夏の追憶   作:レスキュー係長

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夏の追憶

八幡は一口ほど湯のみから紅茶を啜る。多少冷めてしまったようだが猫舌の彼からすれば実に丁度いい温度であった。

 

 

「成る程ね、本当に興味深い話だったわ。」

 

 

カチャン、と雪乃はカップを置く。

 

「で、結局その後はどうなったのかしら。」

 

「目覚めた時には爺ちゃんが目の前にいた。めちゃくちゃ怒られたわ。まあそりゃそうだよな。で、次の日からは彼女は来なくなった。しかも爺ちゃんが隣の家に訪ねていったらしいが、帰省していたような様子もないし、真紀なんて孫はいなかったらしい。それからもちょくちょく待合所には行ってたんだけど、会わずじまいってところだな。」

 

「あのさ、それってさ‥‥」

 

「いや、言いたいことはわかる。ただ夢みたいな話なんだよ。所詮は小学生の時の遠い昔の思い出。いや、もしかしたら少年時代の妄想とまで言えるかもしれん。」

 

「でも、印象に残ってるんでしょう。」

 

 

雪乃の言う通りだった。確かに心に刻まれた小さな、そして優しい追憶なのだ。その後の人生にもしかしたら然程の影響はなかったのかもしれない。それでもどこかで彼女の一言に救われていることはあった。それはまるで少年時代、誰しもが意味もなく河原で集めた綺麗な石ころのようだった。偶に集めたその石を宝箱から取り上げて光に当て、ほくそ笑む。そんな記憶だったのだ。

 

八幡は深呼吸をする。思い出を吸い込み、満たしていくようだった。

 

 

「ヒッキー、また会いたかったりするの?」

 

「‥‥どうだろうなぁ。分からんな。もう会えないからこそ、思い出が美化されてる部分があるからな。会って思い出が崩れていくのはちょっと嫌なところでもある。でも‥‥」

 

「でも?」

 

「まだ貸したままなんだ、本。多分あの頃の俺は、あの時に本を渡しておけばまた返しに来てくれるんじゃないかなって思ってたんだと思う。いい加減返してくれてもいいとは思う。」

 

 

結衣と雪乃はお互いに顔を見合わせ、ふわっと笑った。相変わらず捻くれているな、といった風だった。

 

 

「貴方、本当に素直じゃないのね。」

 

「ホントにメンドくさいよね、ヒッキーって。」

 

「揃って悪口言うのやめてくれる?八幡、泣いちゃうよ。」

 

 

そうして、三人はその妙な空気感に耐えきれず、笑った。きっと外から見ればなぜ笑ったのかよく分からないだろう。三人だけがその理由を、言語化はできないまでも体感はしていた。それをいつか望んでいた〝本物〟であることを理解するのはずっと、ずっと後のことになるだろう。

 

 

 

 

「そろそろお開きにしましょうか。」

 

「うん。」

 

雪乃は洗った湯のみやカップを電気ポットの脇に置き、荷物を机に置く。結衣も残っていたクッキーを二つ、三つほど口に運び、開いた紙皿をゴミ箱に捨てる。そんな中、八幡は文庫本片手に固まったままだった。

 

 

「それでだな。」

 

「‥‥どうしたのかしら、比企谷君。」

 

「明日、俺部活行けないから。」

 

「えっ、どうして。もしかしていろはちゃんというか生徒会関係でなんかあるの?」

 

「いや、そうじゃない。あいつは関係ないし、これからもあんまり関わっていたくないほどである。まあ、学校自体休むんだわ。色々あってだな‥‥」

 

「言いたいことがあるならはっきりいってくれるかしら。せっかくいい気分でお開きできると思っていたのに。」

 

 

あまりに歯切れの悪い八幡に少しばかりうんざりする雪乃。その態度も次の八幡の発言によりすっかり変わる。

 

 

 

 

「‥‥明日、爺ちゃんの三回忌なんだ。」

 

 

◇◆◇

 

 

 

「いらっしゃい、八幡、小町。今日も暑いねえ。ささ、早く入って。スイカ切って来るからね。」

 

「ありがとう、おばあちゃん。でも、スイカは後でいいや。とりあえず挨拶しなくちゃ。」

 

八幡と小町を迎えたのは和子たった一人であった。その皺は前よりも深くなり、以前はしっかりと立っていた足も弱くなり、今や杖が必須になりつつあるほどだ。それでもなお、和子はいつものように優しい笑顔で八幡を迎える。

 

家に入った八幡はその足で仏壇へと足を運ぶ。すでに仏壇前には様々な供え物が置いてあり、生前、繁の好物であった芋羊羹は相当な量になっていた。おそらく近所の住人がこぞって持ってきたのだろう。それを見る限りでも繁の人望の厚さが見てとれた。

 

八幡、小町は静かに正座をし、八幡は線香を、小町は鈴を棒でしっとりと打ち鳴らす。実に厳かで心を沈める美しい音が響く。そんな音色に合わせるように二人は手を合わせ、挨拶をする。

 

「ありがとう。繁さんもきっと喜んでいるわ。」

 

「だといいな。あ。そうそう。お父さんとお母さん、少し遅れてくるって言ってたよね、お兄ちゃん。」

 

「ああ。午後には着く、と。」

 

「……相変わらずね、あの二人は。さ、スイカ冷えてるうちにどうぞ。」

 

すでに縁側には六分の一にカットされたスイカが用意されている。二人は縁側まで移動し、その赤い果肉にかぶりつく。みずみずしいさわやかな甘みが口の中を潤しているのがわかる。ジュルリ、と無我夢中でかぶりつく姿を見て、和子はそっと笑っていた。

 

「繁さん、スイカはあんまり好きじゃなかったんだけど、貴方たちのスイカの食べっぷりは好きだったのよ。わざわざ隣の畠山さん家まで分けてもらいに行っていたくらいなんだから。」

 

 

八幡は後ろの仏壇の遺影に注目する。笑う祖父の写真は華やかさがあった。

 

 

繁がこの世から旅立っていったのは二年前のことだ。肺癌だった。それもかなりの進行具合で一部骨にまで転移しているまでだった。和子は普段から煙草なんて吸ってるからだ、と責めたが晩年まで繁は吸い続けた。

 

そんな死に行く彼に八幡は嫌に薬品の染みついた病室で尋ねたことがあった。煙草を止めればもっと長生きできるのではないか、と。繁は読んでいた文庫本を置き、静かに首を振った。

 

「いや。いいんだ、これで。人間がこの世にとどまりたいと思うのは欲求があるからだ。有名になりたい、金持ちになりたい、恋をしたい、幸せになりたい。で俺は大体の欲求は満たされてる。愛する人に出会えたし、守りたいのも守り抜けた。幸せだったよ。もう未練は無いんだ。いや、一つあるとすれば、お前のことかな、八幡。お前は器用で、不器用だ。だが、それでいい。それがお前の個性だからだ。いつかそんな個性を愛してくれる人が必ず現れる。そんな時、目をそらすなよ。ちゃんと向き合ってやれ。」

 

 

それが孫と祖父が交わした最後の会話だった。

 

時に、彼は思う。爺ちゃんのいう通りに向き合っていけるだろうか、と。向き合うことはとても怖いことで、膨大なエネルギーが必要なのだ。

 

 

「お兄ちゃん、ちゃんと荷物運んでよ。茶の間に置きっ放しだと邪魔でしょ。」

 

「ああ、すまん。二階に置いてくる。」

 

 

二階へと続く階段。一段踏めば、ギジィと軋む音が聞こえる。ふと八幡の頭にある考えが浮かんだ。

 

二階に駆け上がる。書斎の襖を開け、古い紙の匂いが漂う本の山から無作為に何冊か取り出す。昔は読めなかった、難しく感じたその本だって今の彼ならば読める、その自信があったのだ。

 

階段を降り、玄関で靴を履き替える。その異変に気がついた小町が駆け寄ってくる。

 

 

「どうしたの、お兄ちゃん。そんな慌てて。」

 

「いや、読書でもしようと思って。」

 

「こんな暑いのに?まあ、別にいいけど。熱中症にならないようにね。あと、お昼までには帰ってきてね。」

 

 

オカンかよ、そう苦笑する八幡は暑空の下へ出て行く。

 

 

 

 

まるで時が止まっていたかのようにそのバス待合所は残っていた。いつの頃だか意識的に遠ざかっていた、あの優しかった場所は変わらずにただそこにあった、それだけで八幡の胸を熱くする。

 

あの頃よりも断然にトタン屋根の錆は進み、ベンチは腐食気味であった。それでも一応の雨風はしのげる程には原型を留めてはいた。ただ、一番変わっていたのは自販機だろう。あの古びた自販機は既に撤去されており、代わりに新しい最新の自販機が設置されていた。風情がない、とも思ったがこの近代化社会の流れに逆らう必要もないだろう。八幡はそのベンチに座り、ページを開いていった。

 

山からだろうか、そよ風が吹き抜ける。湿度を含んでいながらも思っているよりも冷たい風に懐かしさを覚える。そういえば、あの頃もこんな風が吹いていた。笑みがこぼれる。

 

それはちょっとページが半分ほど進んでいった頃だろうか。それまでとは比べものにならないほどの強い風が取り抜けていく。

 

八幡は反射的に目を瞑り、ゴミが目に入らないようにする。

 

 

ヒラリッ、ヒラリッ

 

 

まさか、そんな筈はない。目を開けたその先に、帽子があるなんて。だが、確かにそこに帽子は存在していた。水色リボンの麦わら帽子。あの頃とは違うのは少し大きめであることぐらいだろうか。

 

恐る恐るその帽子に近づいてみる。もしかしたら熱中症の幻覚症状かもしれないと疑ったからだ。しかし、それは実体を持っていた。軽くて、通気性に優れた丈夫な帽子はまだ新品なのだろうか、値札が付けられていた。

 

 

「あの!す、すいません!その帽子私のです!」

 

 

慌てて近づいてきたその澄んだ声の彼女に八幡は思わず固まってしまった。まるで彼女をそのまま成長させたような容姿だったからだ。清涼感のある白いワンピースに、黒髪ロング。人懐っこい犬のような可愛い、美しい容姿。

 

 

「あ、あの‥‥大丈夫ですか‥」

 

 

固まっていた八幡を見てそう思うのは当然だろう。彼女は片手に古い文庫本を持ち、こちらに近づいてくる。

 

 

「んっ、あ、これ、返すわ‥‥」

 

「ありがとうございます。」

 

 

彼女は麦わら帽子を受け取り、すぐそこのベンチに彼女は座る。その位置も、まるでデジャブだ。

 

気にするな。そう自分に言い聞かせ、彼はベンチに戻る。だが、人の意識とは簡単ではない。無意識を装えば意識をより強化してしまう、それこそ人間だ。もはや彼に本の内容はこれっぽっちも入ってはこなかった。

 

座っていた八幡は立ち上がり、自販機に向かう。顔は一切見ない。ひたすらにボタンに向き合い、適当にコインを投入し、適当にボタンを押す。

 

ガタン、と一本出てきたサイダー。それとは別にもう一本、重い音が聞こえる。取り口からとりだしたのもサイダーであった。

 

気味の悪さを感じながらも仕方なくベンチに戻り、サイダーを流し込む。清涼感は感じるがモヤモヤは消えない。

 

果たして今隣にいるのはあの彼女なのか。そのキッカケは自分で作るしかないということか。もう一本のサイダーに覚悟を込め彼女の前に差し出した。

 

 

「え‥」

 

「二本出てきちゃったんで。おすそ分けってことで。」

 

「ありがとうございます。いただきます。」

 

 

八幡の限界ギリギリの愛想だったが嫌な顔一つせずにサイダーを受け取ったところを見ると拒否されるようなことはないらしいことはわかった。

 

 

「あの‥‥どこかで私たちあったことありましたっけ‥‥」

 

「へ?あ、いや、どうでしょうね‥‥あの、お名前聞いてもいいですか?」

 

 

八幡にしては随分踏み込んだ質問であったが、謎をそのままにしておくことは精神衛生上できなかった。

 

 

「名前ですか?私は畠山麻衣と言います‥‥あの!貴方は‥‥」

 

「比企谷、比企谷八幡でしゅ。」

 

 

肝心なところで噛んでしまう自分に腹がだったがそんなものはほんの一時的なもので、目の前にいる彼女が真紀ではないことに安心と寂しさというベクトルの異なる感情に襲われる。

 

 

「比企谷‥‥もしかして、向こうの比企谷さんのお孫さんですか?比企谷さんにはたまに本を借りにいくことがありまして‥‥亡くなられたんですよね。」

 

「二年前です。ちょうど三回忌で。」

 

「私、本が好きで親と帰省すると本ばかり読んでいたんです。で、昔、お気に入りのこの場所で本を読んでいたら比企谷さんに声をかけられて‥‥あ、すいません。私ばかり話してしまって。」

 

「あ、いえ、別に‥‥」

 

たしかに彼女なその手には小説が握られていた。その汚れ具合に見覚えがあった。

 

 

「今、読んでる本って‥‥」

 

「太宰治の〝走れメロス〟です。なんかここに来ると読みたくなるんですよね。なんだか約束していたような気がするんです。小さい頃ですけど‥‥あの、やっぱり私たちあったこと本当にありませんか?私、人見知りなのにこんなに喋ったことないんです。ん?その栞、朝顔‥‥」

 

 

八幡も不思議と話しやすさを感じていた。それが真紀ではないのにもかかわらず、昔からの知り合いのように打ち解けている自分がいることに驚いた。

 

 

「少し、お話しませんか?なんだか貴方となら興味深い話ができそうです!」

 

 

サワサワと夏の香りを乗せた風が二人の間を通り抜ける。夏の追憶がプロローグに変わる、そんな予感が今の八幡にはあった。

 

 

to be continued...





以上で完結です。
本当は短編だったけど少しボリュームが出てしまった‥‥

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