『ありがとう』をキミに   作:ナイルダ

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chapter6 ラストダンスは希望と共にⅡ

ーー苗木視点ーー

 

彼女ーー江ノ島盾子が提示した条件はメチャクチャだった。

 

 

『アタシがアタシに投票すれば、絶望(アタシ)の勝ち。

アタシがアンタに投票すれば、希望(アンタ)の勝ち』

 

 

投票された方が、死んだ方が勝ちだなんて…馬鹿げている。

でも、直感でボクは理解した……

 

 

江ノ島さんは、自分に投票するつもり

 

 

……なんだって。

直感でしかない。

けれど、絶対にそうだと確信できる。

 

彼女は今、自分自身とも戦っているんだ。

制御しきれない〝絶望〟を抱えながら、苦しんでいる。

〝絶望〟と〝希望〟の狭間でもがいている。

 

だからこそ、ボクは進む。

今度こそ、彼女と共に〝真実〟にたどり着くために。

 

江ノ島さんを死なせやしないッ!

〝超高校級の希望〟の名にかけてッ!!

 

 

***

 

 

ーー江ノ島(絶望)視点ーー

 

苗木は応えた。

あまりにも理不尽で無謀な問いに。

この世界にどれ程の人間がいるかは知らない……でもきっと、同じように答えられるヤツはいないだろう。

 

最早、予測など意味を成さない。

アタシは直感で理解した……

 

 

苗木は、自分に投票させるつもり

 

 

……なんだって。己の命を差し出してまで、江ノ島盾子(アタシ)のことを救うつもりなんだって。

アタシはどうしようもなく、理解してしまった。

 

だからこそ、アタシは進む。

全てを捨て、〝真実〟を証明するために。

 

〝希望〟に屈することなく、死んでやる。

〝超高校級の絶望〟の名にかけて。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ラストダンスは佳境を迎える。

 

 

 

 

 

演者が2人になろうとも、

予定調和を外れようとも、

曲調が変わろうとも、

踊り方を知らずとも、

どれ程疲弊しようとも、

どちらか片方が倒れるまで、

 

 

 

 

 

ラストダンスは終わらない。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

アタシは問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「正直、〝希望〟も〝絶望〟も個人によって解釈は異なる。

例えば、二人の人間〝A〟〝B〟がいたとする。

そして、ある二つの事象を〝Y〟〝Z〟としよう。

この〝Y〟の事象が発生したとき、その事象を〝A〟は〝希望〟と認識し、〝B〟は〝絶望〟と認識する。

同じ様に〝Z〟の事象が発生したとき、〝A〟はその事象を〝絶望〟と認識し、〝B〟は〝希望〟と認識する。

 

このようなことは往々にして起こりうる。同じ事象、あるいは状況に遭遇したとき、観測する人物次第で生み出される結果は異なる。

では、なぜこうしたばらつきが発生するのか……

 

それは〝精神の構造〟次第で処理結果が違うからだ。

化学とか物理とか数学とかみたいに、画一的な答えにはならない。

〝精神の構造〟次第で千差万別の結果が生まれる。

では、この〝精神の構造〟はどのように作られるのか……

 

それは、生まれた環境、育った環境によって大きく変わる……特に人間関係。

それも大人の影響を受けやすいだろう。

既に出来上がった〝精神の構造〟を持つ大人によって教育を受ける。

あるいは友人の〝精神の構造〟を模倣する。

人間ってヤツは、子供の頃の癖や思想に生涯左右される。

勿論、その限りではない。

 

何かしらの精神的衝撃を受けたとき、〝精神の構造〟が180度在り方を変えることもある。尊敬する人物との出会いとか、惚れ込んだ宗教とか、あとはまあ、……アタシ達の〝言弾〟とか。

 

兎に角、〝精神の構造〟が他者と完全に一致することはないと言えよう。

全く同じ環境に生まれ育ち、全く同じ人物と、全く同じ関係を築く……そんなこと、あり得ないだろ?

このように、個人により〝精神の構造〟はそれぞれ形を変え形成される。

ここまでは理解出来る?」

 

アタシは、尚も問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「同じ事象を前にしたとき、〝精神の構造〟次第で〝希望〟と〝絶望〟が生まれるの。

じゃあここで、先程の具体例を出そうか。

 

例えば、シェルターでの一生を受け入れるという選択を〝事象Y〟としよう。

そして、シェルターを出て行く選択を〝事象Z〟とし、更に、苗木を〝人物A〟、他の奴等を〝人物B〟としよう。

後は時系列の設定だけど、一応〝希望の言弾〟の影響を受ける前にしようか。

 

まずは〝事象Y〟を前にしたとき。

〝人物A〟は絶望を感じ、〝人物B〟は希望を感じた。

今度は〝事象Z〟を前にしたとき。

〝人物A〟は希望を感じ、〝人物B〟は絶望を感じた。

最も、この件に関してはアンタの〝言弾〟の影響で〝人物B〟の処理結果が反転したんだけど…。

 

兎に角、〝希望〟と〝絶望〟に二分される極端な例ではあるけど…人間はどんな事象を前にしても、その結果に差異が表れるんだよ。

もっと言うのであれば、差異の中でも更に細分化されるわ。

〝希望〟の中でも〝強い希望〟だったり〝弱い希望〟だったり。〝絶望〟の中でも〝強い絶望〟だったり〝弱い絶望〟だったり。

……みたいにね」

 

アタシは、尚も問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「話は変わるけどアンタ、『鶏が先か、卵が先か』って言葉……知ってる?

『相互に循環する原因と結果、それらはどちらが先に発生しているのか?』っていう問いなんだけどさ……これって〝希望〟と〝絶望〟に置き換えることもできると思わない?

 

『〝希望〟が先か、〝絶望〟が先か』ってね。

 

鶏か卵かって問いなら、様々な観点からそれぞれの答えが出ている。

じゃあ〝希望〟と〝絶望〟ならどうなんだって、アタシは思うわけ。

 

〝希望〟が先に発生し、〝絶望〟が生まれるのか。

〝絶望〟が先に発生し、〝希望〟が生まれるのか。

 

……アンタはどう思う?」

 

アタシは、尚も問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「アタシはさ…〝希望〟と〝絶望〟に置き換えた場合に限っては、シンプルな答えしか出ないって結論付けたわ。

 

例えば、真っ白な空間があったとする。

そこに、同じく真っ白な物体が現れる。

その物体は完全に空間に溶け込んでおり、アタシ達には観測出来ない。

じゃあどうやって観測するかっていうと、その空間に〝光〟を当てるのよ。

そうすると、自然と〝影〟が発生する。

もう分かるでしょ?

 

〝光〟は〝希望〟

〝影〟は〝絶望〟

 

更に言うのであれば、今回の設定であるコロシアイ学園生活で置き換えることだって出来る……

〝外に出たい〟っていう〝光〟、〝希望〟があったからこそ、〝殺し〟という〝影〟、〝絶望〟が生まれたんだよ。

いつだってそうだ。

 

〝希望〟があるからこそ、〝絶望〟がある。

 

これって、おかしいと思わない?

〝絶望〟が〝悪〟みたいな言い方されてるけどさ、そもそも〝希望〟さえなければ〝絶望〟は発生しないんだよ。

〝絶望〟を〝悪〟と断ずるのであれば、〝絶望〟を生み出す〝希望〟もまた、〝悪〟であるべきなんだよ。

でも、世間は〝希望〟を〝正義〟と疑っていない」

 

アタシは、尚も問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「まあアタシ自身、この件に関してはどうでもいいって思ってるんだけど……〝希望〟が〝正義〟だとか…〝絶望〟が〝悪〟だとか…そんなことは心底どうでもいい。

アタシが憤ってるのはさ、〝希望〟とか〝絶望〟とか〝正義〟とか〝悪〟とか…誰が、どう定義してるかって事なわけ。

 

誰が決めた尺度で〝希望〟だの〝絶望〟だの言ってんの?

誰が決めた定義で〝正義〟だの〝悪〟だの言ってんの?

 

道徳とか、法律とか、秩序とか、倫理とか、大義とか、常識とか、空気とか…、超が幾つも付く程ウザってェ…。

 

〝希望〟が〝絶望〟を生む。

そして〝希望〟が何かしらの尺度で定義付けられたとき、自然と〝絶望〟までもがその尺度で定義付けられるのよ。

 

束縛された〝希望〟

束縛された〝絶望〟

 

こんなの、どっちに転んだって不自由よッ!!

更に言うのなら、この〝尺度〟こそが…〝精神の構造〟に最も大きな影響を与えているの……

下らない〝尺度〟が…下らない〝精神の構造〟を、〝人間〟を作り出しているのよッ!!」

 

アタシは、尚も問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

「だからアタシは思うわけ。

その〝尺度〟ってヤツをぶっ壊してやろうってね。

道徳も法律も秩序も倫理も大義も常識も空気も、何もかも……全部全部、跡形もなく。

 

…………。

 

…………。

 

でもその為にはさ、こんな不自由な世界で、〝限りなく自由に近い希望〟を持つアンタを、〝限りなく自由に近い絶望〟を持つアタシが…潰さなきゃダメなのよ。

後に発生する〝絶望〟が、〝絶望〟を生み出す〝希望〟を呑み込まなきゃダメなのよ。

 

そうすることで、〝希望〟が消えることでやっと…〝希望〟を定義付ける〝尺度〟が崩壊するのよ……そして〝尺度〟の喪失は〝希望〟喪失であり、〝絶望〟の喪失でもある。

 

そうやってやっと…人間は〝真の自由〟を手に出来る。

 

〝絶望〟が〝希望〟を呑み込み、〝尺度〟をも壊したとき…世界は然るべきカタチになるのよ。

 

それこそが、アタシが求める〝真実〟……

 

……たどり着くべき、世界の姿ッ!!」

 

アタシは、アイツに問う。

〝希望〟と〝絶望〟の在り方を。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

ーー苗木視点ーー

 

ボク達が住む世界は、様々な〝尺度〟によって形作られている。〝尺度〟は、時としてボク達に不自由を強いる。

 

しかし、その不自由の上に、限られた自由が許される。

道徳も法律も秩序も倫理も大義も常識も空気も、失ってしまっては統率を失う。不自由こそが統率なのだ。

 

そして統率は、安心を生む。

統率に従っていれば、限られた自由は守られるという安心。そして安心は、多様性を生む。

限られた自由の中で、人はのびのびと、様々なことに挑戦できる。そして多様性は、未来を生む。

多様性の模索こそが、人々の未来を明るく照らす。

 

不自由とは、未来の為の対価。

 

彼女が嫌う〝尺度〟は、ボク達に必要だ。

でも、江ノ島さん(絶望)は叫ぶ。

〝尺度〟こそが自分(絶望)を生み出したのだと。

 

〝人類史上最大最悪の絶望的事件〟が落ち着きを見せた頃、ボクは戦刃さんから聞いた。

江ノ島さんの過去を。

多くの理不尽が、不条理が、彼女を襲った。

でも彼女の世界にも、確かに〝希望〟はあった。

 

しかし、その〝希望〟こそが、今の〝江ノ島盾子(絶望)〟を生み出してしまった。

そして〝希望〟を呑み込み、〝尺度〟を壊し…何もかもを破壊しようとしている。

可能性を、未来を…捜し出そうとしない。

だってそれは、とても勇気が要ることだから。

だからこそ彼女は、目を逸らした。

目を閉じ、耳を塞ぎ、殻に閉じこもり…終わらせようとしている。

自分は正しいんだと、叫んでいる。

 

でも……

 

でも彼女は……全てが自由になった世界で、ただ自分とみんなが同じだと証明したいだけでは?

 

〝希望〟も〝絶望〟もない世界でただ、誰かと対等になりたいだけでは?

 

〝尺度〟を壊し、〝精神の構造〟を画一化し、不確定な感情の発生をなくしたいだけでは?

 

それぞれの事象に、決まった結果を観測したいのでは?

 

そして誰かと腹の探り合いをすることなく、裏切りのない関係を構築したいのでは?

 

 

彼女は〝希望〟を恐れている。

他者を信じるという〝希望〟の裏側には、裏切りという〝絶望〟が隠れている。

その裏切りだけを、極度に恐れている。

確かに、裏切られることもあるだろう。

でも、誰かを信じることでしか手に入らないモノも…確かにあるんだ。

彼女は、それを知らない。

知らずに進んでしまった。

誰にも与えられないまま、心を置き去りにして成長してしまった。

 

 

だから、

 

 

だからこそ、

 

 

今のボクに出来ること。

 

 

それは…だた一つ。

 

 

これが……ボクの答えだッ!

 

 

 

 

 

「〝希望〟は、前に進むんだッッ!!!」

 

 

 

 

 

ボクはありったけの〝パワー〟を込めて〝言弾〟を放つ。

 

 

 

 

 

彼女(絶望)ロンパし(打ち砕き)彼女(江ノ島さん)の心に、ボクのダンガン(希望)が届くように……

 

 

 

 

 




以下ウサミファイルより抜粋

・江ノ島は最大限の力を込め〝絶望の言弾〟を使う。

・苗木は最大限の力を込め〝希望の言弾〟を使う。

・その場にいた苗木、江ノ島を除く5人は意識を失った模様。強力な〝言弾〟の影響と思われるが、継続した調査が必要である。

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