ラストダンスは終わらない   作:紳士イ級

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025.『歓迎会』【艦娘視点①】

「……まずは千歳さんと千代田に特大発動艇を装備してもらって……第二二駆逐隊の皆と組ませれば……」

「おーい? 大淀ー? ちょっとー?」

「川内さん達にもそれぞれ水雷戦隊を率いてもらうとして……そうすると駆逐艦の組み合わせは……」

「大淀っ、大淀ってば」

 

 空のグラスをじっと見つめながら備蓄計画を再検討している私の肩を、隣に座る夕張がゆさゆさと揺さぶってくる。

 集中できないので、私は我慢ならずに思考を打ち切り、夕張に目をやった。

 

「あぁもうっ! 何ですかっ⁉ 貴女の役目はドラム缶を四つ抱えていざとなったらそれで敵艦を殴り倒しつつ――」

「いや聞いてないから! とにかく落ち着こ? ねっ?」

 

 夕張がそう言ってメロン味のお酒を注いでくる。

 仕方なくそれに口をつけ、一息つく事にする。

 しかしどうにも一口では収まらず、ごくごくと一気に飲み干してしまった。

 

「んくっ、んくっ……ぷはぁ」

「もう、どうしたのよ。さっきからおかしいわよ」

 

 さっきから、どころではない。

 夕張の知らないずっと前から、私はもうおかしくなってしまっていた。

 遡れば、そう、鎮守府の正門前で、明石を泣かせてしまったと狼狽える提督を見て笑ってしまった時からだろうか。

 あの時から私はもう、きっとおかしくなっているのだ。

 

 鹿島が提督の秘書艦に立候補すると言った瞬間――嫌な感じがした。胸騒ぎが起きた。背筋に寒気が走った。

 それは何故かと言うと、正直に言えば、私の大切な何かを奪われてしまうのではないかと思ったからだ。

 

 過去の提督の中には、秘書艦の業務など誰がやっても同じだと言って、自分の好みの艦娘を指名する者もいた。

 事実、それは間違いではない。得手不得手はあろうと、やり方さえ覚えれば提督の補佐という仕事は専門性があるというわけではない。

 

 秘書艦の仕事は大きく分けて三つ。

 まずは、提督の身の回りの世話。たった一人で鎮守府を管理する提督の負担を少しでも減らす為、提督の食事の用意や洗濯、掃除などは基本的に秘書艦が行う。

 次に、鎮守府運営等、提督の執務の補佐。これもまた同様に、莫大な量の業務を抱える提督の負担を減らし、また執務を円滑に行う為の仕事だ。

 最後に、提督の護衛。『提督』という存在が無ければ、艦娘は本来の性能を発揮できない。たった一人、戦闘能力を持たない『提督』を仕留めてしまえば、一度に数十人の艦娘を弱体化する事が出来る。

 それを狙う深海棲艦側の刺客がすでにこの国には入り込んでいるのか、今まで何人もの提督が不審死、または行方不明になった。

 そのどれもが鎮守府外、艦娘から離れた時に起きている為、現在では提督は必要時以外鎮守府から離れられず、常に護衛の艦娘を近くに置く事を義務付けられている。

 

 つまり、秘書艦とは、ある程度身の回りの世話ができ、ある程度の執務の補佐ができ、ある程度の戦闘力があれば、誰にでもこなせると言っても過言では無い。

 もちろん、その能力が高ければ高いに越したことはないわけで、私も艦隊指揮能力やマメな性格を買われて、何度も秘書艦を務めてきたわけだが――。

 

 私と鹿島を比べればどうか。

 身の回りの世話に関しては互角だろう。私もそれなりに家事は出来る。

 執務の補佐に関しては、私は負けるつもりは無いが、鹿島も練習巡洋艦だけあって努力家だ。普通に執務をこなすには不都合が無いくらいには、すぐに成長するだろう。

 護衛能力に関しては、性能だけを比べるならば私が確実に上だ。それはもう軽巡洋艦と練習巡洋艦の違いなのでしょうがない。

 

 ここまでならば、理屈で言えば私を選ぶのが普通だと思う。

 だが、ここに秘書艦の第四の役割、つまり提督の眼の保養になるかどうか、という事が入ればどうか。

 

 過去の事例を考えるならば、前提督は舌なめずりをしながら私達を品定めし、迷わず香取さんと鹿島を指名した。そして隙を見ては尻を撫でまわすという愚行に出た為、香取さんと鹿島は秘書艦の辞退を願い出た。

 提督命令を振りかざしてそれを拒否した前提督だったが、香取さんによる艦隊司令部への直訴により指導が入り、代わりに私が秘書艦を務める事になったという経緯がある。

 艦隊司令部の指導のおかげか前提督は私に不埒な行動は起こさなかったが……それは私が、女性としての魅力に欠けるという事でもあったのだと思う。

 そんな事は今まで気にした事は無かったし、前提督に対してはむしろありがたいとすら思っていたのだが。

 

 もはや当たり前の事として理解できている、鹿島が殿方に好かれやすいという事実。

 同性の私から見ても、可愛さと綺麗さと美しさ、そして妖艶さが一つになっているような、不思議な魅力があると思う。

 見た目だけではなく、中身もとても素直で優しく、周囲に癒しの雰囲気を醸し出す。好かれて何もおかしな事は無い。

 

 望まずとも選ばれる事の多い鹿島が、自ら立候補したらどうか。

 戦闘能力を除けば秘書艦として最低限の能力は備えている鹿島を、傍に置いておきたいと思ってもおかしくはないのではないだろうか。

 だがそれは――私の性能を、私の能力を、そして女性としての私を否定されたも同然だった。

 

 提督の部屋の前で偶然顔を合わせ、鹿島は提督に挨拶をした。

 提督は私達にそう言ってくれたように、鹿島の陰の努力を誉めてくれて、鹿島はそれをとても喜んだ。

 私も、明石も、夕張も、皆同じだったというのに、何であんなにも心が騒いだのだろうか。

 提督が鹿島の事をよく知っていたというだけで、何故こんなにも胸が苦しくなったのだろうか。

 

 私達に気を遣って、提督はこの歓迎会に参加する事を遠慮していた。

 私がどんなにお願いしても頷いてはくれなかったのに、加賀さんの言葉、そして鹿島の言葉に、ようやく首を縦に振ってくれた。

 考えすぎではあると思うが――私では無く、鹿島の言葉だったからこそ、提督は頷いてくれたのではないだろうか。

 そんなおかしな考えが、次から次へと溢れて止まらない。

 

 やはり私は、おかしくなっているようだった。

 今までこんなくだらない事で悩んだ事など無かったというのに、どんな戦闘海域攻略作戦を考えている時よりも悩んでいるような気がする。

 

 結局、そんな私の悩みは杞憂であった――というわけでは無かった。

 提督が秘書艦候補として名前を挙げたのは、私や鹿島では無く、香取さんと妙高さんだったのだ。

 

 覚悟はしていたものの、実際に私が選ばれなかったというのはショックであった。

 しかも提督の人選が、私の予想していた失礼なものとは全く異なるものだったから、猶更だ。

 

 最も提督を補佐する経験が豊富なのは私であろうが、次点に挙げられるのは香取さんと妙高さんであろう。

 二人とも、私と同じく多くの提督の秘書艦を担当した経験を持ち、円滑に執務をこなすという意味では不都合の無い人選だ。

 また、妙高さんは我が横須賀鎮守府最強の重巡洋艦。護衛としての実力も申し分ない。

 香取さんも実は鹿島に比べれば数段強い。練習巡洋艦であるが故に性能は低いが、戦闘センスが優れている。ちょっとスケールダウンした龍田さんのようなものだ。安心して練習遠洋航海に送り出せるのも、彼女の確かな実力があってこそ。

 つまり実力の面においても、秘書艦としては申し分ない。

 滅多に怒らないが、怒らせるとかなり怖いと評判の二人でもあり、私達の事をよく調べているであろう提督がそれを知らないわけはない。

 時に厳しく自らを律してくれるであろう二人を傍に置こうと、提督は思ったのかもしれない。

 

 提督の好みが香取さんと妙高さんだったのだろうか――なんて邪推する余地も無いほどに、彼女達の経歴や適性を考えた上での指名だった。

 香取さんに鹿島を推薦されてなお、鹿島を秘書艦にする事にしばらく悩んでいた。

 もしかすると提督も、自分の好みで秘書艦を選ぶかも、なんて考えていた自分が恥ずかしい。

 

 しかしそうなると、何故私が選ばれなかったのか、という疑問が浮かぶのだが。

 確かに私は、香取さんや妙高さんほど、提督にお説教ができるような気質は持ち合わせていないが……提督はそれを決め手としたとも考えにくい。

 

 鹿島に対して、提督はこう言った。

 秘書艦として必要な要素が三つある。鹿島はその一つが足りないようだ、と。

 三つの必要な要素とは、やはり身の回りの世話、執務補佐、護衛の事だろう。

 鹿島の陰の努力すらも把握していた提督だ。鹿島本人はわかっていないようだったが、おそらく鹿島に足りないのは、護衛としての実力だと言いたいのだろう。

 何しろ、模擬戦闘演習のたびに指導している駆逐艦よりも早く中破、大破する事の多い鹿島だ。本人もそれを気にして努力はすれど、それで全てが上手くいくというわけではない。

 提督の指摘した通り、鹿島はどうも戦闘センスに欠け、提督の身を護る護衛となると少し頼りないのだった。

 答えを教えてあげたいところだったが、提督は鹿島自身に考えてほしいようだったので、あえて黙っていた。

 

 私が選ばれなかったのも、もしかすると足りない要素があるという事だろうか。

 戦闘力は、確かに軽巡洋艦としては神通さんや龍田さんなどには劣るものの、明石が言っていたように、それなりに腕っぷしには自信がある。

 夕張同様に装備可能数が彼女達よりも多いという利点もあり、対地戦闘など場面によっては、私の戦闘力は彼女達にも引けを取らないはず。

 少なくとも香取さんよりは強いはずだ。そうなると、護衛としての実力に不安があるという事ではない。

 

 執務の補佐に関しては、妙高さんや香取さんに劣るとは思わない。提督もそれは知っているはず。

 ま、まさか、私が身の回りのお世話が出来ないと思っているとか⁉ で、できますからね⁉ お掃除も、お洗濯も、一応料理だって!

 例えばカツレツとか……いや、考えてみれば足柄さんには劣るし、香取さんは更にその上を行く。

 そ、そう、カレーとか……うぅん、これも足柄さんには劣るし、妙高さんは更にその上を行く。料理という点ではあの二人には敵わない……。

 私だけの得意料理は……そうだ! お麩を入れたお味噌汁! 駄目だ、地味すぎる……提督に気に入ってもらえる気がしない……。

 と、とにかく、私も一応、料理できますから……一応……。

 

 や、やはり、私が提督に自分をアピールするには、長所であると自負している作戦立案能力しかないようだ。うん。

 

 しかし、香取さんと妙高さんの提案により、結局鹿島と羽黒さんが秘書艦になってしまった事。これには私は、少し賛成しかねる。

 嫉妬とかそういう事ではなく、単純に、それは提督の負担を増やす事になるのではないかと思うからだ。

 香取さんと妙高さんの思惑は、あの提督の傍で経験を積ませる事で、二人を成長させる事なのだろうが……提督に余計な仕事を増やす事にならないだろうか。

 

 まぁ、提督に全く選ばれなかった私に言える事は無いのだが。アハハハ。はぁ。

 

 明石と夕張のフォローがあったから良かったが、休息を取らなかったせいでさっそく提督に叱られてしまった。

 いや、叱っているつもりはなく、単に私達の事を心配してくれていたのだろう。

 提督に余計な心配をさせてしまった……お酒は零すし、提督に座敷を拭かせてしまったし……私は何なんだろう。はぁぁ。

 

「もしかして、秘書艦に指名されなかった事、気にしてる?」

「大淀ってば、内心自信満々だったもんねぇ」

 

 夕張と明石が小声でそう言ったので、私は心を見透かされたような気がした。

 本音を言えば気にしている。それはもう、もの凄く気にしていますとも。

 何しろ、提督の補佐をするというのは私自身のアイデンティティでもあると思っていたからだ。

 あの提督の隣に立ち、補佐をするのは今まで通り私の役目なのだと思い込んでいたからだ。

 

「夕張が装備開発しないでいいって言われたらどうします? 明石が装備改修しないでいいって言われたらどうします? 今そんな気分です」

「ま、まぁまぁ落ち着いて……ほらっ、もう一杯飲んで飲んで」

 

 私を気遣うように、夕張が再びお酒を注いで来る。

 ちらり、と横目で提督を見ると、ちょうど長門さん率いる戦艦部隊が挨拶をしているところだった。

 四人揃った金剛姉妹の勢いに、提督も少し押され気味のように見える。金剛が建造された事で、戦闘力だけではなく騒がしさもパワーアップしてしまったのは、流石に提督も想定外だったのだろうか。

 

 私が色々考えている間に、すでに何組かの艦娘達が提督への挨拶を済ませているようだ。

 つい先ほどまでは騒がしい潜水艦達に囲まれて困惑しているようだった。

 今夜ばかりは無礼講だ、普段通りの姿を見せてくれ、との提督の言葉に、皆も素の状態で提督に向かっている。

 提督に後ろからべったりくっついてイタズラを始めたイクの態度が流石に無礼に見えたので止めに入ろうかとも思ったが、それに気がついたのか、提督は私の目を見て無言で首を振った。

 たとえ少しばかり無礼であっても、普段通りの姿を見せてくれるのが嬉しいのだろう。提督の表情もいつもと変わらぬ真面目なものだったが、その目は少し嬉しそうに見えた。

 

 私はイク達の無礼を咎めなかった。

 あんなに楽しそうにはしゃぐイクやゴーヤを見るのは久しぶりだった。

 他ならぬ提督が無礼を許すと言っているのだから、私に止める権利など無い。

 それに、その光景を見ていて、私も何だか嬉しくなってしまったからだ。

 

 しかし、あぁやってアイコンタクトで提督と意思疎通が出来た瞬間は、やはり満ち足りた気分になってしまう。

 言葉にせずとも意思が伝わった瞬間、提督と私の間に確かな絆がある事を実感できるからだろうか。

 くぴ、とメロン味のお酒に口をつけ、考える。

 

 ……何だろう、この違和感は。

 

「大淀さん」

 

 鹿島と香取さんが、揃って私の近くに寄って来る。

 私の隣に腰を下ろした香取さんは、小声でこう言ったのだった。

 

「申し訳ありません。鎮守府を混乱させない為に、秘書艦には大淀さんのような方が良いと言っておきながら、勝手に鹿島を推薦してしまって……」

「え、えぇ。それは謝られる事では……元々、提督も私を傍に据える気は無かったようでしたし」

「あの時、大淀さんを推薦するのも有りだったとは思うのですが……提督が私と妙高さんを秘書艦候補として挙げたのを聞いた瞬間、提督のお考えが理解できたような気がしたのです。故に、私も安心して鹿島を推薦する事ができました」

 

 香取さんの言葉に、私は違和感の正体に気が付いた。

 提督の事が理解できていると、意思疎通が出来ていると自負していながら、私が秘書艦を外された原因がどんなに考えても理解できていないからだ。

 そして香取さんは、そんな提督の考えが理解できたと言う。

 私は恥を忍んで、香取さんに頭を下げたのだった。

 

「恥ずかしい話ですが、私には提督のお考えがまだ理解できていないようです。よろしければお教え願えないでしょうか」

「はい。私の考えですが、この鎮守府で現在最も提督の事を理解できているのは、やはり大淀さん、貴女です。それにも関わらず、まだ満足に会話すらしていない私と妙高さんを秘書艦候補として挙げました。そこから導き出せた結論は、『大淀さんをその能力の高さ故にあえて提督から離す』という判断に至ったのであろう、という事でした」

「か、買い被りだとは思いますが……あえて離した、ですか?」

「はい。提督の指揮方針から考えれば自然ではありませんか。つまり、大淀さんほどの方に身の回りの世話や執務の補佐をさせるのは勿体ない。それよりも、作戦立案などの、より高度な次元での提督の補佐を任せたい……あの提督ならば、そうお考えになると思ったのです。大淀さんは謙虚な方ですから、おそらくこの結論には辿り着かないかと思いまして……ふふっ、少しお節介だったでしょうか」

 

 香取さんの言葉に、私はまた恥ずかしくなった。

 私が謙虚だから、というのは、香取さんが私を気遣っての言葉だろう。単に私が、選ばれなかったショックで提督の考えを理解できなかっただけの事だ。

 香取さんに教えてもらえなければ、私はそれに気づかず、提督からの信頼を台無しにしてしまうところだった。

 

 提督は、私が最も提督の領域を理解していると信頼しているからこそ、あえて秘書艦候補から外したのだ。そう考えれば全ての辻褄が合うではないか。

 今回提督が行った金剛の建造がただの建造ではなく、比叡達の、そして艦娘全体の性能の底上げへと繋がっていたように、この提督は色々と型破りなのだ。

 私の考えはスケールが小さすぎた。

 身の回りのお世話だとか、執務の補佐だとか、護衛だとか、そういった枠に囚われていたのだ。

 秘書艦こそが、提督の最も近くにある存在なのだと、目が眩んでいたのだ。

 

 提督が仕事をしやすいように補佐するのではなく、提督の仕事そのものを受け取る事で、提督の仕事量を減らす。

 そうする事で、提督にも余裕ができ、それは更なる神算へと繋がるだろう。

 しかし、それは――。

 

「それは、権限を与えられていない部分に抵触するのではないでしょうか」

「確かに、今までの提督の指揮下であればそうでしょう。しかし私達は、特に大淀さんはこの一か月間、死に物狂いで鎮守府を運営してきました。提督は、その大淀さんの実績を評価しているのではないかと思うのです」

 

 提督の仕事は多種多様に及ぶ。

 深海棲艦の迎撃作戦や領海奪還作戦等の立案から、資材の備蓄状況や装備の保有状況、改修計画、艦娘達の練度、性能、疲労状況など多くの情報をリアルタイムで管理せねばならない。

 艦娘には、それらの仕事を手伝える権限が無い。提督が仕事を効率的にこなせるよう、資料を作成したり、作戦への意見を提案する程度の権限しか与えられていないのだった。

 しかし、もしも提督が私に期待している事が予想通りなのであれば、それは私に、今までの秘書艦を超える働きを期待しているという事だ。

 

 一か月間、提督不在の中で必死に鎮守府運営を主導してきた、この私に――。

 

 私は一体何を考えていたのだ。

 何が、鹿島の魅力に目が眩むかもしれない、だ。

 何が、自分の好みで秘書艦を選ぶかもしれない、だ。

 私が妙な邪推をして、一人で悩んでいる間にも、提督は私の中身を見ていてくれていたというのに。

 

 鳳翔さんの補佐はあれど、たった一晩であれだけの書類を処理できるほどに優秀な提督だ。根本的な事を言えば、普通の秘書艦など誰が務めても同じなのだろう。

 型破りなあの提督を補佐するには、秘書艦もまた型破りの働きをせねばならない。

 そしてその一人目として、提督は私を――?

 

 グラスのお酒を一息に飲み干し、改めて提督に目を向けると――提督は先ほどまでとは全く異なる真剣な眼に変貌していた。

 

 ――これは。この眼は。

 誰も気付いていないのだろうか。私は香取さんに目を向けたが、「どうかしましたか?」と首を傾げられる。

 いや、これは私だからわかったのだ。提督を最も理解できている私だからこそ、気付く事が出来たのだ。

 提督は基本的に表情を崩さない。ほとんど真剣な表情のままだ。故に皆は気付かない。

 だが、先ほどまでとは心中が明らかに違う。

 この歓迎会の場に似つかわしくないほどの、真剣な思考。

 微かに見える、焦りの色。

 

 ちょうど艦娘達が周りを離れ、提督も一息つけていたであろうその瞬間だ。提督があの眼に変わったのは。

 気づいたのは私しかいない――もしもそうだとするならば、ここで提督を補佐できるのは私しかいない。

 私は意を決して提督に近づき、こそっ、と小声で問いかけたのだった。

 

「提督、何かお考えでしょうか」

 

 私の問いに、提督はその真剣な表情を崩さぬままに、他の皆に聞こえないようにだろうか、声を潜めて早口に答えてくれたのだった。

 

「……あぁ、今後の備蓄の事を考えていてな」

 

 ――やはり。

 この歓迎会という僅かな休息の合間にも、提督はその脳内で執務をこなしているというのか。

 挨拶に来る艦娘一人一人に向き合う事を蔑ろにしているとも思えない。

 今だってそうだ。挨拶をしていた長門さん達が離れた瞬間、提督の眼は真剣なものに変わり、焦りの色が浮かんだ。

 提督は私達に心配をかけぬよう振舞いながら、心の中で現在の備蓄状況に焦りを感じているという事か。

 

 提督の作戦に必要不可欠であったとはいえ、金剛の建造、そして全艦出撃、改二実装艦による全力での迎撃により、資材はほぼ枯渇してしまっている。

 この状況では、正規空母、戦艦は出撃させられない。もしもこのタイミングで敵の主力が再び攻め込んで来たのなら、太刀打ちできない。

 横須賀鎮守府における自然回復分の資材量ではとても足りないだろう。

 勝って兜の何とやら、と那智さんや浜風は言うが、私達は昨夜の勝利に酔いしれている場合では無い。

 単に目の前の危機を退けただけであり、未だその脅威は残っている。

 現在の横須賀鎮守府に最も最優先されるのは、提督が、そして私が懸念している通り、迅速に、早急に、資材を再び備蓄する事だ。

 

 私はあの時、資材の備蓄に関しても提督は把握していると皆に伝え、改二の発動を許可してもらった。

 以心伝心。おそらく提督も私も同じ事を考えているはずなのだ。この後行うべき事は一つしか無い。

 

 深海棲艦が今回の夜間強襲の為に密かに用意していた三箇所の資材集積地からの資材の奪取。

 あれだけ豊富な資材があの位置に存在するという事は、敵が再び横須賀鎮守府を攻める際の足掛かりになってしまう。

 敵資材集積地から資材を奪う事でこちらの備蓄は回復し、敵の侵攻を防ぐ事が出来る、一石二鳥の作戦だ。

 資材確保を目的とした通常の遠征よりも、これを最優先で行わねばならない。

 

 ご自身の歓迎会の合間さえ縫って作戦を練る提督の負担は如何ばかりか。

 その負担を少しでも軽くできれば――それが出来るのは、香取さんの言葉が、そして私の考えが正しいのならば、唯一提督の領域に至っており、あえて秘書艦に選ばれなかった私しかいない。

 

 提督は他の皆には聞こえないような声で、唯一、私にだけ聞かせるように、考えを教えてくれた。

 

 ……これは賭けだろうか。間違えていれば、私は提督からの信頼を失ってしまう。

 しかし、もしも正しいのならば。

 

 私は意を決して、提督に進言したのだった。

 

「――提督、よろしければ、この大淀にお任せ頂けませんか」

「……何?」

 

 私の提案に、提督は怪訝そうな目を私に向けた。

 思わず冷や汗が頬を伝う。

 やはり出過ぎた提案であっただろうか……いや、私の考えが正しければ。

 私が提督の事を本当に理解できているのならば――。

 私と提督が、本当に以心伝心であるのならば――。

 

 私がごくり、と生唾を飲み込むと同時に、提督はゆっくりと確かめるかのように、口を開いた。

 

「……任せてもいいのか?」

「はい。兵站に関してはこの一か月間、私が中心となって管理しておりました。私がそちらを担当する事で、提督は他の執務に集中できるかと愚考いたします。日報にて逐一状況報告を徹底し、何かありましたら指示を頂ければ対応します。いかがでしょうか」

 

 提督はしばらく考え込むように目を瞑り、口元に手を当てた。

 数秒が経ち、提督は目を開けて、私の目をじっと見据えたのだった。

 

「――大淀」

「……ッ、はっ……!」

 

 一秒、二秒。時が長く感じられたが――提督はすぐに言葉を続けた。

 

「褒美は何がいい」

 

 時が止まった。

 提督の言葉の意味が理解できず、頭の中で何度も反芻し、それがやがて自分の提案に対する提督の評価なのだとの結論に至った瞬間、私は思わず顔を伏せ、慌てて妙な声を上げたのだった。

 

「……はっ、はぁぁっ! とっ、とんでもございませんッ! これがっ、これが私の仕事ですからっ! ご褒美なんてっ、そんなっ⁉ そんな、考えた事も……」

「ふむ……ならば、思いついたらいつでも言ってくれ。その代わりに、この件については大淀に一任する」

「は、はっ、お任せ下さい。すぐに作戦を立案いたします。出来上がりましたら提督の許可を――」

「いや、私の許可を待たずに、大淀の判断で開始して構わない。報告も随時で良い。ただし、なるべく迅速に頼む」

「――承知いたしました!」

 

 や、やった、やった……やったぁぁ‼

 私は真剣な表情を保っているつもりだが、もう顔がほころぶのを堪える事ができなかった。

 もう勢いのままに立ち上がって、加賀さんの持ち歌に合わせて踊ってしまいたい気分だった。

 何とか自分の感情を抑えて、心の中で歌いながらスキップして回る程度に留めておく。

 

 ようやくわかった。ようやく理解できた。

 何故、鹿島を秘書艦にする事を悩んでいた提督が、最初の方針を変えて許可したのか。

 未熟な鹿島と羽黒さんを傍に置く事で増える提督の負担を減らす事が出来るのは、唯一肩を並べられるほどに信頼されている私のみ。

 今回のように私が兵站管理などの仕事を請け負う事で、鹿島と羽黒さんで増えた負担を相殺する事が出来る。

 つまり、鹿島と羽黒さんが秘書艦になったという事実は、他ならぬ私への信頼の証!

 

 香取さんの言う通りだったのだ。提督は私を特別に信頼しているからこそ、あえて秘書艦に置かなかったのだ!

 この場で提督の考えに気付けたのは私だけ! やはり私と提督は以心伝心! この大淀、言葉にせずとも提督からの信頼、確かに受け取りました!

 よぉし、よぉし、頑張らねば!

 

 そこで私は、はっ、と気が付いた。

 私が思わず素っ頓狂な声を出してしまったせいで、皆の注目が私達に集まってしまっていたのだ。

 瞬間、提督の周りを幾人かの艦娘が取り囲む。

 

「ヘーイ、テートクゥ? これはどういう事デース? 詳しく聞かせてもらいマース!」

「提督! 大淀ばかりズルいのね! イクも頑張ったご褒美欲しいの!」

「一人だけ贔屓するのは駄目だと思うでち! ゴーヤはお休みが欲しいでち!」

「提督さんっ! 夕立ももっともっと褒めてほしいっぽい!」

「私は夜戦演習許可して欲しいなぁー? ねっ、いいよね提督っ⁉ や・せ・んっ!」

「寝ずに頑張ってた私にもご褒美をくれてもいいんですよ? 提督の膝枕とか! キラキラ!」

 

 も、申し訳ありません、提督……どうか、ご無事で……。

 明石の首根っこを引っ張りながら、私はそそくさと逃げるように元の席に戻る。

 鹿島と香取さんは嬉しそうに、そんな私を出迎えてくれたのだった。

 

「ふふっ、流石ですね。まさか提督がこの場でも兵站管理について考えていたなんて思いもしませんでした」

「香取さん……ありがとうございます。私も助言を頂けなければどうなっていたか……」

「岡目八目と言いますからね。第三者にはすぐにわかる事でも、当事者には答えが見つからない事は多々あります。お互いに助け合っていきましょう。それに大淀さんが悩んでいたのも、元はと言えば『言って聞かせる』事をしない提督がいけないのですからね。私の方から少し厳しく伝えてみましょうか?」

 

 香取さんは微笑みながら、教鞭をぱしんと掌に叩きつける。

 

「や、やめてあげて下さい……私達が悩むことで、思考力、判断力を鍛える事が目的だと思いますので……」

「うふふ。冗談ですよ。提督の方針は私も理解できているつもりです。この鎮守府を救ってくれた御方にそんな無礼な真似はできません」

 

 まったく冗談に聞こえなかったのだが……。

 この香取さんや妙高さんは、たとえ提督であろうとも筋の通らない事をすれば理路整然とお説教が出来る、とても貴重な存在なのだ。

 やはり提督はそれを見込んで香取さんと妙高さんを秘書艦候補として挙げたのだろうか……私も二人を見習って、少し勇気を出してみるべきか?

 

「鹿島もまだまだ秘書艦としては力不足。私も力になるつもりではありますが、必要な時にはどうか力を貸してあげて下さい」

「えぇ、勿論! こんな私でよろしければ!」

 

 香取さんや鹿島、加賀さんを強敵だ、なんて思っていた私が恥ずかしい。

 提督と以心伝心であると確信できた今ならばわかる。

 提督は決して、自分の好みで私達艦娘を差別したりなんてしない。

 おそらく一人の男性として好みはあろうとも、決して公私混同はしない御人だ。

 

 香取さんの言葉に合わせて、鹿島もぺこりと頭を下げた。

 

「えへへ……よろしくお願いします。でも、提督さんに、私には足りないものがある、って言われた時、私、何だか嬉しかったんです。おかしいですよね」

 

 鹿島は照れ臭そうにそう言った。

 鹿島の言葉に、香取さんが興味深そうに問いかける。

 

「あら、どうして?」

「私、今まで実力が足りないって自分でもわかってるのに、秘書艦に指名される事があったから……その、外見だけで選ばれたり、声をかけられたり、褒められたりする事が多くて。でも、提督さんは、はっきりと私に足りないものがあるって言ってくれて……誰にも言ってないのに、私が努力してる事も優秀だって褒めてくれて……何だろう、長所も短所も理解してくれた上で、等身大の自分を初めて見てもらえたような気がして。うふふっ、それで、嬉しくなっちゃったんです」

「ふふっ、なるほど。でも、鹿島が秘書艦に立候補したのは、まだ提督とお話しする前だったはずだけど」

「うーん、それが私にもよくわからないんですけど、大淀さんや間宮さんから提督さんの話を聞いたり、徹夜明けの提督さんの姿を見ていたら、なんだか放っておけないというか、支えてあげたいって気持ちになって……」

「あらあら、まぁ……ほほう、なるほど……」

「あっ、香取姉! 何か変な事考えてるっ?」

「うふふっ、どうかしらね。とりあえず秘書艦、頑張ってね。応援するわよ、色々と」

「ちっ、違うからっ! 本当にまだそんなんじゃないからっ!」

「まだ?」

「もぉぉぉ!」

 

 香取さんにからかわれ、顔を真っ赤にしている鹿島を見ても、提督の信頼を確信できた今は冷静でいられる。

 ほんの数分前であれば、また私は頭がおかしくなっていただろう。

 鹿島の言う事は、私にもよく理解できる。

 長所も短所も、美点も欠点も、全部丸ごと受け入れて、贔屓もせず邪険にもせず、常に公平な目で評価をしてくれる。

 だからこそ、提督から貰えるお褒めの言葉は、とてもとても心に沁みるのだ。

 

 改めて今までの自分の姿を顧みて、本当に、私はおかしくなっていたのだと思う。

 提督の事を考えていると注意散漫になって被弾しそうになるし、頭はおかしくなりそうだし、私は大丈夫なのだろうか。

 

 ……でも、たとえ大丈夫じゃなくたって、今の私はとても幸せなのだ。

 こんな私を、提督は本当の意味でお側に置いてくれている。

 たとえ秘書艦でなくたって、たとえ距離は遠くたって、提督の真の右腕はこの私なのだ。

 提督と肩を並べて補佐する事が出来るのは、今のところ私一人しかいないのだ。

 それだけでもう、胸がいっぱいでたまらない。

 

 あぁもう、駄目だ。すっかりドヤ顔が抑えられていないようだった。

 明石と夕張が何とも言えないげんなりとした表情で私を見ているからだ。

 私はもう固定されてしまった表情のままに、明石と夕張に言ったのだった。

 

「さぁ、明日からまた忙しくなりますよ! 資材は極力節約! 水雷戦隊は資材確保を目的とした、敵資材集積地からの輸送作戦を実施します!」

「……まぁ、元気になったのなら別にいいんだけど、なんかイラッとするわね……」

「大丈夫。夕張だけじゃなくて私もだから……」

「ふふふ。作戦は固まりました。早速、明日の朝イチから働いてもらう面子に説明せねばですね!」

 

 私がそう言って立ち上がろうとした瞬間、隣に長門さんが腰を下ろした。

 どうやら明日からの遠征作戦について聞いていたようだ。

 長門さんはオレンジジュースの注がれたグラスに小さく口をつけた後、私に流し目を向けて、言ったのだった。

 

「ふっ……大淀。お前ならば忘れていないとは思うが、私も改二状態ならば大発動艇を装備する事が可能に」

「駄目です」

 

 即答であった。

 酒も飲んでおらず、素面でそんな台詞が吐ける辺り、この人も私同様、少し頭がおかしくなってしまっているのかもしれない。

 私の返答に、長門さんは戸惑いながら声を上げた。

 

「なっ……何故だ⁉」

「ご自分の燃費を考えてから発言して下さい。ただでさえ燃費の悪い長門さんに改二発動を許可するほど資材に余裕はありません」

「し、しかし、ただ鎮守府で大人しくしているだけでは提督に褒めてもらえん! 私も、もっと提督に褒めてもらいたくて、胸が熱くてたまらないのだ……」

 

 やはり、私と同じようにおかしくなっているようだ。

 何故なら私も、長門さんの気持ちはよくわかる。痛いほどに、よく理解できるからだ。

 提督に何かを任せてもらえる、提督に褒めてもらえる、それがどんなに心地よいものかと、私達はあの朝に知ってしまった。

 しかしながら、非常に残念な事に、現在の鎮守府の状況では長門さんの願いは叶えられそうにも無い。

 資材枯渇の危機、という闘いには、長門さん達戦艦や、加賀さん達正規空母の皆は参加できない。

 提督に褒めてもらいたい、なのに褒めてもらえないという焦りは心中察するが、しばらく出撃は控えさせてもらいます。

 

 しかし長門さんの目を見ると……説得するのは骨が折れそうだ。

 私は大きく溜息をついて、我らが横須賀鎮守府艦娘達のリーダー的存在との長い戦いを始めたのだった。

 

「世界のビッグセブンがワガママを言わないで下さい。戦闘面では頼りにしていますから、今は休むのが仕事です」

「で、ではせめて鎮守府正面海域の警備を」

「駄目です。制海権を取り戻した現在の正面海域なら水雷戦隊や潜水艦隊で十分に戦えます」

「そ、そうだ! ならば遠征に向かう軽巡の代わりに私が駆逐艦の面倒を」

「駄目です。さりげなく長年の夢を叶えようとしないで下さい」

 


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