リッテンハイム侯はその言葉を残し、オーディンを出立する準備に入る。
リッテンハイム家私領艦隊から四万隻、つまりその大部分を連れて行く以上、クリスティーネとサビーネをこのままオーディンに残しておけない。
ヒルダについていえば、少し迷った。
いよいよブラウンシュバイク家の天下となるオーディンに残るのは危険だ。ヒルダはリッテンハイム側についていることが知られており、その経緯によって特にブラウンシュバイクに睨まれている。
だが、いったんオーディンに残ってアマーリエ・フォン・ブラウンシュバイクの即位を妨害する方を選択した。
アマーリエとその夫であるブラウンシュバイク公との仲は必ずしも良くなく、その間隙を突けるかもしれない。
もちろんいつでも脱出できる用意はしている。
即位を強行されるついでに粛清される可能性が高いだろうから。
そしてヒルダはリッテンハイム侯に最後の最後まで釘を刺しておくのを忘れない。
「リッテンハイム侯、ではせめて、絶対に戦いはしないとお決め下さい。艦隊は威嚇に使うだけにとどめ、戦いになりそうになれば徹底的に逃げるように。戦いはローエングラム元帥が来れば必ず勝てます! それまでの辛抱です」
ヒルダはリッテンハイム家の三人を本当に心配していた。この三人の仲の良い家族を守りたい。
そしてローエングラム元帥が来れば絶対に勝てると思っている。
ヒルダはカストロプ家艦隊の末路を直に見ているのだ。その大艦隊は勝機など微塵もなく、わずか四分の一の相手に転げ落ちるように敗退した。
キルヒアイス、そしてラインハルトの力量は圧倒的なものである。それはブラウンシュバイクの大艦隊といえども造作もなく破ると確信させるに充分だった。
リッテンハイム側が動き始めたことを知ったブラウンシュバイク陣営はほくそ笑む。
「公よ、とうとう向こうはオーディンから動きました。これで勝てます」
「ようやく釣り上げられたか。思うつぼになったな。アンスバッハ、お前も知恵者だ」
オーディンからリッテンハイム侯を出してしまえば、宇宙でいかようにも料理できる。
ブラウンシュバイクは勝利の予感に酔う。
ただしブラウンシュバイク側にも思わぬ足並みの乱れがあった。
先に出た別動隊は三万隻の規模である。ここでアンスバッハが六万隻を率いて急進し、先ずは合流しようとした。まとめあげて大艦隊にしなければ意味がない。そうして初めてリッテンハイム側を数で圧倒し、危なげなく勝利することができるのだ。
何とそれが別動隊の側から拒否されてしまった。
別動隊を構成しているブラウンシュバイク陣営貴族は欲に目がくらみ、広大なリッテンハイム領で略奪を続けようとした。
それらの貴族にとっては無防備な甘い果実である。取らない法はない。散らばってリッテンハイム領を容赦なく荒らしにかかっている。いや、そもそも別動隊に志願したのはこれを行うためである。
アンスバッハは厳しい言葉でそれを戒めた。
これでは別動隊による陽動という本来の目的が失われ、作戦自体が成り立たない。
そうこうしているうちに別動隊の様子を知る本隊からも略奪を希望する声が上がった。我慢ばかり強いられ、不公平ではないかと。もちろんそんなことを許せば収拾がつかない。
アンスバッハは厳罰をもって略奪を禁じ、艦隊を統率しようとしたが、それらの貴族たちは従うどころかなんとフレーゲルの方に泣きついた。
元からここにいる六万隻はその半分の三万隻がフレーゲル配下の若手貴族たちだ。最初からアンスバッハに対する反感がある。
ここにアンスバッハとフレーゲルの確執が生じた。
いや、これまでの確執が表面化したのだ。
最初にこの作戦を立案し、実行したのはアンスバッハである。ブラウンシュバイク公の信認の元にそれを行っている。
ただし妙なことに形の上ではフレーゲルが総司令官ということになっている。ブラウンシュバイク公の親族なのだから、私領艦隊である以上、そうなるのは仕方がない。ブラウンシュバイクはフレーゲルに対し、明確にアンスバッハに従えと言わずに送り出した。ブラウンシュバイクにとってはどちらも重要であるし、何より思慮がそこまで深くなかったせいだ。
ここに奇妙なねじれが存在する。
更にややこしいことに、艦隊の一般兵士にとってアンスバッハこそ指揮官である。私領艦隊でありながら、ブラウンシュバイク家に対する忠誠心よりも実力と公平さが知られているアンスバッハについている。見るからに平民差別意識の強いフレーゲルが一番上に立つなど冗談にしか思えない。
アンスバッハはこの雰囲気を敏感に感じ取り、何よりも艦隊の分裂を恐れ、フレーゲルに対し丁重に出た。
「フレーゲル男爵様。先ずは成すべきことを成すのです。別動隊の派遣はあくまでリッテンハイムを領地におびき寄せる手段。これに成功した今、リッテンハイム艦隊を全力をもって叩き潰すのが先であり、それこそブラウンシュバイク公の意に沿うことです。ひとまずその方向でお考え頂きたい」
「何だアンスバッハ、それは命令か。不愉快だ」
ところがフレーゲルの方ではそんな思慮など無視する。
反発を隠そうともせず、一方的に言う。
「命令していいのはブラウンシュバイクの叔父上だけではないか。しかも、我が陣営の貴族が要求しているのはリッテンハイム家への懲罰であろう。それもまた正当な権利であり、止めさせる必要などない」
「懲罰と言われましたか。貴族同士の決闘ならいざしらず、単なる惑星領民への略奪など言い訳もできますまい。それはブラウンシュバイク公の評判にも傷が付くのは必定、かえって不興を被るやも知れません」
アンスバッハもリッテンハイム領に住んでいるというだけで、何の罪もない平民が略奪に遭うのを座して見ているわけにいかない。平民へ多分に同情的なのである。
だがそんな配慮などフレーゲルには無縁のことだ。
「貴族が平民を略奪して何が悪い。しかもリッテンハイム領にいた虫けらどもではないか」
もはや平行線だ。話にならない。
しかし、フレーゲルの思惑は唐突にリッテンハイム私領艦隊撃破の方に向いた。
アンスバッハに言われたせいではないが、艦隊戦で勝利ということに魅力を感じたのだ。
リッテンハイム艦隊を破ればブラウンシュバイク公の覚えがめでたくなる。褒美の言葉は細かい略奪などよりはるかに魅力的だ。いっそう地位が確立でき、あわよくばブランシュバイク政権でかなりの上位に食い込めるのでないか。
もう一つ、やはり大会戦で勝利を飾った側の指揮官と言われたい。これまでフレーゲルにはそういう機会がなく、ただの情実人事の結果の少将にしか過ぎない。
ここで勝ってみせれば歴史に名が残る。
ブラウンシュバイク家主導の帝国を据えたのはフレーゲル、そういう形で。
だったら早く成し遂げたい。
気が変わったフレーゲルは自分の手勢をまとめて進発し、むしろアンスバッハを置き去りにして進んでいった。
「あまりに自分勝手ではないか。ここまで周囲を振り回すとは何とも我儘な御仁だ。ブラウンシュバイク家はどうなるのだろう」
一抹の不安を残し、慌ててアンスバッハも後を追う。
一方のラインハルトは進発が更に遅れてしまった。
理由がある。
艦隊はほぼ予定通りの数がそろった。多くも少なくもなく、見込み通りだ。しかし欲をいえばできるだけ多くして盤石にしたい。そうこうしているうちに帝国軍の辺境星域担当の将官から連絡があった。辺境星域から艦艇をかき集めれば、相当数になると。
ラインハルトらはそれを待ってから進発しようとしたのだ。
辺境から連絡してきたのはヘルムート・レンネンカンプ少将といい、長く辺境星域にいた将だ。辺境星域にいる者は、能力がないため左遷されてきている者が多い。
そういう者は全てを諦めて安きに甘んじている者か、逆に何としても浮かび上がろうと必死になる者か極端なことが多い。レンネンカンプは後者だった。そして機会を狙っていた。
このラインハルトの元帥府に加わるのは絶好の出世の機会に思えたのだ。
辺境星域の艦隊を献上すれば、めでたく出世するばかりか艦隊指揮官に成り上がれるかもしれない。
ところがレンネンカンプにも誤算があった。
辺境星域にいる艦艇はラインハルトの元帥府に加わるのを良しとしない。理由はもちろんラインハルトによる二度までの焦土作戦の恨みだった。レンネンカンプが思ったようにならないが、既に約束した以上、艦艇をそろえなければレンネンカンプも立つ瀬が無い。半ば強引に行おうとした。
それに対して辺境星系の帝国艦艇は軍中枢部にその暴挙を訴えた。
もちろん、帝国軍の有力な艦隊はことごとくラインハルトの元帥府に集っている。それ以外の者は既にフレーゲルの方に賛同して出て行った。
今や帝国軍本部とあろうものが空洞だ。そこに将もほとんどいない。
だが、ゼロではなかった。
残っていた将がいたのだ。
それがウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツとアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトである。
この二人は年齢も性格も艦隊指揮もまるで違っていたが、共通しているところがある。それは独自の美意識があり、世の中を斜に構えているところだった。そのために身の処し方を勢いに任せることをしなかった。あのアスターテにおけるラインハルトの戦いを知る二人は元帥府からの誘いに応ずることはなかった。逆にフレーゲルになびくこともない。
この二人がわずか四千足らずの艦隊を連れて辺境星域に急行したのだ。
レンネンカンプはどうせ釈明しても仕方がないものと諦め、実力をもって排除しようと決めた。その時までにかき集めた辺境の艦隊八千をもって対峙したのだ。
だが、戦いは一方的な結果となった。
ファーレンハイトの突入攻勢は何によっても妨げられず、あっさりと艦隊中央を破り去った。勝負が決まればメルカッツの指揮する近接戦闘が間髪入れず掃討にかかる。
レンネンカンプはほぼ何もすることができないうちに敗死させられた。
この報を聞いたラインハルトは嘆息する。わずかな艦艇を期待して無駄に時間を費やしてしまったからだ。
ようやく辺境などに構わず、麾下の五万一千隻の艦隊を率いて進発する。向かうはオーディンの近くにいるだろうブラウンシュバイク側の私領艦隊だ。
一方、こちらのリッテンハイム私領艦隊は領民の保護には成功する。
略奪のためにぎりぎりまで惑星に残っていたブラウンシュバイク側貴族は慌てて宇宙に出てきた。これに対し、リッテンハイム艦隊約四万隻は燃えるような復讐心で一気に攻勢をかけた。
ここにリップシュタット戦役と呼ばれる一連の戦いが幕を上げる。
戦いにお互い戦術も何もあったものではなかったが、士気と数の両方に優るリッテンハイム側が押し破った。
「奴らが領地でやった報いをくれてやれ! ブラウンシュバイクを赦すな!」
兵たちはこう言い、逃げ出す相手を一隻も許さない。
結果、ブラウンシュバイク側の強欲な貴族は宇宙の塵となる。
この宙域には貴族たちの奪った宝石や貴金属が無駄に漂う。指輪を嵌められるだけ付け、ネックレスを幾重にも巻いた貴族の死体は回収もされない。表情はどれも驚き、後悔、苦悶のいずれかだ。
略奪の報いは受けた。
二万隻もの艦隊と、その命を失うことで。
もちろん宝石の数の何倍もの死体が惑星表面に転がっている。略奪する貴族により無念にも殺された者たちだ。しかしその死体は地上から葬られる。
だが、ここ宇宙にある貴族の死体は消えず漂うだけだ。
遠い恒星から照らされるわずかな光さえも集め、煌めきを見せる。
本来貴婦人の胸元を飾るべく作られた宝飾だ。それが今は凍り付き干からびた物体と入り混じっている。
それは美醜という範疇ではなく、ただただおぞましい光景だ。
リッテンハイム侯は戦いの後に領地へ降下し、領民の惨状を見て心を痛める。何とか混乱を鎮め、再びオーディンへ戻ろうとした。
だが、アンスバッハやフレーゲルのいるブラウンシュバイクの本隊はその時間を利用し、帰路にあたる航路を既に抑えていたのだ。
その姿を見てリッテンハイム艦隊は航路を変更したが、このため通常航路から次第に外れて行き、かえってのっぴきならない状況に追い込まれてしまう。
気が付いた時にはオーディンへ帰る道はなく、しかも相手を振り切れない距離にまで詰められていた。アンスバッハもフレーゲルも決して無能ではなく、そこまで考えている。
これではリッテンハイム侯は望まなくとも戦いを選択せざるを得ない。
「しまった! ヒルデガルト嬢にあれほど言われていたのに、こんなことになってしまうとは。何と愚かなことだ」
後悔しても遅い。
こうして、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家の艦隊が相まみえる舞台が整った。
そこはキフォイザー星域、淡い緑の光を持つ恒星は歴史書に一躍載せられることになる。
キフォイザーの戦いはこうして始まった。
次回予告 第七十九話 キフォイザーの戦い
強く生きよ、サビーネ