撃に再び気を取られた隙に、大鷹の艦爆は上空から急降下し無慈悲な一撃を放つ。

 

 それは文字通り、鷹のように。地上を走る獲物を容易く(さら)う猛禽類のように。

 海上という平面でしか戦えない艦にとって、三次元の攻撃を強いられる飛行機という存在はやはり恐ろしい。

 たった一隻空母が存在するだけでこんなにも戦場がかき回されるとは。

 軽空母への改装を隠していた千代田さんに対して千歳さんがあんなにも怒ったのにも理解できる……。

 

 恐怖を乗り越えて夜戦に挑んだ大鷹さんのお陰で、私達は助けられている。

 それは司令官さんを支えることにも繋がっている。

 大鷹さんは強い――私と違って。私以外の皆と同じように。

 

『私が強い理由? 守りたい人がいるからよ。ふふっ』

 

 羽黒と同じ重巡洋艦で、羽黒の姉達と同じくらい強い姉を持つ妹。利根型二番艦、筑摩。

 かつて問うた羽黒の言葉に、筑摩は考える素振りも見せずにそう答えた。

 適当な答えなのではなく、それしか答えが無い故なのだろう。

 守りたい人とは一体誰なのか。艦娘の皆、この国に暮らす人々……おそらくはそういう事なのだろうが、九割は姉の利根が占めているような気がした。

 筑摩に礼を言うも、羽黒はやはりその時も答えを見出す事が出来なかった。

 

 皆、何故こんなにも強いのか。

 何故あんなにも強くなれるのか。

 

 姉妹の中で自分だけ未だに改二に至れていない。

 B島方面の青葉からの無線により、時雨達三人、更には八駆の四人にも改二が実装された事を知り、ますます悩む。

 提督自ら握った戦闘糧食に込められた提督パワーのおかげだという事だったので、一縷(いちる)の望みを賭けて自分のものを覗いてみれば、綺麗な三角形に握られていた。

 提督のものは俵型でしたとの情報から、藁をも掴む思いであった羽黒は肩を落として包みを戻す。

 赤城はすでに食べてしまったようだが、まだ補給するには早い時間帯だ。

 

 強くなりたい。そう思っているのに改二に至れないのは、きっと私が心のどこかで戦いたくないと思っているからなのかもしれない。

 羽黒は何となくそのような答えに辿り着きそうになった。

 戦うことは苦手だ、嫌いだ。

 ひとつの戦いが終わるたびに、羽黒は安堵の息をついてこう思う。

 このまま、全ての戦いが終わってしまえばいいのに――。

 

 それでも深海棲艦は待ってくれない。

 戦わなければ守れない。

 戦わざるを得ない。守る為には仕方なく――。

 

『羽黒は鹿島の仕事ぶりと自分を比べてしまっていたが……そんな事よりも、むしろ別のところを見習ってほしいな』

『あぁ。鹿島の欲望に忠実なところをな』

『欲望とは『欲』し、『望』む事……確かにあまり良い意味では使われないが、それ自体に良いも悪いも無い。むしろ生きるためには必要不可欠なものなのだぞ』

『つまり、羽黒。私はお前に秘書艦を務めてほしいと思っている。それは本心だ。だが、お前の『欲望』……本当にしたい事、やりたい事があるなら、それを優先してほしいという事なんだ。お前の『欲望』が『秘書艦を辞めたい』というのなら、それでいい』

 

 司令官さんは私にそう言った。

 また、龍田さんにも諭すようにこう言っていた。

 

『あくまでも私の考えなのだが、欲し、望まない限り人は成長しない。何かを成す際に、モチベーションというのはとても大切なんだ。話を聞く限り、天龍は自分の強さにすでに満足しているだろう? 満ち足りているのにそれ以上を求める必要は無いし、求める事は出来ない……と、私は思っている。天龍が自分の強さに満足しているのなら、これ以上強くなる必要は無いんだ』

『つまり、天龍本人が満足しているのなら、お前がいくら急かしても意味が無いんだ。逆に天龍自ら、更に力を欲し、望んだのであれば、その時自然に成長するはずだと思う……』

 

 それが事実なのであれば、私は一生強くなんてなれないのではないか。

 本当は戦いたくなんてないのに、嫌々、渋々、仕方なく戦場に立っているのだから。

 そんな私に、司令官さんの秘書艦を務める資格なんて無い。

 務めたところで、何も変われない――。

 

「一人でなんて無茶よ! 遠慮せずに私に頼ってくれていいのよ!」

「いくら龍田さんでも危険なのです!」

 

 雷と電の声に気付いて顔を向ければ、いつの間にか二人を引き連れた龍田が妙高と何かを話している。

 羽黒は前を進む筑摩におどおどと小さく声をかけた。

 

「ご、ごめんなさい。何があったんですか」

「龍田さんのソナーに潜水艦の一団の反応があったらしくて。それで、龍田さんが一人で食い止めに行くと……」

「ほんの二、三隻だから大丈夫よ~。こっちに合流される前に食い止めないと大変な事になるわ~」

「でも、一人だなんて」

「きっと、提督もそう考えているわよ~? 私にこんなものを積ませたんだもの~」

 

 龍田はいつもの笑顔でそう言うが、この闇の中で二、三隻の潜水艦を相手取るという事がどれだけ恐ろしい事か。

 確かに龍田は提督の指示によって四式水中探信儀、三式爆雷投射機に加えて二式爆雷まで装備している。

 重巡の自分達では当然無力。龍田以外に潜水艦を食い止められる者はいない。

 しかし、雷、電姉妹が主張する通り、一人ではあまりにも危険すぎる。

 ましてや――。

 

「おいおい、無理すんなよ龍田。お前、潜水艦だけが鬼門だろ」

 

 事態を察してか合流してきた天龍が龍田に声をかける。

 そう、羽黒も風の便りで聞いた事があった。

 怖いものなど何も無さそうな龍田が、唯一苦手とするもの――それが潜水艦。

 同じようなトラウマを持つ艦娘は多い事から、特段目立った弱点というわけではないが、そんな龍田がたった一人で夜の潜水艦に挑むという事。

 その恐怖は計り知れない。

 だというのに、何故この人は恐怖などおくびにも出さずに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていられるのだろうか――。

 

「……大丈夫よ~。そういうわけだから、雷ちゃん、電ちゃんは天龍ちゃんに合流して頂戴?」

「でも、龍田さん」

「――わかりました。旗艦・妙高が命じます。龍田さんは単身、潜水艦隊を! 天龍さんは雷、電の両名を編成に加えて下さい!」

「妙高さん⁉」

「対潜装備を整えているのは龍田さんのみ……! そしてこちらにもまだまだ敵の増援……これ以上数は()けません……! そうですね、龍田さん⁉」

 

 絞り出すような妙高の言葉に、龍田は静かに微笑んだ。

 

「ありがとう、妙高さん。それじゃ、行ってくるわね~」

「た、龍田さんっ!」

 

 羽黒は思わず龍田を呼び止めた。

 迷惑だとは思ったが、どうしても訊ねたいと思ったからだ。

 

「龍田さんは、どうしてそんなに強いんですか。怖いはずなのに、怖くないはずが無いのに、何で……」

 

 龍田はきょとんと目を丸くしたが、やがて意図を理解したのか、小さく笑みを浮かべて口を開いた。

 

「龍田が強い理由か……フフフ。それはオレと同じく元々強いからだ」

「天龍ちゃんには聞いてないわ~」

 

 天龍に目もくれずに羽黒に歩を進めた龍田は、そっと両手の平で羽黒の頬を挟み込む。

 予想だにしない行動に、羽黒は瞬く間に赤面した。

 

「ふぇぇぇっ⁉」

「ありがと。でも、私から見れば羽黒ちゃんは私よりもずっとずっと強いのよ?」

「そ、そんな事ないです! 私は、本当は戦いたくなくて、だから強くなれなくて、改二にも」

「……羽黒ちゃんは、提督の事を弱い人だと思うかしら~?」

「えっ?」

 

 唐突な龍田の問いに、羽黒は言葉に詰まった。

 

 司令官さんは弱い人なのか。

 答えは迷う事なくイエスだ。

 長門さんが佐藤元帥に訴えた、神堂提督は弱い御方だという言葉。

 本来は戦いなど決して望まない慈愛に満ちた御方。

 軍人と言うにはあまりにも弱い心の持ち主だ。

 

 しかし、それでも。

 

「司令官さんは、強い御人です」

「どうして?」

「それは、それは……あんなにも優しいから。私達のために、この国を護るために、自分の事は二の次で」

「くす……羽黒ちゃんも同じよ? 提督と羽黒ちゃんね、とてもよく似てる……」

「わ、私が……?」

「いつも謙虚で、遠慮がちで、いつも人の事を優先してる。そんな優しい羽黒ちゃんだからこそ、本当に貫きたい意志は何よりも固くなる……強くなるには、『欲望』が大切なんだって、提督は言ったわ。謙虚で優しい羽黒ちゃんは、いきなりそう言われても難しいと思うから、こう思ってみたらどうかしら~?」

 

 狼狽(うろた)える羽黒の目を優しく見据えて、龍田はゆっくりと言葉を続けた。

 

「羽黒ちゃんの『欲望』は、提督の『欲望』と同じもの。羽黒ちゃんはそれを恥ずかしいと、声を大にして叫べないと思うかしら……?」

 

 龍田の言葉に、羽黒の目がはっと見開く。

 それを見て、龍田は羽黒の頬から手の平を離し、踵を返した。

 

「提督曰く、握れば拳、開けば(たなごころ)。『欲望』と同じで、『力』も使い方次第……大丈夫。羽黒ちゃんの力は、きっと誰よりも優しい力……恥ずかしくなんかない。その力で、皆を護ってあげてね?」

 

 闇に向けて遠ざかっていく龍田の背に、天龍が声をかける。

 

「龍田! 本当に無理すんなよな!」

「天龍ちゃんこそ、私が戻るまでに怪我しないようにね~」

 

 小さく手を振って、やがて龍田の姿は闇の中に消えた。

 

 お礼を言うのも忘れてしまっていた。

 結局、龍田さんが強い理由は聞けなかった。

 それでもよかった。

 本当に知りたかった事を知る事が出来たような気がしたからだ。

 

「妙高さん! 羽黒さん、大鷹さん! 強力な敵艦を確認! あれは……重巡ネ級です!」

「ネ級ですって……⁉」

「他にも、ル級、ナ級、タ級まで……恐ろしい編成です」

 

 横須賀鎮守府の目を自称する利根型姉妹の片割れ、筑摩の索敵能力に間違いは無い。

 脅威が今まさに眼前に迫ってきていた。

 胸に手を当てる。高鳴る鼓動。荒れる呼吸。

 心の中で迎撃準備を整えながら、羽黒は掴みかけた何かを離さぬよう必死に考える。

 

 私と司令官さんの『欲望』が同じ……?

 司令官さんが大切にしているもの。

 第一にこの国の平和。第二に私達艦娘の事。

 そう、もっとも大切な欲望は、欲しているものは、望んでいるものは、この国の平和だ。

 守りたいものがある。()()()()という欲望がある。

 それは戦いたくないという欲望よりも、ずっとずっと強いはずだ。

 あんなにも優しい人が、不治の病に苦しみ、一度は退役した司令官さんが再び最前線に戻ってきたのは、きっとそういう事なのだ。

 横須賀鎮守府に骨を埋める覚悟というのは、きっとそこからきているのだ。

 

 本質を見失っていた。

 仕方なく戦わなければならない、という義務や責務ではない。

 守りたいという欲望こそが、私が今ここに立っている原動力だった。

 

 私は強くなるきっかけを掴むために秘書艦に推薦され、僅かな時間ではあるがそれを務めて、迷惑をかけるあまり辞めたいと思った。

 平和のために。守りたい。強くなりたい。

 その欲望よりも、秘書艦を辞めたい、迷惑をかけたくないという欲望の方が強いなんて事があるだろうか。

 いや、あるはずがない!

 

 守りたい! 護りたい! (まも)りたい!

 

 不思議な気持ちだ。

 私の欲望が、私の願いが司令官さんと同じだと思うだけで、恥ずかしくなんてなくなってしまう。

 司令官さんが私に勇気を与えてくれる。

 声を大にして叫びたくなる。

 

 司令官さん。司令官さん。

 私も同じです。私も同じ気持ちです。

 美しいこの国を守りたい。

 日々を暮らす人々の平和を守りたい。

 

 それはきっと、大鷹さんも、筑摩さんも、龍田さんも同じなのだ。

 私達艦娘の根底に流れる欲望は、きっとそれなのだ。

 どれだけ恐ろしくても、震える身体で闇に立ち向かえる勇気を(ふる)えるのは、その欲望が原動力なのだ。

 足りない勇気は司令官さんが与えてくれる。

 後ろから肩に手を置いて、励ましてくれる。

 

 欲望が溢れて止まらない。

 貴方を支えたい。支えられるくらい強くなりたい。

 戦えない貴方のために、戦場に立てない貴方のために、私が代わりに戦いたい。

 戦いたくないと思っていたのに、貴方を思えば、そうしたくて堪らない。

 

 私が望む、私の強さ。

 私が願う、私の力。

 

 司令官さん。司令官さん。

 私は――翼が欲しい。

 寄り添って眠れば温かな安らぎを与えられる柔らかな羽毛。

 貴方という木に実った果実を咥えて、どこまでも遠くへ運ぶ黒い羽。

 司令官さん。司令官さん!

 私は――力が欲しい。

 仲間や護るべきものの盾となる優しい力。

 

「羽黒、決して油断しないで。準備はいい?……――⁉ 羽黒、貴女……!」

 

 妙高姉さんが振り返り、私を見て口元を抑えた。

 胸が熱い。体中が熱い。いや、温かい。

 全身が光を帯びる。前方には凶悪な編成の深海棲艦の群れ。

 数にして二倍、三倍、いや五倍。

 たとえそれでも。なんとしてでも。

 

 私が守る。守りたい!

 

 私が求める強さの形。私が求める願いの形。

 たとえ時代が移り変わっても、たとえ姿が変わっても、生まれ変わっても。

 いつまでもいつまでも大切なものを守ることができますように。

 新たな時代への願いと祈りを込めた――羽黒の護り。

 

 優柔不断。優しくて柔らかくて、何も断てない。

 そんな彼女だから、そんな彼女だからこそ――絶対に、本当に譲れない思いは誰のそれよりも固くなる。

 時には大切なものを傷つける脅威を貫く最強の矛に。

 時には大切なものを傷つける脅威を弾く最強の盾に。

 

 そして今、彼女の意志は何よりも固く、硬く、堅く――彼女の力として具現化した。

 

「司令官さん、司令官さんっ! 今度こそ……五倍の相手だって、支えてみせますっ! 『羽黒』……っ! 『改二』っ‼」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あ、赤城さん! 羽黒さんに改二が実装されましたよ!」

「えぇ。いつ実装されてもおかしくはない素質は持っていると思っていましたが……凄い火力ですね。砲撃火力は姉妹随一なのではないでしょうか」

 

 戦艦タ級に連撃を浴びせ、瞬く間に轟沈させた羽黒の砲撃火力に、翔鶴はごくりと息を吞む。

 月光を浴びながら戦う羽黒の表情、姿勢――心と身体に、一本の筋が入ったように見える。

 いや、あの芯の強さ自体は羽黒が本来持っていたもので、それを自覚したと言うべきだろうか。

 艦娘となった事で弱気で謙虚な性格が表に出てしまい、なかなか戦果が挙げられなかったが、かつて彼女は日本重巡の中でも随一の武勲を誇る、歴戦の武勲艦だったのだ。

 

 例えるなら翼を得た虎、眠れる獅子の覚醒。

 今まで彼女が改二に目覚める事ができなかったのは、きっとその爪と牙を恐れたからだ。

 しかし今、羽黒の凛とした表情を見ると、自信に満ち溢れている。

 改二に至るには何らかの『気付き』が必要だと言われている……きっと、大切な何かに気付く事ができたのだろう。

 羽黒さんがその名を叫んでいたように、きっと提督のおかげで――。

 

 うっかり流れ弾に被弾などしないように周囲を警戒しながら、翔鶴はちらりと隣に立つ赤城に目を向ける。

 C島に向かう道中、港湾棲姫の一団との交戦中、いや、出撃が決まったその瞬間から現在に至るまで――この隙の無さ。

 脱力した自然体に見えて一分の隙も無い……警戒と緊張で体中がこわばっている自分との歴然とした差を改めて目の当たりにして、翔鶴は提督の言葉を思い出す。

 

『スカートの下にジャージの着用の許可を……』

『駄目に決まってるだろ! 何を言っているんだ!』

 

『赤城の隙の無さを思い出してみろ』

『意識や所作であるならば、克服できるはずだ。それは翔鶴自身の成長にも繋がる……私は、問題を解決するにしても楽で安易な方法に頼って欲しくは無いのだ』

 

 私は何故、自分が成長しようなどと思いもせずに、ジャージを履いて解決しようと思ったのだろう、と翔鶴は自らの意識の低さを恥じた。

 もしもあの時ジャージを履く事を選んでいたら、私は一生成長できなかっただろう。

 先日の戦いでは、加賀さんが慢心故に失態を犯し、赤城さんは私が最後まで最も気を緩めていなかったと褒めて下さったが、だからと言って赤城さんや加賀さんを超えたなどと思えるほど浅はかではない。

 私達五航戦は、まだまだ戦闘における技量や精神面において、一航戦の先輩方には遠く及ばないのだ。

 私の隙の多さが強さの先に至れない原因だったとするならば、赤城さんはこの上ない手本となる。

 また、本来は誰よりも起伏の激しい感情を持ちながら、それを完全に抑え込む加賀さんの冷静沈着な点は、時には提督に失礼な事を言ってしまうほど激しい感情を抑えられない瑞鶴の未熟な精神面にも見習ってほしい部分だ。

 今回の連合艦隊において、あえて一航戦と五航戦を別々に編成し、赤城さんと私、加賀さんと瑞鶴を組み合わせたのも、きっと私達五航戦の成長に不可欠なものなのだろう――。

 

 時雨達の救出という土壇場においてさえ我々艦娘達の成長を考えている提督の意識の高さ。

 間近で赤城を観察できるこの機会を大切にせねば、と翔鶴は提督への感謝の念と共に、再度意識を引き締めた。

 陸の上において直立不動の姿勢でもこの隙の無さ……赤城さんの一挙手一投足には学ぶことしかない。

 ついに羽黒さんも改二に目覚めた。

 ならば、次は提督にここまでお膳立てされた私の番だ。

 

『翔鶴。私はな、空母の中ではお前に一番期待しているんだ。あの赤城よりもだ』

『お前の弱点はその僅かな隙の多さだけだろうと思っている。だが、それを克服した時、お前はきっと赤城にも匹敵できると、私は信じているんだ』

『だが全てはお前の頑張り次第だ。ここで安易な方法に頼ってしまってはその可能性さえも失われかねない……』

 

 あまりにも光栄で、恐縮してしまうほど勿体ない御言葉……。

 これで成長する事ができなければ、提督に合わせる顔が無い。

 ただでさえはしたない姿ばかり見せてしまって合わせる顔が無いというのに、ますます顔を合わせられなくなってしまう。

 もう二度と加賀さんにいやら姉妹なんて言われないように成長せねば瑞鶴にも申し訳ない。

 

「改二と言えば、時雨さん達が無事で本当に良かったですね」

「えぇ。改二が実装された事で損傷も資源も全快したとか……流石は提督です」

 

 時雨達の無事を知らせる青葉からの無線が届いた際には、常に凛としていた赤城も思わず表情を綻ばせていた。

 ずっとその言葉を待ちわびていたのだろう、と翔鶴も赤城の心中を理解する。

 赤城は時雨達用にと預けられた戦闘糧食の入った手提げ袋を胸に抱き、どこかうきうきとした調子で言葉を続けた。

 

「ふふ、私の予想は当たりました」

「えっ。まさか提督のこの策を」

「いえ、流石に策の中身までは。私が予想していたのは、おそらく本命はB島方面であろうと言う事です。あまりにも独特な編成でしたしね。私達に持たされたのは万が一の保険なのでしょう」

「なるほど……流石は赤城さんです。だから余った時の事を質問していたんですね」

「そ、そうですね。せっかく提督自ら握って下さったのに痛ませてしまうのも勿体ないですからね。早めに誰かが食べた方がいいと思いまして、はい」

 

 まったくそこまで考えが及んでいなかった。

 策の中身まではわからなかったと言いはしたが、つまりあの瞬間には、赤城さんは今回の出撃における大体の全体像が見えていたという事だ。

 まだまだ遠く及ばない――いや、それでも何とかついていかねば。

 

「しかし、実際のところどうしましょうか。六つも余っていますよ。なるべく喧嘩しないようにしなくては」

 

 赤城の問いに、翔鶴はしばし考える。

 遥か高みにいる赤城の視点と同様に、広い視点から俯瞰(ふかん)する。

 どうするのが最善なのか。提督の領域に至る前に、まずは赤城さんの領域に至るのだ。

 考えて考えて――翔鶴は赤城ならばこう考えるであろうと確信した答えを導き、口を開く。

 

「そうですね……夜戦できない私達を除くのは当然として……今も奮闘してくれている駆逐艦や大鷹さんなどで分けてもらうのはどうでしょうか」

「え?」

 

 瞬間、赤城の表情が固まった。

 な、何か……何かおかしかっただろうか……?

 内心狼狽(うろた)える翔鶴に構わぬように、愕然とした表情の赤城からだんだんと生気が抜けていく。

 

「……そう……ですね……翔鶴さんの仰るとおりです。それしかありませんね。それが最善だと私も思います」

「あ、あの! 何か間違っていたなら私は……」

「いえ、いいんです。これは私の力不足です。私の日々の精進が足りませんでした……私にも……私にも大鷹さんのように夜間戦闘が出来る能力があれば……っ!」

 

 赤城はぎゅうと力強く拳を握り、歯を食いしばって肩を震わせている。

 今にも悔し涙を流してしまいそうな迫力だ。

 え? 何故この流れでそんな結論に……。

 答えが見いだせない翔鶴であったが――瞬間、赤城を中心に強烈な閃光と爆風が巻き起こる。

 

「きゃああっ⁉」

 

 不意を突かれて翔鶴は尻もちをついた。

 攻撃⁉ どこから⁉ でも、熱も痛みも感じない……。

 爆風で激しくまくれ上がったスカートにも気付かず、慌てて顔を上げるも、闇の中でいきなり閃光を喰らった事で目が慣れるのにしばしの時間を要した。

 そしてようやく目が慣れて――予想だにしない赤城の変化に目を丸くする。

 

 全体的に雰囲気が暗くなっている――纏っているオーラまで。

 それはまるで闇に溶け込む事を前提にしているように。

 ソックスの色も白から黒へ。

 和弓も剥き出しの木色から黒塗りに。

 飛行甲板さえも鈍色(にびいろ)に。

 今まで背負っていた矢筒に加えて、軍刀を左腰に差している。

 闇に潜む獣のように、ただその双眸だけが異質なほどに爛々と輝いていた。

 

 まさか、まさか……改、二……?

 いや、ただの改二では無い……?

 この全体的に暗色のオーラ――見覚えがある。

 以前、この目で見る機会があった。佐世保鎮守府の正規空母サラトガさんの持つ特別な能力。

 私達にとっての改二と同じ強化。

 夜間作戦用航空母艦としての能力を有する『Mk.Ⅱ』。

 そして装甲空母としての能力を有する『Mk.Ⅱ Mod.2』。

 今の赤城さんの纏うそれは、サラトガさんの『Mk.Ⅱ』によく似ている。

 

 赤城さんの求めた力――夜間戦闘能力⁉

 

 翔鶴が改めて赤城の顔に目をやると、何故か赤面した状態で固まってしまっていた。

 改二の実装を喜ぶでもなく、口をぽかんと半開きにして、まるで恥ずかしいところを見せてしまったかのように。

 え? そのリアクションは一体……。

 いや、そもそも赤城さんが夜戦能力を求めた話の流れから推測するに、まさか……。

 

 翔鶴は恐る恐る、固まったままの赤城に訊ねた。

 

「……そんなに、食べたかったんですか?」

「⁉」

 

 赤城はぐりんと勢いよく翔鶴に顔を向け、がしりと両肩を掴んで詰め寄り、赤面しながら縋るように早口でまくし立てる。

 

「な、何を言うんですか、何を! それじゃ私がとんだ食いしん坊みたいじゃないですか!」

「そ、そうですよね! 失礼な事を言ってすみません! でも、それでは一体何故……」

「こ、これは……これはですね……その……そう! これが提督パワーです」

「えぇっ⁉」

「文月さん達、時雨さん達、朝潮さん達に改二が実装されたのも、そして羽黒さんと私に改二が実装されたのも、全部提督のおかげじゃないですか……って、頭の中で何かが……」

「た、確かに!」

 

 提督に心配されていた通り、翔鶴はかなりチョロかった。

 赤城の推測は間違っていない。いや、むしろそれしかないようにすら思えていた。

 たしかに赤城さんは出撃後などに砂場で子供が作る砂山のような量のカレーを笑顔で平らげていたりするが、きっと出撃後でお腹が空いているからだ。

 決して食いしん坊だとか食い意地が張っているというわけではない。

 提督の握った戦闘糧食を食べたいがあまり夜戦能力を得たいと本気で願うだなんて、流石に有り得ないだろう。

 一体どれだけの食い意地が張っていればそのような発想に至るというのだ。

 私はなんて失礼な事を言ってしまったのだろう。

 赤城さんが珍しく動転した様子で詰め寄ってきたのも当然だ。

 

 赤城さんが改二に至れた要因はただひとつ。

 これほどの隙の無さと実力を有しながら、目の前の戦闘に参戦できていない自らの力不足を悔いた事。

 提督に負けぬほどの、なんという意識の高さ……これが一航戦の誇り……!

 誇り高き、私達の先輩の姿……!

 あ、赤城さん……! か、感服、感服……!

 

 ガクガクと肩を震わせながら翔鶴が納得してくれたのを見て、赤城はほっと安堵の息を漏らす。

 それと同時に、いきなり上空から赤城の飛行甲板に艦載機が着艦してきたので、二人で驚いて目を見開いた。

 敵ではない。かと言って日が沈むまでの戦闘で自分が飛ばしたものでもない。

 

「これは……?」

「えっ、一体どこから。……⁉ あ、赤城さん、これは……これは『烈風改二戊型(ぼがた)』⁉」

「『戊型(ぼがた)』? 知らない子ですね……まさかこれは『IF(イフ)装備』ですか?」

「えぇ、私も聞いた事も、見た事もありません」

 

 艦娘は妖精と会話をする事が出来ないが、何故か装備の名称や性能は見ただけで理解できる。

 史実では存在しない装備――それが『IF(イフ)装備』。

 ごく稀に艦娘の改装に存在する『IF改装』と同じようなものだ。

 

 名機『零戦』の後継機として開発された最新鋭艦上戦闘機『烈風』。

 同機をベースにした高高度型局地戦闘機『烈風改』。

 それを更に熟成し、戦闘機戦闘及び艦戦としての完成度を高めた性能向上型『烈風改二』。

 『烈風改二戊型』は『烈風改二』を複座化し、機上電探装備を充実させた夜間戦闘機。

 IF(もしも)IF(もしも)を重ねた幻の翼。

 

「ま、まさか提督が? 提督の指示でここまで飛んできたんですか⁉」

 

 翔鶴の問いに、妖精は少しばかり考えるような素振りを見せた後に、こくりと頷いて機体ごと矢の姿となり、赤城の矢筒の中に納まった。

 見計らったようなタイミングで夜間戦闘機を向かわせるとは……。

 間違いない。赤城さんが今夜、夜間作戦用空母としての能力に目覚める事も、提督にはお見通しだったのだ。

 赤城もどこか挙動不審な様子ではあったが、ぱあっと表情を明るくして翔鶴に顔を向ける。

 

「ほ、ほら! 見て下さい! 私が改二に目覚めたのは提督のおかげなんです! 決しておにぎりが食べたかったからでは……!」

「もはや疑いようがありませんね……すみません、私ったら先輩に失礼な事を」

「い、いえいえ、いいんですよ。それよりも、気持ちを切り替えて私も戦場に向かわなければなりませんね」

 

 そう言うと、赤城は改二を解除して見慣れた姿に戻る。

 

「えっ、どうして」

「いえ、せっかくなのでもう一度やり直しておこうと思いまして。なんかちょっと気が引き締まらなくて」

 

 赤城はキッと表情を引き締め直し、深く息を吐いて全身から脱力する。

 その姿を見て、翔鶴は身震いした。

 不意に改二が実装され、自分の見当外れの言葉によって赤城は珍しく慌てふためいており、正直隙だらけの状態であったが――。

 即座にスイッチがオンになる。みるみる内に隙が霧散し、ついには一片も残さず消失する。

 

 私に改二が実装されるよりも先に、一気に差が広がってしまった。

 悔しい、不甲斐ない。提督のお墨付きを貰っても勝てる気がしない。

 いや、落ち込んでいる場合ではない。

 すぐに私も追いつくべく、偉大なる先輩を手本としなければ、赤城さんにも提督にも失礼だ――。

 翔鶴は誇り高き先輩の背中を、戦う姿を見逃さぬよう、瞬きさえも惜しんで視線を向け続ける。

 

 赤城は『烈風改二戊型』の矢を矢筒から抜き取り、見惚れるように目を向けて呟いた。

 

「提督が届けてくれた新たな力。これが新鋭の艦載機……綺麗な翼。この子達なら!」

 

 そして暗い海に向けて駆け出し、海面を滑りながら闇に向けて矢を弓に(つが)え――。

 闇を切り裂く幻の翼が閃光の速度で解き放たれた。

 

「改装された第一航空戦隊の力、お見せします! 『赤城改二』――『戊』!」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 龍田は嘘が嫌いだが、嘘をつくのは得意だ。

 普段から嘘ばかりついていたら誰にも信用されないから、ここぞという時に嘘をつく。

 そして嘘をつくのは、それが決してバレないと確信できた時だけだった。

 いつものように笑みを浮かべて、息を吐くように嘘をつく。

 だから、龍田のついた嘘は今まで誰にもバレた事はない。

 

 今夜、龍田がついた嘘は、決してバレないと確信できたわけではなかった。

 ただ、あぁでも言わなければ自分を心配して誰かがついてきてしまう。

 そうなれば、あちらの戦場もこちらもきっと共倒れになってしまった事だろう。

 

 敵の潜水艦は二、三隻ではなかった。

 ソナーの反応はうんざりするほど多くて、面倒だったので龍田は数を把握するのをやめた。

 ――群狼戦術、に近いだろうか。

 さながら自分は狼の縄張りに足を踏み入れた兎か。

 龍田が自嘲気味に微笑むと、闇の向こう、おぞましい複数の気配の中でひときわ大きいそれから、不気味な甲高い声が響き渡る。

 

『ヒヒッ……ヒヒヒヒッ! 何人迷イ込ンデクルカト思ッタラ、タッタノ一人カヨッ……!』

 

 潜水新棲姫。

 子供のような見た目でありながら、ある意味で最も艦隊司令部から警戒されている姫級深海棲艦。

 様々な海域でその姿は確認されており、遭遇したが最後、撃沈させるのはそれほど難しくは無いものの、引き換えに手痛い損傷を強いられ、撤退を余儀なくされる事も珍しくは無い。

 艦隊司令部ではシンプルに『クソガキ』と呼ぶ品の無い者も存在するという噂があるほどだ。

 それほどまでに厄介な存在。

 ましてや夜戦では、脅威以外の何者でもない。

 

 唯一の救いはと言うと、すでにC島を奪還しており、深海棲艦達は頼みの綱であった補給ができない状態であるという事だ。

 B島は集積地棲姫が鎮座しており、敵の増援部隊もしっかり補給ができるので、B島の戦闘はより激しいものになっているはず。

 それを思えば、C島、そしてA島方面は燃料、弾薬の不足している状態の敵増援を迎え撃てばよく、こちらは島に残された敵の資源で補給ができる。

 つまり敵の潜水艦隊は万全ではない。雷装も回避性能も弱体化しているはずだ。

 それだけのアドバンテージがあってなお、夜の潜水艦を相手取るには不足している。

 

『コノ魚雷ヲ……食ベロォッ!』

 

 食らえ、という意味であろうか。

 潜水新棲姫の不気味な叫びと共に、一斉に魚雷が放たれる。

 群狼戦術――数の暴力。攻撃間隔を僅かにずらし、回避した先を仕留める波状攻撃。

 幸運な事に今夜は満月。龍田は僅かな光で敵の位置と雷跡を視認し、決して高くない性能を補って余りあるセンスと経験、技量によって瞬時に回避する道筋を導き出す。

 まるで魔法のように全ての魚雷を回避され、海面に顔を半分だけ出した潜水新棲姫は大きく舌打ちした。

 

『チッ! 運ノ良イ奴……! 邪魔ナ光ダ……! マァイイ……! 空ヲ見テミロヨ……!』

 

 龍田が夜空を見上げれば、月の周囲に雲が流れている。

 風向きを見るに、あと少し時間が経てば月の光を覆い隠し、やがて周囲は完全な闇に閉ざされるだろう。

 そうなれば雷跡を追うのも、敵の位置を把握するのも困難になる。

 

『次ニ月ガ完全ニ隠レタ時……! ソノ時ガオ前の運ノ尽キダ……! ナァンテナァ! ヒヒヒヒャアッ!』

「上手いこと、言ってくれるわねぇ……全然笑えないわ~」

『ヒヒヒヒヒッ!』

 

 潜水新棲姫は愉快そうにおぞましい笑い声を上げ、黒い海の中に沈んでいく。

 恐いほどの静寂。否。比喩ではなく本当に恐ろしい。

 龍田は思う。

 あの人はどこまで見通しているのだろう。

 実は私が本当に潜水艦に恐怖を感じていて、今にも泣いてしまいたいほどだという事も知っているのだろうか。

 そうだというのに、私に対潜装備を満載させて、潜水艦の相手をさせようとしているのか。

 

「本当に……ひどい提督だわ~」

 

 恐怖を押しつぶすようにぎゅっと薙刀のような艤装の柄を握りしめ、龍田は小さく呟いた。

 もしも私が思っている通りなら。

 ここで私に戦えと言っているならば。

 大破するな、轟沈するなと泣いて命令するのなら――。

 嘘を自らバラしてまでも、そうしたいと思ってしまっているのだから。

 

「私も天龍ちゃんの事笑えないくらい、結構単純なのかもしれないわねぇ……」

「龍田さんっ! 大丈夫ですかっ?」

 

 龍田が苦笑していると、闇の向こうから呼ぶ声がする。

 僅かに驚いて目を向ければ、息を切らせた大鷹が向かってきていた。

 

「大鷹ちゃん、どうしたの? 大鷹ちゃんがいなくなったらあっちが大変じゃない」

「いえ、はぁっ、はぁ……その、赤城さんが。赤城さんが提督のお陰で夜間戦闘能力に目覚めまして、それで、航空攻撃に余裕が出来たので、あと、羽黒さんにも改二が実装されて、それで、妙高さんが」

「赤城さんが……羽黒ちゃんも。そういう事ね~。妙高さんったら、優しいんだから……」

 

 大鷹はよっぽど急いできたのか、大きく肩で息をしている。

 焦りのためか言葉にもまとまりがなかったが、龍田が状況を理解するには十分だった。

 大鷹は対潜が得意な空母だ。龍田以外の面子では、一番援軍として適任であろう。

 だが、妙高と大鷹には悪いが、龍田は色んな意味でそれを素直に喜べなかった。

 

「大鷹ちゃん、本当に大丈夫? 夜の潜水艦よ~?」

「うっ、い、いえ。はい、夜の潜水艦は、怖いですね……でも、提督がついてくれています。それなら、今の私には、怖いものなんてありません!」

「そう……大鷹ちゃんは本当に強いのね~」

 

 龍田には大鷹の恐怖がよく理解できていた。

 だからこそ、たとえ対潜戦闘に適性を持っていたとしても、この場に援軍には来てほしくなかったのだ。

 トラウマを呼び起こされる辛さ、トラウマに立ち向かわねばならない恐怖。

 たとえ対潜装備を満載されても、そう簡単に拭い去れるものなどでは無いからだ。

 

『ヒャヒャヒャヒャアッ! 来タ! 獲物ガモウ一匹迷イ込ンデ来タァ! ヒヒヒヒッ!』

「ひいぃっ⁉ ……たっ、龍田さんっ⁉ この感じ……二、三隻どころか……っ! えっ、嘘っ、鬼、いえ、姫級……?」

「ごめんね~。上手に隠れていたみたいで、罠にかけられちゃったのよ~」

 

 潜水新棲姫の声に怯える大鷹に、龍田はさらりと嘘をついた。

 自分が自己犠牲の精神から、これだけの敵艦に単騎で立ち向かおうとしていたなどと誤解されたくはないからだった。

 そんな綺麗なものでは決してない。

 自分はそんな綺麗なものでは決してないのだ。

 

 しかし自分のついた嘘のせいで、大鷹を驚かせてしまった。

 おそらくは、二、三隻程度なら、という希望に縋って、勇気を奮い立たせて助けに来てくれたのだろう。

 それが今、現実を見て心が折れかけている。

 二、三隻どころか十数隻。しかも一隻は姫級の潜水艦。

 大鷹は愕然とした表情で小さく震え、みるみるうちに顔から色が引いていった。

 怖いものなんてないという自らの啖呵を前言撤回しているのかもしれない。

 

 龍田は震える大鷹に、優しく耳打ちする。

 

「大鷹ちゃん、もうすぐ月が隠れるわ。そうしたら敵が一斉に攻撃してくる」

「えぇっ……! そ、そんな。一体どうやって回避すれば……それじゃあ敵の位置もわかりません……!」

「落ち着いて。夜の潜水艦は確かに怖いし、無敵と言ってもいいわ。でもね、決して魔法を使っているわけではないのよ?」

「ま、魔法?」

「そう。闇に紛れて見つけるのが極端に困難になるだけ……敵の本体も魚雷も見えなくなるだけで、確かにそこに存在する。爆雷が当たれば沈むし、避ければ魚雷は当たらない」

「そ、それはそうですが……!」

 

 大鷹は龍田の言葉の意味が理解はできたが、まったく理解できなかった。

 それはあくまでも理屈の話だ。理論上可能というだけで、実現できるかはまた別の問題だ。

 たとえ理論上可能であっても、実行不可能であればそれは理論上不可能なのと同じではないのか。

 敵艦を視認できない闇の中で爆雷は決して当たらないし、魚雷は決して避けられない。

 故に夜の潜水艦は無敵だと称されているのだ。

 励まされているのか。諦めろと現実を突きつけられているのか。

 大鷹にはわからなかった。

 

「大鷹ちゃんは回避に専念して。大丈夫、私の後ろにぴったりついてくればいいから」

 

 龍田さんは一体何を言っているのだろうか。

 大鷹はもう訳がわからなかった。

 気休めだろうか。空を見上げる。

 あぁ、もう時間が無い。もうすぐ月が完全に隠れてしまう。

 完全な闇が訪れる。完全な静寂が訪れる。

 

 龍田は月を見上げて場違いなほどに小さな溜め息を吐いた。

 

「……本当に、ひどい提督。まぁ、千代田ちゃんの件もあるし、そろそろ潮時だったのかもしれないわねぇ……」

「えぇっ、た、龍田さん! 潮時って、や、やっぱり諦めて……?」

『ヒヒッ! ヒヒヒヒッ! 言イ残ス事ガアレバ聞イテヤルヨォッ! 冥土ノ土産ニナァッ!』

 

 潜水新棲姫の甲高い声が辺りに響く。

 大鷹は恐怖のあまり涙目で龍田の背中に縋りついた。

 

「あら、優しいのね……。それじゃあ御言葉に甘えて、ひとつだけ聞いてもらってもいいかしら……?」

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 群狼の狩場に迷い込んできたのは兎なんて可愛いものでは決してなく。

 横須賀鎮守府の伏龍――昼行燈と称される軽巡洋艦であった事を。

 昼間ではなく、闇の中でこそ、強く輝く光である事を。

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 たった一人で迎え撃とうとしたのは、戦力が足りないからではなく。

 その方が彼女にとって都合が良かったという事。

 その姿が誰にも見られないように。

 万が一にでも、見られる事が無いように。

 完全な闇が訪れるのを待っていたのは龍田の方だった事。

 その姿が誰にも見られないように。

 万が一にでも、見られる事が無いように。

 

 潜水新棲姫は知らなかった。

 龍田の鬼門である潜水艦。

 なるべくなら、可能な限り戦いたくはない相手。

 鬼門である相手にこそ真価を発揮するような能力を彼女がすでに秘めていた事。

 そんな彼女に、ひどい提督が意地悪な事に、対潜装備を満載させてくれていた事。

 必ず生きて帰れという、大切なものを守れというメッセージ。

 それを受け取った龍田がすでに、今までの嘘がバレてもいいという気持ちになってしまっていた事。

 

 潜水新棲姫は、そして大鷹は知らなかった。

 彼女のその姿を見た者は、今まで一隻残らず、念入りに沈められていた事。

 その姿を見た相手は絶対に沈む。絶対に沈める――まるで呪いのような姿を龍田が秘めていたという事。

 彼女が本人にしか理解し得ないようなとても小さな事にこだわって、その姿を隠していた事。

 彼女がかつて沈めた相手の中に、別の個体の潜水新棲姫が存在した事。

 

 月が完全に雲に覆われる。

 龍田の艤装に灯る淡い光――それさえも消えて。

 墨汁をぶちまけたような、一寸先も見えない完全な闇と静寂の中。

 

 普段通りの鈴を転がすような龍田の優しい声色だけが――静かに奏でられたのだった。

 

「天龍ちゃんには内緒にしてね……? あの子すぐに()ねちゃうから……――『龍田改二』」




大変お待たせ致しました。

活動報告にも書きましたが、激務と噂される部署への異動がありまして、ますます遅筆に拍車がかかりそうです。
今のところは異動したばかりという事で残業も少なめですが、仕事中に遠征処理すらしにくくなってしまいました。
菱餅イベで削られた鉄とボーキが未だに回復しなくて辛いです。

世間はコロナで色々と大変な状況ですが、このお話が室内で過ごす中での暇つぶしの一助となれれば嬉しいです。

次回も艦娘視点になりますが、気長にお待ち頂けますと幸いです。

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