疲れも知らず   作:おゆ

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第十九話 484年 1月 遭遇戦

 

 

 エカテリーナは唐突にミュラーを呼び出した。

 

 今度は公園や街角ではない。

 フェザーン自治領統治府ビルのカフェテリアである。明るく機能的に作られている。

 先ず二人はそれぞれブルーベリーの乗ったロールケーキとミルクティーをトレイに取り、相向かいに座った。

 

「ミュラー、今日は遊びの計画で呼んだんじゃないわ。話があるの」

「それは珍しいね。だからこんな場所で? 何の用だい?」

 

 エカテリーナは少し深刻そうだった。

 先日の船遊び以来エカテリーナとミュラーはわずかギクシャクしている。それは別に悪い意味ではなく、慎重に相手を観察するようになったからである。

 

「帝国からフェザーンにヘルクスハイマー伯爵が来てるのはたぶん知ってるわよね。同盟へ亡命希望のために」

 

 

 

 これにはミュラーも意表を突かれた。

 エカテリーナがそんな話題を出すとは意外過ぎる。今までフェザーンの政治的情報については敢えて避けているらしく、何も語ったことなどないのに。

 

 もちろんそのヘルクスハイマー伯亡命事件はミュラーも知っている。

 というより、その事件のため今や帝国弁務官事務所はてんやわんやの大騒ぎになっているのだ。

「どんな方法でもいい。どんなに金がかかってもいい。大至急情報収集せよ!! この言葉を一言一句その通りにとらえよ」

 そうオーディンの国務尚書リヒテンラーデ侯から要請が来ている。前例のないほど強い調子で。国務尚書本人から緊急通信まで使っての直接命令など弁務官事務所ではレムシャイド伯爵を含め誰も経験したことがない。

 もしも何の成果も挙げなければ誰かが詰め腹を切られそうなほどの厳命だ。

 

 それでレムシャイド伯爵以下全員が八方手を尽くしている。

 

 航路局の者に接近したり、物資調達を調べたりするが思うような情報は得られない。挙句の果てにフェザーン政府の廃棄物を探ることまでしている。何か有用な書類が含まれていないか探るためだ。

 弁務官事務所にいるのは銀河帝国でもエリート文官なのである。それが今やゴミ漁りとは。

 しかし焦るばかりで成果はなく、いよいよ切羽詰まっている。弁務官事務所は今異様な雰囲気になっているのである。

 

「それで伝えることがあるのよ、ミュラー。簡単に言うわ。ヘルクスハイマー伯爵がフェザーンを出立する日と時間が決まったわよ」

 

 これには驚きのあまりミュラーは声も出ない。

 

「フェザーン航路局の管制部へ宇宙艇の出立予定が出ているから確かなことよ。今、帝国にとって是非とも知りたい情報でしょう」

「え! そうなのか! しかしエカテリン、それを、何で」

 

 こんな重要な情報を語ってくるとは全く意外なことだ。

 意外というのはエカテリーナが何故情報を言うのか、ではなく、何故わざわざミュラーに言うのかということだ。情報を知っていること自体はエカテリーナがフェザーン中枢にいる以上不思議なことではない。

 

「その情報を帝国側に教える、それがフェザーンの方針だからよ」

 

 それでもミュラーを選んで言う理由にはならない。

 だから分かった。

 エカテリーナはミュラーの立場を考え、手柄を与えてやろうというのだろう。駐在武官は軍事的な手柄を立てようがなく、文官の牙城である弁務官事務所の中ではただのお客さんのような立場になり、自然と軽んじられるものだから。

 エカテリーナがルビンスキーに情報の出し方について注文をつけたのはそのためだ。

 

 

 

 ミュラーとしてはそれを聞いた以上のんびりなどしていられない。今は時間が大事、エカテリーナに感謝を重ねて言うのもロールケーキを食べるのも後回しにする。

 ミュラーは直ちに弁務官事務所へ情報を伝えるべく走った。

 

「よくやってくれた!! ミュラー君! これでリヒテンラーデ侯に面目が立つ。私の首も連がっていられるというものだ」

 

 情報を聞いた瞬間レムシャイド伯は大声を出した。その場にいて話を聞いていた文官たちは小躍りして喜ぶ。弁務官事務所に歓声が響き、書類がまき散らされた。

 

「高等弁務官殿、では早く」

「ああそうだ、直ぐにこの情報をオーディンに伝えねばならん。いやしかし、ルビンスキー家の令嬢に近い君がいてくれて本当に助かった。大いに感謝する。何が幸いするか分からんな」

 

 ミュラーとしてはこれ以上なく喜ぶレムシャイド伯を見るのは嫌なことではない。しかしエカテリーナと自分とのことを謀略の糸口のように言われるのは若干複雑である。

 エカテリーナと自分は、別の連がりがあるのだ。

 それは何だろう。

 ミュラーはまだ恋という文字を奥底に封印していることにさえ気付かない。

 

 

 ヘルクスハイマー伯爵がフェザーン回廊を出てくる日時が特定できた。

 

 危険な敵領で遊弋していた巡航艦へーシュリッヒ・エンチェンとラインハルトは、駐在武官ミュラーなる者が手に入れたという情報を元に最適解を導いた。こんなラインハルトの行動までフェザーンが予期しているはずはなく、せいぜい何かやるくらいにしか思っていなかったのだが、帝国はあまりにしっかりと準備していた。それが真価を発揮しようとしている。

 

「よし、ヘルクスハイマー伯を逃がしはしない! これで航路に待ち伏せてやる。キルヒアイス、俺たちがこんなところで任務失敗などしてたまるか」

「そうですね。ラインハルト様。先は長いのですから」

 

 そう、二人の先にはこれから塗り替えられるべき世界が広がっているのだ。任務はきっちり仕上げ、更なる飛躍のステップにする。

 

 さあ、では今は目の前の任務を考える。

 それは思ったより簡単ではなかった。ヘルクスハイマー伯の自家用艇を捕捉し、帝国の新兵器指向性ゼッフル粒子発生装置を取り返すまでは予定通りだが、この宙域に同盟艦が予想外なほど多数存在し、新鋭巡航艦へーシュリッヒ・エンチェンといえどもそれらを振り切るのは容易ではない。

 だがしかし、ラインハルト達は奇策でそれを乗り切る!

 接収したばかりの指向性ゼッフル粒子発生装置を試運転もなしに起動させて使ったのだ。あまりに大胆な行動だがそれで乗り切り、任務はほぼ達成できた。

 

 

 

 そして巡航艦へーシュリッヒ・エンチェンはイゼルローン回廊に戻らず、何とフェザーン回廊を使って帝国に帰還している。

 この作戦は指向性ゼッフル粒子発生装置などとは関係なく、それ以上に銀河の歴史を変えるほどの大きな影響を与えることになる。それはこの時からラインハルトの胸の内にある。

 

「しかし分かったことがある。キルヒアイス、回廊は二つあるのだ。今イゼルローン回廊ばかりで帝国と叛徒は戦っているが、これはとても奇妙なことではないか」

「そうですね、ラインハルト様」

「敵も味方も視野狭窄と言うべきだ。二つの回廊を使えばよりダイナミックな戦略が取れる」

「いずれラインハルト様が帝国軍の指揮をお執りになった際にはフェザーン回廊もお使いになると」

「そうだ。今はまだそんな力はない。ただしいずれ力を蓄え、誰もなしえなかったことをして宇宙を手に入れたい」

「その日が楽しみでございます、ラインハルト様」

 

 

 ヘルクスハイマー伯爵夫妻は亡命に失敗した。

 それどころか途中で死んでいる。艇を脱出する際のミスが原因だ。

 いくらラインハルトに追われて慌てていたとはいえ、技術に詳しい伯爵にしては痛恨のミスだった。

 生き残りはたった一人、伯爵家の一人娘マルガレーテだけがヘルクスハイマー家の従者ベンドリング少佐と共に亡命を続けることになった。ラインハルトとキルヒアイスは親を失ったこの娘に深く同情し、騙して帝国に連れ帰ることはできなかったのだ。任務の内に含まれていない以上、わずかな上乗せのためにその娘を犠牲にすることはない。

 帝国政府はその報告を受けても、不思議と娘の亡命について何も言うことはなかった。

 オーディンのリヒテンラーデ侯はその娘のことに関心がなかったからだ。

 

「ヘルクスハイマー家の娘などどうでもよい。ましてゼッフル粒子なんとかの武器などどうなってもよいのじゃ。一番大事なのは帝室であり、それについての情報は守れた。それで充分よの」

 

 

 

 

 銀河の反対側ではこれも緊急で動いている人間たちがいる。

 

「それでグリーンヒル君、情報部からの話は確かなのか。間違い、あるいは欺瞞であるという可能性についてはどうか」

 

 きちんとした座り方をして堂々とした態度を崩さない人物がいる。幾多の戦歴と英知が顔に刻まれている。

 しかし、今はそこにわずか憔悴の色があった。

 ここ自由惑星同盟軍統合作戦本部ビルの一室において、その中枢となる二人の人物が話し合っている。

 

「シトレ本部長、それについて情報部ブロンズ中将も確実性は百%近いと言ってきています。オーディンに潜入した工作員は特に有能で、ガセの可能性は小さいと」

「事実であれば事は重大だ。確認するために時間を取る猶予はないな」

「それに帝国とすればわざわざガセネタを使う理由は一つもありますまい。亡命者にことさら注意を引いて得することは何もありません」

「では何としてもその指向性ゼッフル粒子に関する技術情報を手に入れる必要がある。帝国も空恐ろしい兵器を作ったものだ。よろしい、現在時刻をもって本部長命令を発令する」

 

 統合作戦本部長シトレ元帥は無能とは程遠い。

 新兵器の重要性を正しく認識して命令を下した。

 

「ではフェザーンに最も近い第十二艦隊に緊急出動を命令する。ボロディン君に連絡を頼む」

「了解しました。しかし本部長、より早くであれば別の方法があります。本部艦隊のうちで現在哨戒任務に就いている艦隊を差し向けた方が早いと思われます。ここ数日帝国軍艦艇の侵入が多く、通常より大規模に哨戒を出していますので」

 

 ここでグリーンヒル大将もまた的確な助言をする。

 名参謀と称されるゆえんだ。

 

「なるほどその通りだ。グリーンヒル君。それでフェザーン方向に哨戒任務中の艦隊は誰が指揮している?」

「現在いくつかの艦隊が出ていますが、最新の報告によると最もフェザーンの近くにいるのはラルフ・カールセン准将、艦艇数約千二百隻の分隊です」

 

 シトレとグリーンヒルの二人の脳裏には、士官学校卒業ではないがその分苦労して実績を積み上げてきた軍人の姿が浮かぶ。

 実直で有能な軍人だ。

 昇進は遅いが実績を評価され、准将にしては大きな艦隊を任されている。

 

「カールセン准将ならその方がいいだろう。直ちにその艦隊の哨戒任務を解く。フェザーン回廊に向けて急行するよう通達するのだ」

「分かりました。情報部と補給基地にも連絡を取ります」

 

 

 

 

 その頃には既にラインハルトは任務を終了させようとしていた。

 

 しかし、実は帝国軍はラインハルトのみ派遣したのではなかった!

 

 それは当たり前のことであり。帝国軍はヘルクスハイマー伯亡命阻止の重要性をしっかりと認識している以上、ラインハルトの一隻のみに賭けるマネはしない。

 実際、新鋭巡航艦をいくつも派遣していたのだ。

 それらのほとんどはイゼルローン回廊から出て間もなく同盟の哨戒網にかかって撃沈されていた。そうでなくとも早々と諦めてイゼルローンに逃げ帰った。

 結果的にはへーシュリッヒ・エンチェンとラインハルトだけが任務を達成できた。

 

 ラインハルトが急ぎフェザーン回廊へ向けて進んでいた時、すれ違う帝国艦隊がいた。通信封鎖のためどちらもその存在に気が付かない。

 

 それは単艦ではなく分隊規模の艦隊である。帝国軍は単艦での潜入作戦だけではなく、なんと艦隊さえ投入していたのである。犠牲は承知、捨て石に近い物でも艦隊を動かし、敵領深くへと送っている。

 帝国軍に対し帝国政府中枢から異例なまで強い圧力がかけられているのだ。いかなる犠牲も厭わず伯爵家を抹殺せよとの要請である。帝国軍はそれに応じて幾重にも作戦を発動しているが、潜入と同時に、ある程度の抵抗を排除できる戦力を投入し、そのどちらかが任務を達成すればいい。そうでなくても陽動として目くらましにはなる。

 

 その特命を帯びた帝国艦隊千七百隻はシュムーデ少将が率いている。

 

 シュムーデ少将が命じられたには理由がある。

 忠実な将であり、それゆえ任務に臆することがない。今までの会戦において司令部にとって非常に使い勝手の良い将であった。攻守のバランスでいえば特に攻勢において迷わず愚直に進める特徴があり、最終局面の突進に多く用いられて高い評価を得てきた。

 この達成困難な作戦についても「やれることをやるだけだ」と言って命令通りに引き受けた。

 

 

 

 ここで教科書に書いたような遭遇戦が展開されることになった。

 帝国と同盟、二つの艦隊はフェザーン回廊の同盟側出口付近という同じ所を目指して進んでいたのだ。

 

 カールセンとシュムーデが遭遇するのは必然である。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第二十話 良将

カールセンVSシュムーデ!! 戦いの結末は?


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