夏の追憶   作:レスキュー係長

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親の傲慢

夕日に照らされた紅茶はいつの間にか冷めている。妙に喉が渇いていた八幡はそんな紅茶を一気に流し込む。少しぬるかったが、口に潤いが戻っていくのは分かった。

 

 

「紅茶、入れ直すわ。」

 

「いや、別に‥」

 

「どうせ、そこから長くなるのでしょう?」

 

 

そう雪乃は湯のみを持ち、電子ケトルのスイッチを入れる。

 

あまりにも結衣が静かだったものだから八幡が目線を向けると大粒の涙を流す彼女の姿があった。

 

 

「はっ?なんでお前が泣いてるんだよ‥‥」

 

「だっでさ、マッキー、死んじゃったんでしょ‥‥もしサブレが死んじゃったらって思ったらさ、なんか泣けてきちゃって‥‥」

 

 

由比ヶ浜さん涙でグチャグチャよ、と雪乃はどこからかハンカチを取り出し結衣に渡す。甲斐甲斐しく世話する姿はなんだか母と子のようで少し可笑しい。

 

ケトルからカチッと音が鳴る。お湯が沸いたようだ。雪乃は茶葉を取り出し、湯を入れる。その一つ一つの所作には無駄がなく美しい。思わず見惚れてしまうほどだ。

 

紅茶の入った暖かい湯のみを雪乃から手渡される。一口すすれば心地の良い茶葉の香りが包まれる。

 

 

「それで話の続き、聞かせてもらえるかしら。」

 

「えっと、どこまで話したっけ。」

 

「女の子と会ったところまでだよ。気になるから早く!」

 

 

「まあ、待てよ。あ、それでだな‥‥」

 

 

◇◆◇

 

 

彼女の名前は畠山真紀というらしい。

 

〝帽子、拾ってくれてありがとうございます!隣の家の真紀、と言います。〟

 

そう尋ねもしていないのに勝手に話し始めたところから推測し、隣の畠山さんちの孫か何かだろうと勝手に納得しただけなのではあるが、それも強ち間違いではない気がしていた。確かバス待合所の向こうは畠山さんの畑と家があったと記憶していた。

 

帽子をかぶった彼女は八幡から少し離れたところに座り、チラチラと見てくる。

 

ややこしいことになったと八幡は溜息を気づかれないように放つ。小学校では男友達もいない彼だ。ましてや、同世代の女子と上手く接することなんてできるはずがないのだ。

 

それでも、このまま黙ったままいるのも居心地が悪い。何か突破口はないものかと周りを見渡すと水滴がついたもう一本のバヤリースを見つける。八幡は自販機まで栓を抜きに行き、その足で彼女の目の前に差し出した。

 

 

「え‥‥」

 

「いや、これ二本出てきちゃったから。俺、一本で十分だし。」

 

 

下手くそだな、と自分でも思う。たかがバヤリースを一本渡すくらい自然にできないものかと自分に軽く失望すると共に、普段喋らない自分にこんなことができる勇気があるのかとビックリもしていた。

 

 

「ありがとう。頂きます。」

 

 

そう瓶を両手で持ち上げ、彼女は流し込む。よほど喉が渇いていたのだろう、CMのように喉が鳴った。

 

 

「美味しいです!暑いからですかね。」

 

 

屈託のない笑顔。眩しくて直視できない。

 

 

「いや、うん。そうかもね。じゃあ、俺はこれで。」

 

 

一刻も早くこの場を離れたかった。何か共通の作業をするというわけでもなく、同じ空間にいるなんて堪らないのだ。八幡はバス待合所に背を向け、歩き出す。

 

十歩、二十歩、三十歩。

 

しばらく歩いた後に気づいてしまった。持ってきた本を置いてきたことに。

 

振り返れば奴がいる。そんな自分は離れていったのにわざわざ取りに戻るマヌケな奴に思われるだろう。だが、祖父の大切な本を置いていくなんて八幡にはできなかった。

 

足の向きを百八十度変える。すると見えてきたのは、一冊の文庫本を宝物のように眺める真紀の姿だった。文庫本に注目すると〝走れメロス〟と書かれている。

 

 

「あの‥‥それ、俺のやつで。」

 

「あっ、ごめんなさい。つい、懐かしくって。」

 

「懐かしい‥‥読んだことあるの?」

 

「うん。昔、友達とよく読んでたの。」

 

 

友達と読む本ではないけど、とは思ったがキラキラと目を輝かせる彼女を目の前に言えるはずもなく仕方なしにまた隣に座る。

 

 

「走れメロス、いいですよね。私、王様が好きでなんです。」

 

「王様?邪智暴虐の王なのに?」

 

「王様だって元はいい人なんだと思います。邪智暴虐の王にしたのは周りの酷い人達。でも、メロスみたいに純粋な人に出会えて変わった。そんな所が好きなんです。」

 

 

それを性善説と呼ぶのだと知ったのはずっと先のことだ。それでも今の八幡には腑に落ちた。

 

 

「すいません!これ、お返しします。」

 

「いや、いいよ。読んでたんだろ。俺も走れメロスは好きなんだ。多分、同じ理由だと思う。なんかさっきの話聞いたら納得できた。」

 

 

初対面なのにどうしてこんなに話しやすいのだろう。お互い、超えて欲しくはない距離感を分かっているかのようだ。

 

 

「本好きなら貸すよ。俺、一週間はいるから。」

 

「本当に?じゃあ、借りますね。必ず返します。」

 

「メロスだけじゃなくてもいいんだぞ。」

 

「じゃあ、これも借ります。本当に明日には返しますね。またここで。」

 

 

日の向きを確かめた彼女はもう帰る時間だから帰ります、と礼儀正しくお辞儀をして、席を立つ。あまりにも突然だったから八幡は少し不思議に思ったが、思えば夕方近くなっている。あたりはまだ暗くなってはいないとはいえ、安全を考えれば納得できた。

 

家路へと歩く彼女は時折後ろを向いてお辞儀をする。まるで別れを惜しんでいるように、足取りはゆっくりだった。

 

八幡はそんな姿を見ながら自分の体が火照っていることに気がついた。胸の鼓動が早まる。

 

またここで。彼女が言ったその言葉が頭から離れない。八幡は残った本を片手に空のビンを自販機横のビンケースにしまい、反対側の道をトボトボと歩いてゆく。そんな彼の頬は緩みがちだった。

 

 

◆◇◆

 

 

「なんかいいことでもあったの、八幡。」

 

 

こんな時、母というものは不思議なものでほんの少しの変化も見逃しはしない。和子と共に忙しなく台所にて動き続けている母は八幡の顔をチラリとみるだけでそう話す。

 

 

「いや‥‥そんなことはないけど‥‥」

 

 

きっと自分はバツの悪そうな顔をしているのだろうということは自覚していた。側にあった筑前煮を手に取り茶の間に運ぶ。

 

 

 

「お兄ちゃん、こっち、こっち!」

 

 

小町の小さい手に引かれ、座った目の前には繁がいた。既にお猪口には酒が注がれており、心なしか繁の顔は赤い。同じように父もチビチビと飲んでいる。

 

 

「さあ、食べましょうか。」

 

 

机に並べられた沢山の料理。そのどれも派手さはないが丁寧に作られている。八幡はそんな料理が好きだった。いや、本当は家族みんなで食べるそれが好きだったのかもしれないが。

 

 

「で、八幡は今日は何あったのかな。」

 

 

まるでオモチャを見つけたかのように聞いてくる母の顔は楽しげだ。

 

 

「なにかあったのか、八幡。」

 

 

繁も興味ありげに言うもんだから逃げ場をなくしてしまった。仕方なく口を開く。

 

 

「‥‥近所の子に会って、ちょっと話をした。ただそれだけだよ。」

 

「なに、女の子?」

 

「まあ、そうだけど。本当にちょっと話しただけだから。」

 

「近所にそんな子いたかしら‥‥」

 

 

過疎化の進む田舎だ。近所に若い子供なんて和子の記憶にはなかった。

 

 

「ああ、たしか隣の畠山さんちの長男、八幡くらいの娘さん居たんじゃないか。お盆だしもしかしたら同じように帰ってきてるかもしれないな。」

 

「ああ‥‥思い出しました。婦人会で畠山さん言ってましたよ。〝今度、孫が来るんだって〟」

 

 

彼女も今頃、夕食を取っているのだろうか。そして、貸した本をちゃんと読んでくれているだろうか。

 

 

「お兄ちゃん、その煮っころがし取って。」

 

「へ?あ、ああ。皿貸して。」

 

 

八幡は小町に里芋の煮っころがしを取り分ける。里芋を箸で掴もうとしてもツルツルと滑ってうまく取れなかった。

 

 

 

食事を終えると途端に眠たくなるのは八幡のお決まりだ。縁側に座り、コオロギの羽音を聴きながらうつらうつらとしていた。

 

お茶の間では残りのおかずを肴に男二人は酒を酌み交わす。

 

 

「八幡も眠いなら寝なさい。小町ももう寝るって。」

 

「あ、でも読書感想文まだやってない。」

 

「そんなの明日にでもいいでしょ。移動もしてきてつかれてもいいものは書けないよ。ほら早く。」

 

 

変に強引だと思ったが確かに一理ある。怠い体を起こして寝床へ向かう。おやすみ、と一応挨拶したがあまりに小さくって皆には聞こえなかっただろう。

 

寝床にはすでに小町の可愛らしい寝息が聞こえていた。八幡も横になり目を瞑る。

 

風を感じる。外からの風だろうか。心地がいい。

 

日本家屋の利点はその通気性の良さだ。だが、その風通しの良さゆえか話し声が聞こえてしまう。それは八幡たちの寝床でも同じだった。

 

男二人の声。二人の会話が眠りにつこうとしている彼を起こしてくるのだ。八幡は少しその会話に意識を向ける。

 

 

 

 

「‥‥‥で、お前。八幡のことちゃんと見てやってるのか。」

 

 

お猪口を置く音が強い。

 

 

「‥‥当然だろ。俺の息子だぞ。」

 

「俺にはそうは見えないがな。」

 

「‥‥なにが言いたいんだよ、親父。」

 

「八幡との時間を疎かにしていないか、って話だよ。」

 

 

お父さん飲み過ぎですよ、と優しい声で制する声がするが一度流れ出た言葉はとどまることはない。

 

 

「八幡は優しい子だ。そして大抵のことをやれてしまう要領の良さもある。だからって、あまりにもそれに甘えるのは間違いだ。あの子だってまだ小学生だ。甘えたい年頃でもある。」

 

「いやいや、あいつはそんなんじゃない。一人が好きってタイプだろ。」

 

「それこそ、親の傲慢だ。自分の都合が良いように解釈して押し付けてるに過ぎない。」

 

「なんだよそれ。俺が親失格みたいな言い方!あんただって同じだろうが!いつだってあんたは家に居なくて、構ってくれたことなんてなかったじゃないか!」

 

 

ちょっと、暑くなり過ぎだよ、子供達が起きてきちゃうでしょ、と止める声が聞こえる。

 

 

「‥‥そうだな。すまん。熱くなり過ぎた。俺も今のお前と一緒だ。仕事に生きたようなもんだった。だからだろうな。俺ができなかったことをお前にはちゃんとやって欲しかった。思えばこれも親の傲慢かもな‥‥‥」

 

 

八幡にはその後の会話は入ってこなかった。意識は遠のいていったからだ。

 

暗い海の底に沈んでいく、そんな夢を見た気がした。

 

 


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