疲れも知らず   作:おゆ

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第百二十話 490年 3月 決戦! ガンダルヴァ ~応酬~

 

 

 ここでもラインハルトの天才が輝いた。

 

 欺瞞のハリボテからヤン艦隊が出てきた時、状況を瞬時に計算し、自分を囮にした罠を構想したのだ。

 最適解を出した結果が大量の艦載機を使った壁である。最も速く、最も見つけられにくい。

 

「閣下も危ないことをなされる。では後はブラウヒッチたちを呼び戻して包囲、ですか」

 

 やれやれという顔でメックリンガーが嘆息しながら命令の先読みをした。

 

 

 同盟軍の駆逐艦の列が雨あられと弾を撃ち出す。

 小口径連射砲だ。艦に対する攻撃力はほとんどないものの、シールドのない艦載機にとってはもちろん一撃必殺の脅威である。

 

 砲はその口径によってエネルギー量が異なり、そしてエネルギーが少ないほど温度が低く、曳光の色に赤みが入る。そのため小口径砲の弾幕は白ではなく、明るいオレンジ色のシャワーに見える。むろん、艦載機には死のシャワーである。

 

 ヤンもまた計算を終えた。

 希望的に見積もっても、ブリュンヒルトを斃すのはおそらく無理である。

 あの艦載機の壁を超えることはできない。

 そうであれば無理な猛攻は意味がない。実害が出ないうちに素早く後退しないと危険だ。

 

 今は帝国軍のワルキューレを弾幕でなんとか近寄らせないようにしているが、完全に排除し切るのは不可能だろう。フィッシャーの構築したきれいな防空網でも長くは持たず、いずれかいくぐられて損害が出る。そうなれば統制のとれた弾幕が張れなくなり加速度的に損害が増えて壊滅してしまう。

 ただでさえ帝国軍の各分艦隊は再び集まり包囲の動きを始めている。艦艇の絶対数ならヤン艦隊の方が最初から不利であり、退路を断たれてしまうのが見えている。

 

 

 

 その時、ヤンに声を掛けてきた人物がいる。

 

「ヤン提督、艦載機での戦いを一時任せては頂けませんか。少しは状況を楽にできると思うのですが」

 

 ヤンは声で分かっている。身柄を預かっていた帝国軍からの客将メルカッツである。そして言いたいことも充分分かっているつもりだ。艦載機同士のドッグファイトで活路を開くというのだろう。

 当然ヤンもそれくらのことを考えていないはずはない。だがそうできない理由があるのだ。

 撤退を考えている艦隊が艦載機を出したら、よほどうまく運用しなければ最後には収容できなくなるのは自明である。

 そのため艦載機スパルタニアンの発進に逡巡していた。

 出したスパルタニアンを敵の只中にとり残す、そんな非情なことはヤンの性格的にできることではない。

 

 ただしこのメルカッツ提督なら、困難を承知で運用できる可能性がある。その近接戦闘の巧みさは同盟軍でも惧れをもって知られたところだ。

 

「お任せしますメルカッツ提督。やっていただきましょう。フィッシャー提督にも伝えておきます」

 

 撤退戦での艦載機運用の難しさなど今さら口に出す必要もなく、簡潔に答えるに留める。

 

「私はヤン提督を信頼する。だからヤン提督の信頼するメルカッツ提督を信頼する」

 

 艦隊運動を統率していたフィッシャー提督から返事が来た。やや硬い言い方ではあるが、生真面目なフィッシャーなりにメルカッツを歓迎して言った言葉だ。メルカッツに空母群の指揮を譲り、指示通り全体の隊形も変化させる。

 

 

 時を置かずしてヤン艦隊からも次々と艦載機が発進していく。 

 

「戦艦ムフウエセ大破! マリノ准将重傷!」

 

 後退へ切り替えようとしていたヤン艦隊だが、決して損害が少ないわけではない。

 アッテンボローの分艦隊もマリノ准将の分艦隊も損害を被った。特にマリノ分艦隊は撤退する艦隊の最後尾についていたため、したたかに打撃を被った。

 

 だが、帝国軍にも勝利は転がり込んではこなかった。それは誤算のためである。

 

「ヤン・ウェンリーは無理を悟り、一時撤退を選択したのか。さすがだな。戦い続けて華々しく散るという下らない美学からは無縁というわけか。帝国貴族の馬鹿どもとは違う。だが、それでも逃げきれるかな」

 

 ラインハルトが自信を持って戦況を見るが、意に反し艦載機の戦いが思ったようにいかない。ドッグファイトが開始されると帝国軍のワルキューレが数でははるかに優っているにも関わらず、互角かせいぜい優勢といったところに落ち着いている。

 

「む、少しばかり不甲斐ないな。一気に制空権を奪えないのか」

「閣下、やはり艦載機戦では単純に数の勝負にはならず、各人の技量が明確に出るようですな。そして運用ノウハウについて、悔しいことですが向こうが上手、いや卓越したものに見えます」

「確かにそうだ。しかしメックリンガー、ここにケンプがいない以上、できることをするしかない。巡航艦による凹型陣を形成させよ。ドッグファイトで片付けるのではなく、そこへ相手を追い込んで艦砲を集中的に浴びせるのだ」

 

 

 

 しばらく艦載機同士の死闘が続く。

 動いている一つの光が一つの命だ。そのそれぞれの命が目まぐるしく飛び交っている。

 

 それがひときわ瞬いた時、永遠に失われたことを意味する。一つの人生が「これから」を奪われ「過去」のものになってしまう。

 少しも気の抜けない激しい戦いだ。帝国スパルタニアンと同盟ワルキューレ、どちらもフルスロットルなら三十分も経たずして母艦に戻り、補給してからまた出なくてはならない。

 

「おいコーネフ、賭け金の追加だ! 来月の給料の半分まで賭けてもいいぜ、今のうちに稼いでおきたいからな。どうだ、乗るか?」

「ポプラン、それは後だ。この戦いはヤバい。戻ることだけ考えた方がいい」

「ヤン艦隊にいれば、ヤバいことだらけだ。いつものことさ。なにせ奴さんは自分は昼寝をしていたいくせに人使いは荒いからな。この矛盾をどう考えているか聞いてみたいもんだぜ。しかしコーネフ、あの朴念仁が本当に負けるってことはない」

 

 そう言いながら、ポプランが何も考えていないわけではなかった。

 一人でも多くの部下の命を守るべく、指示を出し続けている。

 

「ウォッカ、シェリーの隊の援護に回れ! うかつに敵艦に近付くな、ワルキューレを殺るか艦を殺るか、しっかり決めてから戦いに入るんだ」

 

 そんな指揮は他の隊長コーネフ、ヒューズ、シェイクリも同じだ。

 戦いは予想以上に厳しくとも、この四人は同盟軍空戦隊のエースである。慎重にはなっても臆病になることはない。

 そしてコーネフの懸念は、確かに懸念だけで終わる。

 補給が必要な時点に到達すれば必ず味方の空母が見つかる。それが繰り返されたら空母運用が非常に適切であり、信頼が置けることが分かってくるのだ。そうであれば艦載機乗りは安心して戦うことができる。

 

 メルカッツから空母群へこれ以上なく適切で、しかも無理のない指示が出ている。

 

「残り収容機数が二十を下回った空母は、所定の位置まで退避。次の作戦行動を待て。それ以上が収容可能な空母群はゆっくりと前進のこと。しかし、決して駆逐艦の弾幕の及ぶところから出てはならん。収容の優先順位は最初に右翼に向かった艦載機とする。そろそろエネルギー切れのはず、補給の用意を整えた上で収容を開始せよ。それでも収容機数にゆとりのある空母は、中央部の艦載機収容のため横方向に微速移動、次の空母が来るまでのつなぎになるのだ」

 

 事実、第十三艦隊の空母群は帝国軍の砲撃に晒されることはないが、艦載機の発着できるギリギリの位置を捉えて運用されている。

 しかも決して取りこぼしはない。また、素早く効率的な運用は稼働率の向上をもたらし、実際の機数以上に活躍できる。そうなれば戦いでは優位になり、撃墜されることが減り、結果として好循環になる。

 

「最初に出すのは直掩機各十機、交代しながら空母の保護を徹底するように。また、雷撃やミサイルを絶対に見逃してはならん。そして被弾やエンジントラブルにより救難信号を出した艦載機を見つけ出す努力も継続せよ。通信機の優秀な巡航艦に応援を頼んでもよい」

 

 これが宿将メルカッツの行う艦載機戦だった。

 近接戦闘において余人の追随を許さぬ名人芸である。

 

 

 艦載機同士の戦いは決着がつかずに終わる。圧倒的に数の多い帝国側をヤン艦隊が凌ぎ切った。

 そして決して無理をせず、ヤン艦隊が最終離脱する直前、各艦載機隊は鮮やかなまでに一斉に着艦して引き揚げた。

 次にヤン艦隊は帝国軍の各分艦隊により構築されつつあった包囲網を際どいところですり抜けることに成功した。包囲網は有効にはならず、空振りに終わる。

 

 

 帝国軍もヤンの第十三艦隊も互いに距離を取り、一息入れることになった。

 

 こうして両雄が死力を尽くすガンダルヴァ会戦、その第一幕は終わった。

 騙し合いのような激しい戦術の応酬だ。ヤンが欺瞞の艦を使った策で帝国軍を惑わせ、突進を成功させた。しかしラインハルトが艦載機による待ち伏せでそれを阻んだ。

 結果的に引き分けに近い。

 ここまで帝国軍本隊は二千隻、ヤン艦隊も千五百隻を失ってしまった。損失の上で比べればわずかヤン艦隊に有利な結果に終わったともいえる。

 

「やれやれ、まずい戦いをしてしまったなあ」

 

 だがヤンの方ではこれで仕留めるつもりで策を練っていたのだ。そのため精神的にはむしろヤン艦隊の側にひどく堪える結果になっていた。

 しかし、ここで諦めるつもりはない。

 勝負をつけるために来ているのだ。

 

「ヤン・ウェンリー、ここで引き下がるわけではあるまい。むろん、俺もそうだ」

 

 決戦への思いはラインハルトも同じである。

 

 死闘中の死闘と呼ばれるガンダルヴァ会戦、その第二幕が間もなく開かれようとしていた。

 

 

 

 人員も艦も応急の処置を終えた。

 失われたものは取り返しもつかないが、これ以上失わないようにいったん取り留めている。ただしそれが一段落した時が再び戦いを始める契機になるのは最初から分かっている。

 

 戦いの第二幕はお互いにゆっくり近付き、オーソドックスな長距離砲戦から始まった。

 

 どちらも有効射程距離は同じようなものだ。ほぼ同時に砲撃を開始する。

 有効射程とは主に照準の問題から生じている。敵艦の正面に直撃を当てられる距離ということを意味しているのだ。

 ただし始めは直撃があっても艦の防御が砲撃に優るため、損害は滅多に出ない。最も小型の艦である駆逐艦のシールドでも、中口径以下の砲撃なら一発は防げる。よほどの運が無い艦でない限り爆散することはない。

 砲撃戦では、始まってからが駆け引きだ。

 敵に積極的に打撃を与えるため距離を詰めるか。あるいは損失を出さず、相手の出方を伺うために距離を保つか。それを指揮官は選択していく。それは神経を使いながら行う我慢比べともいえる。

 

 だがここで帝国軍の足並みが乱れた。

 帝国軍の前衛を担っていた分艦隊が我慢しきれず前に進んでしまう。功を焦り、過度の攻勢に出てしまっている。

 

「よし、防御を固めながらやや後退、いったん敵の攻勢を受け流すんだ」

 

 これをヤンがチャンスと見た。我慢比べに勝ったのだ。

 

 ここで帝国軍の前衛だけでも叩いて無力化できれば、艦数の差を一気に逆転できる可能性がある。

 ヤンは得意の心理戦術を駆使し、うまく釣り出していく。

 相手に気付かせない程度の速度でゆっくり後退していくのだ。もう少し、もう少しで打撃を与えられると思わせておくのがポイントで、しかし一定の速度でもいけない。時には逆攻勢をかけ、焦らせることも必要になる。

 それでも、いずれは相手も陣形が崩されたと気付く時がくる。

 だがそこで慌てて戻るケースは実は少ない。せっかくここまで突出したのだから戦果をわずかでも得たい、そうでなければおめおめ戻れないと思ってしまうのが人間である。

 その心理状況に追い込んだらコントロールは楽なことだ。

 

 

 一方の帝国軍はラインハルトがぼんやりとスクリーンを眺めている。

「トゥルナイゼンが突出したようだな。ヤン・ウェンリーに挑むには力量が足らないと自覚もできないようだ。手玉に取られているのがわからないのか。これではあのポレヴィト会戦で血気に逸った愚かな敵のことを笑えない」

「閣下! 直ちに呼び戻しませんと危険です。トゥルナイゼン艦隊は踊らされ、このままでは行動限界点に達し、敵のいい餌になるでしょう」

「メックリンガー、通信封鎖を解く必要は無い。ただしトゥルナイゼンへ向けてシャトルを出し、すぐに引き返すよう伝令を二度に渡って出せ」

 

 これは逆にメックリンガーにとって意外だった。

 てっきりラインハルトが激昂すると思っていたのだ。トゥルナイゼンの勝手な行動は全軍を危険にさらすものであり、またその理由が自分の出世のため、つまり矮小な功名心の結果であるのは分かり切っている。

 ラインハルトがそんなことを赦すはずがないのだが……

 ところが現実はシャトルを出して命令を伝えるだけである。

 

 そのことでメックリンガーは命令の実効性に不安を持った。正直に注進する。

 

「閣下、それでトゥルナイゼンが従うはずがありません。むしろ命令違反を咎められない程の戦果を是が非でも得たいと思うでしょう。閣下が戦果に関わらず厳罰に処するとでも申し伝えませんと」

「そこまでは必要ない。死にたくなければ早いうちに戻ってくるはずだ。自分は死んでも帝国軍のため戦いたいというのであれば、それはそれで是非とも救ってやりたかったのだが」

 

「閣下、それでは、まさか……」

「よく気付いた。そのまさかだ、メックリンガー」

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百二十一話 決戦! ガンダルヴァ ~盾と矛~

両軍の死闘、未だ止まず

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