疲れも知らず   作:おゆ

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第六十四話 487年11月  仕掛け

 

 

 その頃、オーディンでヒルダが活動を続けている。

 

 手始めは積極的に社交界に出ることだ。つまらない舞踏会にも出席してさりげなく存在をアピールする。

 正直言えばヒルダの苦手な分野である。運動は得意だがダンスは好きではなく、そして何よりも率直の欠片もない迂遠な世間話をしたくない。毒にも薬にもならない話をだらだら続け、時間を無駄にするのが嫌なのである。世の婦人方は何であんなにどうでもいい話題が好きなのだろう。

 一応目に留まる場所にいれば目的は達成、そういった話に巻き込まれる必要はない。

 

 むろん、思惑通り周囲の貴族はヒルダのことを噂する。

 マリーンドルフ家がリッテンハイム側に付いたことは格好の話題として瞬く間に伝わり、多くの者を驚嘆させる。

 

 しかし、だからといってリッテンハイム側が盛り返したとまでは言えず、大差がついたままだ。

 それでもマリーンドルフ家が付いたということは、何かまだ分からない有利な要素が隠されているのだろうか、貴族たちにそういった疑心暗鬼を抱かせるには充分だった。

 そのため、一時期は続出していたリッテンハイム側陣営からブラウンシュバイク側陣営に寝返る貴族は激減することになる。寝返りは一度はあり得るが、二度はできない芸当であり、臆病な貴族は慎重にならざるを得ない。

 

 それに加え、ヒルダは中立派貴族たちにも積極的に働きかけている。むろん、あまりおかしな貴族まで味方にしようとは思わず、ヒルダの目にかなった貴族だけだ。

 ただし、この時点でブラウンシュバイクとリッテンハイムのどちらにも付いておらず、中立を保っているのは弱小貴族がほとんどだった。有力なものはあまりいない。

 

 

 

 たった一人を除けば。

 その者は逆に中立でなければおかしいとみなされている。

 

 リヒテンラーデ侯のことだ。

 

 現段階で帝国における随一の権力者が動けば、良かれ悪しかれ情勢は一気に変わるだろう。

 ただし、リヒテンラーデ侯を陣営に引き込むのはとうてい不可能、ヒルダも重々承知している。帝国の安定を願うリヒテンラーデはブラウンシュバイク側に肩入れすることはあってもリッテンハイム側に良い顔はしないだろう。内乱を避けるためだ。

 ヒルダもそういうところはよく理解している。

 

 しかし、一応ヒルダはリヒテンラーデ侯と接触を持とうとした。

 マリーンドルフ家として会見を申し込む。

 これは当然のように拒否された。

 会見を持つことだけで、政治的な裏をとられる。謀略に長けたリヒテンラーデ侯としては当たり前だ。現在の微妙な情勢でそんな初歩的なミスをすることは考えられない。

 しかしながら全くの無駄に終わったわけではない。

 

 リヒテンラーデは代わりに腹心エルフリーデをヒルダのところへ遣わした。

 

 

 

 会見の場に二人とも申し合わせたように質素なドレスを着てきた。

 ブラウニーと紅茶が並べられたテーブルを挟んで向かい合う。

 

 ヒルダとエルフリーデは、一目で互いに相手が油断ならないことを悟った!

 英雄は英雄を知るということだ。ここに見えない火花が散る。

 

 しかし、この場はお互いの利益を得るためのもので、喧嘩をするためのものではない。

 型通りの挨拶の後、エルフリーデが先制を仕掛けた。

 

「マリーンドルフ伯爵家の令嬢、ヒルデガルト様、わたくしは決して誰かの名代などで来たわけではないのですが、ここで面識を得るのも何かのご縁でしょう。お互い社交界ではなかなかお会いできませんでしたから」

 

 冒頭でリヒテンラーデ侯の名代でないことをはっきり宣言する。

 何の言質も与えないため、政治的に重要なことだ。

 むろん、エルフリーデが実質的にリヒテンラーデ侯そのものであるのはヒルダにも分かる。目の前の女には底が知れない凄みがあり、ただの伝書鳩であるはずがない。

 

 そして今まで会う機会がなかったというのは本当のことである。どちらも社交界に出ることを好まなかったため、自然とそうなる。

 

「そうですわねエルフリーデ様、今日は楽しく世間話などいたしましょう。殺伐とした世の中には気晴らしも必要だと思いますわ」

「本当に同意いたします。ヒルデガルト様。世の中に争いなどなければよろしいのに。なぜ争いなくならないのでしょう。それは負けている方があがくのがいけないのかもしれませんわ。無駄ですわね」

 

 

 具体的な名を出さないだけで分かり易い話を言う。

 エルフリーデからの軽いジャブだ。ヒルダは一瞬眉をひそめたが、直ぐに笑みを湛える。

 

「勝負の後で仲良く握手をして終われば、爽やかですのに。エルフリーデ様、そうでないから最後まで必死にならざるを得ないのは当然でしょう。そして無駄かどうかはまだ分かりませんわ」

「確かに終わってみなければ分かりませんわね。ヒルデガルト様は本当に頭の良い御方」

 

 ヒルダは軽くお返しをする。

 香りの良い紅茶を無駄にせず二人は飲む。

 動きはあくまで貴族子女らしい優雅さを保ち、しかし頭脳はフルに動かす必要がある。この女は一筋縄ではいかない!

 

 

 

 そして話はここまでが前座だ。

 

「エルフリーデ様、世の中にいる人の考えはさまざま。例えば三つのお菓子が並んでいるとして、どれも美味しそうだったらどうしましょう。何を選んだらいいのか難しいことこの上ありません」

 

 ここで一気に迫る。

 本題、いや核心だ。

 銀河帝国の後継者争いは避けられない。誰に肩入れするのか。三つとはもちろんブラウンシュバイク公のアマーリエ、リッテンハイム侯のクリスティーネ、そして直系の幼児を表す。

 

「まあヒルデガルト様、本当に難しいお話をなさいますこと。でも、それなら一番良いものを選びたいのは山々ですわ。私は食いしん坊ですから、大きいものの方が」

 

 エルフリーデはいったんはぐらかす。

 しかし、現状ブラウンシュバイク陣営が最有力と見ていること、そしてリヒテンラーデ侯もまたそちらを重視していることを匂わせている。

 

「そうですわね。でも、未だ選択肢は残っていると思いますわ、エルフリーデ様。どうせなら、最も小さいお菓子を選んでみるのも面白いことでしょうに。食べてみなければ、味が分かりませんから」

「最も小さいもの? それはまた不思議な話ですわね」

 

 

 思わずエルフリーデは釣られてしまう。

 

 あまりに意外だったのだ!

 ヒルダの言う最も小さいもの、それはつまり年端もいかない幼児エルウィンのことを指している。

 

 そんなことを言うのはおかしい。

 このヒルデガルトという女はリッテンハイム側の立場ではないか。

 リッテンハイム側にこちらを引き込むことは考えても、その一応対抗馬である幼児の話をなぜ出すのか。どう考えても逆効果のはずであり、有り得ない。

 

 もうお互い菓子の例えで話す必要はなくなった。

 

「エルフリーデ様、今のところ最も弱い方なれど、そこへ肩入れする者が出てきたらどうなるか分かりませんわ」

「肩入れする者? ふふ、それもまたどんな意味でしょう。帝国ではもう有力な者は旗色を鮮明にしているはずですから。ヒルデガルト様もご存知でしょうに」

「いいえ、帝国には力があるにも関わらずどこにも加わっていない者もまだおりますわ。けれどそんな方に限って不明瞭なことだらけ。その実力も、思惑も、まだはっきりとは。それでは何も決まりません」

「そうなら早くはっきりした方が誰にとってもいいことでしょうにね。ああ、今日は面白いお話をたくさんできましたわ。もうお腹いっぱい。ここらでお暇しましょう」

「エルフリーデ様、またお話しできる日を楽しみにお待ちしております」

 

 

 

 エルフリーデは帰る道すがら不思議な会話の内容を吟味する。

 ヒルダはリッテンハイム陣営に加わるようにとは言わなかった。それを予期して疑わなかったのに。

 その代わり、幼児エルウィンに誰かが肩入れする可能性を示した。しかもヒルダはそれを妨げる意図はないと。

 何が言いたかったのかまるで分からない。

 

 

 エルフリーデから正確にその報告を聞いた後、リヒテンラーデ侯は会話の内容を解き明かしていく。

 さすがに銀河帝国広しといえども策謀にかけてリヒテンラーデ侯は当代最高だ。

 もはや別格ともいえる頂にいる。

 ヒルダの分かりにくい謎かけを造作もなく読んでみせた。

 

「なるほどの。マリーンドルフ伯爵家の息女は賢い娘のようじゃの。エルフリーデよ、負けてはおれぬぞ」

 

 リヒテンラーデはとても嬉しそうだ。笑みを絶やさない。

 敵か味方かはともかく、ヒルダという思わぬ才能の光を見つけたことが嬉しいのか。

 

 

「しかし、話には分からないことが多すぎますわ、大叔父様。どういう意味でしょう」

「なに、ことは単純じゃ。先ずそのヒルダという娘はリッテンハイムに勝たせたいのじゃろう。先ずは動かせない事実をきちんと押さえるべきじゃ。そこから考えねばならん。エルフリーデ」

「それはそうですわね。確かに」

「さすれば、何かをしたいがためにわざわざ違うことを言っておるのじゃ。その他にはない」

「何かをするため? それが幼児、いえエルウィン様の話になぜ?」

「そうじゃの。エルウィン様の後ろ盾のことじゃ。結論を言ってしまおう。エルウィン様の後ろ楯になれるとすれば、しがらみや縁故の多い貴族ではない。儂のような帝国政府の文官か、軍を握っている軍人じゃろうな。そして軍人のことであれば、ローエングラム元帥のことと思って間違いなかろうて。いろいろな点から見て他には居まい」

「それでも、いったいどうしてローエングラム元帥の話などを、ヒルデガルト様が」

 

 正直にそう言うほかない。

 まだエルフリーデには分からなかった。物事の中心は、誰を応援するかということであり、そこにリッテンハイムの名が入らないのはおかしい。

 

「そこじゃよ。儂の選択肢の一つを読み切って、その上で提案してきておる」

「提案を?」

「そうじゃ。儂がブラウンシュバイクめに帝国を渡す以外の選択肢をとるとしたら、の話じゃ。それならばエルウィン様のことになるのは自明よの。しかし儂だけが肩入れしたところでどうにもならぬ。もう一人実力者を後ろ楯を付ける必要がある。儂も実はローエングラム元帥に目を付けておるのじゃ。そこまでヒルデガルト嬢は読んだ上で、しかし元帥の側の思惑が分からぬだろうと問うておるのだ。それではどうにも扱いようがないだろうと」

 

 ここまで話されて、ようやくエルフリーデも掴めかけてきた。

 

「こちらの考えの確認をわざわざしている、と。そして元帥を……」

「簡単に言えば、利害の一致する範囲内での協力じゃ。つまりローエングラム元帥がどんな人物かつきとめることがお互いに利益になる、と」

 

 リヒテンラーデは本当に面白そうに笑う。

 まだまだ帝国の情勢は動く。貴族の派閥争いで優位であるブラウンシュバイク公といっても、決定的なものではない。まだまだひっくり返せる余地はある。現にヒルダはそのために動いているのだ。

 

「エルフリーデよ、面白いものが見れるかもしれぬぞ。ヒルデガルト嬢は動く。ここで儂の黙認を取り付け、何かを仕掛けようとしておる」

 

 

 

 ヒルダの意図は達成された。

 リヒテンラーデ侯がきちんと読み切ってくれることを予期した上での話だった。

 これで自分がローエングラム元帥に何かを仕掛けても、リヒテンラーデ侯は理解し、便宜を図ってくれる。少なくとも足を引っ張ることはしない。

 

 言うまでもないがリヒテンラーデ侯が気にするのは、ローエングラム元帥が帝室に対してどれくらい忠誠心があるのかだろう。それが未知数な以上はローエングラム元帥を手駒に使えない。

 もしも危険な駒をうかつに使えば、それこそ帝室に脅威になる。

 ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯が権力を握って専横を働く方がまだマシだ。彼らはまだ帝国の体制の枠内でしか物事を考えられず、それを壊すことを思いもしないだろう。だがローエングラム元帥はどうなのか。

 現実、ローエングラム元帥が帝室を尊重する理由も義理もないのだ。確かに姉のおかげで帝室に引き立てられここまで軍内で立場を確立できている。しかしそれを当人が恩義に思っているかは分からない。

 これでは、リヒテンラーデの残す選択肢の一つ、エルウィン・ヨーゼフの後ろ楯に仕立てるわけにはいかない。

 そこが付け目だ。

 

 

 さっそくヒルダは事を起こす。相応にリスクのあることだが、やらなければならない。

 戦略家の武器は情報だ。

 

 

 




 
 
次回予告 第六十五話 墓標

男たちの意気を見よ!

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