エカテリーナとルパートがフェザーンに着くとアドリアン・ルビンスキーが出迎えに来ていた。
ルビンスキーは普通ならそんなことをしない。フェザーンはその二人にとってホームタウンなのだから。
しかしその駆逐艦の事件を聞いたので心配になったのだ。
フェザーンの誇る軌道エレベーター、その旅客用下部ゲートが開くのももどかしくエカテリーナとルパートを見つける。
「おお、エカテリン、生きててよかった!」
それは泣かんばかりな姿だ。
ルビンスキーの謀略家としての姿しか知らない政治家や官僚が見たら到底信じられないだろう。
しかし、エカテリーナにはアドリアン・ルビンスキーのこのような一面の方こそ自然に思える。いつでも子煩悩が抜けない優しい父親だ。
「まだ十六歳で死んでなるもんですか。お父様」
「よかった。生きてさえいれば。そしてルパート、お前も無事で何よりだ」
ルパート・ケッセルリンクはエカテリーナと違い、ルビンスキーの言葉で動揺せざるをえない。
この宇宙でも指折りのシニカルな策略家が本心から良かったと言うのだ。
自分が死ななかったことが、アドリアン・ルビンスキーにとって喜びに値することだとは。
いったいどういう反応を返せばばいいのか。
「自治領主。まだ仕事はたまっていますから。引き継ぎもしないうちに消えるわけにはいきません」
そんな取って付けた言葉を返しながら、離れていくしかない。
この事件は多くの意味で首謀者の心づもりとは逆の結果になった。
ルビンスキー家は結束し、確かに強くなる方向に進み始めたのだ。
「それでお父様、どんな情勢なんですの?」
エカテリーナはそういう言い方で単刀直入に聞いた。
今回の無茶苦茶な襲撃、最初から首謀者が判明するわけはない。
これほど大それたことをするなら尻尾を掴ませないようにしてあるだろう。
ただしそれでも丁寧に分析していけば手掛かりがあるかもしれず、そのためにはできるだけの情報を集めた方がいい。
初めに大まかな情勢を知るのが第一歩だ。
それに対してアドリアン・ルビンスキーが説明を始める。エカテリーナの質問の意図を完全に理解しながら。
「先ずは自治領主選定の件だ。先代自治領主は後継者を明確にしないうちに死んでしまった。そのために選定は金と実力の勝負になる」
「まあ実にフェザーンらしいわね」
「本当にそうだな。そして自慢ではないが儂も十中八九は大丈夫なところに漕ぎつけたつもりだ。だがまだ確定ではなく、しつこく妨害を画策している者どもがいる。エカテリンの思う通り、事件の首謀者と思われる者も含めて」
なるほどこれは分かりやすい。利害関係が明瞭で。
物理的証拠はたぶん挙げられないが、確定できれば大きな前進だ。
「お父様はもう目星を付けているのね。最も怪しい人物は誰?」
「うむ、反対を画策しているのは一人二人ではないが、それらをまとめた黒幕はおそらくニコラス・ボルテックだろうな。表向きはこちらに媚びへつらっているが、奴こそ怪しい。権力欲が人一倍なくせに妙に追従ばかり言う。自分に実力も人気も無いのを知って屈折しているのだろう。それでも野心を捨てていないのが滑稽だ」
「屈折した人間の方が時として理屈に合わない無茶をするものですわね」
「今さら策を巡らせても遅い。言う通り、無茶をする」
もう一つ聞いておきたいことがある。
「そこまでお父様が分かっておいでで、なぜボルテックを早々と潰さないのです?」
「奴は官僚機構の中から上級補佐官まで出世してきた。家柄や財産の力を借りていない。その分、官僚機構には深く結びついている。そちらの方面からの支持も厚い。明確な不法や不正でもなければ簡単に追い落とすことはできない。それに儂としても自治領主になれば官僚機構の力はどうしても必要で、必要以上の波風はまずいのだ」
フェザーンの統治機構は自治領主とその補佐官たちが軸である。
これまでの慣習ではむしろ補佐官が主役だ。そこから各官僚機構へとつながっている。例えていえば銀河帝国における尚書のようなものである。
そんな補佐官は文字通り自治領主を補佐する者であり、数は多い。
上級補佐官という有力な者から、どうでもいい部署を任されているだけの者までいるが、ともあれその数とそれぞれの分野の専門的知識から補佐官たちの協力なしにフェザーンの統治は回らない。
ボルテックはその補佐官の最上位に近い地位にいるのだ。
官僚にとっては心理的にボルテックこそリーダーのようなものだ。それが厄介である。下手なことをすればルビンスキー家は官僚機構を敵に回してしまう。
フェザーン屈指の有力者ルビンスキーも正当な理由なく手出しはできない。自治領主になってしまい、そこから徐々に体制を変えればどうにかなるかもしれないが、今はそうではない。
つまりフェザーンでは家柄や実力があっても、あまり無理な横車はできないということだ。権力者が気まぐれに法を破ろうとしても有形無形の縛りがある。見方によってはフェザーンは帝国と同盟の中間の政体ともいえ、形式的には帝国、慣習的には同盟のような政体と見なすことができる。
少し離れたところから会話を聞いていたルパートがここで異を唱える。
「いくら焦っていたとしても実力行使の襲撃とは考えにくいのでは。襲撃が成功していれば、それは打撃にはなるだろうが、あまりにリスクが大きすぎる。復讐心を煽るだけになる可能性すらあるのに。それでも実行する必然性はどこに」
全くその通りだ。今回の事は実行するには無茶すぎる。
「これは、何かもっと複雑なことがあるのでは」
「確かにそう、ルパート兄さん。それに駆逐艦を手配なんて大それたことはいくら隠蔽しても無理があるはずだし」
小奇麗なオフィスに白い清潔な照明が映える。しかし、汚い罵り声が全てを台無しにして響き渡る。
「いったい、お前は何てことをしてくれたのだ! 一つの可能性を言っただけなのに、勝手に事を進めるとは独断にも程があるぞ!!」
ニコラス・ボルテックは体格は小さい方なのに声は響く。
今は感情のままに声を上げ、しかも激しくデスクに両手をつく動きをした。最初から乱雑な黒髪がいっそう振り乱される。
「申しわけありません。補佐官。てっきりルビンスキーの子供らを消すのが名案とお考えのように伺えましたもので」
フェザーン外交部上級補佐官ニコラス・ボルテックは今執務室で第一秘書に対峙している。
これほど感情を叩きつけられているにも関わらず、第一秘書はのっぺりとした顔に何の表情も浮かばせていない。そのコントラストが異様なほどだ。
「……とにかく隠蔽はしっかりしろ!! グラズノフ。完璧にだ! ルビンスキーは鼻が利くぞ。お前が発案から実行まで全てやったということにしても、俺の秘書である限り、言い逃れはできんのだから」
「隠蔽はお任せ下さい。ちょうど今頃全て終わっているでしょう」
その通り、フェザーン領の片隅で誰にも知られることのない事件があった。
一隻の帝国軍駆逐艦がワープ事故のためその乗員ごと全て原子に還元されていた。不幸にも狂っていた航路データが入力されていたのか、隕石の多い宙域にワープアウトし、一瞬で爆発した。
「そう言うなら確かなのだろう。お前は能力だけは信じられる。だが言っておく。二度と勝手なことはするな!」
「重ねて肝に銘じます」
その退出する第一秘書グラズノフを見ながらボルテックは思う。
気味の悪い奴だ。
しかし、有能なことも確かだ。これまでの働きは常に期待以上のことをしてみせ、能力を証明してきた。今回のことで粛清してもよかったが切るのも惜しい。
一方のグラズノフもまた思惑がある。
襲撃が成功すればよかった。
そうすればアドリアン・ルビンスキーに非常な打撃になり、フェザーンの将来に影響を及ぼす。しかも悪い方の影響を。
しかし失敗してもそれはそれでいい。
隠蔽さえしっかりしておけば、今度は襲撃したという事実がカードとして自分の物になるのだ。
それはボルテックを牽制したり、場合によっては脅したりする良い材料になる。どちらに転んでも使える。
「ニコラス・ボルテック、あんな小才子が分不相応な夢を見ているとは滑稽だ。自治領主の座に本当に届くとでも思っているのか。もしもそんなことが実現したら、フェザーンはその程度の存在だったということだ。それが一番楽でいい」
エカテリーナたちへの襲撃についてもちろんアドリアン・ルビンスキーはできるかぎり入念な調査を命じている。
ところが何も判明してこない!
駆逐艦用備品や推進剤の線も、航路局データも、最近行方不明になっている船乗りの線で調べても、何の手がかりも得られなかった。
「これは探るのは無理だな。よほどできる奴が隠蔽している」
事実は受け入れなければならない。こんな想定の範囲内のことにいちいち驚くことはない。
ただし、証拠が出せないなら次はこちらから仕掛けてやる。逆襲だ。
「お父様、それではニコラス・ボルテックを逆に追い落とす策を考えましょう」
「そうだな。積極策で揺さぶりをかけるのもいいが…… しかし簡単なことでもない。いや、これまでにも仕掛けたことがないわけでもない」
「それはどういうふうなものですの?」
「ボルテックを補佐官から外そうと試みてきた。それさえできれば奴の力は半減する。だが奴ほど上級補佐官になると理由なくおいそれと罷免することはできん。そこで先ずは奴への経済的支援者に裏から手を回して離反させた。その上で密かに賄賂の話を持ち掛けた。この罠に食いつけばスキャンダルにできて罷免できたのだが…… しかし、奴は食いつかなかった」
「密かに調べたところによると、奴には有能な第一秘書がいて、その者におそらく罠を見破られたかと」
確かに有効そうな罠であったけれどうまくいかなかったようだ。
その第一秘書というのがブレインなのか。
「その通りだルパート。次に色恋スキャンダルも、いくら探しても見つからない。ボルテックの奴はそもそもそういう志向は無いようだ。政治的な野心はあるがそういうところは手堅い官僚だ」
「お父様、妥協や、あるいは手を結ぶということは?」
「もちろん味方に取り込めないかと思ったこともあった。しかし、取引には応じてこない。高い地位を約束しても無駄だった。奴の野心はもっと高いところにあるのだろう。それこそ自治領主そのものだろうな。それにここでも第一秘書とやらが見透かして妨害してくる」
三人はまた思考の海に沈む。
ニコラス・ボルテックを何とか叩き、排除する手はないのか。
「それなら方法は一つしかないわ」
「そりゃ何だい、エカテリン」
「兄さん、それはボルテックが自分から補佐官を離れることよ」
「そんな馬鹿な! 発想としては面白いが自分から補佐官を辞めるわけがない!」
これはルパートにすれば荒唐無稽に見える。
アドリアン・ルビンスキーも同意見だが、しかしさすがにルパートと違いアドリアン・ルビンスキーは経験が深い。
エカテリーナの言葉に見えてくる物があった。
「なるほど、強いることができなければ自分からするように仕向ける、か。ルパート、おそらくエカテリンの考えは魅力的なエサで釣ることなのだろう」
少女の微笑みは、ただのいたずらの仕掛けをする子供のものだ。
後に偉大な謀略家となる少女でも、今はそれを覆い隠すのに充分な子供の姿だった。
「その通りです、お父様。野心家ならば野心で釣ればいいのです。とびっきりのエサを用意してあげましょう」
次回予告 第九話 政策綱領