疲れも知らず   作:おゆ

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第三十二話 487年 2月  アスターテ ~総力戦~

 

 

 その砂色の髪をした士官は簡潔に状況を伝えてきた。 

 

「現在フォーゲル分艦隊の指揮を代行しております、ナイトハルト・ミュラー大佐であります。司令官フォーゲル少将は旗艦艦橋被弾と同時に負傷され、先ほどから意識混濁にあります。その直前、末席参謀の小官が一番負傷が軽いので臨時代行を指名されました」

 

 なるほどそういうことか。

 しかし一番負傷が軽いといってもスクリーンに映るミュラー大佐はそう思えないほどの怪我を負っているようだ。立っているのがようやくの姿ではないか。

 

 しかしそれより、ラインハルトの関心はこの者が先ほどの見事な艦隊運動を指揮したのか、という点にある。その確認と、事実であればねぎらいの言葉が必要だ。

 

「貴官が先ほどの見事な防御戦術を指揮したのか。よく敵の突破を許さなかったものだ」

「恐れ入ります、総司令官殿」

「貴官が分艦隊の指揮をそのまま代行せよ。もしも貴官の怪我も悪化するようなら、無理せず艦隊を後方まで下げるよう」

 

 ラインハルトはわずかに気遣いを見せられるほど機嫌を直していた。

 

「キルヒアイス、少しは良いこともあるものだな。フォーゲルが負傷したせいで良いものを見ることができた。先ほどのナイトハルト・ミュラー大佐、覚えておこう」

 

 

 

 そこでラインハルトはもう一つの事を思い出した。

 

 フォーゲル分艦隊の前に、エルラッハ少将の分艦隊もまた被害を被っていたはずだ。

 それは今どうなっているか。壊滅との報告は届いていない。

 あまり最初から当てにしていない艦隊ではあったが、行く末を確認しておかねばならない。

 

 戦況を報告させると、驚くべきことが判明した。

 エルラッハ少将の艦隊は立派に敵の第六艦隊と渡り合っているではないか!

 その隣で崩れかけながら四苦八苦してなんとか形だけは保っているシュターデン中将の分艦隊とは違う。見間違いのようだが、事実はそうである。

 

「エルラッハを呼び出せ」

 

 変な話だが、味方が強い方がかえってラインハルトは疑問に思う。エルラッハがこれほど有能なはずはない。

 

 果たしてそれに対する答えがあった。

 通信スクリーンに出てきたエルラッハ少将は目が虚ろだ。総司令官ラインハルトと通信しているというのに敬礼すら取らなかった。

 

 だがラインハルトはそれを咎める気にもならない。

 エルラッハ少将は明らかな心神喪失状態だ。

 怪我をしているわけではないが、これではとても艦隊指揮ができているように思えない。

 たぶん、この戦いの序盤で思いがけず敵の攻勢を受けた際、精神的に過大な衝撃を受けたのだろう。それで心の平衡が崩れたのだ。エルラッハ少将はもともと無能どころか艦隊戦に向いていない人間だった。貴族上がりで苦労せずに出世してしまい、提督になった者にありがちなことである。後方勤務の方が兵も自分も幸せであったろう。

 

 そしてラインハルトがスクリーンで観察した限り、実際の分艦隊指揮はエルラッハ少将に代わって参謀が行っているようだ。

 艦橋では一人の参謀が大きな声で指示を出しているのがひときわ目立つ。

 大柄でいかにも軍人らしい風貌をした参謀だった。

 ラインハルトは少し興味を持ち、その大柄の男を呼んでスクリーンに出すように命じた。

 

「貴官は分艦隊の参謀のようだが、なかなか溌溂とした指揮ではないか。エルラッハ少将は良い部下を持っていたようだ。艦隊が崩壊どころか善戦しているのも貴官のおかげだろう。ところで貴官の名は何と言う」

「はっ、総司令官殿。小官はカール・グスタフ・ケンプ大佐と申します。いささか出過ぎたマネをいたしております」

「よろしい。では詳しい報告は事後でいい。今はそのまま艦隊指揮に注力せよ」

 

 

 

 

 戦いは帝国艦隊が優勢を保ったまま推移している。

 同盟側ではこんなはずではないと思うものの、事実はそうだ。

 特に第六艦隊の方に被害が積み増されているようだ。いったん後手に回った第六艦隊は形勢を崩し、主導権を取り戻せない。もう間もなく残存艦数でも同盟側の優位は失われるだろう。

 帝国艦隊に天秤は傾き、加速度的に優劣がついていく。

 

 ついに同盟第六艦隊の艦列は綻び、修復もままならず決壊した。

 

「よし、これで決着はついた。最終局面だ。整然と圧力をかけていけ」

 

 ラインハルトは最終攻勢を命じようとした。

 押しまくる帝国軍は沸き立っている。苦しい戦いをくぐり抜け、もはや勝利は揺るぎないように見えたのだ。

 

 だがしかし、いきなり冷や水を浴びせられた!

 

「敵艦隊探知しました! 急速接近中! 艦艇総数約一万五千隻!」

 

 

 ここにきて同盟軍最後の第二艦隊が戦場に現れた!

 参加した三個艦隊のうちで最も数が多く、一気に形勢を変えられる戦力である。

 

 

 

 遡ること数時間前、考えがまとまらず逡巡する第二艦隊司令パエッタ中将に参謀としてヤンが意見具申した。

 

「パエッタ司令、この宙域に留まっていても益はありません。もう同盟軍の包囲作戦は破綻しています」

「む、確かに言う通りかもしれん。しかし、帝国艦隊を見失う事態は想定外だ。どうすべきか取り決めてはいなかった。ここは慎重に考えねばならん」

「そうです。状況を鑑みて行動しましょう。なるべく早く」

「しかし下手に動いた方が連携が取れないのではないか。他の艦隊も百戦錬磨、それぞれに考えているはずだ」

 

 このアスターテにおける同盟側の基礎的失態は、総司令部が存在しないことである。

 重大な場面でそれが露呈したのは不運でもなんでもなく同盟の人災というべきものだろう。

 

 早急に動くべきだというヤンの意見は保留された。

 しかし状況に変化がないまま数時間、これ以上時間を空費できない。パエッタは今度は真剣に意見を聞く気になった。

 

「ヤン准将、これからの行動について君のことだ。きっと意見を持っているのだろう。先ほどの続きを言ってみたまえ」

「司令、直ちにこの宙域を放棄、他の艦隊と合流を図るべきです」

「動くことには同意するが、撤退ではなく、合流か……」

「帝国軍としては当然のようにこちらの三個艦隊を各個撃破にかかるでしょう。今の時点でこの艦隊に向かってこないということは、他の艦隊が危機に晒されていることと同義です。応援に行かなければ間に合いません」

「ヤン准将、他の艦隊もむざむざとやられはするまい。であれば第二艦隊はイゼルローン方面に赴き、帝国艦隊の退路を遮断するという方法もある」

 

 この意見にはヤンもしばし考える。

 パエッタ司令は経験の賜物か、なかなかどうして戦略眼があった。

 しかしながら現実的にはあまり有効とは思えない。

 

「司令、その退路遮断もまた一つの方法ではあります。ただしこの第二艦隊だけで行うのは非現実的です。帝国艦隊の損耗が少なければむしろ数で劣りますから。それよりも早急に他の同盟艦隊を支援する方がトータルで有効になります」

「仮に君の意見が正しく、応援に行くとしよう。では第六艦隊と第十二艦隊とどちらへ行けばよいのか。その点はどう考える」

 

 

 パエッタ中将はここにきて真剣にヤンの進言を聞く気になっていた。敵も見えないが、味方の状況も分からず、不安があったからだ。それに面子にこだわり拒絶を続けるほどパエッタは硬直な人間ではない。

 

「それは、おそらく第六艦隊の方が適切と考えます。わずかばかり距離が近いですので」

 

 そう理由を付けたが、実はヤンの嘘だった。

 ヤンは心中で第十二艦隊のボロディン中将を高く評価していたので、仮に帝国艦隊と交戦しても壊滅することはないと踏んでいたのだ。

 帝国艦隊だって本当の死闘を望んでいるわけではない。

 ここは同盟領であり、そんなリスクを冒すわけがない。であれば第十二艦隊が果敢に抵抗を続ければ帝国艦隊が有利であろうともしつこく戦うことはない、と。

 

 ヤンでさえ帝国軍が今までと別格の強さを持っているまで想像できなかったのだ。

 

 一方、もしも第六艦隊が帝国軍と当たっていれば全滅もあり得るとは想像した。ムーア中将は硬直的であり奇襲にはことさら弱いと思われる。ついでに言えば、第六艦隊には親友ジャン・ロベール・ラップがいる。第六艦隊が全滅したら死なせてしまう。それは全く個人的なことではあるが。

 

 ようやく同盟第二艦隊はヤンの進言通り、第六艦隊に向かって移動を始める。

 それは遅過ぎた。しかし、他の選択よりよほど良い結果をもたらす。

 

 

 

 

「うろたえるな! 再び敵に応援がついたからといって、慌てることは何もない。先ほどから我が艦隊と戦っていた敵の二個艦隊はもはや半壊状態、脅威ではなくなった。我らは新たな敵艦隊も破り、より完全な勝利を得る機会を手に入れたのだ。予定した各個撃破の間隔が少し短くなった、それだけのことではないか!」

 

 総旗艦ブリュンヒルトからラインハルトが各艦に通信をとった。

 これで士気をもう一度鼓舞する。敵領にいる以上、弱気が致命傷になりうるからだ。

 勝利の美神の姿が再び各艦のスクリーンに映され、その覇気までが伝達される。これで帝国軍の衰えかけた戦意は再び高まった。

 

「ただし各員はその力量を見せてもらう。もはや遊んでいられる艦はない。総力戦になる。勝利の美酒は怠惰な者が飲んでいいものではないからだ」

 

 

 一方、同盟第二艦隊は友軍の危機を認めるや、直ちに応援に入る。ここに同盟の第六艦隊と第十二艦隊がいるというのに明らかに旗色が悪い。その理由を詮索している時間はない。

 パエッタが考えられるほぼ順当な行動を命じた。今でこそ多少丸くなったが、元は猛将と呼ばれたこともある有能な将である。

 

「各艦最大戦速! 急進し、帝国艦隊に横から一撃を加える。それで味方が後退する時間を稼ぐのだ。それができたら連携して陣形を再編する。あとは再び攻勢に出て帝国艦隊を撃滅する」

 

 

 

 そして第二艦隊は帝国艦隊の一角に取りついた。

 

「間もなくレッドゾーン、長距離砲有効射程内!」

「よし、各列戦艦斉射用意、撃て!」

 

 ここの部位の帝国艦隊は戦い続けて疲労していたのか、思ったほどの抵抗は感じられない。第二艦隊は易々と進むことができる。

 

 もちろんそれをブリュンヒルトのラインハルトが見ている。

 

「あそこはシュターデンの分艦隊か! これはまずい。偶然にも新たな敵がそこに接触したとはな。このままでは破られるのも時間の問題だ」

 

 少し苛立ってくる。決して負けるとは思っていないのだが、苛立ちはする。

 

「ラインハルト様、こちらをご覧下さい」

 

 ここでキルヒアイスがいち早く気付いた。

 その言葉によってラインハルトが目線をずらすと、そのシュターデン分艦隊に真っすぐ向かっていく帝国軍の分艦隊があるではないか。

 

「何だ? 対処が早いのは良いが、このままではシュターデン艦隊と交錯するではないか。無茶をするものだ」

 

 ラインハルトは一目でその分艦隊の狙いが分かる。防衛線を修復すると同時に側背攻撃をかけて出血を強いるものだろう。

 

「いったいどこの艦隊だ」

「あれはファーレンハイト少将の分艦隊です。少将は攻勢をかける嗅覚と速さに定評があるようですね、ラインハルト様」

「なるほど、やるものだな。俺とキルヒアイス以外にも有能なものがいたのは収穫だな。今後のための」

 

 

 

 そのファーレンハイト少将は先ほどから艦橋で薄笑いを浮かべている。

 

「いい訓示だ。総力戦ということは、勝手に動いてもいい、そういう解釈をしてもいいわけだな。面白い。ではせっかくの機会を存分に楽しむとしよう。全艦速度を上げてシュターデン艦隊に突っ込め!」

 

 聞いた兵たちに恐れが走った。

 命令から実行までやや間が空く。ファーレンハイトの艦隊にしては珍しいことだ。

 ファーレンハイトは少し苦みのある表情になったが、面白いことを思いついたように、ふいにくくっと笑った。そして横の者に言う。

 

「艦隊行動が遅いな。ザンデルス中佐、貴官も何か言ってみるか?」

 

 この場面で意外な命令だが、末席参謀ザンデルス中佐は意図を汲んで素直すぎる従い方をした。ファーレンハイトはザンデルスの顔に似合わない口の悪さを知っている。

 

「全艦いいから前に行け! ケツに靴跡が付くまで蹴られないと進めないか?」

 

 

 ようやく進み始めたが兵たちの恐れも尤もな理由がある。

 このまま増速しシュターデン艦隊に突入したら、馬鹿馬鹿しくも味方同士が衝突することになるではないか。

 

 だがそうはならなかった。

 帝国軍同士の交錯という事態にはならないのだ。

 

 ファーレンハイトは敵同盟第二艦隊の攻撃力を正確に見計らっていた。

 おそらくシュターデン分艦隊は支えきれない。必ず突破されてしまうだろう。

 その突破された瞬間に敵艦隊の頭を叩いてやるのだ。そのタイミングで攻勢をかけるのが最も効果的だから。

 果たして同盟第二艦隊はエネルギーのありったけを使ってシュターデン艦隊を破りにかかかり、ようやくそれがかなう。

 

 その直後、苛烈な斉射をまともに浴びた。

 

 ファーレンハイト分艦隊の攻勢は同盟第二艦隊を易々と切り裂き、あろうことか旗艦パトロクロスにまで直撃を与えたのだ。

 

 パトロクロスの艦橋ではしっかり固定されていない機器は皆宙を舞うことになった。オペレーターのレシーバーから、コーヒーを入れた紙コップまで。

 しかし重要なのは重さ60kgほどの柔らかく脆弱な物体だ。即ち人間である。

 パトロクロスの艦橋の床にいろいろなものが散らばり、人間もまた無造作に横たわっていた。呻き声があちこちから聞こえる。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第三十三話 アスターテ ~覇気とペテン~

戦いの結末は……



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