疲れも知らず   作:おゆ

34 / 143
第三十三話 487年 2月  アスターテ ~覇気とペテン~

 

 

 同盟第二艦隊は旗艦パトロクロスが被弾し、いったん司令部の機能が麻痺してしまう。

 もちろん艦隊としての統一行動が取れなくなり、その攻撃力も半減してしまった。せっかく帝国軍シュターデン分艦隊を破ったというのにその甲斐も無く進行を停止せざるを得ない。そうしないと帝国軍を分断どころかファーレンハイト分艦隊の餌食になるばかりだ。

 

 とすれば、またしても戦場の支配権を握ったのは帝国艦隊となる。

 危険な同盟第二艦隊の応援という要素を撥ね退けたのだ。

 

 帝国艦隊と戦う他の同盟艦隊といえばムーア第六艦隊はもはや有効な攻撃ができるような状態ではない。艦隊は統一行動を諦め、四散し、それぞれが逃げ惑っている。

 ボロディン第十二艦隊はまだしも艦列といえるものを残しており、果敢に抵抗しているが帝国艦隊に押され続けている。

 

 戦っている艦艇数を合計すればまだ同盟艦の方が一回り多いというのに、戦いの趨勢では全く逆である。

 次々と同盟艦がまとめて虚空に消えていくばかりだ。

 

 

 

「パエッタ司令、お気を確かに! 軍医が間もなく来ます!」

 

 艦橋の硬い床に横たわったパエッタ中将は動くこともままならない。骨か内臓のどこかを損傷したようだ。

 

「ヤン准将か…… 第二艦隊は、どうなっている。今司令部が指揮をしないわけにはいかん。君には怪我はないようだな。艦隊指揮の戦時代行を宣言する。君が、指揮を、とれ…… 頼んだ」

 

 それだけは艦隊司令官として言わなければならない。もはや自分ができないのを分かっているパエッタは気力を絞って艦隊指揮権の移譲を言い終え、昏倒する。直後、駆けつけた軍医によって艦橋から病室へ急ぎ移送させられた。

 

 ヤンはそのパエッタに向かい、しっかりと敬礼を一つした。

 決してそりが合うとは言えなかったが、パエッタ中将には数々の美点があり、ヤンは敬意を払っていたのだ。

 

 

 

 

 そしてヤンはベレー帽を整え、第二艦隊各艦への伝達のためマイクを取る。

 

「パエッタ司令から艦隊指揮の戦時代行を命じられたヤン准将だ。第二艦隊の各艦に告げる。我々は現在負けているが、慌てなくていい。生還したいものは指示に従ってほしい」

 

 ぶつけて痛む頭を押さえながらパトロクロスの艦橋に入ったアッテンボローがつぶやく。それは懇願ではない。言葉通りであり、必ずそうなるという確信がある。

 

「どうにかしてくれると期待してますよ、先輩」

 

 

 第二艦隊はヤンの指示に従い、コンパクトにまとまった。いったんファーレンハイトの分艦隊に対処するためである。艦列が濃密になり、隙はなくなる。好き勝手に暴れることができなくなったファーレンハイト艦隊は退かざるを得ない。

 

 そこから第二艦隊は驚くべき陣形を取り始めた。

 

 何と再び分散を始め、薄い壁のように形を変えていくではないか。そして帝国軍を包囲するような構えを見せた。

 これに帝国軍の将兵も一様に驚くしかない!

 

「何だ、数において劣る方が包囲作戦とは、どういうことだ」

 

 その通り、第二艦隊単独では明らかに帝国艦隊より少ない。だからこそ訝しんだが、現実に包囲しようとしている。

 ラインハルトもその意図を読みかねた。しかし、逡巡することはなく、素早く決断する。

 

「苦し紛れか…… あるいはこの期に及んでも包囲殲滅を夢見ているのか。どのみち薄い包囲網など無意味だ。さっさと食い破ってやれ」

 

 

 

 帝国軍は余力を残していた艦や大型艦を中心とした部隊を編制すると、その包囲網に突っ込ませる。重火力を叩きつけて破るのだ。

 ところが、帝国軍の反撃に直面した部分の包囲網は一目散に逃げていくではないか!

 これもまた帝国軍には理解できない。

 

「包囲網とは、攻撃をしてくる敵を足止めし、その脆弱な横面や後方を砲火で叩いて出血を強いるから意味があるのだ。それもせずにただ逃げるとは何の意味がある」

 

 

 やがて同盟第二艦隊から砲火がやってきた。しかし、思わぬところに向かって。

 

 それは包囲を食い破るために出てきた艦艇に対するものではない。むしろそれ以外の、戦い続けて疲労し、動けなかった艦艇を狙ったものだ。

 その攻撃をどうにか妨害しようと帝国軍が集中運用して向かうと、やはり同盟艦は逃げる。

 そして別の面から帝国艦隊の疲労した動きの鈍い艦がまた攻撃される。

 

「狡猾な! こんなペテンを!」

「ラインハルト様、これは……」

「そうだキルヒアイス、敵の包囲網は包囲するためのものではなかった。こちらの疲労した艦を見極めて狙い撃つためのものだったとは」

 

 さすがにラインハルトの天才は誰よりも早く看破した。

 悪辣としか言いようがないが、その有効性もまたラインハルトにはよく理解できる。

 

 その意図が明らかになっても、しかし対処は困難である。

 普通なら疲労が蓄積して行動限界に近い艦は下がらせるのだが、包囲下にあっては完全に安全な領域は無いのだ。

 そしてここまでの戦いで疲労しきっている艦は決して少数ではない。帝国軍はここまで勝ち続けてきた。しかし連戦のダメージは見えないところに蓄積されていたのだ。

 

 

 

「先輩、これはどういう狙いですか? 逃げたり戻ったり忙しい作戦で。損害が少なくて済むのはいいとしても、やっと五分五分くらいに持ち込めたってとこですか」

「これでいいのさ、アッテンボロー。お互いに決定的な殲滅はできない。帝国軍はさすがにエネルギーや弾薬が残り少ないはずだからね。そればっかりはどうにもならないのさ。物理的な消耗は指揮官が優秀でも士気が高くても補えない」

「なるほど、じゃあ、このままいけば……」

 

「そう、この態勢の狙いはもう全くの消耗戦だ。いわば加速した消耗戦を作り上げたんだよ。今回の戦い、そもそも帝国軍は戦略的条件において劣っている。二万隻という数と遠征の距離、そして補給を考えればね。相手の司令官は華麗な戦術を使うかもしれないが、戦略的不利を戦術で覆せはしない。各個撃破は見事でも、それだけだ。やがて帝国軍はここが敵地であることを思い出してくれるだろうね。これ以上の戦いは諦めてくれるんじゃなかな。それがなるべく早いとこっちも楽なんだけど」

 

 ヤンの狙い通り、一方的に追い散らされる場所もあれば、攻撃が効果的に効く場所もある。どちらにとっても一進一退の消耗戦だ。

 

 ようやくラインハルトの気持ちに踏ん切りがつく。

 悔しいがこれ以上を望むと先に破綻してしまう。帝国軍の戦略的不利を覆い隠すことができなくなるのだ。

 

「もう少し勝ちたかったな。最後に勝ちきれなくなるとは。予想外のことをされてしまった。キルヒアイス、ここで我慢しなくてはならないのか」

「充分でしょう、ラインハルト様。いっそうの戦果を求めるより、味方将兵の損耗こそお気になさるべきかと思います」

 

 帝国軍は撤退にかかった。

 ほぼ行動限界点に近付いていた艦をしっかりと保護するような強固な紡錘陣を作り上げると、まとまって包囲網から外に出て、そのままイゼルローン回廊に向かう。

 同盟第二艦隊は追撃をしない。第六艦隊、第十二艦隊の救護を最優先にしたためである。

 

 

 

 

 アスターテの戦い、その意義という点から見れば同盟側の勝ちである。

 

 同盟領に侵攻してきた帝国艦隊を撤退に追い込んだ。

 防衛には成功した、これは勝利条件を達成したことになる。有人惑星に何も被害はない。

 避難民たちは同盟艦隊に感謝しながら、家に戻っていつも通りの生活を続けることができた。

 

 しかしながら帝国も同盟もアスターテの戦いは帝国側の勝利としか思っていない。

 

 戦いの結果、参加した帝国艦隊二万隻のうち未帰還は四千隻余り、決して少ない損耗とはいえない。

 ただし同盟側の損害はその数倍に達している。自領であったため人員の救護や艦艇の修理という面で有利であった。それでも失われた艦は一万隻を優に超え、失われた人命は百万人に近い。局地戦としては正に大敗である。

 

 そして何よりも帝国軍ラインハルト上級大将の華麗な戦いをまざまざと見せつけられた。これ以上ないほどの美しい指揮により、艦艇数で半数という圧倒的に不利な帝国軍があっさり勝利を掴んだ。

 

 同盟にとってすればその天才的な艦隊指揮は悪夢のようだ。

 

 反対に帝国軍将兵にとっては歓呼して迎える期待の星だ。

 これまではラインハルトの若さや皇帝の寵姫の弟という経歴は憂慮すべき問題だった。

 しかしそんなことはアスターテでどうでもいい過去に成り下がる。将兵の心酔する名将がここに誕生したのだ。

 

 

 

 帝国軍中枢部はラインハルトの功に対し、元帥昇進をもってそれに応えた。

 

 アスターテの戦いの歴史的意義はそこにあったといってもいい。

 ラインハルトが待ちに待った元帥だ!

 

 むろん直ちに元帥府を開いた。

 これでラインハルトは誰に何の掣肘も受けず、人事を決定できる。同盟とは違い帝国軍には封建的なところが残っている。

 その幕下に有能だと見込んだ将を次々と招き入れ、子飼いの将とする。

 ラインハルトはもちろん性格や出身にかかわりなく能力で選ぶ。その態度ゆえに帝国軍ではラインハルトの幕下に招かれることは栄誉と見なされ、皆にうらやましがられた。招かれて断る者はほぼいない。

 

 その数少ない例としてメルカッツ中将がいる。

 正確に言えば、招かれる前に幕下に加わるつもりがないことを周囲に漏らしていたのだ。

 

「若いが天才的な指揮をする名将、ラインハルト・フォン・ローエングラム、確かに帝国軍にとって朗報かもしれん。儂もアスターテで直にその指揮ぶりを見ている。ただし、その忠誠心が見えんのだ。人はあまりに強い輝きには目がくらんでしまうものだが、儂は年の功があるので、眩しければ目が慣れるまで待つのがいいと知っている。見えるようになってから判断すべきだ」

 

 

 ラインハルトの幕下にミッターマイヤー中将、ロイエンタール中将がいるのは当然とみなされた。比較的早い段階で子飼いになっているし、能力もよく知られている。その他、メックリンガー、ワーレン、ビッテンフェルト、ルッツなどの将も順当に加わっている。

 

 しかし、これまであまり名を聞かなかったが、能力を見出されて一躍抜擢された者もいる。

 アスターテの戦いで見事な守備を披露したナイトハルト・ミュラーもそういう一人だ。准将に昇進の後招聘される。

 

 実際に調査し、元帥府に加えるのを推挙したのはキルヒアイスであるが、任命はもちろんラインハルトが行う。

 豪奢な金髪に覇気をたなびかせ、ゆったりとミュラーに命じた。

 

「卿には期待している。経歴を調べて驚いた。卿は何とフェザーン警備艦を率いて貴族艦隊を撃破したそうだな。更にその戦いぶりも調べさせてもらったが、特に防御戦術において非凡な艦隊指揮ができる人物と知った」

「小官ごときをお目に留めて頂いたばかりかお褒めの言葉、誠に恐縮です」

 

 ミュラーは実直に応答した。元帥があんなフェザーンでの揉め事まで調べていることに恐れ入る。

 

「そこでだ。ミュラー准将、是非とも我が元帥府に招きたい。この先も大いに活躍してほしい。私のために」

「は、重ねての過分なるお言葉、御期待に沿えますよう誠心誠意努めていく所存であります」

 

 

 

 ミュラーはふと思い出した。

 士官学校時代、オーディンで貴族子弟に吹っかけられた騒動において守ってもらったことがある。ラインハルトの方では似たようなことが多いので忘れてしまっているのかもしれない。そもそもミュラーは名乗っていなかった。

 

 といっても自分の方も既に倒れていたため、ラインハルトらが無茶ぶりを示したのを目にしていない。後でエカテリーナから話を聞いた限り、恐いほど烈しい若者ということだった。

 

 他の人間の例に漏れず、ミュラーはこのラインハルトの斬新さと烈しさに期待する。

 淀んでしまったこの帝国をより良く変えてくれるのではないか、と。

 大事な言葉をミュラーは気に留めなかった。

 ラインハルトの最後の言葉だ。私のため、つまり帝国軍を私兵化するともとれる危険な言葉だったのに。

 

 

 ラインハルトは元帥府内でミュラーを単なる参謀職にはせず、准将としては異例の分艦隊を指揮する立場につけた。

 同じように抜擢したクナップシュタイン少将の元に配属する。このクナップシュタインはバランスのとれた人格で情に厚く、ミュラーには働きやすいものであった。

 

 

 

 

 




 
 
次回、新章突入 第三十四話 危険な訪問者

エカテリーナへの突然の訪問者、それは飛躍の端緒か、動乱への罠か

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。