疲れも知らず   作:おゆ

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プロローグ ~私の世界~

 

 

 今日も花を生ける。

 

 白い壁ばかりの病室には色どりも必要だと思うからだ。

 

 この初夏の季節には花が多い。

 早めの百日草やアスターも咲いていれば、アイリスやスイートピーもまだ少しは残っている。今日は明るめのピンクの花を多く選んで持ってきた。もう少しすれば青い花が合う季節になるだろうか。

 

 窓辺から来る光が花のふちを輝かせ、色がいっそう美しい。部屋に薄く良い香りが漂う。

 

 良い香りだわ。

 この子らも香りが分かればいいのに。そうカロリーナは寂しく微笑む。

 

 きれいに整った病室に三人の子供たちが眠っている。

 その眠り顔はとても安らかで、あえて言えば幸せそうに見えるくらいだ。しかし目覚めることがない。

 

 もう三年になってしまう。子供たちがこんな状態になってから。

 

 

 

 

 あれは事故だった。

 

 とても珍しい事故に分類されるだろう。イゼルローン回廊を航行中に何かの欠片が旅客艇を貫いたのだ。

 普通にはあり得ない。

 イゼルローン回廊は小惑星などの他にも、これまで百年以上に渡って幾度も繰り返された戦いにより艦の残骸が多い。それはまさに負の遺産だ。戦いは若者の命を呑み込んだだけではなく、こうして厄介なものまで残している。

 

 それでも普通なら旅客船が航行できないほどではない。

 イゼルローン回廊はまさに回廊を成していて、それを取り巻く航行不能領域には超高速の星間ガス気流が流れ、それらの粒子は強い衝撃波面を形成している。

 触れたら何でも無事には済まない。

 イゼルローン回廊内の小惑星やそういった艦艇の残骸は時間をかけて衝撃波面まで漂い、やがてそこに触れて消滅させられる。だからイゼルローン回廊は残骸で満たされていることはなく、ある程度清明でいられる。

 

 ところが、ごく稀に欠片がもう一度回廊内に弾き飛ばされる場合がある。その場合はむしろ高速のエネルギーを持ってしまい、回廊を飛びすさる。

 

 不運はいくつも重なってしまった。

 

 カロリーナたちは普段ならイゼルローン回廊を軍用艦で通過しているものだ。それならどんな場合であってもシールドは万全といっていいほど強力である。

 しかし、ちょうどこの時は民間旅客船に乗っていた。

 そのシールドはそれでも必要充分なはずである。普通であれば。

 しかし、そんな高速の欠片があろうことかワープアウト用宙域という特別に清明であるべき宙域に飛び込んできた。そして旅客艇はワープアウト直後で探知装置がまだ再起動中だった。シールドも安定しきっていない。

 

 滅多に無い不運のため旅客船は欠片に貫かれ、しかもエンジン部分に直撃された。

 乗客はむろん直ちに脱出艇に移乗して出る。

 だが旅客艇は制御を失い、思いの外早く爆散してしまった。それに脱出艇までも巻き込まれてしまったのだ。脱出艇は爆散こそしなかったがスクラップ同然になり、多数の死傷者を出してしまった。

 

 

 

 カロリーナはうっすら目を開けて、自分が病室に寝かせられていたことを認識した。

 そして事故の記憶がよみがえると直ぐに跳ね起きた。

 

「カロリーナ! よく起きた。よく起きてくれた」

 

 目の前には夫のアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトがいた。

 それしか言ってこなかった。

 いつもの皮肉も軽口もない。

 しかしカロリーナにとり、もっとも重要のはそこではない。

 

「子供たちは! 子供たちは無事? どこなの!」

 

 直ぐに問いただす! 三人の子供たちが無事か、それだけがカロリーナの心配だ。

 

 

 

 今回の旅は旧同盟領にあるエル・ファシルからイゼルローン回廊を通り、ランズベルク領地惑星に帰るものだった。

 カロリーナ一人ではない。

 たまたま三人の子供たちも一緒だった。その子供たち、特に末娘がエル・ファシルでの観光や買い物をせがんでいたので連れて行ったのだ。

 そして観光で日数を使ってしまったので、帰りは来る時に乗ってきた軍用艦に乗るタイミングを逃してしまい、民間旅客船に切り替えることにしたのだ。

 

「カロリーナ、それが子供たちに怪我はない。しかしどうしても……」

 

 ファーレンハイトの返事はなぜか煮え切らない。どうして言い澱むのか。

 

 もう一秒も待っていられない!

 カロリーナは起き上がり、無理をいって三人の子供たちがいる病室へ連れて行ってもらった。

 そして見た。

 

 病室の中、三人の子らは静かに眠っていた。

 

 カロリーナがファーレンハイトから聞いたことによると、事故当日から病院に収容され、自分は一週間も眠っていたそうだ。

 そしてカロリーナは起きた。しかし子供たちは未だ目覚める気配もない。

 

 

 

 その時から今日になっても、子供たちが目覚めることはなかった。

 

 しかしながらカロリーナにはもう分かっている。

 どうして子供たちが目覚めないのかを。

 

 それはおそらく、体は治っても子供たちの魂がここに無いからだ。だから目覚めようがない。違う世界に行ってしまっている。

 自分もかつて12歳の時に転生してきたカロリーナには分かる。

 

 世界というのはいくつもの世界が重なり合ってできている。

 それで、魂が別の世界に飛んでしまうことがあり得るのだ。

 

 一番上の長男アンドレイと長女は同じ世界にいるようだ。

 長女はとてもその兄が好きで、いつもべったりと一緒にいたがった。そのせいだろうか。

 カロリーナは稀にその長女の魂とつながり合える時がある。長女が大変な危機にある時などに。

 その時はうっすらと会話らしいものができることさえあった。

 

 しかしそれだけだ。

 長女は事故の影響かカロリーナの記憶と能力を一部受け継いでいる。特に艦隊戦の能力を。

 そして自分の世界でなんとか生き抜いている。

 たぶんもうこちらの世界に戻ってくることはないのだろう……

 カロリーナは寂しく思うが、仕方がない。向こうの世界でしっかりと自分の生涯を生きていくのだ。この二人は。

 証拠がある。

 カロリーナの妄想ではなく、長女の世界の変化に応じて、長男の方も表情などが変化するのだ。これは、二人の魂が同じ世界にいる何よりの証しだ。

 

 そして三人の子供の中でも末娘は違うところにいる。

 

 この娘は上の二人とうって変わって自分に正直でオテンバな娘だった。何より楽しいことが大好きで、活発に動き回る手のかかる子供だった。

 この娘だけはやがて帰ってくる。

 カロリーナにはそんな予感があった。だから今日も花を活けながら待っている。帰ってくるのを。

 

 夕陽が陰るころになり、夢中になって公園の砂場で遊んでいた子供が、ふと家を思い出しスコップを放り投げて家に駆け戻る。そんな感じで。

 

 

 

 

 

 今日もまた充分なほど遊んできた。オーディンの郊外まで遠征してきたのだ。

 

「エカテリン、もう遠すぎるよ。行って帰ってくるのに時間使うから何にもならなかったよ?」

「何言ってるの。行くのに意味があるのよ! 秋のうちにもう一回行くわよ」

 

 少々げんなりした顔のミュラーの言葉を否定してのけた。

 いいじゃない。私はまだ疲れていないわ。

 今日はオーディンの寄宿舎から出発した。

 

 私は数年前に遠く故郷を離れ、今はオーディンの女学校にいる。

 女学校といってもそんじょそこらのものではない。貴族の中でも選りすぐりの由緒正しい令嬢だけが通うところだ。オーディンの有力貴族の令嬢が通う。

 領地がオーディンにない貴族の令嬢であれば必然的に寄宿舎に住むことになる。それは豪華で従者も多い。何不自由がないのだ。

 

 そんな大貴族の令嬢たちでさえ私には一目も二目も置かざるを得ない。

 

 何しろ私はあの宇宙一の煌びやかさを誇り、絶大な繁栄を謳歌するフェザーンから来たのだから。それも次の自治領主になると目されているアドリアン・ルビンスキーの娘として。

 

 しかし令嬢たちがやっかんできたり、逆に惧れを感じることなどはどうだっていい。私の方も、別に偉そうにすることもないが、だからといってかしこまって大人しく振る舞うことなど考えもしない。

 私が生まれながらに手にしているこの権勢も私を構成する一部なのだ。もちろんその権勢が私の全てではないが否定することもないではないか。

 私は私なのである。

 それでいいのだと思っている。

 

 もはや制止するのを諦めきった従者たちを振り捨てて、寄宿舎から帝国士官学校に立ち寄り、そこで遊び友達のナイトハルト・ミュラーを無理やり呼び出した。

 

「ちょっと試験が近いんだけど……」

 

 渋るミュラーを連れ出して、馬車でしばらく行き、そこからは乗馬で郊外まで飛ばした。

 森の入口に着くともう日差しは午後のものだ。

 

 秋の季節、落ち葉や野ブドウがあるのを見て取る。

 そしてゆっくり休む暇もなく引き返してきた。本当に秋の森を確認した、というだけのことだ。ミュラーにとっては何の意味があるのかと思うのは無理もない。

 だがこれもいいではないか。

 

 秋のうちにもう一度行くとして、他の日には何をしよう?

 

 街中で評判の菓子を食べ歩くのもいい。

 噴水に絵の具を入れていたずらするのもいい。

 下町で似顔絵を描いてもらうのもいい。

 私は今日も明日もオーディンの街を舞台に遊び倒すのだ! 思いっきり楽しむためには疲れなど感じている暇はない。

 

 

 

 

 後の世に「魔女帝」と呼ばれる者がいる。

 

 人類社会をその剛腕でまとめ上げ、繁栄と安寧をもたらした。

 大きな賞賛とわずかな惧れを込めてそう呼ばれる。

 

 エカテリーナ・ルビンスキー、今はまだ一人の女学生に過ぎない。

 

 

 

 




 
 
 

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