疲れも知らず   作:おゆ

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第百二十四話 490年 4月 決戦! ガンダルヴァ ~手に入れた勝利~

 

 

「ラインハルト様、おそらくシュタインメッツ艦隊の敗北はミッターマイヤー提督などもご存知でしょう。しかし、その時点ですぐにここへ向かわなければ間に合わないと思われます」

「確かにそうだ。ミッターマイヤーやビッテンフェルトには会戦が始まってから命令を通達したが、間に合うことはないだろう。キルヒアイス、お前のように命令もなく動きださない限り」

 

 やはりキルヒアイスの危惧した通りだった。

 ラインハルトは少なくとも戦い初めはヤンと自らの対決を望んだ。それで勝てば矜持が最大限満たされるはずだからだ。 

 本当ならヤン・ウェンリーを包み込んで叩くため、例えば命令がなくとも定期的にミッターマイヤーを戻らせるといった方策を立てるべきだった。しかしラインハルトはそうしていない。

 

「俺の油断だ。ヤン・ウェンリーの攻勢はそれほど鋭かった。だが、必ず勝ってみせる、キルヒアイス」

 

 

 

 むろん帝国軍に応援が入ったことをヤンの方でも察知している。それもキルヒアイスという恐るべき将が。

 

「やれやれ、今度は向こうに応援か。八千隻とは困ったな。良いことばかり続くはずはないが、なかなか思った通りにはいかないものだ。その対応も考えなくちゃいけないなんて」

 

 しかし、さすがにヤンである。

 ここで諦めるという選択肢はなく直ちに対応する方策を立てていく。慌てることなく戦況を分析し、最適解を導いていくのだ。その冷静さもまたヤンの真骨頂である。

 

「急いで砲戦用意だ。向こうは最初に救援を企図し、強襲してくるだろうから。そして艦隊編成を見たところ、大型戦艦は含まれていない。たぶん強行軍のため、速度の遅い艦は連れてこれなかったんだろうな。こちらとしてはそこが付け目になる。前面に戦艦を並べて迎撃すればいいんだ。そうすれば砲の射程でも威力でも格段に優位に立てる。少なくとも持ちこたえることはできる。そしてこちらとすれば撃滅までする必要はなく、あの白い艦を斃すまで時間を稼げばいいだけなのだから」

 

 同盟軍は今こそ横合いからやってきたキルヒアイスの応援艦隊も跳ね除け、勝利を掴み取らなくてはならない。

 そしてまだ全体の戦況は悪くないのだ。

 もう少し帝国軍本隊を崩せれば、白い艦が見えるところに来る。

 そしてヤンの慧眼は艦隊編成の偏りを見抜き、その対応策が同盟艦隊の共有するところとなり、応援艦隊を食い止めにかかる。

 

 

 だが戦闘は思わぬ様相を呈する。

 

「帝国の応援艦隊、撃ってきます! まだ有効射程ではありません!」

 

 そのオペレーターの声にヤンの側にいたフレデリカが不思議がる。もちろんヒューベリオン艦橋の皆がそうなのだが、この場にアッテンボローがおらず、ヤンに聞けるのはフレデリカしかいない。そういう空気も読んでフレデリカが問うたのだ。

 

「どういうことでしょうか、ヤン提督」

「分からない。応援艦隊の将はキルヒアイス上級大将と判明している。その力量は高く、砲戦の間合いを無視するはずはないんだが」

 

「敵の砲撃、ますます熾烈になります! ただしこちらに損害なし」

「いったいこれは…… あ、そうか分かった! これはただの目くらましだ! この中を突入してくる艦があるんだ。そうに違いない」

 

 ヒューべリオンの艦橋は驚きに包まれる。

 ヤンの洞察力が常識外れの結論を出したからだ。

 

 無駄撃ちと分かっている乱射を援護にして、突入を図ることはそう珍しい戦術ではない。

 ただしそれはあくまで射線から外れたところから突入してくるはずだ。それは当たり前のことである。

 

 仮に熾烈な味方の砲撃の中をやって来るとすれば、確かに探知に引っ掛からないだろう。しかしそれは命知らずといって過言ではなく、味方の流れ弾に当たる可能性があるからだ。

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 なぜなら艦の後方には当然エンジンノズルがあり、そこにシールドを張っているはずがない!

 そのため後ろから一発でも当たれば瞬時に爆散である。それでもやる覚悟が見えたのだ。

 

 

 

 ヤンの洞察が正しかったと間もなく判明する。

 

「敵の小艦隊、砲火の中をこちらに向かって突っ込んできます!」

「やはりか。これはもう接触を防ぐことはできないな。よし、それなら第一第二空戦隊緊急発進! 敵に空母はないんだ。制空権を取って撃退するのは難しくない」

 

 それでもヤンは対応した。またしても相手の弱点を正確に読んで待ち構える。

 だが突入スピードはヤンの予想を大きく上回っていた。

 キルヒアイスはラインハルトのため、危険かつ困難を極める作戦をやり遂げた。

 それはバルバロッサが応援艦隊の後方から発進し、味方の間をすり抜けるという驚くべき奇策を用いたからだ。充分な助走距離をとることで増速し、飛び出していった。

 

 ジークフリード・キルヒアイス、並みの将ではない。

 

 瞬時に戦術を編み出す能力も、その胆力も尋常ではないレベルだ。おまけにバルバロッサは高速性能で鳴らした艦である。その他の突入艦も総司令官が先陣を切るのに怖気づくわけにいかない。無茶を承知で突き進む。

 

 最初の驚きから覚めて、ヤン艦隊は指示通り艦載機を出して冷静に待ち構える。

 いくら突入してくる艦隊が速く、あっという間に接触をしてきたとしても、艦載機に取りすがられれば為すすべもないだろう。

 

 ところがまたしても驚くことがある。

 突入をはたした帝国艦隊は一気に砲火を叩き付けながら、進行方向を変えてあっさりと離脱したのだ。速度は落としていなので艦載機に取りつかれる前に飛びすさった。

 

「このやり方は……」

 

 ヤンの恐るべき洞察力はこれからのことを正確に予測した。しかし、それを防ぐ術はない。

 帝国の応援艦隊からは次々と小艦隊が出てきては一撃離脱の戦法を取っていく。キルヒアイス麾下にはビューロー、ベルゲングリューン、グリューネマンといった有能な中級指揮官がいて、仕事をきっちりこなしていく。

 

「なるほど。帝国応援艦隊の目的はこちらの目を引きつけて強引に対処させることにある。もちろん、そのやり方は距離を詰められることから打撃力は比類ないものになり、こちらの大型戦艦でも無傷というわけにいかなくなる。だが、一歩間違えば戦力の逐次投入という愚策にもなる。紙一重だね」

「しかし提督、それをやってきたということは」

「こっちがそれを撃退しようと思えば、一点集中砲火が必要になる。それをするためには一時的に多くの艦を割くことになるだろう。すると残りの艦ではあの白い艦まで突き進むことが不可能になり、向こうとしては救援の目的達成、というわけだ。憎らしい程目的をはっきりさせた戦術だなあ」

 

 キルヒアイスのとったやり方法はヤンの戦力を無理やりにでも引き付けて、ラインハルトへの圧力を減らすことである。だからこんなリスクのある戦法を取ったのだ。そしてもちろん、キルヒアイスとしては長いことリスクに晒されることはないという目算があった。

 なぜなら、ラインハルトの方は数の圧力さえ減れば直ちに態勢を立て直すだろう。そして逆撃に出るに違いない。

 もしそうなればキルヒアイスとラインハルト、二人の息の合った挟撃を展開し、帝国側の勝利は疑いないものになる。

 通信を取るまでもなくキルヒアイスもラインハルトもその意図は通じ合っている。

 

「キルヒアイスめ、なかなかやるな。しかし俺の応援に来ておきながら宿題を押し付けようとは」

 

 

 

 だがそれでもだ。

 ラインハルトやキルヒアイスが安心するのは早かった。

 相手もまた別格の将である。

 

 幾度も逆転勝利を飾ってきた魔術師ヤン、奇跡のヤンなのだ。

 

「よし、それならば方策はある。こちらは突入してくる部隊をまともに相手しなければいいんだ。その突入コースに当たる艦は迎撃ではなく、退避のみ徹底するように。来れば来るだけ退けばいい。もちろん、機雷の散布という嫌がらせは忘れないよう」

 

 そして最終決断を行なう。

 

「戦力を集中する。全艦隊で増速、あの白い艦を先に斃す。それでこの戦いを終わらせる。攻勢を最大限強化、各艦、ありったけ叩きつけるんだ」

 

 同盟艦隊はブリュンヒルトへ向け更に突き進む。キルヒアイスの策に惑わされることなく、戦いの目的を達成するのだ。ヤンの狙いは各艦も理解している。同盟存続のため、ここぞとばかりに気迫の攻撃を叩き付ける。

 そしてブリュンヒルトの直掩艦隊は同盟艦隊の大攻勢の前に崩されていく。こちらも必死ではあるが、ヤンの計算と同盟艦の気迫の前に消されつつあった。

 

 

「む、さすがにヤン・ウェンリーだ。慌てることもない。そして憎らしいことに優先順位を間違うこともなさそうだ」

 

 ラインハルトは自分に向けて迫りくる同盟艦隊を見て呟く。しだいに同盟艦がブリュンヒルト艦橋のスクリーンに大きく映り、威圧感を伴うまでになる。

 

「これはいけません! ラインハルト様が危険です!」

 

 キルヒアイスもヤンの腕の方が早いことを理解した。

 バルバロッサ単艦でも駆けつけたいところだが、それでも間に合わない。

 

 同盟艦隊はついに目標を捉えた。

 ブリュンヒルトへ向け、必殺の手が伸びる。

 

「今だ。頼んだシェーンコップ。イストリア発進!」

 

 これで黄金の覇王は斃れ、帝国軍は撤退し、同盟は救われる。

 ヤンはそう確信した。

 

 

 しかしここで不思議なことが起こった。

 あのブリュンヒルトが逃走どころかするすると前に出てくるではないか。

 

 

 そして自爆して消えた。

 

 もちろん音はないが、一瞬の輝きの後、盛大な爆散雲を残し影も形もなくなる。

 純白の優美な艦が原子あるいは塵に成り果てた。あの技術を極めた艦がいともあっさりと。

 

 数瞬の間、敵も味方も、戦場にいる全ての人間が凍り付いた。こんなことが起こり得るはずがない。

 帝国軍総旗艦ブリュンヒルトが斃れたのだ。

 しかも自爆という形で。

 

 

 

 一番先に驚きから覚めたのはヤン・ウェンリーである。

 指揮シートに倒れ込んで嘆息する。

 

「やられた…… これをされたらもう勝機はない」

「ヤン提督、どういうことでしょうか! 帝国軍のローエングラム公がまさか自殺を! 誇り高いゆえに敗北を悟って」

「フレデリカ、そうじゃない。そんなわけはない。あ、それより早くシェーンコップを戻らせてくれ。それと全艦隊に通達、これより直ちに戦場を撤退する。これより敵の全面攻勢が予測されるが、最小限の損失にとどめるため、決して慌てず秩序を保つように、と」

 

 フレデリカの視線によってヤンはまだ説明していないのに気が付いた。

 

「ああ、ローエングラム公は自殺なんかしないよ。こちらの手を詰んだのさ」

 

 ベレー帽を掴み取り、手をやるせなく下げた。いつもの気の抜けた顔をしている。

 

「こちらの作戦はあくまでローエングラム公を斃すことにある。戦って勝つことじゃあない。帝国艦隊がまだ他に幾つも残っている以上、ここで大損害を出して勝っても何の意味もない。そしてローエングラム公だけを斃すには、あの白い艦を斃すことと同じだった。今まではね。しかしそうではなくなったんだ」

「あ、それでは、ローエングラム公は自爆の前にどこかへ移乗したと。そしてそれがどの艦か分からない以上、ローエングラム公だけを狙うことはできなくなった、というわけでしょうか」

「その通りだフレデリカ。そしてこちらが帝国艦隊全てを斃すことは事実上できない。だからもうこっちの勝機はなくなったんだよ」

 

 フレデリカは驚く。

 そしてローエングラム公の恐ろしさもヤンの凄さも改めて理解した。

 

「しかしそれなら、どうして自爆なんかを。囮にして最後までこちらを誤認させる方が有効ではないでしょうか」

「いいや、そうじゃない。もしもこちらの手で白い艦が斃されたりしたら、帝国軍の士気はガタ落ちになることだろう。自爆という方法が敵にも味方にも一番分かり易いメッセージになるんだ」

 

 

 

 ヤン艦隊は急な撤退に転じ、その後背に帝国艦隊が追いすがってくる。

 そのころ、帝国艦隊全てにラインハルトの通信が入っていた。

 

「ラインハルト・フォン・ローエングラムから全艦に告げる。諸君らも見たように総旗艦ブリュンヒルトは失われた。だが、そんなことは大したことではない! 敵はもう逃げにかかっている。今こそ勝利を掴むのだ!」

 

 帝国艦隊はラインハルトの無事と、ブリュンヒルトの自爆が戦術的な一手であったことを知る。

 むろんキルヒアイスにもラインハルトから通信が入っていた。

 

「お人が悪いですね、ラインハルト様。最初から言って下さればよろしかったのに」

 

 いつもの微笑みが消えているではないか。キルヒアイスは本当に怒っていた。

 それほどまで肝を冷やしたのだ。一瞬でもラインハルトが消える悪夢を見させられた。

 だがラインハルトは悪びれもしない。

 

「お互い様だキルヒアイス。命令もなしに救援に来たお前が悪い。だが俺はお前のおかげで目が覚めたともいえるな。勝利のため、ブリュンヒルトにこだわるべきではないと気付いたのだ。お前が砲火の中を突撃など無茶なことをするのだから、俺も相応の代価を払って当然だ」

「一つ成長なさいましたか、ラインハルト様」

 

 ラインハルトは多くのこだわりを持つ。

 優美かつ高性能のブリュンヒルトもその一つだ。そこから移乗することは考えられない。もしもそういう時は敗死する時だ。ブリュンヒルトを捨てることは有り得ず、それは敗けと同じだと。

 今まではそう思っていた。

 だが、ここで戦っている相手はヤン・ウェンリーだ。そういうこだわりを捨て、確実に勝利を掴むべきだと考えを変えたのである。そしてその通り、これ以上なく有効な手になった。

 

 

 帝国艦隊の士気は高く、追撃は鋭かった。

 ラインハルトがブリュンヒルトを捨てたことは、覇王が窮地に陥ったというマイナス面ではなく勝利への覚悟と受け取られたからである。

 

 しかしそれでもヤンは撤退を上手にやり遂げた。

 フィッシャーも、アッテンボローもファーレンハイトも努力を惜しまず、ウランフ提督もまたさすがの有能さを発揮したのだ。

 

 

 ガンダルヴァ星域を離脱しながらヤンは疲労と睡眠不足と、落胆のさなかにある。

 

「頭をかいて、誤魔化すさ」

 

 一方のラインハルトは同じく疲労の極にありながらも深い満足感の中だ。今はメックリンガーと共に戦艦クヴァシルにいる。

 ラインハルトが唯一強敵と認めるヤン・ウェンリーを下した。

 どんなに渇望してきた勝利だったことか。

 

「ようやく勝てた。今日ばかりはワインを残さず飲み干すとしようか。いや、キルヒアイスと合流してからの方が良いだろう。そうだ、次の旗艦をバルバロッサにすると言ったらどんな顔をするだろうか。それくらいの冗談は言いたいものだ」

 

 

 

 こうしてガンダルヴァ会戦は終結した。

 

 帝国軍と同盟軍、まさに死闘だった。

 目まぐるしく攻守を変え、ヤン、ラインハルト、キルヒアイスが誰にもマネできない戦術を繰り出しては叩きつけ合った。いったいどれほどの戦術が取捨選択されていたことか。

 

 このガンダルヴァ会戦に参加したのは最終的に帝国軍総数三万一千隻、同盟軍総数二万五千隻である。

 結果、撃沈は帝国軍約九千隻、同盟軍約七千隻に及ぶ。

 

 損害は帝国軍の方に多い。

 だが、戦場を逃げたのは同盟軍である。しかも目的を達成することもなかった。これをもってガンダルヴァ会戦の勝利者は間違いなく帝国軍といえる。当事者のヤンなどもそう思っている。

 

 

 しかし、後世からの評価はもっと複雑である。

 戦術では帝国軍の勝利、戦略では同盟軍の勝利、大多数の歴史学者はこう言うことになったのだ。

 もしくは戦場では帝国軍の勝利、戦場以外では同盟軍の勝利、そう言い換える者もいた。

 

 それには理由がある。

 同時刻、同盟首都ハイネセンで驚くべきことが起こっていたのだ。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百二十五話 シヴァ星域会戦

同盟軍最後の抵抗!
中年組の出撃

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