疲れも知らず   作:おゆ

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第一章 優しい日々
第一話 帝国暦481年9月 ありふれた毎日


 

 

 貴族令嬢のための女学校というものは、あまりに退屈だ!

 

 習うことは歴史、マナー、服飾、音楽、ダンスなど。

 どれもこれも退屈過ぎる。

 しかもそれが好きな人にとっては大いに意味があるのだろうが、世の中にとって実用的なものは何一つない。

 政治、経済、科学、まして軍事などという科目は女学校にはない。

 

 当然だ。

 

 貴族令嬢は世の中の動きなど知る必要は全くというほど存在しない。ひたすら美しく着飾り、家柄に合った立ち振る舞いをすればいいだけなのだ。

 世の中のことを知りたがる令嬢は自分一人で独学をするしかなくなる。もちろんそんな貴族令嬢などほとんど存在しないが。

 

 そもそも学校の意義が違う。

 

 単に知識的なことなら家庭教師から習えばいい。

 幼少期から貴族令嬢には躾役兼家庭教師と、ついでにいえば遊び相手兼従者が何人も付いているのが当たり前だ。

 基本的なマナーや立ち振る舞いはしっかり叩き込まれる。

 

 しかし、それでもなお女学校が存在するのは理由がある。

 

 一つには人脈を作るためだ。

 パーティーや趣味のクラブだけでは強固な人脈は作れない。

 やはり長い時間女学校という場所で一緒に過ごし、そこで同じことを習ったりすれば絆は深まる。それでしか得られないものがあるのだ。

 

 もう一つの理由は伝統的なことだ。

 主に母親というものは娘に自分と同じ学校へ行くことを期待するものだ。

 自分の思い出を追体験したいということがあるのだろうか。

 

 そういった理由で貴族令嬢のための女学校は連綿と続いてきた。

 どんな大貴族の令嬢でさえ学校に一応は在籍している。

 尤も、社交面での働きが主になってしまうので、学校へ出てくることは少ないのだが……

 

 

 

 ちなみに大貴族の場合は入る学校選びがまた問題だ。

 学校というのは本来からいえば、貴族の家同士の関係とはかかわりなく生活できるはずなのだが、大貴族の場合はそうではない。

 

 長年の因縁のため、絶対に宥和できない貴族の家というものがある。

 

 その令嬢が同じ学校へ通うなどとんでもない!

 それぞれの取り巻きで形成された派閥の争いが勃発すれば、学校そのものが消し飛んでしまうかもしれない。

 

 多かれ少なかれ貴族家はそういう因縁を抱えているものだが、誰もが知る有名な因縁は一つしかない。

 ブラウンシュバイク家とリッテンハイム家だ。

 ならばそれぞれの幼い令嬢が近い将来在籍するであろう学校は絶対に同じものになるはずがない。もちろん、それぞれの派閥の令嬢もそれに合わせて学校を選んで入る。

 

 大貴族の派閥争いは学校を選ぶ時点でもはや始まっているのだ。

 そして代を重ねるごとに拡大再生産されていく。学校の意義がなぜかしら歪められている。

 

 

 

 

 このエカテリーナの場合、名門ではあるが比較的そういった派閥色の薄い女学校に通っている。どのみちフェザーンは特定の派閥になど与しないし、その必要もない。その栄華と財力で皆に等しく畏れられている。

 エカテリーナも傲然とそこへ存在しているのだ。

 

 多くの貴族令嬢はそんな日々の退屈を噂話で紛らわして過ごす。

 特に殿方の噂話が得意だ。そういった噂の情報を仕入れるために徒党を組む。

 エカテリーナは噂話も嫌いではないが積極的にしようとは思わない。

 しかし、話の中で仕入れたい情報もないことはない。例えばそれは、帝国軍士官学校との交流舞踏会や食事会の情報だ。これにエカテリーナは度々出席している。

 

 もちろん、貴族令嬢であればあちこちから舞踏会や晩餐会の声がかかる。貴族の誕生会や、取ってつけたような名目の会ならば。

 しかし、エカテリーナはそういう会には義務的に必要な程度以上には行く気がしない。

 

 面白くないからだ。

 

 そういった会には気取った貴族しか見られやしない。たまには真摯な貴族もいないこともないが、期待して行くべきほどの可能性はない。

 

 だがしかし、士官学校との交流会では平民出身の面白い者に会えるチャンスがある!

 

 交流会自体は平民と知り合うのを企図してのものであるはずはない。

 帝国の原則として貴族と平民はきっちり区別され、それを乗り越えるようなことは許されない。

 だから交流会といっても基本は貴族出身士官学校生が取り仕切っている。貴族子弟には士官学校に行く者が少なくない。ほとんどの場合、戦場に行きたいためではなく、武門の家柄を受け継ぐことを誇示するためだ。

 なぜなら貴族家というものは太古のルドルフ帝の時代、共に戦った戦闘指揮官に爵位が与えられて始まった場合が多い。最初が武という実力で始まっている以上、何らかの形で武に携わるのは誉れである。

 

 

 そんな貴族子弟の士官学校生が女学校と交流会を持とうとする。

 その交流会に平民出身の士官学校生が呼ばれないかというとそうでもない。もちろん差別をしないという理由なんかのせいではない。

 むしろ逆である!

 普段、平民出身と競っている貴族出身士官学校生はここぞとばかりに自分の立場を見せつけるのだ。

 

 士官学校のカリキュラムでは原則的に平民出身も貴族出身も区別はなく、そして多くの場合貴族出身の方が劣等生になりやすい。必死さも覚悟も違えば必然的にそうなる。

 もちろん卒業すれば帝国軍内では歴然とした差別が行われ、貴族出身の方が格段に出世するのは確かだが、学校のうちではそうもいかない。尤も、それは教官の考えにもよる。例えばシュターデン教官は自分の戦術理論を忠実に学ぶ学生を明らかに贔屓していた。それが強すぎて、結果的には貴族だから優遇するということはないという。

 

 ともあれ女学校との交流会は貴族出身学生にとっては平民出身との身分の違いを明らかに示し、日頃のうっぷんを晴らす場になるのだ。

 

 

 

 そんな思惑なんかエカテリーナにはどうでもいい! 交流会には平民出身の士官学校生が来る。

 

 エカテリーナは楽しみだ。

 貴族ではない者と知り合える。

 

 その一方、平民出身の士官学校生は交流会ではたいそう萎縮しているものだ。そういった煌びやかな場にそもそも慣れていない。マナーもほとんど分からない。

 それ以上に貴族令嬢に対しひどく気後れしてしまうのだ。貴族令嬢のオーラには敵わないものを感じてしまう。自分たちの母や妹と比べてあまりに違い過ぎるではないか! 同じオーディンの地上に生きていることさえ信じられない。

 

 それだけではなく、平民出身には特別な足枷がある。

 厳重注意事項といっていい。

 もしも下手な会話でもして貴族令嬢を激昂させるようなことがあれば、その士官学校生の未来は実力に関わらず限りなく暗いものになる。

 帝国では貴族の意向がすなわち法であり、平民出身の士官学校生の未来などどうにでもできてしまうのだ。

 

 

 しかし、エカテリーナは必殺の武器を持っていた。

 そういう臆した平民出身士官学校生の心を開かせ、気安くさせる武器を。

 

「あら、貴族の令嬢なのを期待させて御免なさい。実は私もフォンの称号を持っていませんの」

 

 エカテリーナがこの一言を言うことで急に士官学校生は親しみを増すのだ。

 

 なんだ、この女学校生は帝国貴族ではないのか。帝国騎士の家柄ですらない。それならば同じ平民のかわいい女学生だ。

 

「ああ、そうなんだ。それでたまたまこの交流会に? 貴族との付き合いは疲れるだろ。マナーだなんだってさ。お高くとまってるから」

 

 どうしてエカテリーナがここにいられるのか、深く考えず安心してしまう。

 女学校を士官学校と同じように考え、平民出身がいてもおかしくないと錯覚してしまうからだ。

 そして、地を出して気安く話を始めてしまう。

 そういう若者とざっくばらんに話をするのがエカテリーナの楽しみだ。そして、よほど気に入れば友達にしたい。女学校には実は友達が少ないエカテリーナにとっては。

 

 だがエカテリーナは決して嘘は言っていない。

 フォンの称号を持っていないのはれっきとした事実である!

 

 ルビンスキーの家は商人から始まり、そして次第に頭角を現し、フェザーンでも指折りの実力を持つほどになっている。特に今の代のアドリアン・ルビンスキーは権謀術策を駆使して更にのし上がり、自治領主の座にもう一歩で届こうとしていた。

 商人の国として始まったフェザーン自治領は血統で統治するのではない。実力者が統治するのだ。それがフェザーンの活力の源泉である。

 次第に銀河帝国へ影響力を増すフェザーン、帝国はそれを懐柔しようとする。

 代表的なルビンスキー家に対し過去幾度も爵位を授け、恩を売り、より帝国に引き寄せようとしたのだ。

 

 しかし全て鼻で笑い、断っている。

 ルビンスキー家にとっては爵位のない自由な商人であり続けることこそが誇りなのだ。断じて帝国の付属物ではない。

 

 会話の中で、どうしても避けて通れない瞬間がある。

 

「それで君、名前はなんての?」

「エカテリンて呼んで。エカテリーナと言うんだけど」

 

 ここでたいていの士官学校生は愕然とする!!

 その名を知らぬ者はほとんどいない。

 

 エカテリーナ・ルビンスキー、確かにフォンの称号はないが、並みの貴族など足元にも及ばない家の令嬢ではないか!

 

 帝国貴族では、その権勢でブラウンシュバイク家、リッテンハイム家が突出している。家柄、財力、領地、派閥などあらゆる面で他とは隔絶している。

 それに続くものとして政治権力ならばリヒテンラーデ侯だ。ついでに家格ならばクロプシュトック侯、領地の広さならカストロプ公などがそれに次ぐ有力貴族とされている。

 

 しかしルビンスキーの家ならばそれらに遜色ない実力があると目されているのだ。財力を背景にした影響力なら随一である。おまけにアドリアン・ルビンスキーが順当にフェザーン自治領主になれば圧倒的なものになる。

 

 フォンが無いことだけで士官学校生がそこまで想像もできなかったのではない。

 もう一つ理由がある。

 エカテリーナは決して群れていない!

 名門貴族令嬢の好む取り巻きを作らないのだ。

 エカテリーナはおべっかを使うニセの友人など欲しくはない。孤独の方がいいと思っているわけでもなく、友人も欲しいが、そんな利害で結びついた取り巻きなどいっそのこといない方がいい。

 

 恰好も華美ではなく、むしろ質素で目立たないものだった。普段から好んでそういう物を着ている。というより自分の感性に合ったものしか着ない。力を誇示する豪勢なドレスには興味がない。

 

 背丈はやや低く、更に顔は小振りでとても可愛らしい。

 幼く見られることすらある。

 瞳は大きくしっかりとした輪郭を持っている。濃い茶色だ。髪はブロンドにわずか赤みが入っているが縮れてはいない。ストレートを肩の下のところで切りそろえている。

 前髪はほぼ切らず、右から左に持っていく。そこにリボンも髪飾りもない。

 まとめて言えば派手ではないのだ。

 

 

 

 その名を聞いた士官学校生は椅子から転げ落ちんばかりに驚いて、ペコペコ非礼を詫びて退散するのが常である。

 そういう喜劇を見るのも意地が悪いことだがエカテリーナには面白い。

 

 しかし、本当に求めているのはフランクに接してくれる人間だった。

 エカテリーナの立場に関わらず本質を見てくれる人間を。

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第二話 邂逅

オーディンで運命を変える出会いが……

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