疲れも知らず   作:おゆ

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第九十九話 488年11月 運命の糸

 

 

 フェザーンは、同盟捕虜の一般兵へ向けて事実を伝える。

 アムリッツァ会戦での同盟軍上層部の無策と人命軽視だ。少しの誇張も必要ない酷い現実であり、兵士たちは改めて義憤に駆られる。その上で、フェザーンはフェザーン艦隊へ留まってくれた場合の有利な報酬を提示する。

 これで、決して多くはないが兵士のうち一定の人数はフェザーンに残ることに決めてくれた。

 だが、将官へはこんな手は通用するはずがない。長く同盟艦隊のために労を尽くし、忠誠心に溢れた将を利で釣ることなど到底不可能だろう。

 

 

 

「まあ難しいだろうね。交渉は僕がするからエカテリンはついておいで」

 

 ルパートは軽くこう言い、同盟将官との交渉のテーブルについた。

 

「正直にフェザーン側の希望を伝えます。フェザーンに移籍し、ようやく数が揃ってきたフェザーン艦隊を率いて頂きたいのです。将がいなければ艦隊は張り子の虎にしかならず、役に立ちません。どうか力をお貸し下さい」

 

 ルパートははっきりと最初からフェザーン側の要望を伝えた。

 ここに同席しているエカテリーナは驚いてしまう。ルパートがゆるゆると状況説明から入り、雰囲気作りから始めると思っていたのだ。そして外堀を埋めて選択権を奪うのだろうと。

 ルパートが話すのはエカテリーナにとって正直過ぎることで、とうてい交渉術を弄しているようには見えない。

 

 当然どの将もあっさりと断る。アップルトン中将も、ホーウッド中将も、ルグランジュ中将も。他の少将以下も皆そうである。

 

「そんなことはできるはずがありません。能力を評価して頂くのはありがたいことですが、お断り申し上げます」

「しかし我がフェザーンと自由惑星同盟は敵対関係になく、むしろ協力関係に近い間柄ではありませんか。難しいことではないはずです」

「ですが我が同盟と同じはありません。思想も体制も違うのは明らか。フェザーンには民主制の根本である一般選挙が行われていない、その意味では帝国と同じです。世襲ではなく実力主義というところは帝国と違うでしょうが、それだけです。つまり移籍という穏やかな言葉を使われていても実質亡命に近いものでしょう。長らく同盟軍の禄を食んだ者としてとうてい無理というものです」

 

 一度目の交渉はこれで終わる。

 あっさり不首尾になったことを不思議がるエカテリーナにルパートは言う。

 

「不調に終わったように見えるのかい、エカテリン。今のは相手の方に状況を整理させるよう仕向けるものだよ。ただそれだけの意味だね」

 

 それでもルパートは飄々としている。

 

 

 

 一日置いて、また会談を持つ。

 各将としてはフェザーンの要望はもう分かったことで、また同じ話かと思っていた。熱意は分かるが答えは同じだ。

 そこへルパートが何気なく切り込む。

 

「重ねてフェザーンへの移籍をお願いする次第です。その点では同じですが、言い忘れていたことをここで付け足さなければなりません。艦隊指揮を引き受けてもらえれば、他の方々については自由惑星同盟に送り返しましょう」

 

 そういう約束を持ち出した。

 ルパートが悪辣と言ったのは、それぞれの将を呼び、この言葉を個別に言うところである。

 

 誰かがこれに乗ればいい。それが自己犠牲の精神であっても。

 どのみち将官の全員を手に入れることはできないという感触だった。それなら情に訴えることに使うべきなのだ。

 実のところフェザーンにどうしても靡かない場合、飼い殺しにする予定はない。同盟に返すこと自体は予定しているので嘘ではないのだ。

 

「アップルトン中将、これは脅かしではなく要望です。重ねて申し上げますがフェザーン艦隊に来て頂けないでしょうか。そうすれば他の将、ホーウッド中将、ルグランジュ中将などを解放できるのですが」

 

 言うことは体のいい脅迫のようなものだ。暗にフェザーンは将たちを容易には解放しないことをほのめかしている。ただしあくまで慇懃であり、決して高圧的なところはなく、お願いをするという態度に終始している。

 会談の流れと雰囲気を読んでそのバランスを保つのがルパートならではのことだ。

 ついでにいえば、ルパートはいつものクリーム色のスーツではなく真摯に見える深い紺色のスーツにしている。

 ここで自分が犠牲になれば、他の将は同盟に還れる。この事実を各将は突き付けられた。

 

「もう一つ申し添えます。この決定には同盟政府からの干渉は受け付けません。侵攻作戦とその終局でのアムリッツァ会戦が酷い人命軽視の産物であることをフェザーンは知っており、捕虜になった経緯についても義憤を感じておりますので」

 

 もっともなことらしく見せながら、更にルパートはほのめかす。同盟政府から将の引き渡しを求められても断り、フェザーンの同意がなければ将は還れない。逆にフェザーンに残ることを決断した将を保護することも含めている。

 

 エカテリーナは上手い、と舌を巻かざるを得なかった。

 さすがは兄ルパートの交渉だ。幾重にも重なり、しかも研ぎ澄まされている。一度の交渉は、各将が同盟に自分と、他の将も必要と言う当たり前の認識を再確認させるためのものだった。

 

 

 

 意外なことにそれでもホーウッド中将は提案に乗ってこなかった。

 当てが外れた。もし提案に乗るとすれば、情に厚いという定評があるホーウッド中将が最も可能性が高いと予期していたのだが。

 

「フェザーン側の提案は、個人的な感想で言えば大変ありがたいものであると考えています。しかし、残念ですがそれに応えることはできません。なぜなら、利で語るべき次元ではないからです。自由惑星同盟に忠誠を誓った者として、旗を変えることは最初からできないのです。それをすれば自分を赦せないでしょう。むろん、そんな将はフェザーンの役にも立ちません。残念ながら」

 

 

 ルグランジュ中将はもっとはっきりしていた。苦渋の表情ではあったが、断固として言い切った。

 

「自由惑星同盟の将は、自由惑星同盟軍のためだけに働く。その矜持は言うまでもなく同盟軍の将帥として当然である。それがどういう場合であっても。どんな結果になったとしても、失われることはない」

 

 

 しかしながら、アップルトン中将だけは別の考えをした。

 

 もはや形式や矜持に捉われている場合ではない。

 同盟にはもうそんなゆとりがない。おそらく同盟軍はアムリッツァの戦いで多くの将を失っているはずであり、そのため再建に大きな障害が出ているだろう。

 下手に意地を張り、同盟が帝国によって攻め滅ぼされたらどうなる。

 なるほど自分の矜持を守ることは簡単だろう。しかしそのために同盟が滅んだらいくら後悔しても遅い。

 

 真に同盟軍のことを思えば、どんな形であっても将を還すことこそ第一に優先することだ。フェザーンの提案に乗って自分が留まって他の将を還すことが現実的には正に最適解ではないか。

 

 しかもアップルトン中将だけは家族がいなかった。

 妻とは離別している。仕事熱心なのが仇となった。ただでさえアップルトンの率いる第八艦隊の管区はハイネセンに遠いフェザーン方面近くであり、ハイネセンに帰っている時間は少ないが、更にその少ない時間さえ職務に当てていた。

 実子はいない。トラバース法によって養子がいたのだが、今は士官学校の寄宿舎にいてもう手が離れている。

 

 帝国軍の捕虜になっていた同盟軍アップルトン中将はフェザーンの提案に乗ることを決断する!

 運命のいたずらに従い、フェザーン艦隊を指揮するのだ。

 

 

 

 ルパートは許諾の返事を聞き、安堵した柔らかな表情を見せる。

 それだけではない。

 ここで心を動かすダメ押しの切り札を放ったのだ。

 

「こちらの提案を了承して頂き、感謝にたえません。そこでもう一つ付け加えましょう。率いてもらうフェザーン艦隊は決して自由惑星同盟軍と戦いません。中将に祖国自由惑星同盟と戦わせたりするものですか。これを約束します」

 

 話が決まると、すぐさまフェザーン側は重要な約束を守った。他のホーウッド中将、ルグランジュ中将を同盟に送り届ける。

 他、フェザーンにとって望外にもコナリー少将はアップルトン中将の決断を聞き、その元に付くことを願ってきた。「自分は長いことウランフ中将の副官でした。ウランフ中将と仲のよかったアップルトン中将だけをフェザーンに残すことはできません。一人では手が回らないでしょう」

 

 

 この重要な交渉に成功したことで、もちろんエカテリーナはルパートを褒めそやす。

 ルパートも悪い気はしない。

 しかし、可愛い妹のために一つ釘を刺すことも忘れなかった。

 

「エカテリン、交渉術は魔法じゃないよ。どちらにも良いと思われる提案を現実にもっていくのが交渉なんだ。その利益配分の多少で鍔迫り合いがあってもね、基本はそうだ。交渉は、水が低い所に流れる、それをスムースにするようなものと思えばいい。どちらかにとって明らかに悪いものであれば、それは交渉ではなく騙しになる。いっときは良くとも信頼関係は失われ、長く続けられない。この違いを分からないといけないね」

「分かったわ。確かに交渉の上手い人は尊敬される。兄さんのようにね。でも騙しの上手い人は尊敬されることがないわ」

「その理解でいいのかなあ、エカテリン」

 

 

 

 

 こうしてフェザーン艦隊が形を成してくる。

 

 フェザーン工廠の新造艦に、リッテンハイム私領艦隊からの購入艦を選抜したものを合わせ一万七千隻を編成し、ミュラー指揮下の一個艦隊とした。

 

 強奪に成功した旧同盟艦を主体に、ブラウンシュバイク私領艦隊からの購入艦を加え、一万六千隻としてアップルトン麾下の一個艦隊を形作った。

 もちろん過去の遺恨を考慮してリッテンハイム私領艦隊とブラウンシュバイク私領艦隊を同一しない配慮だ。

 艦隊編成という側面で見れば空母が少ないのだが、これは艦載機パイロットが少ないのだから仕方がない。なぜなら艦載機は戦いで降伏することが少ないので捕虜はほとんどいなかったのだ。

 逆にやや大型艦の比率を多くしてある。それは、急造の兵では多くの業務を覚えられない。小型艦ではどうしても兼任しなくてはならないことが多く、その意味で大型艦の方が人員育成が楽なのだ。

 

 その他にも戦闘艦艇として実はフェザーンにまだ一万隻以上残っているのだが、もう一個の艦隊を作ることはしていない。修理が必要な艦が多いのに加え、それ以前に乗員も指揮官もいない。いったんプールして置いている。

 艦隊に必要なドックや病院などの後方設備はエカテリーナが力押しで作り上げた。艦隊運用の生命線である稼働率をなるべく上げられるよう、惜しみなく投資して整えている。

 

 そしてミュラーとアップルトンの階級はどちらも中将待遇ということにしている。

 帝国軍だったら往々にして大将が一個艦隊司令官になるものだが、同盟軍でそれは中将が一般的である。しかし急造のフェザーン艦隊ではそういう面が流動的であり、どちらも中将にしたのは二人が同格であるという意味合いに過ぎない。

 

 

 こうして誕生したフェザーンの二個艦隊、指揮官ミュラーとアップルトン、フェザーン艦隊を担う二人は後の世に語り継がれる。

 

 「魔女帝エカテリーナの両翼」という名で。

 

 

 

 




 
 
次回新章突入! 「さらば父よ」
いよいよ物語は終盤に向け加速!

予告 第百話「ガイエスブルクの広間」

一つの終焉が

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