疲れも知らず   作:おゆ

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第三話 481年9月 狂気

 

 

 最初にストレートを食らって倒れた貴族が立ち上がってきた。

 驚くと共に、乱入してきた来た二人の少年を見る。

 

「お前ら、その制服は幼年学校だな? ヒヨッコ共が何のつもりだ!」

 

 

 確かに少年たちは帝国軍幼年学校の制服だった。士官学校のものより、灰色がわずか薄い。

 そして幼年学校ならまだ十七歳以下のはずだ。

 よく見たらとてもそんな年ですらなく、金髪は豪華でも背丈はまだそんなに高くない。

 一緒にいる赤毛をした少年の方はそこそこの背丈があるが、しかしたぶん同じ程度の年齢だ。

 

 

 

 五人の貴族子弟は新手の二人を子供と見てすっかり侮り、戦いを続行しようとする。

 

 どちらから、というわけでもなく戦闘が始まった。

 少年二人はさほど力が強そうには見えないが、意外なことに明らかに優勢だ。

 狙いも的確であり、素早い!

 何より二人のコンビネーションが圧倒的に良い。

 

 貴族子弟たちはここにきてようやく喧嘩の不利を悟った。

 戦ってみれば相手の実力が分かってくるのだ。見かけとは違う。

 

 侮って戦わなければよかった。五人の貴族子弟はそろって戦意を喪失し逃げにかかる。下町につながる小路の入口まで行き、そこから逃げる算段をした。

 そして本格的に走り去る前に二人へ振り返った。

 

 それは負け惜しみの捨てゼリフを言うためだ。つまらないプライドだけはあった。

 

 二人の少年はそんな軽薄な貴族子弟を長く相手にする気も無かった。

 どうせ小物どもだ。尻尾を巻いて逃げるなら追いかけていくまでは考えていなかった。

 その時までは。

 

 

「こいつら、知ってるぞ! 聞いたことがある。幼年学校の暴れん坊ミューゼルとキルヒアイスだ。これで済むと思うな。覚悟しとけ!」

 

 負け犬の遠吠えだ。正直どうでもいい。

 

「ありきたりのセリフだな。独創性すら持ち合わせていない連中らしい」

 

 少年二人は苦笑するしかない。

 しかし、貴族子弟は怒りに任せてあまりにも余計なことを付け足してしまった!

 それがどんな結果をもたらすか考えもせずに。

 

「姉の威光で好き放題しやがって。ちょっとばかり顔のいい姉を持ったからって。陛下に取り入って後宮に入れば姉は贅沢三昧、弟は暴れん坊、ふざけるな!」

 

 この後の惨劇はたったの一言によってもたらされた。

 

 

 

 

 その頃、エカテリーナは倒れて動けないミュラーの顔付近にひざまずいていた。

 

「ご免なさい、ご免なさい、ミュラー! 私のために、こんなことになるなんて」

「泣くなよエカテリン。平民に生まれた僕が悪いんだよ」

「私が、早く逃げていたらミュラーも逃げられたのに。私のせいだわ。本当に私が口ばっかりで」

 

 せめて手当はしてあげよう。それが義務だ。

 先ずはミュラーを運ぶ人を見つけなければならない。

 

 

 その時、エカテリーナはもう一人の人物がすぐ横にいたのに気が付いた。

 不思議なことにミュラーも顔を向けてそっちを見ているではないか。

 

「おいミュラー、平民に生まれたのが悪いんなら、俺も悪いってことか?」

 

 しゃべる内容とは違って優しく砕けた口調だ。

 

「あ、先輩。これはみっともないところを……」

「いやミュラー、お前は立派だと思う。俺なら相手が貴族でも殴り返していたろう」

 

 この若者はミュラーと随分親しい知り合いのようだ。そして士官学校の服ではなく、既に帝国軍の制服を着ている。エカテリーナの知識ではその階級までは分からない。服に入った線やバッジの意味を知らないからだ。ともあれミュラーの士官学校で先輩か何かだろう。

 

 それよりも一番印象に残ったのは蜂蜜色の髪をしていることだ。

 けれどちょうどいい。ミュラーを運ぶのに力を貸してもらおう。

 

「エカテリン、買った服を忘れないように。汚れてたらごめん」

 

 エカテリーナはそれで気付いた。服がその付近に袋ごと散らばり、明らかに踏まれたものもある。

 

「そんなこと!」

 

 ミュラーは今さらエカテリーナの服にまで気を遣う、それほど優しかったのだ。

 

「ミュラー、俺ももう一歩早く来てればなあ。しかし、さっきの二人の幼年学校生が加勢してくれて助かったな。あいつらけっこう喧嘩が強そうで良かった」

 

 蜂蜜色の髪の青年士官はそう言い、エカテリーナも思い出して二人の少年と貴族子弟が戦っていたあたりを見た。

 争いはもう終結しているだろうか。

 

 

 

 

「あれ、おかしいわ。誰もいない」

 

 さっきの場所から下町へつながる小路に沿ってもっと遠くに視線を移していく。

 

 やがて見えたものがある。

 

 優しさとは真逆の光景だった。

 先ずは慌てて走り去っていくエリザベートが見える。

 

 その手前にようやく貴族子弟五人が見えたのだが、完全に戦意喪失しているのが分かる。それどころか這いつくばって逃げようと必死だ。

 文字通り命からがら。

 

 しかし早くは逃げられない。というのは周囲に小路にあったと思われる屋台の残骸が散らばっている。

 明らかに投げられて壊された椅子も転がっている。

 おそらく貴族子弟が逃げにくいように店を壊してぶちまけたのだろう。

 これは滅茶苦茶だ。度を越している。

 それだけではなく二人の幼年学校生は貴族子弟に追い打ちをかけて止まない。

 

「姉上が何に取り入っただと!! 顔がいいだけだと! 貴様などが何を知って言うのだ!」

「あ、もう言いません…… 間違ってました、だから……」

「よくもよくもよくも! 言ってくれたな!」

 

 幼年学校生は手に何か粉ひき棒のような物まで持って打ちすえている。

 何度も何度も激しく。

 戦闘用の物ではないが、力いっぱい使えば凶器にもなる道具を使い、欠片の容赦もなく行使する。

 抵抗を諦めた小動物のような悲鳴がその度に小路に響く。それは幼年学校生の耳に入っていないようだ。

 

 

 

 二人の幼年学校生の姿に、変わったことの好きなエカテリーナも怖さを感じた。

 

 いったいこれは何なのだろう。

 あの少年には狂気が入っているのか!

 

 さすがに蜂蜜色の青年士官がそれを止めるために向かったが、辿り着く前に事は終わった。

 二人の幼年学校生はやっと興奮が収まり、棒を手にしたまま立ちすくんでいる。

 青年士官はその二人に構わず、むしろ転がった五人の貴族子弟の状態を確認して回り、医者の手配に走った。ピクリとも動かず、明らかにミュラーよりも重傷のようだ。

 

 幼年学校生たちはゆっくりとその小路から大通りに戻った。

 

 エカテリーナは先ほどの苛烈な態度を見て怖くもあったが、ミュラーを助けてくれた恩義がある。

 前に立って感謝を述べた。

 

「先ほどは私の連れを助けて頂いて感謝します。本当に。あのままでは五人にひどい怪我をさせられてしまうところでした」

「あ、ああ、フロイライン、それはよかった」

 

 少年たちは喧嘩の余韻で最初はぼやっとしたところがあったが、しかしみるみるうちに瞳に生気が戻り、輝きを放つようになる。

 

「あのような輩、貴族に生まれついただけで実力もない者が寄ってたかって無体をするとは、そちらには災難だったろう」

「ラインハルト様……」

 

 

 

 ここでエカテリーナにいくつか分かったことがある。

 先ほどの行動の激しさとはうって変わってこの金髪の少年は理知的な表情も見せるのだ。

 しかし、その言動には少しばかり不穏な響きがあるのも確かだ。

 現在の帝国の貴族体制に批判的にも取れる言葉ではないのか。だからこそ、もう一人の赤毛の少年が遮るように声を出したのだろう。

 

 そしてもう一つ、この少年の名はラインハルトというものらしいが、しっかり名前を確認したい。

 

「申し遅れました。私はエカテリーナ・ルビンスキーと申します。まだ女学生です」

 

 思いの外、こちらの名を聞いても少年は表情を変えない。実際のところ二人はルビンスキーの家のことを知らなかったのだが。

 

「ラインハルト・フォン・ミューゼル、帝国軍幼年学校四年だ」

「同じくジークフリード・キルヒアイスと申します」

 

 エカテリーナは素早く計算し、この二人がたった十四歳なのを知る。

 何だ、見た目どおりやはり年下ではないか。

 そうと分かると少しは余裕も出てくる。

 

「こちらに加勢して頂き本当に感謝いたします」

 

 感謝だけではない。エカテリーナは率直に今後必要になってくることを言った。

 

「それと、このあとの始末なんですが、どういった方法をとりましょうか」

 

 そう、これを決めておかなくてはならない!

 

 結果的に貴族子弟を五人も叩きのめしたのだ。中には半殺しといって差し支えない者までいる。

 ただで済むはずはない。何らかの手で揉み消さなくてはならない。発端がどうかとかどちらに非があるかというのは問題ではなく、貴族子弟が怪我をさせられたことが問題なのである。

 エカテリーナにすれば自分はともかく、ミュラーを巻き込んではならない。その輝かしいものであろう将来に影をさすことは絶対にできない。

 

 エカテリーナはルビンスキー家の力を用いるつもりだった。

 その財力と影響力でこんな事件はどうとでもなる。

 

 ただし、そうするにしても全員が口を合わせておかなくてはならない。

 それは面倒なことでもあるが、エカテリーナはそれでもこの幼年学校生に対し、余計なことをしてくれたとは思わなかった。その二人は貴族子弟が多数で平民一人をいたぶっているのを見過ごせなかったのだ。結果的にやり過ぎてしまったのだが尊いではないか。

 

「あとの始末か。ほっておけばいい。どうにかなる。フロイラインが心配することはない」

 

 金髪の少年が意外なことを言った。それを赤毛の少年も肯定の表情で聞いている。

 少年たちは決して捨て鉢になって言ったふうには見えないのだが…… 大胆なことだ。

 それに全く反省もしていない。むしろ後始末を誰かがするのを喜んでいるような感じだ。

 

 

 エカテリーナは不思議に思った。

 

 それと同時にこの少年たちに興味を持った。

 何かが違う。この少年たちは一面においては分かりやすい直情を持つが、逆に何か奥底を見通せない深みがある。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第四話 ピクニック

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