紫色の酒宴   作:dokkakuhei

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深緑色の茶会

 ミニチュア人工太陽の光が辺りを明るく照らす。機械的に調整された草花の匂いが鼻腔をくすぐる。風になびく葉のさらさらとした環境音、そしてプロジェクションマッピングによって投影された風景が時間を追うごとに四季折々の様相を見せる。

 

 ここはナザリック地下大墳墓第9階層に設けられたリラクゼーション施設の一つ、日和見のテラスだ。

 

 この十八畳間の空間は29台のプロジェクターによって、かつて地球上にあった人の手の入っていないありのままの自然を、時間、時季、気候を問わず完璧に再現することができる。

 

 その中にはどんな景色にも溶け込むよう、飾らない意匠の一本脚の机があり、それと同じデザインの椅子が二脚、向かい合わせに置かれている。どれも白塗りの木製である。

 

 今ここに2人の訪問者がいる。細部に違いがあるものの同じコンセプトであろうメイド衣装を着た女達。片方は艶めく長い黒髪をポニーテールにしていて、もう片方は燦めく金髪を左右の肩口で螺旋状に巻いている。プレアデスのナーベラル・ガンマとソリュシャン・イプシロンだ。

 

「久し振りね、2人揃っての休日は。みんなと一緒のお茶会は定期的にしているけれど。」

 

 ソリュシャンが率先して会話を投げかける。ナーベラルはそれに、ええ、とか、そうね、と軽く相槌を打ちながらしずしずとついてくる形になっている。浮かない顔をして、何か悩みがあるようだ。

 

 2人が部屋に入ると日が少し傾き、空が淡く橙色に変化して、澄んだ空気の匂いとどこからともなく金木犀(キンモクセイ)の香りが漂った。

 

 この施設を製作した者は匂いを感じることのできる環境には居なかったはずなのだが、それでもきっちり匂いのプログラムが組まれていて、視覚情報に合致したそれが適正に機能している。製作者の並々ならぬこだわりなのだろう。

 

「まあ、取りあえず座りましょう。」

 

 そう言いながら、ソリュシャンが壁に埋め込まれているコンソール ──景観を壊さないよう目立たないように設置してある──を操作した。

 

 慣れた手つきでキーパッドを2、3回押す。すると、猿や兎といった動物たちが紅茶とお菓子とを持ってきてくれて、机に置いた後、こくりと一礼し、出てきた草陰に帰って行った。本当は全て機械のマニプレータが行なっているのだが映像処理上そうなっている。

 

「このスノーボールクッキー、美味しいわよ。あなたもどう?」

 

 席に着いたソリュシャンがお菓子の一つを親指と人差し指で摘んで口に放り込む。そして粉砂糖で白くなった指をフレンチキスの仕草で綺麗にした。男が見たら、いや例え女が見ても見惚れてしまうほど完璧に訓練された動きだった。彼女はそれを生来のものとして獲得していた。

 

 同じく席に着いたナーベラルは視線をお菓子の方へ移すが、それを口にすることはせず、どこか物憂げな表情を浮かべている。美人というのはどのような表情をしていても絵になるもので、街中でこんな姿を見かけたら誰もが思わず声をかけてしまいそうになるだろう。

 

 ただ、ナザリック以外の者で、彼女を知っている人間であれば話しかけた後にどのような災難が待ち受けているかを想像して安易な事を慎むに違いない。

 

 外の世界でナーベラルは冒険者ナーベとして墳墓の主と行動を共にしているのだが、ナザリックの者はナザリック外の全てを下に見る傾向が強い。例に漏れずナーベラルもその1人で、人間に対するナーベラルの言動は無慈悲かつ凄惨としか言いようのないものであった。

 

 そうした言動がある度にアインズに叱責されるのだが、彼女はどうも感情を取り繕うのが苦手なようで、人間相手に適当な言葉を探したり、無視したり、器用に立ち回れないのだ。

 

 それこそナーベラルが思い悩んでいる原因だった。

 

「それで、私に相談事ってなあに?」

 

 ソリュシャンは黙りこくってしまったナーベラルに気を使って、優しい口調で目線を合わせながら話しかける。

 

「…私は外でアインズ様のお供をしているでしょう?」

 

 ソリュシャンはうんうんと頷く。そんなことは確認するまでもなく周知の事実だ。アインズの側に一番長くいるナーベラルはナザリック一の果報者として他のシモベ達から羨望の眼差しを向けられている。

 

「アインズ様からは人前では人間を蔑視する言動は控えろとご命令されたのだけれど、どうしても演技が出来ないの。魔導国が出来てからはそういう機会は減ったけど…。」

 

 ソリュシャンは内心、ああ、あれはわざとやってたわけじゃないんだ、と姉に対し少し失礼な事を思った。表情に漏れたが、幸いナーベラルは気づいていないようだった。

 

「アインズ様はお優しいから言葉にこそ出さなかったけれども、内心落胆なさっていたはずだわ。」

 

 同じミスを注意される自分が心底情けなくて、と悲痛な顔を見せるナーベラル。黒真珠のような美しい目が潤んで、雫が溢れ出しそうになっている。ソリュシャンは慌てて話を進めた。

 

「それで同じように人間社会で任務をしていた私に相談してるって訳ね。」

 

 こくこくと首を上下に動かすナーベラル。割と切羽詰まった表情をしている。このなんでも器用にこなす妹に何かコツを伝授してもらえないだろうか。今後、ナーベとしてかどうかに関わらず、同じことが要求される場面が来るかもしれない。アドバイスが欲しいのだ。

 

「そうねえ。」

 

 ソリュシャンは顎に人差し指を当ててうーん、と唸る。

 

 2人が話している間に空には夜の帳が下りていた。人工太陽の(みち)は閉ざされたが、机がツキヨタケめいてぼんやりと薄緑の光を放ったため視界は確保されたままだ。そこかしこで月下香(チューベローズ)が妖しく首をもたげた。

 

「あなた、もし人間に道を尋ねられたらどう答える?」

 

「黙れ下等生物(マイマイカブリ)。地獄に案内されたいの?」

 

 ナーベラルは即答した。

 

「もし人間があなたの落し物を拾ってくれたら?」

 

「今すぐ私の持ち物から汚い手を離せ下等生物(コメツキムシ)。地面に落ちていた方が100倍マシよ。」

 

 ナーベラルはまたしても即答した。

 

「もし人間が…。」

 

下等生物(ヒトスジシマカ)。」

 

 ソリュシャンは深い深い溜息を吐いた。処置無しである。逆によくもまあそんなすらすらと罵詈雑言が出てくるものだ。無視するより難しくないか、それ。

 

「御免なさい。場面(シチュエーション)を想像するとどうしても出ちゃうの。」

 

 ソリュシャンは大袈裟に足を組み直しながら左手で天を仰いだ。そしてとびきりの低い声で姉に対し苦言を呈す。

 

「私の質問の趣旨が理解出来てないの? ほんとポンコツね。」

 

「なっ、うぐっ。」

 

 ナーベラルは言葉をぐっと飲み込む。ソリュシャンの言っていることは事実なのだ。それに対して子供のような癇癪を起こしていては、人間に対して感情的な言葉を口にしてしまった時から全く成長出来ていないことを吐露するばかりか、アドバイスを受ける機会も逸してしまう。

 

「それよ、それ。」

 

「何が?」

 

 うなだれた姿勢から顔だけ上げて、意味がわからないという風に片眉を上げるナーベラル。

 

「今、感情を理性で押し込めたでしょう?人間相手でもそれをすれば良いじゃない。」

 

 ナーベラルは困った顔をして、言葉を濁しながら反駁する。

 

「今のは…、相手があなただからよ。」

 

「あなたは自分の意識や感情を他者との立ち位置でしか決定できないの?」

 

「はあ?批難するならわかりやすく言ってもらえる?」

 

 ナーベラルは少しだけ語気を荒くする。確かにこちらは相談に乗って貰っている側だけれども、そんな禅問答みたいな言い草ってないんじゃないの。

 

 地平線から照明が放たれ、風景を黄金色で染めていく。夜の天体が空から逃げ出し、鳥達が朝の到来を謳歌する。ナーベラルの後ろで一房の蘭蕉(ランショウ)が芽吹いた。

 

「あなた、アインズ様の前では畏れ多いと思いながらも冒険者ナーベをやれたでしょ? それはあなたが理性で感情を押し込めて真の忠義がどういうことか考えた結果じゃない?」

 

「あれはアインズ様の命令があればこそ…。」

 

「あら、人間と仲良くするのもアインズ様の命令でなくて?」

 

「…。」

 

 言葉に窮するナーベラル。しばらく沈黙が続く。ソリュシャンはこれ以上無理に質問を重ねず、相手の言葉を待つ。

 

「…やっぱり私に演技はできないわ。」

 

「どうして?」

 

「ドッペルゲンガーなのにこの姿にしかなれないんですもの。もちろんそうあれかしと、私を創造してくださったあの方にはこれっぽちの不満もないわ。ただ…。」

 

 いつの間にか人工太陽が再び照りつけて、雲ひとつない突き抜けるような青空を作った。風になびく葡萄風信子(ムスカリ)が自分の名前を誇るように空気に匂いを付けていく。

 

「あなたの抱えるコンプレックスがネガティヴな発想を生み出しているのね。それとこれとは一切関係ないわ。断言できる。第一、姿を変えられなくても演技が上手い人はいるでしょう?」

 

「それは…、そうだけど。」

 

 ソリュシャンは強い励ましの言葉を使う。それでもナーベラルの殻を破ることは出来ないようだ。ナーベラルの中で技術的な部分とは別に思い悩む原因があるのだとソリュシャンは思った。おそらく、人間の存在自体が生理的に受け付けないのだろう。

 

 演技の上手い下手というより、対象が人間であるから起こっている問題なのだ。ソリュシャンは相手の意を汲んで話の方向性を変えてみる。

 

「でもそうね、私は人間を"愚か"だとは思うけど、あなたの"嫌い"とは違うかもね。それは何か根幹部分で違うもの、アイデンティティー…いや、むしろ主観的体験といった方が正しいかしら。」

 

 ソリュシャンは腕を組み、視線を落として考える。

 

「さっきの言葉と矛盾するようだけど、別にすぐに出来ないなら出来ないで良いんじゃない? もちろん、努力をすることは大事だけど。」

 

「いや、でも、出来ないことを自分の個性のせいにしたくない。」

 

 自分を変えたい一心が空回りして、なかなか思考が前に進まないナーベラル。ソリュシャンは最後の一押しをする。

 

「そんなあなたをアインズ様はお見捨てにならなかったでしょう? それはアインズ様がお優しいのと同時に、あなたの頑張りをアインズ様が認めて下さっているからよ。」

 

「……。」

 

 そうだ、主は我々の全てを認め、許容し、ナザリックに君臨して下さる。それに甘んじて怠けることは決して許されないが、もう少し盲目的に生きてもいいのかもしれない。

 

 導く主がいることはなんと幸せなのだろう。2人の足元では霞草(カスミソウ)がにわかに花をつけた。

 

「やっぱりあなたに相談にのってもらって正解だったわ。」

 

 ナーベラルは憑き物が落ちたようにぱあっと明るい顔になって、今までの遅れを取り戻そうと机の上のクッキーをぱくぱく食べ始めた。我が姉ながら、なんとも可愛らしい。

 

 2人はしばらく紅茶の味を愉しんだ。そして思い出したようにナーベラルが口を開く。

 

「ついでにこの悩みも聞いてもらおうかしら。」

 

「なあに?」

 

「アルベド様のことなんだけど。」

 

「…その話は聞きたくないわね。私を巻き込まないでちょうだい。」

 

 紅茶を啜るソリュシャンの後ろには石楠花(シャクナゲ)が咲き誇っていた。

 

 


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