疲れも知らず   作:おゆ

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第五十八話 487年10月  歓迎

 

 

 銀河帝国皇帝フリードリッヒ四世が心臓発作を起こした!

 幸い、命に別状はなかったがもう寿命が長くないのだと誰もが悟った。

 

 

 最も困ったのは国務尚書リヒテンラーデである。彼にとって最善のシナリオは現皇帝がもう少し長生きし、直系の孫である幼児がある程度成長した後、次期皇帝に指名する。

 そうしておけば皇位継承の際、帝国に混乱はない。

 多少若くとも判断力のついた皇帝がいたならブラウンシュバイク家もリッテンハイム家も帝国に叛乱を起こすとは考えにくい。不遜ではあるが、帝国貴族の考えが骨の髄まで染み込んだ彼らには皇帝に挑む気概はないだろう。

 

 

 だがそれは絵に描いた餅になりそうだ。

 

 もしも幼児が成人する前に皇帝が亡くなった場合、やむを得ずブラウンシュバイク家アマーリエを次期皇帝に指名する。

 その頃になればリッテンハイム家はますます弱体化し、ブラウンシュバイク家に対し内乱を挑むことはないと考えられる。

 その逆をしてしまえば内乱の危険性が残る。リッテンハイム家クリスティーネが皇帝になりそうならブラウンシュバイク家が実力を行使する恐れが残る。

 

 リヒテンラーデにとって帝国の内乱こそ最大の悪夢である。

 それに比べたら、皇帝の資質のあるなしは大きな問題ではない。というより自分が補佐してどうにでもなる。

 

 

 そうはいってもアマーリエが皇位を継げば、それはそれで問題が生じる。

 当然ブラウンシュバク家の権勢は天を衝くばかりになり、その当主ブラウンシュバイク公は帝国の政治を我が物とするに違いない。その専横を何としても防がなければ帝国の未来はない。

 

 もう一つ、ブラウンシュバイク家は後顧の憂いを断つため、あるいは長年の敵対の復讐のため、または財産没収のため、あらゆる理由でリッテンハイム家を抹殺にかかるのは間違いない。それもまた防がなくてはならない。将来何があるかわからない以上皇位継承者を減らすべきではないのだ。

 

 とにかく舵取りは難しい。

 リヒテンラーデは自分の死後まで考え、能力も性格も信頼できるエルフリーデに何らかの方法で権力を授けることまで考えている。

 

 

 

 ところが現実はどんなシナリオも崩してしまう。

 

 現皇帝があまりに早く亡くなれば、もはや混乱を防ぐすべはない。

 

 今現在、ブラウンシュバイク家はリッテンハイム家に対し大幅優位なのは確かだが、圧倒するまでには至っていない。そのため内乱の可能性が残る。だがそれを避けようとして皇孫である幼児を次期皇帝に指名したところで、両家が共闘して葬られるだけであろう。

 よしんばその幼児にブラウンシュバイク家やリッテンハイム家の圧力をはねのけられる実力者を後ろ盾に付けたらどうだろう。

 いや、余計にひどい内乱になり、帝国そのものが吹き飛ぶ。

 そして一番救われないことは、その実力者が勝ったとしても専横を働けば何のことはない、元の木阿弥だ。

 実力者のアテとしても帝国軍の将帥や、フェザーンなどが考えられるが、いずれも帝室に忠義があると言えるだろうか? 否、としか言いようがない。

 

 ルドルフ大帝の血筋を保つ者が皇帝に立ち、秩序を守り、分裂国家になるのを防ぐ、それがリヒテンラーデの願いだ。

 たったそれだけのことがどうしてこんなに困難なのか。

 

 

 しかし皇帝が今急死したら困るのはブラウンシュバイク家も同様だ。

 現皇帝があまりに長生きしてもらっても困るが、早く死なれても困る。リッテンハイム家が弱体化し、誰もが次期権力者はブラウンシュバイク家と見なしていればこそスムースに事が運ぶ。

 

 でなければ万が一実力行使の必要が生じるかもしれない。

 それは避けたいことだ。

 

 大貴族といえどそれには経験がない。私領艦隊は今の段階でもブラウンシュバイク家はリッテンハイム家をかなり上回っている。だが確実に勝てるかは不明である。歴史上劣勢だった方が奇跡的に逆転勝利を収めたという例は枚挙に暇がない。

 それに帝国軍の存在が無視できない。

 いきなりリッテンハイム家に肩入れするとは思われないが、どう出るか予測がつかない。

 だから帝国軍は邪魔なのだ。帝国軍が弱い方が実はブラウンシュバイク家にとって都合がいい。ブラウンシュバイクとフレーゲルが楽し気に帝国軍を揶揄するのはこれが下地になっている。

 

 

 

 一方、リッテンハイム家はもはや切羽詰まっている。

 

 なりふり構わず派閥の強化に走っている。それは門閥貴族から一線を画し、真面目に帝国の政治を考えるいわゆる開明派と言われる貴族にすら及んでいる。

 そういう中立に近い立場を取っている貴族を引き込むのに必死だ。

 

 そして今、いよいよリッテンハイム家は大きな決断をする!

 

 開明派貴族の中でも大物中の大物である貴族に声を掛けようとしていた。

 国務尚書さえ幾度も輩出し、政治に影響力を持つ古くからの名家、マリーンドルフ伯爵家である。

 

 

 リッテンハイム家からの招待状をフランツ・フォン・マリーンドルフ伯が受け取る。

 

「ヒルダ、お前が以前から予想した通りだ。リッテンハイム家からのお誘いだよ。気軽なお茶会とあるが、真意は言うまでもない。さて、これをどうするね。我が家は招待を受けるか受けないか、先ず最初の選択を迫られる」

 

 父フランツ伯から問われたヒルダが即答する。

 これは以前から予期していたことであり、また論理的に答えを出すのは難しくない。

 

「この招待を受けないという選択肢はないでしょう。仮にリッテンハイム派につくなら当然のこと、逆にブラウンシュバイク派につくにせよ会談自体を断るより会談内容を手土産にした方が利益になります。反対に会談を断ってしまうメリットは、せいぜい当家が中立を保つ意志を周りにアピールできることですが、当家が長きにわたって中立を保っていたことは誰もが知っています。今さらアピールするメリットはわずかなものですわ」

「やはり我が家の娘は賢いな。ではヒルダ、この件はお前に任せる。リッテンハイム家からの招待に応じ、マリーンドルフ家の行く末をお前が決めるんだ」

「私が、決めてよろしいんですの、お父様」

 

 さすがにフランツ伯は高い見識を持つ者だった。そして娘ヒルデガルトの能力を信頼している。

 

「マリーンドルフ家とはすなわちお前の人生そのものになる。どのみち私はお前より長く生きるわけではない。その先のことまで責任をとれるのは、ヒルダ、お前自身しかない。一つ注文をつけるとすれば、マリーンドルフ家の今後だけではなく、もっと世の中のために大切なことを考えて決断してほしい」

 

 

 

 ヒルダは今、リッテンハイム家の屋敷の前に到着する。

 

 馬車に乗ったまま、高い門をくぐり、幅の広い階段の横につけた。御者が馬車をショックなく上手に停める。

 執事が先に降り、先方の執事と話す。

 

 本当に豪勢な屋敷だ。

 

 さすがに銀河帝国の二大派閥の頂点リッテンハイム家の屋敷である。

 ここまで近付くと屋根が視野に収まりきらず、よほど上を見ないと玄関の天蓋すら全ては見えない。マリーンドルフ家の屋敷も古く、精緻な装飾があちこちにある立派なものだが、これとはまるで比較にならない。

 

 ヒルダは若干の緊張で顔を固くなっているのが分かり、二回ばかり頬に息を貯めてほぐそうとした。

 

 いよいよヒルダ自身も馬車から降りて玄関前の階段を昇る。

 一ダースもの侍女たちが音もせず礼をする中、屋敷に足を踏み入れた。

 

 会談は意外なほど暖かなものだった。

 

 ヒルダは丁々発止のやり取りを予想し、頭脳をフル回転させる準備をしていた。

 ところが、最初に出されたのは軽食、しかもこれは渦中の皇位継承権保持者クリスティーネ・フォン・リッテンハイムの手作りだというのだから驚きだ。

 

「ソーセージを軽く揚げてからスライスして挟んだサンドウィッチですのよ。案外その方が軽い感じになりますの。焦げないうちに火が通り、しかも茹でるのと違っておいしさが逃げませんから」

 

 気さくな説明だった。ヒルダは緊張しながらも食べてみて美味い、と思った。

 なんとなくもう一つの似たことを思いだす。エカテリーナのサンドウィッチも美味かったものだ。どちらかというとフルーツやクリームが主体のものだったけれど。

 

 

 

 ひとしきりサンドウィッチとワインを流し込んだあと、話の本題に入る。

 改まった表情でリッテンハイム侯爵が話す。

 

「マリーンドルフ伯爵家自慢の息女、この屋敷に招待した用件は既にお察しのことだろう。だがここで改めて言おう。わがリッテンハイム家に味方しては頂けまいか」

「ええ、もちろんそのようなお話であろうことは存じております。ただし、それが当家にとってどれほど重要なことか、そして即答などできないことだともお分かりだと思います」

 

 立て板に水のようにヒルダが答える。

 

 リッテンハイム家がマリーンドルフ家に助力を申し入れるのは当然のことだ。その上でヒルダの聞きたいのは、その場合の条件やリッテンハイム家の覚悟、つまり真意である。

 劣勢の方だからといって頭からリッテンハイム家を否定するつもりはない。ブラウンシュバイク家に味方するとも決めていない。真っ白なところから一歩一歩論理を積み上げて決めるつもりでいる。

 

 

「そう、確かにそちらの家にとっては重大な選択だ。しかし招待に応じてここに見えられたということは可能性が残されていると理解してもよろしいか」

「もちろん、そうです。なればこそマリーンドルフ家の名代としてお話しを伺いに参りました」

「率直に言って、現状、我がリッテンハイム家は窮地に立たされている。いや、もはや破滅寸前といっていい」

 

 リッテンハイム家はかなり事態を悲観的に捉えていた。

 

 しかもこれは高度に政治的な話である。この時まで同席していたクリスティーネが娘のサビーネを連れて部屋を出る。サビーネに聞かせるには酷な話だと判断したためだ。

 

 娘サビーネはいたのか分からないほどおとなしい少女だった。やや濃いめのブロンドの髪をきれいに結い上げ、細やかな白い肌と首の細さが強調される。絵に描いたような深窓の令嬢である。

 だがおとなしいだけではない。

 おどおどしているわけでも縮こまっているわけでもない。

 

 広間を出る際、客であるヒルダにしっかりと向かい目を合わせた。そしてドレスの裾を引いて丁寧なお辞儀をしてきた。その流れるような動きに利発さと躾の良さが感じられる。

 

 

「我が家は当然のこと、この銀河帝国も危機にある。もしリッテンハイム家が消滅したら、権力は全てブラウンシュバイク家が握ってしまうだろう。それはあらゆる意味で危険だ。ヒルデガルト嬢、あなたにもお分かりだと思う」

「ええ、理解しております。ブラウンシュバイク家の縁者が帝国の要職を独占し、帝国政治を根本から揺るがす恐れがあります。国父となった暁にはブラウンシュバイク公の専横は止めようがありません。帝国は長きに渡って傷を負うでしょう」

 

 ここでヒルダは肯定するが、必要以上に強い言葉を使っている。

 それは仮にリッテンハイム家が争いに勝った場合も同様でしょう、と言外に皮肉を含めたつもりだからだ。

 

「なればこそ、リッテンハイム家が存続し、対抗せねばならない。これは帝国を腐敗から守るためなのだ。力を貸して頂きたい」

 

 

 逆にリッテンハイム側が勝ったら帝国は良くなるのか。

 どんな世を作るつもりか。

 

 そこをヒルダは確認しておく必要があった。帝国が良い方向に行かなければ何にもならない。開明派を抱き込んでいるのは切羽詰まっての方便だろう。リッテンハイム家に政治的ヴィジョンはあるのだろうか。

 

「お話は分かりました、リッテンハイム侯。しかし、帝国に対する愛国心、民衆に対する責任感、本当にそういう理由でしょうか」

 

 底の浅い話だったらお見通しだ、そうヒルダの目は語っている。

 帝国政治の危機などと大層なことを語っているが、単なる自分の権力欲を隠すために言っているのなら見極めてやろう。

 リッテンハイム侯はこれに多少うろたえたようだ。

 

「いや、そうか、あなたには建前は通じないか。確かに今のは建前だったかもしれない」

「建前? そうおっしゃいますと他に何か?」

 

 やはりリッテンハイム侯も国父となって最高権力の座に着きたいのか。

 

「これは自分の我が儘かもしれない。もしもブラウンシュバイクとの争いに負ければ、私はともかく妻と娘はどうなってしまうのか。おそらく生かされることはないだろう。だから負けられない。特に娘は小さいのだ。この子だけは何がなんでも守ってやりたい」

 

 

 

 リッテンハイム侯は聞かれたことに何か勘違いをした。

 だが本心を語っている。

 

 リッテンハイムがこの争いに勝とうとする動機は権力欲などではない。もっと私的なことだった。

 もちろん銀河帝国を左右する大貴族、私人としての情だけで行動していいものではない。リッテンハイム家の動きで運命の変わる者はそれこそ何億人もいるのだ。派閥の長たる立場と引き換えにその責務から逃れられない。

 それにリッテンハイムは先にヘルクスハイマー家をその幼い娘ごと逃亡する憂き目に合わせた張本人とも言われている。自分の娘だけは、というのであれば我が儘と言われても仕方あるまい。

 

 

 だが、それでも貴い動機だということには間違いない!

 娘を守りたいという親心なのだから。

 

 ヒルダは思わぬ返答に衝撃を受けた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第五十九話 二者択一

次はブラウンシュバイク家との会談

大戦略家ヒルダを手にするのはどちらか

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