疲れも知らず   作:おゆ

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第百三十三話 490年 7月 遺したいもの

 

 

「…… そうか。なるほどな。情勢はいささか面倒なことになってきたようだ」

「本当に面倒な時には声も出ないものよ。今のあなたは楽しんでいるようにも見えるわ」

「それもそのはずだ。俺はフェザーンの暫定統治というものを押し付けられて、いささか飽きがきていたところだ。戦いが近いというなら少なくとも飽きていられないだろう」

 

 ここはフェザーンの暫定統治府が置かれているホテルの一室である。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールとエルフリーデがくつろぎながら話している。といってもエルフリーデは生後7ヵ月になる男の子をあやしながらだ。帝国軍がフェザーンを占領した際に妊娠中だったエルフリーデは間もなく出産し、以来このホテルで保護されている。

 

 そしてロイエンタールとエルフリーデは奇妙な関係を保っている。

 表向きはそれぞれフェザーン占領帝国軍司令官と、フェザーン勢力の中枢であり、いわば敵同士だ。本来なら雑談など有り得ない。

 しかしどちらもその子供の親である。

 むろん夫婦のような甘い関係になるわけではないが、こうしてざっくばらんな雑談をする間柄になっている。

 それは主にロイエンタールが息抜きをするためでもあった。そしてロイエンタールが期待した通り、エルフリーデは聡く、良い返答を返す能力を持っている。さすが亡きリヒテンラーデ侯の姪としか言いようがない。

 

 

 

 ロイエンタールはラインハルトの征旅に同行せず、ここフェザーンの暫定統治を任されている。バランス感覚に優れるロイエンタールが最適と判断されたためだが、見事にそれをこなした。今、治安面でフェザーンは一定の落ち着きを見せ、それに伴って生産や通商といった経済活動が再開されるまでになったのだ。

 フェザーン人たちはロイエンタールをその手腕によって評価している。この帝国による統治を決して歓迎しているわけではないが、最悪ではなかったとして。

 

 だが、再びこのフェザーンに波が押し寄せようとしている。

 

 ロイエンタールの元に届いた報告では、先ずラインハルトが幾度の戦いに勝ち進み、ついにあの最強の敵手ヤン・ウェンリーを退けたことが記されている。

 そして一方では、イゼルローン回廊を通ったオーベルシュタインらが敵首都星ハイネセンを陥落させたとある。

 

 ここまではいい。

 歴史は見事に塗り替えられた。

 今まで誰も成し得なかった大いなる征服、それがほぼ達成されたと見るべきだろう。

 

 だが誤算もある。

 そのハイネセンに到着して交渉のテーブルに就くべきだったキルヒアイス上級大将はラインハルトの方へ支援に行っている。

 代わって取り仕切っているオーベルシュタインはハイネセンから政府代表者を取り逃がしてしまい、結果的に降伏の二文字を引き出すことができていない。いったんこういう状況になれば、議決や選挙ということを経ないと動きの取れない同盟の在り方が障害になってしまう。

 

 そしてラインハルトも同盟の各星系に睨みを利かせ、そのまま支配を既成事実化するために動けない。

 こういった間隙を突き、隠れて建造されていたフェザーン艦隊が暗躍し、帝国軍の補給路を脅かしたのだ。ロイエンタールがせっかくフェザーンから送っている補給物資の半分は届かない。

 

「フェザーン艦隊が補給路の寸断を図るのはいいやり方だが、それだけで帝国軍を斃せると思ってはいまい。帝国軍は既に有人惑星の多くに食い込んでいる。武器弾薬は無理だが、推進剤と食糧だけは調達できるだろう。ならばフェザーン艦隊は補給路だけにこだわらず、必ず次の手を打つ。いや、九分九厘このフェザーンを奪還に来る」

 

 そこまで読み、ロイエンタールは準備を怠らない。手持ちの艦隊は今七千隻しかないが、別に艦隊決戦をする必要はないのだ。

 何といっても人口十億人のフェザーンを押さえている。

 徹底抗戦をちらつかせ、戦いをできるだけ引き延ばし、応援を待つだけでいい。

 

「まるでかつてのブラウンシュバイクのような状況だな。奴はオーディンを持っていたのに、その利点をさっぱり活かせなかった。しかし俺がその轍を踏むことはない」

 

 

 

 

 ただしその足元で蠢動がある。

 

「どうやらルパートとエカテリンはうまくやっているようだ。ここらで儂も準備に取り掛かるとしよう」

 

 そう言いながらアドリアン・ルビンスキーがベッドから上体を起こす。

 しかし動きは決して早くはなく、緩慢だ。アドリアン・ルビンスキーの病状は進み、体力が確実に削られつつあることを示している。それはもう隠しようもなく表れ、命の灯が消えるまで長くはない。

 

「……大丈夫? じっとしている方が命は長くなるわ。どうせなら子供たちと生きてるうちに再会したいでしょ」

 

 ベッドの横の椅子に腰掛けたドミニク・サン・ピエールがそう言う。

 口調は相変わらずそっけないながら、ルビンスキーの体調を心から心配している。

 

「ドミニク、心配してくれるのはありがたいがここで寝ているわけにはいかないのだ。子供たちと生きて会いたいのは山々だが、それよりも最大限役に立っておかねばな。あらゆる意味でその方がいい」

 

 

 そしてルビンスキーはこの時のために準備もしている。

 

 傭兵を雇い、武器も調達し、テロを起こすことができる。その目的はロイエンタールの暫定支配を打ち砕き、フェザーンを根城とすることを断念させるためだ。

 

 ただのテロでそれを成すことはできない。

 単純にロイエンタール本人を狙っても成功の可能性は低い。

 しかしルビンスキーは既に方法を策定している。伊達に自治領主を長くやってきたわけではなく、フェザーンのことを知り尽くしているのだ。

 

「ドミニク、最後までこき使うようで済まないが補佐を頼む」

「…… そんな言い方をするなんて弱気になったものね。いいわ。最後まで付き合ってあげる。でも何をどうするの? 相手は隙がないわよ」

「いかにあのロイエンタールという将が有能でも、フェザーンについてなら儂より詳しいわけがない。フェザーンには最大の狙いどころがあるのだ。それは政府中枢コンピューターではなく、宇宙港でもない。軌道エレベーターなのだ」

 

「フェザーンの軌道エレベーター……」

 

 ドミニクがオウム返しに返した。ちょっと意外なことだったのだ。

 

「そうだ。フェザーンの富の源泉は回廊に位置することだが、もう一つ大きな要因がある。軌道エレベーターを設置できたことにより通商は格段に容易になった。これがフェザーンの生命線である限り、テロで狙われたら慌てざるを得ない。そこを突く」

 

 

 フェザーンは元々、主星に据えるには条件が悪い。

 それは大半が乾燥地地帯であり、オアシスや河川の流域にだけ緑が成長することができる。このように水資源に限りがあると、人間の居住だけならなんとかなっても工業の発展は難しい。なぜなら工業に水を使うと有毒物質などが混ざってしまうため、浄化が難しく、再び使うことができない。工業にはふんだんな水を使い捨てることが必要なのだ。

 

 それでもフェザーンが主星たりえるのは重大な理由がある。

 地殻が安定し切っていることだ。

 それは居住に適するという意味ではなく、軌道エレベーターを設置するための絶対条件になっている。いくら技術が発展しても、とんでもなく高い建造物が揺れに弱いのは当たり前だ。

 それに当てはまる惑星は決して多くはない。

 同盟のハイネセンでも無理だ。

 帝国首都星オーディンはその条件を満たす少ない惑星ではあるが、馬鹿げた理由によりエレベーターの設置はできない。ルドルフ大帝は自分の像を見下げる形になることを許さず、建造物の高さに制限を設けてしまった。それが今日に至るまでかたくなに守られている。

 皮肉なことに地球も設置可能だが、惑星自体打ち捨てられているので設置されるはずがない。

 

 そのためフェザーンは人類社会でほぼ唯一の軌道エレベーター設置惑星になっている。

 

 そして軌道エレベーターは計り知れないほど通商に有利に働く。

 簡単に宇宙と地表の間で人や物資のやり取りができ、特に同盟艦のように惑星表面へ降りられない艦には都合がいい。

 

 今、ルビンスキーは最初に軌道エレベーターを標的にして動く。

 

 もちろんフェザーンの力の源泉を破壊してしまうのは本意ではない。だが絶対に破壊しないと決めているわけではないのは、そういったハードウェアは再建が利くが、政治的支配は取り返しがつかないと分かっているからだ。

 

 

 

 そしてフェザーンに軌道エレベーターが狙われているとの噂が流れる。もちろんルビンスキーが流させたものだ。

 これにより警備を強化させた上で敢えて襲撃を敢行する。

 目的はロイエンタールを釣り出し、これを斃すこと。でなければ心胆を寒からしめ、その撤退を促すことである。その場合は軌道エレベーターを破壊してフェザーンを一旦機能不全にすることが必要だろう。

 

 フェザーンの中心部に爆発音が響く。

 

 病いをおしてルビンスキーが襲撃に参加している。ドミニクも一緒だ。

 

 そして配下の者にフェザーンの暫定統治府代わりのホテルを見張らせていたところ、何とロイエンタール自身が出てきたという情報が入った。

 これは重畳だ。

 警備を軌道エレベーターに引き付けるだけ引き付け、ホテルの方を襲うという道筋もあった。しかしロイエンタールは想像以上に行動力があり、陣頭に立つ方を選んだのだ。ならばルビンスキーらはその途上を襲えばいい。

 

 ルビンスキーとドミニクはそのために移動しようとしたが、ここで若干の誤算がある。ロイエンタールの出動は早く、ほとんど軌道エレベーターの近くで待ち受ける形になってしまう。

 

 

 そしてもう一人も動く。

 

「軌道エレベーターを狙った動き…… これはたぶんアドリアン・ルビンスキーの策略ね。だったら狙いはロイエンタール提督だわ。気持ちは分かるけどそうはさせられないわね」

 

 エルフリーデはそう看破している。直ちに子供を乳母に預け、ホテルを抜け出す。元々軟禁されていたとはいえ抜け出すのは簡単なことであり、既に警備員を買収していたのだ。

 こちらはロイエンタールを守るためにひた走る。

 

 

 今、ルビンスキー、ドミニク、ロイエンタール、エルフリーデの四人は奇しくも同じところに集まろうとしている。

 

 それが悲劇になるのか喜劇になるのかはまだ分からない。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百三十四話 託した未来

新しき世のために

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