疲れも知らず   作:おゆ

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第五十一話 487年 9月  新天地へ

 

 

 その頃、オーディンから遠く離れたフェザーンでも慌ただしい動きがある。

 

 ついに帝国は察知して、フェザーン政府に圧力をかけてきたのだ。

 銀河帝国を揺るがした武力反乱、その首謀者マクシミリアン・フォン・カストロプは死んでいる。しかしその妹エリザベート・フォン・カストロプが生きてフェザーンに逃れている。

 巧妙なキルヒアイスの報告書があろうと兄妹がいるのは分かっているだから、帝国がその事実を知るのは時間の問題である。

 

 艦隊戦まで伴う大乱である。

 帝国政府に真正面から対決し、その絶対権威を踏みにじった。

 討伐が済んだとはいえ、関わった者を軒並み極刑に処さなければ帝国の威厳が保たれないのだ。ヒルダの証言は案の定それをとどめることはできない。

 

 フェザーンに対し内々に、しかし強硬に帝国はエリザベートの身柄の引き渡しを求めてきた。

 

 

「エカテリーナ、あなたに迷惑はかけられない。私は覚悟はできているわ。オーディンで刑に処せられることは怖くない。カストロプ家の者としてけじめをつけたいの」

 

 渦中の本人は淡々としてそう言った。

 そんなエリザベートをエカテリーナが見つめる。

 

「それは本気? 違うでしょ、エリザベート。誰も本当に死にたい人はいないわ。あなたは突然兄がいなくなって、まだ新しいことが考えられないだけよ。そんな空虚な気分はいつか変わるわ」

「そうかもしれない。でも今、フェザーンに迷惑がかかるのも確かだわ」

「生きていれば、するべきことも必ず見つかるわ。それにエリザベート、フェザーンのことなら心配要らない」

 

「これは大きく出たな、エカテリン。心配要らないと言うか」

 

 いつの間にか横にいたアドリアン・ルビンスキーが二人の会話に入ってきた。

 

「個人的な友誼は結構だが、フェザーンのことも考えてもらわねばな」

 

 そうは言うものの、詰問するような言い方とはまるで違う。

 それが分かっているエカテリーナは、ひたすら恐縮するエリザベートと違い、あっさり返す。

 

「それでもフェザーンのことは心配要らない、でしょう。お父様」

「親の足元を見るとはお前もしたたかになったものだ。それは嬉しいことでもあるがな。まあ、今回のことを言えば、お前の言う通りだ。今帝国はイゼルローン要塞に力を注いでいる。余力などあるものか。フェザーンに対し面倒なことを言うのはポーズにしか過ぎず、。今フェザーンと事を構えるなど帝国には悪夢でしかない」

 

 アドリアン・ルビンスキーは合理的に物事を考え、エカテリーナと同じ結論に達している。

 

 

 

 ただし完全に同じではなく、付け加えがあった。

 

「アドリアン・ルビンスキー自治領主様、そう言って頂いて感謝の言葉もございません。ただ、ご好意に甘えるのも心苦しく、いっそ帝国の心証を良くするため、取引材料に使って頂いても構わないと思っているのです。それが私の最後の役割りだと」

「エリザベート嬢、覚悟は結構だが今は素直にエカテリンの言うことを聞いてもよいのではないか。それに実はこちらも欲がある。ただで安全を提供しようというのではない。それなりの代価は頂くつもりだ」

 

 エリザベートはこの言葉を妙に思った。

 とてもありがたい申し出ではあるが、ただではないとは、何だろう? カストロプ家の財産のことだろうか。

 

 

 エカテリーナの方は黙っている。多少の察しはついていたのだ。

 実は昨夜、アドリアン・ルビンスキーが言っていたことがあった。

 

「エカテリン、妙だとは思わんか。このところ帝国内部の情報が同盟に伝わるのが早い。早過ぎる。どうせ諜報活動をお互いやっているのだろうが、これは同盟の方がよほどうまくやっている証しだ。組織が優れているのか、個人の技量が良いのかは分からないが、ともかく驚くほどうまくやっている」

「そうですわね。お父様。カストロプ家の叛乱のこともタイミングよく同盟は掴みました。そうでなければイゼルローン要塞を取れるわけもなし、取れても素早く奪還されたでしょうね」

「そうだ。まあ、同盟が優秀なこと自体は、パワーバランス維持からは歓迎すべきとも言えるが」

「しかし困ったこともあると、そう思っているのでしょう。お父様」

 

 アドリアン・ルビンスキーは情報の重要さを誰よりも熟知している。当然、情報戦の勝負についても多大な関心があるのだ。

 そして見るところ、同盟は帝国に圧倒的に勝っている。この意味は何か。

 

 エカテリーナはそれに加え、考えを先取りして言ってのけた。

 だからアドリアン・ルビンスキーは満足感を覚えながら言葉を足していく。

 

「同盟の諜報活動が優秀ということは、当然わがフェザーンの情報も安全ではないということだ。しかも帝国の情報が同盟に流れるには必ずここを通る。お膝元の我らフェザーンがその流れを把握できないままでいいものではない」

「確かに、気分は良くありませんわ」

「これは絶対に調べてみる必要がある。秘密裏に。どこでどうなっているか分からん以上、既存の者ではなく、できれば新しい者に調べさせたいものだ。」

 

 

 

 エリザベートに安全を保障する一方、要求する対価とは。

 おそらく、その昨夜の会話と関係がある。

 

「エリザベート嬢、今、空虚で投げやりな気分でいるのなら、仕事をしてはどうだろう。フェザーンのためやってもらいたいことがある。それに帝国に言い訳するにも都合がいい。仕事というのは自由惑星同盟のところに行ってもらうことだからだ」

「やってみたらいいわ、エリザベート。案外それに向いているかもしれないわよ」

 

 アドリアン・ルビンスキーもエカテリーナもそう勧めてくる。

 むろんエリザベートに否はない。

 クールな取引ではなく、自分を心配してそう仕向けているのがよく分かるからだ。

 

「分かりました。私で本当によろしければ、是非お願いします」

 

 このありがたい申し出を受けた。

 

 フェザーンは帝国に対して言い訳ができる。エリザベートを自由惑星同盟に行かせれば、叛徒のところへ亡命して逃げられてしまったといえるのだ。その実、フェザーンのために重要な仕事をしてもらう。

 

 

 おまけにもう一つのことをアドリアン・ルビンスキーが言っている。

 

「エリザベート嬢、もしも過去を消してしまいたいのなら、うってつけの方法がある。この場合は仕事上必須のことでもあるがな」

「自治領主様、それは何でしょう?」

「名前を変えて行かねばならん。それに名を変えると気分も変わるだろう」

 

 偽名に変えた上で同盟に送り出すのだ。

 

 あれこれ相談した挙句、その名前はオーレリー・ボアヌと決めた!

 それは古い時代の聖人の名から来ている。帝国ではまず聞かない名前であり、いかにもフェザーンならではの雰囲気がする。

 

「オーレリー・ボアヌ、なんだか不思議ね。確かに新しく生まれたような気分よ、エカテリン」

「いい名前だわ。そうだ、エリザベート、じゃなくてオーレリー、あなた言葉は大丈夫?」

 

 これからエリザベートは自由惑星同盟に行く。

 

 しかも首都星ハイネセンにあるフェザーン弁務官事務所の補充職員として派遣される立場をとる。ハイネセンがその仕事場であるからには、周りは皆それなりのエリートがそろっている。

 むろん全員が同盟の言語も何不自由なく話せるのは最低限のことだ。

 

「同盟の言葉はたぶん大丈夫だと思うわ。女学校も役に立つものよ」

 

 オーディンの女学校では言語学上の大きな柱として自由惑星同盟の言語も習っている。

 もちろん、帝国語と対等という扱いではない。

 帝国語よりもはるかに洗練されていない野蛮な言葉としてである。当然それは学問的な意味ではなく政治的な偏向のためだ。

 元々言語というものは、例えば詩を書くのに向いている、あるいは論理を記述するのに向いているなどということはあり得なくもないが、優劣など付けられるはずがない。しかし帝国の人間は頭から帝国語の優位を信じている。ただし、同盟語も現実的に話す人口は多いわけで、一種の教養として習うのだ。

 実際に自由惑星同盟の人間と接することが無くとも、過去の遺物の死語よりは教わる価値がある。帝国では、諜報員などでなくとも知識人であれば多少は同盟語を知っているのだ。

 

 特に貴族用女学校は他の実用的な政治・経済・科学の科目がほぼ皆無である代わりに、こういう人文学的分野の授業は多かった。

 

「そうね。あなたは素行不良の割には学校の成績は良かったんだわ、エリザベート。じゃなくてオーレリー」

 

 

 周りの方が間違えてどうする。

 二人は大きく笑った。

 エリザベートの方は、言葉にはしないが「エカテリン、いくら何でもあなたから素行不良と言われるなんて」という笑いも含まれている。

 

 

 

 

 エリザベートが降り立った地表は旅客船の内部よりもやや温度が高かった。

 

 この惑星の最大都市ハイネセンポリスは予め盛夏の季節と聞いている。実際そうだろうと感じられた。太陽も眩しいくらいだ。

 青空が澄み渡る。

 雲が遥か上の方にあるのが見える。

 風が爽やかに肌を撫でている。もしも風がなければ汗ばむほどだったろう。

 

 ただし、暑過ぎて困ることはない。

 今のエリザベートはすっきりと機能的なスーツを着ている。オーディンや領地にいるときにはドレスが当たり前だったが、これからはスーツが基本の服装になるのだ。特別な舞踏会の時など以外は。

 

「私の名はオーレリー、庶民の生まれ、父は動力供給公社勤め、フェザーン文科大学卒業」

 

 これから成りきるべき与えられたプロフィールを諳んじる。架空のものだが、だからこそ完璧に覚えておかなくてはいけない。

 

 

「そして一人娘……」

 

 この時ばかりは胸がチクリとしてしまう。

 あの兄のことが心に浮かびかけて、慌てて振り払う。そんなことを思い出してはならない。

 

 エリザベート・フォン・カストロプという名で今まで自分の歴史が積み重ねられてきた。それは否定しえない事実だ。

 しかし、これからは新しい名、新しい場所、新しい自分として生きる。

 それがどのようなものになるのかは分からない。これから決まる。いや、これから決めるのだ。流されることなく、前を向いて生きる。

 

 

 しかしこの時、誰にも予見しようがなかった。

 エリザベートの歩みが、銀河の歴史へ兄よりも遥かに大きな足跡を残すことになるのを。

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第五十二話 魅かれ合う者

それには充分な時間……


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