ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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第三章『元帥視察編』
033.『視察』【元帥視点】


「…………」

 

 横須賀鎮守府正門前に停められた車の後部座席で、私は無言のままに扉を開けるのを躊躇していた。

 窓から見えるのは、正門前に横並びに立つ七人の艦娘。

 運転手がハンドルを握る手は哀れなほどに汗ばみ、震えている。

 普段の私であれば、軽くドアを開けて車から降り、片手を上げながら気楽に挨拶をしていただろう。

 

 だが、それを戸惑うまでに、ひとつ間違えれば命取りになるのではないかと考えてしまうまでに――それほどまでに、窓越しに見える彼女達の纏う雰囲気と眼光がただ事では無かった。

 

 後部座席の窓は、外から中が見えにくいようになっている為、彼女達から私の姿は見えていないだろう。

 しかし私からは彼女達の姿がよく見える。

 彼女達の周囲の景色がまるで陽炎のごとく、ぐにゃあと歪んで見えているのは、私の視力の衰えによるものでは無いと信じたい。

 ゴゴゴ、などとどこからか地鳴りのようなものが聞こえているのも、私の聴力の衰えによるものでは無いと信じたい。

 それらの目の錯覚と幻聴のような何かは、おそらく彼女達の纏う只ならぬ迫力のせいだ。

 

 まるで今から激戦に赴くかのごとき決意、闘志、熱気。

 何故彼女達がそのような物騒なものを全身から発しながら私を迎え入れようとしているのかの答えに至るまでは、このドアを開ける事はしない方がいいだろう。

 

 何しろ、前提条件として、艦隊司令部は彼女達からの信頼をすっかり失ってしまっていてもおかしくは無いからだ。

 

 まず、私一人を出迎えるにしてはあまりにも多すぎる七人という人数も気になるが、その面子にも注目しなければならない。

 一言で言えば精鋭。

 更に言うなれば、艦隊司令部への不信感を隠そうとはしない面子が多く含まれている。

 特に那智くん、加賀くん、磯風くんなどは、前提督の件で艦隊司令部を痛烈に批判した事から、一部の艦娘兵器派の者達から特に危険視されているほどだ。

 大淀くんと長門くんは横須賀鎮守府のまとめ役を務めている二人だ。この二人がここにいる事は特段不思議な事では無い。

 

 私の目にひときわ異様に映るのは、龍驤くんと神通くんだ。

 二人とも普段と戦闘時のギャップが大きく、龍驤くんはいつも気さくに周囲を笑顔にしてくれ、神通くんは引っ込み思案で大人しい印象だが、いざ戦闘となればそれが嘘のような戦いぶりを見せる。

 そんな彼女達が今、戦闘時の目をしている。

 神通くんは駆逐艦から鬼と呼ばれ恐れられているが、その理由がようやく心から理解できたような気がした。

 

 いや、龍驤くんと神通くんだけでは無い。

 全員、明らかにこれから戦場へ赴く者の目をしていた。

 その眼光の向けられる先は、言うまでもなく私である。

 私は異様に真剣な表情で正門前に並ぶ彼女達の姿を見た時、「何ッ、七隻編成で出撃か。まさかレイテ並の脅威に立ち向かう準備を……空母に戦艦、重巡に軽巡、駆逐艦でバランスも取れているが」などと思わず口走ってしまったが、まさかそれが私を迎撃する為の編成だったとは……。

 

 もちろん迎撃というのは比喩であるが、彼女達が只ならぬ雰囲気を纏って私を出迎えようとしているのは事実だ。

 その目はとても真剣で、警戒の色が隠しきれていない。

 これを見るに、おそらく彼女達はまだ艦隊司令部への不信感を拭い去れてはいない。

 まぁ拭い去れるほどの事は何も出来ていないのだから、それは当然の事と考えた方がいいだろう。

 

 だが――彼女達の目は息を吹き返していた。

 

 私が最後に見た彼女達は、皆死んだ目をしていた。私達を、艦隊司令部を、そして自分達の運命や守るべき人間の事すら諦めたような眼をしていたのだ。

 そんな彼女達の目を見ていたからこそ、艦娘兵器派の者達は彼女達に対して怯えたのだ。

 兵器が人間に逆らった、奴らは危険だ、などと騒いでいたが、深海棲艦に唯一対抗できる彼女達から見放されたと口にするのが怖かったのだろう。

 私も今日は、そんな目をした彼女達に睨みつけられる事を覚悟してきたつもりだ。

 

 しかし、私に対して異様な圧力と熱気を発しながら向けられる眼光は、かつて死んでいたそれでは無かった。

 冷めた視線とは正反対に爛々と輝く双眸は、確実に生きているものだった。

 それだけは確実に言える。

 

 ――なるほど、わからない。

 

 やはり、彼の着任が何らかの関係を持っていると考えるべきだろう。

 大淀くんからの報告書によれば、誰も予測できなかった姫級深海棲艦による奇襲を、彼の神算鬼謀により見事に撃退する事に成功した、とある。

 

 勿論そんな事はありえない。

 ここに向かうまでに、彼の身の上に関する報告書に目を通したが、彼は艦隊指揮に関しては紛れもなく素人だ。

 彼の妹からの聞き取り調査と身辺調査を合わせても、そこだけは疑いようが無い。

 彼が意図せず指揮した事が偶然にも全てうまく行った可能性など、無に等しく万に一つも有り得ないだろう。

 

 そうなると、姫級の深海戦艦の奇襲とその迎撃に関しては事実だが、「提督の指揮により」という点は事実では無い可能性が高いか……。

 大淀くんがそのような虚偽の報告をする可能性は無いと信じてはいるが……それを否定できない要因もある。

 それは、報告書に記載されていた通りの敵編成を、彼女達が大きな被害を出す事なく迎撃する事が出来たという事実だ。

 

 彼女達艦娘が提督の指揮下に無い時の性能を仮に「レベル1」とする。

 艦娘としての姿を得てからの戦闘経験などにより、彼女達の練度は上がり、本来の性能を取り戻していく。

 それは艦娘によって様々だが、仮に「レベル50」の艦娘がいたとしても、提督の指揮下に無ければ「レベル1」の性能しか発揮できないという事だ。

 

 そして彼女達の性能は、提督への信頼により更に向上する事が実証済みである。

 提督をどれだけ深く信頼しているかにより、彼女達の性能は底上げされ「レベル50」の艦娘が「レベル80」の域に達する事もある。

 過去の戦況から、この『提督への信頼』というブースト無しでは、鬼、姫級の深海棲艦にはとても太刀打ちできないと推測されているのだ。

 

 つまり、横須賀鎮守府の艦娘達が姫級を撃滅できたという事実は、僅か一日にして彼女達が彼の事を深く信頼したという事を示している。

 そしてそれは、報告書に書かれている事と何一つ矛盾しない。

 

 ――なるほど、わからない。

 

 信頼は失うのは一瞬だが、一朝一夕で築き上げられるものでは無い。

 不信感を抱かれている私達艦隊司令部が送り込んだ彼の事を、彼女達はそう簡単に信頼する事が出来たのだろうか?

 近頃の若者には珍しい愛国心を持つ彼の熱意が艦娘達に伝わったのならば、彼女達がそれに応えたとしてもおかしくはない。

 

 そうだとするならば、私の策は裏目に出てしまったか……。

 彼には素人である事を隠すようにと伝えていたが、あんな大規模侵攻を前にして隠し通せる訳が無い。

 たとえ彼が恐れと動揺を押し隠しても、彼に求められる指揮能力は相当高度なものだ。

 大淀くんや長門くんなど歴戦の艦娘達の目を誤魔化せるはずが無い。

 

 そうなれば、前線に素人を送り込み、彼に嘘をつくように指示した私達艦隊司令部への不信感は拭い去れないほどに強まるだろう。

 一方で、素人ではあるが愛国心と熱意はあり、危険な前線に送り込まれた彼の事は――。

 

 ――なるほど、まだまだわからない事だらけだが、私なりに一応の推測と心の準備はできた。

 

 正門前に並んでいる七人。

 彼女達が纏う異様な迫力と鋭い真剣な眼光。

 姫級の大規模侵攻とその撃滅。

 私達艦隊司令部への不信感。

 素人である彼への信頼。

 彼女達の目が命を吹き返していた理由。

 

 わからない事を確かめる為に、私はこの場へ訪れたのだ。

 後は、この眼とこの耳で事実を確かめるしかない。

 私は意を決して、後部座席のドアを開けたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 私がドアを閉めて彼女達に向かい合うと、彼女達は一糸乱れる事なく敬礼する。

 普段であれば私も軽口と共に笑いかけるところだが――今回ばかりはそうもいかない。

 艦隊司令部に属し、前提督の暴挙に対して一年もの間、何も出来なかった私もまた、彼女達から不信感を向けられていて当然だからだ。

 その一挙手一投足にも油断は出来ない。

 笑顔でも浮かべようものなら、那智くんか磯風くん辺りに「何をへらへら笑っているんだ」などと睨みつけられてもおかしくは無い。

 私は真剣な表情を彼女達に向け、敬礼を返した。

 

「出迎え、ありがとう」

「はっ」

 

 近くでその表情を見るに――やはり皆、私の事を警戒しているという事がひしひしと伝わってきた。

 意外にも敵意は感じなかった。それは私の考えすぎであったようだ。

 だが、単に出迎えに来たというわけでもない。

 顔色を窺われているような感じだろうか。今までの対応とは明らかに違う。

 言葉一つにも、油断は出来ない。

 私は表情を変えぬままに、大淀くんに向けて口を開いた。

 

「報告書に目を通したよ。大変な戦いだったようだ。この国にとって前代未聞の危機だった……本当にありがとう」

「はっ、光栄です。しかし、今回の深海側の作戦は私達にも予想のできないものでした。私達は提督の指揮に従っただけに過ぎません」

 

 報告書に書かれていた通りの答えだ。

 素人の彼には出来るはずもない高度な指揮が、偶然の結果であるとは考えにくい。

 たまたま戦艦金剛の建造に成功し、たまたま遠征先に敵資材集積地を発見し、たまたま敵の奇襲部隊に先制爆撃を与え、たまたま補給艦隊を強襲する形となり、たまたま迎撃に成功する事など、あるはずが無い。

 そうなると、今回の大戦果はやはり艦娘達によるものであり、彼のものではない可能性が非常に高いと思う。

 

 幸運にも戦艦金剛の建造に成功した部分だけは、彼の功績であるのだと、なんとなく理解できる。

 何と言えばよいのか、提督と艦娘の間には、目に見えない縁のような絆のような、そんな何かがあるような気がするのだ。

 狙っている艦娘を何度やっても建造できず、狙っていない提督がひょいと建造に成功する事例は過去にも多々ある。

 そういう場合、その提督と艦娘には特別強い絆があり、より性能も強化されているような気がするのである。

 彼と金剛くんにもまた、そのような縁があったのかもしれない。

 

 彼の功績は、金剛くんの建造と、艦娘達からの信頼を取り戻した事。これだけは疑いようの無い事実であろう。

 彼への信頼が無ければ、迎撃も不可能であったと思われる。

 

 しかし、それはそれとして、艦娘達がこの大戦果を彼の功績と偽る理由とは……いや、それもこれからわかる事かもしれない。

 あまり考え込んでも不審に思われそうなので、私は切り替えて言葉を続けた。

 

神堂(しんどう)提督は今、何をしているのかな」

「――はっ……?」

 

 思いもよらぬリアクションに、私も呆気に取られてしまいそうになるのを何とか堪えた。

 大淀くんだけでなく、他の六人の表情にも僅かに困惑の色が浮かんでいる。

 困惑というよりも、それはすぐに脳内で答えを推測する事ができる程度の事だったのだろうが――私は同時に、しまった、と思った。

 

「神堂提督……神堂(しんどう)貞男(さだお)提督。彼の名前だよ。彼はまさか……名乗って、いなかったのかな?」

「はっ……はい。そう言えば、提督はまだ名乗られておりませんでした。自己紹介では、過去の経歴等に関しても一切……」

 

 ――いきなり、しくじってしまった。

 まさか彼が名前すら隠していたのだとは想像もしていなかった。

 彼には素人である事は知られないようにとだけ命じたが、もしかして彼はそれを忠実に守り、なるべく自分の情報について伏せていたのか。

 過去の経歴など話せるわけもない。しかし名前くらいは、と思ったが、もし、名を伏せる事も彼の作戦だったのだとしたならば――。

 

 だとするならば、私が下手に口を滑らせてしまうと、せっかく彼が隠していた事を私がバラしてしまいかねない。

 

 すでに素人である事がバレているのではないかという私の推測はあくまでも推測に過ぎない。

 彼の考えを私が邪魔してしまっては元も子も無いではないか。

 彼には彼なりの考えがあるかもしれないというのに――。

 

「しまったな……彼が口にしていなかったのならば、これは私が口にしていい事では無かった。それで、神堂提督は何処に」

「は、はっ。昨夜、提督と金剛の歓迎会兼祝勝会を行いまして、提督は私達一人ひとりに真摯に向き合っておりました。それゆえに酒を大量に呑んでしまい、今もまだ眠っております」

「ほう、歓迎会を」

 

 大淀くんの言葉に私が内心とても驚いてしまった事は、彼女達に気付かれなかっただろうか。

 あの死んだ目をしていた彼女達が、提督の歓迎会を開くとは……そうなると、やはり彼が一日にして艦娘達の信頼を得たという推測には間違いが無さそうだ。

 大淀くんの口ぶりを見るに、彼が彼女達と真摯に向き合ったという事をとても嬉しく思っているようだ。

 故に、この時間まで深酔いして目を覚まさない事に不満を持っているようには見えない。

 彼にも伝えてはいるが、艦隊運用に関しては艦娘達だけでも十分に行える。素人の彼が目覚めなくても支障は無いはずだ。

 うぅむ、これはやはり彼の人徳の成せる技か……。

 

 しかし大淀くん以外の六人は、何故こんなにも切れたナイフのような眼光で無言のまま佇んでいるのだろうか……。

 おしゃべりな龍驤くんがいつものように話しかけてくれないのも少し寂しいが……艦隊司令部はそれだけの事を彼女達にしてきたのだ。

 彼が信頼されているのを、私達の手柄のように考えてはならない。

 

「わかった。彼が目覚めるまで無理に起こさなくても良い。とりあえず応接室で待つ事にするよ」

「はっ……⁉ お、起こさずともよろしいのですか⁉」

「うん。約束も無しに訪れたのは私だからね」

 

 私はそう言って歩を進めた。

 驚いた様子の大淀くんが少し遅れて私の隣に付き、他の六人は私達よりも少し後に並んで付いてくる。

 私が彼に頼んだ仕事は、あくまでも艦娘達から信頼を取り戻す事だ。

 そういう意味では、彼は素晴らしい働きをしてくれた。

 まさかたった一日で彼女達の信頼を取り戻すなどとは思いもよらなかった。

 しばらく眠らせてあげてもお釣りがくるくらいの大戦果だと私は思う。

 

 それに、良く思われていない艦隊司令部の私が、信頼されている彼を無理やり叩き起こすというのは、やはり艦娘達からしても面白くないだろう。

 これ以上艦隊司令部の印象を悪くする事も出来ない。

 

 少なくともこれで彼女達は本来の性能を取り戻す事ができたのだから、よほどの大規模侵攻で無い限りは、大淀くんや長門くんの指揮だけでも近海の護衛は務まるはずだ。

 横須賀鎮守府は最もこの国の中枢に近い拠点だったので、これでようやく胸を撫で下ろす事が出来る。

 

 しかし、背後に感じる物凄い圧力に、どうも落ち着かない……。

 ストーブの近くに腰かけているみたいに、背中が焼けるように熱い。

 少し博打になるが、確かめてみるか……。

 私は首だけで振り向いて、ひときわ異様な熱気により周囲の景色を歪めている長門くんに向けて言ったのだった。

 

「こんなに錚々(そうそう)たる面子に出迎えてもらえるのは光栄だが、一体どうしたというのかね」

 

 私の言葉に、長門くんの放つ圧力が更に強まった。

 更に、まるで競い合うかのように、加賀くん、那智くん、磯風くんと、六人から発せられる圧力が次々に大きくなっていく。

 時代小説などでしか目にした事は無かったが、これがおそらく、殺気をぶつけられるという事なのだな、と平静を装いながら感じた。

 思わず私の顔も引きつってしまうほどであったが、そんな私に、長門くんは真剣な表情を崩さぬままにこう言ったのだった。

 

「……はっ! 我々の思いを伝えたく……!」

「ほう」

「佐藤元帥。我々はそれだけ本気だという事だ」

 

 続く那智くんの言葉に、私は「そうか」と小さく答えて、振り向いていた首を再び前に戻した。

 背中にはびっしょりと冷や汗をかいてしまっている。

 鷹の目のような那智くんや加賀くんの眼光を前にして平静を装うので精一杯だった。

 彼女達と相対して戦う深海棲艦達の気持ちが少し理解できたような気がした。

 

 この面子、そしてあの眼を見れば、彼女達が本気である事くらいは理解できる。

 長門くんに問いかける前から、私達艦隊司令部に何かを訴えかけているような、そんなものを感じてはいたのだ。

 目は口ほどに物を言う。彼女達はあえて、言葉にせず、目と雰囲気だけで思いを伝えようとしている。

 言うなれば、無言の圧力という言葉が一番しっくりくるのだが……つまり彼女達は私に何かをして欲しがっているというのだろうか。

 素直に言葉にしてほしかったが、彼女達が「察して欲しい」と思っているのであれば、「つまりどういう事だね」などと問う事は出来ない。

 ますます艦隊司令部への不信感は強まってしまうだろう。

 

 若い女の子の考える事を察するなんて、この私の古ぼけた頭にはわかるはずも無い。

 最近若者達の間で東野マナなる歌手の「取扱説明書」なる歌が流行っているようだが、全く歌詞の意味が理解できなかった私には荷が重すぎる。

 山田くんを連れてくれば良かった……などと後悔してももう遅い。

 彼女達は私に何をして欲しいのだ。帰って欲しいと思っているというのが私としては一番納得できるのだが……。

 

 私が黙って歩を進めていると、隣の大淀くんが意を決したように口を開いた。

 

「あ、あの、佐藤元帥。ひとつ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」

「なんだい?」

「提督は……神堂提督は、一体何者なのでしょうか」

 

 私は表情を変えぬままに、古ぼけた頭を巡らせた。

 これは……言葉通りの意味か? それとも誘導尋問か?

 彼は過去の経歴については一切話さなかったというのはすでに確認済だ。

 名前すらも明かしていないくらいだ。そこは徹底していたと考えてもいい。

 そうなると、勿論私が答えられる事では無い。沈黙は金、である。

 

 しかし、「何者か」などと普通問いかけるだろうか。

 まるで彼の正体を暴きたいかのような問いだ。

 艦隊司令部で教育を受けた新米提督だよ、との答えを期待しているのか、それともただの素人だよ、との答えを予想しているのか。

 勿論私がそのように答えを返すはずもないが、かといって沈黙するのも彼女達の機嫌を損ねかねない。

 もしも彼がまだ素人である事を隠し通せており、彼女達が何となく感づいているという状況なのだとするならば、詮索するのも釘を刺しておいた方が良いだろうか。

 私は少し考え込んで、大淀くんに言葉を返した。

 

「悪いが、私の口からは話せない」

「なっ……⁉」

「出来る事なら、今後は彼に対してもなるべく詮索しないでもらいたい。横須賀鎮守府の艦娘全員に周知してもらえるかい」

「は、はっ! 申し訳ありません!」

 

 大淀くんはまるで失言でもしたかのように、大袈裟に頭を下げた。

 機嫌を損ねる事は無かったようで、内心でほっと胸を撫で下ろす。

 嘘はついていない故に罪悪感も無い。

 しかし、大淀くんが大きな失態でも犯してしまったかのように愕然とした表情になっていたので、私は少し可哀そうになってしまい、言葉を続けたのだった。

 

「私が唯一話せる事は、彼が近頃珍しいほどに愛国心に溢れた青年で、とても君達艦娘の事を大切に思っているという事くらいだ」

「はっ……愛国心と、私達の事を……?」

「うん。三日前かな。横須賀鎮守府の提督となってくれないかと頼む為、私が彼の自宅を訪れた時、私が詳しく説明する前に、彼は二つ返事で了承してくれたんだよ。彼はそれどころでは無かったというのに――」

 

 そこまで言って、私はまた口を滑らせてしまった事に気が付いた。

 しまった。少し話し過ぎた。

 まるで自分の事のように自慢げに話してしまったのは、ここに来るまでに彼の身の上に関する調査資料に目を通してしまったからだろう。

 そこで初めて、彼がおよそ一年前に心と身体を壊して仕事を辞め、療養中の身であったという事を知ったのだ。

 若くして両親を亡くし、歳の離れた妹達を支えながら生きてきた彼の事を、私は感心な若者だと思った。

 彼の力になりたい、支えてあげたいと思ったのだ。

 彼が何者かは伏せねばならないが、不器用ながらも苦労して生きてきた真面目な青年の事を、私は知って欲しいと思ったのだろう。

 いずれにせよ、失言には違いないのだが――。

 私は小さく咳払いをした。

 

「済まない。少し話し過ぎた」

「……いえ、ありがとうございます」

 

 聡明な大淀くんならば、私の言葉から彼の正体を推測してしまうだろうか。

 さっそく、何やら考え込んでいるようだ……情報を与えてしまった以上、考えるなとは言えるはずもない。

 覆水盆に返らずと言うが、もはや祈る事しか出来ない。

 これ以上は、もはや口を開かない方がいいだろう。

 

 しかし、やはり彼女達は彼の事を信頼しているはずなのだが……それとは別に、彼の事を詮索しようとしているようだ。

 これは、危うい。

 彼にも詳しく話を聞こうと思っていたが、その場には当然、秘書艦もしくは数人の艦娘達が控えたがるだろう。

 彼との話を聞かれてしまったら、正体を隠すどころでは無い。絶対にバレてしまう。

 応接室で二人きりになり、席を外すようにと伝えても、果たして彼女達がそれで納得をするかどうか。

 彼女達の真剣な眼を見るに、私と彼が話すという絶好の機会を逃すようには思えない。

 聞き耳は立てられると思った方が良いだろう。

 

 彼女達にとってもはや威厳など失ってしまった艦隊司令部の私が盗み聞きをしないように、などと言ったところで従うとも思えない。

 むしろ、彼女達を疑うような言動をする事で、彼女達の機嫌を損ねる可能性が大きい。

 そうなると、彼女達が聞き耳を立てる事を咎める事なく、かつ、聞き耳を立てられず彼と二人で話せるような策を考えなければならないか――。

 

 その後、私は大淀くんに、彼が着任してから今回の迎撃作戦に至るまでの流れを再度問いかけた。

 予想通り、やはり報告書に書かれていた内容以上の情報は得られない。

 大淀くんともあろうものが、ボロを出すはずも無い。

 つまり、彼の指揮によりこの大戦果が得られたという事は、彼女達が主張する事実であるという事だ。

 

 無論、素人の彼にそのような事は不可能であり、偽りである可能性が高い。

 だが、大淀くんから説明を受けている間、後ろの六人が「フッ、全く大した奴だ……」「あぁ、胸が熱いな……」「この磯風が認めただけの事はある……」「うちが見てきた中でもとびきりの切れ者やで……」「そうね。流石に気分が高揚します」「流石は提督です……」などと、ところどころでわざとらしい合いの手を挟んできたのが気になる。

 大淀くんだけではなく、この精鋭達もまた、彼の事をまるで有能な提督のように話している。

 

 ……もしや、素人である事はバレていないのか?

 それとも、それを勘づいている上で、あえて――。

 

 確かめるには、彼と話さねばならない。

 彼女達を遠ざけて彼と二人きりになるべく、大淀くん達の話を聞きながら、私は策を巡らせたのだった。

 




大変お待たせ致しました。
テンポの関係上なるべくまとめて投稿しようと思っていたのですが、気付けば前回の投稿から一か月近く経ってしまいましたので、取り急ぎ元帥視点を投稿します。

ここから第三章、元帥視察編がスタートとなります。
元帥の視察自体はそこまで長くはならない予定ですので、第三章は第二章に比べて比較的小規模の長さになるはずです、多分。


※どうでもいい裏設定
・神堂提督の簡単な身の上
十二歳:病により母を亡くす
十四歳:寿命により祖母宅で飼っていた犬二匹(ダッチとグレイ)を亡くす
十五歳:事故により父を亡くす 祖母宅に引き取られる
十八歳:高校卒業後地元で就職 介護が必要になった祖母の面倒を見ながら働く
二十歳:寿命により祖母を亡くす
二十五歳:諸事情により心身を病み退職 ニートになる
     オータムクラウド先生の作品に出会う
二十六歳:横須賀鎮守府に着任

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