夏の追憶   作:レスキュー係長

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バス待合所にて

 

ゴトン、ゴトン。ゴトン、ゴトン。

 

電車の席の端に寄りかかって寝ていた八幡は規則的な揺れによって目を覚ました。左隣を見れば小町が母の膝の上で幸せそうに寝ている。

 

「八幡、起きたのね。もう少し寝ててもいいのよ。まだ駅までは長いから。」

 

小町を抱きかかえた母は優しく八幡へ話しかける。

 

 

「うんん。大丈夫。もう眠くないから。でも、お父さんは寝てるね。」

 

 

母親の左隣には父親が首を九十度に曲げ、目を瞑っている。最近、ロクに休めてなかったからそっとしておこうね、と母親は唇に人差し指を置く。間違いなく首を痛めるだろうが、無理やり起こすと機嫌が悪くなることを母は知っているから放っておくのだ。

 

八幡は体ごと後ろを向き、車窓からの景色を眺める。ただひたすら山と田んぼが延々に続く。これを田舎というのだろうということは幼い八幡もなんとなく感じていた。だが決してマイナスのイメージを持っていたわけでなく、東京にほど近い千葉に住んでいる都会っ子の彼からすればなんだかとても新鮮な光景でワクワクするほどだった。まるでRPGで新たな街へ向かおうとする冒険者だ。

 

長野新幹線で上田まで、そしてそこからローカル線で数駅行った先が八幡の父の実家の最寄りだ。こうしてお盆に家族みんなで帰省するのが比企谷家の恒例である。普段仕事で忙しい両親もこの時ばかりは休みを取ってくれるものだから幼いころの八幡からすると正月以来のビッグイベントと認知していた。

 

列車の速度が徐々に遅くなっていく。いよいよ、次が目的地だ。待ちきれなくって、電車の窓をこっそり開ける。

夏の香りが、確かに鼻をくすぐった。

 

 

 

 

「いらっしゃい。疲れたでしょ。スイカ切ってあるから縁側で待っててね。」

 

「いや、大きくなったな、八幡も小町も。」

 

「親父、さっきからそれしか言ってないぞ。」

 

「当たり前だ。久しぶりにくる孫を愛でないジジババはいないよ。」

 

 

古き良き日本家屋から出てきた祖父母は家族を迎え、縁側に腰掛けるよう促す。

祖母、和子は痩せ型で白髪混じりの長い髪を櫛で止めたお団子頭が特徴的だ。祖父、繁は白髪にすらっとしたスタイル黒縁の丸メガネが知性を演出する。二人とも元々中学の国語科教諭で、東京の中学で知り合い、結婚。定年を迎えた後は、自らの生まれ故郷に戻り老後を楽しんでいる。

 

 

「はい、スイカ。隣の畠山さんからのおすそ分けなんだけど、これが中々甘いのよ。はい、八幡。どうぞ。」

 

 

端っこに座っていた八幡に和子はスイカ真ん中あたりのワンカットを手渡し、端っこは繁と父の横に置く。一番甘いところだ。一口頬張ればみずみずしい上品な甘さが口の中に広がっていく。思えば、毎年こうしてスイカを食べている気がする。

 

 

「で、小町ちゃんはどこにいるのかな。」

 

 

和子は八幡に話しかける。繁と父は話に夢中で聞いてくれそうにないからだろう。

 

 

「多分、小町は母さんが寝かしつけてると思う。」

 

「そっか。流石、眠り姫。寝る子は育つ。良いことだよね。」

 

 

眠り姫。幼いころの小町はそう呼ばれていた。とにかくどこでもよく眠っていたからだ。だからか、母はいつも小町の側に居て、世話をしていた。

 

 

「‥‥うん。」

 

 

確かに寝るのは良いこと。だが、八幡の心は晴れなかった。どうしてだろうか。

 

スイカを食べ進める。とびっきり甘い先端から食べ進め、皮に近づくと甘さも段々と無くなっていく。いつだって、一番美味しい時は一瞬なのだ。

 

 

「八幡、せっかく来たんだ。虫取りでもするか。」

 

 

久しぶりに息子に家族サービスをしようかとでも思ったのか、父親は繁との世間話を終え、八幡に虫採りに誘ってきた。虫が得意ではないのにそんな誘いに釣られるわけないだろうと八幡は思ったが、息子サービスとして機嫌取りしておくのも後々に何かしらに還ってくるだろうと返事をしようとしたその時だ。繁が割り込んできたのは。

 

 

「おい、お前去年も同じこと言ってたぞ。八幡は虫苦手なんだからやめておけ。自分で決めさせてやれよ。八幡、何がしたい?」

 

 

何がしたいのか。心からやりたいことを正直に答える。

 

 

「爺ちゃんの部屋の本が読みたい。」

 

 

「よし、おいで。八幡。」

 

繁は立ち上がり、八幡の頭を撫でながら書斎へと案内する。

 

 

 

 家の二階は和子、繁の寝室と書斎がある。書斎は、窓の前に年季の入った木製の机に妙に高級感のあるチェアが置いてある。そして、なんといっても壁にびっしりと並べられた膨大な数の小説は小さい図書館くらいにはなあるだろう。

 

繁の大学生の時の専門は日本文学であったためか、海外の作家よりも日本の作家の本の方が断然多い。又、中学教諭であったためか八幡には読みやすい本も幾つかあり、帰省するたびにここで本を数冊選び、読みふけることが楽しみの一つであった。

 

「どれを読みたい?好きなのを選んでご覧。一応最近の小説の集めてはいるんだけれどね。ほらそこの段ボール。」

 

 

段ボールには通販で買ったのだろうか、たくさんの本が収まっている。八幡はその中から重松清の『小学五年生』、宮部みゆき『ブレイブストーリー』を取り出し、胸に抱える。本棚にある本から数冊抜き出した後、繁のところへ八幡は近づく。その理由を繁は知っていた。

 

 

「あれだろ。分かってるって。」

 

 

繁は机の引き出しに手をかける。そこから取り出されたのは、カバーなんてついていない古びた文庫本だった。題名は『走れ、メロス』。太宰治の名作だ。

 

「これを今年の読書感想文の題材にしようと思って。それに思い入れもあるし。」

 

 

八幡は繁から本を受け取ると窓の外を眺める。八幡の目線は庭にある一軒の犬小屋を捉えている。

 

 

「……マッキーか。」

 

 

八幡はこの家でペットとして飼っていた柴犬、マッキーを特にかわいがっていた。むしろ、マッキーに会いたいが為に帰省していたほどである。

 

元々は傷だらけで隣の畠山さんの家に迷い込んでいたところから始まる。怪我を見る限り虐待されていたことは間違いなく、かわいそうに思った繁が保護したのだ。

 

最初は人間を警戒していたマッキーだったが八幡と一緒にいるようになって変わっていき、八幡も唯一の友達として可愛がった。小町に両親がかまっている時は一緒に遊んでいたし、朝顔の水やりもマッキーと遊びながらこなしていたし、本も一緒に読んだ。そのときに一番読んでいたのが「走れメロス」だった。夜の縁側で隣で座るマッキーを撫でてやりながら読み聞かせるのは毎年続いていた。

 

去年、亡くなるまでは。

 

マッキーは本当に静かに息を引き取った。目に見えるような兆候は全くなく、久しぶりに帰省してきた八幡達を歓迎するように遠吠えをした次の日、冷たく犬小屋で横たわっているのを発見したのは八幡だった。老衰死。犬の時の流れと人の時の流れが違うことを彼はその時初めて知った。

 

 

「マッキーの墓、一緒に行こうか。」

 

 

外を見て動かない八幡に繁は話しかける。八幡は静かにうなずき、本を抱えて繁についていく。

 

 

 

庭の脇にひっそりと作られた墓には「マッキーの墓」の文字が書かれた板が刺さっている。手前には綺麗な花が置かれ、丁寧に清掃されていた。八幡は座り込み、手を合わせる。

 

 

「爺ちゃん、マッキーは幸せだったのかな。」

 

 

幸せかどうかなんて、分からない。聞くことなんてできないのだ。死人に口無し、しかも人ではないのだから。

 

 

「幸せだったと思うよ。マッキーは生きた。精一杯生きて、人生の最後に大切にしてくれる友達に出会ったんだ。これを幸せと呼ばずになんと呼ぶのか。」

 

 

繁の言葉はわかりやすい。だが、その言葉には確かな重みがある。

 

 

「それにお盆だ。きっと、マッキーの霊もここへ戻ってくるはずだよ。」

 

「‥‥また会えるかな。」

 

「会えるさ。きっと。」

 

 

そう繁は八幡の頭を撫でる。優しく、繊細な子だと思う。気持ちに敏感だからこそ悩むことができる。それはきっと大切な個性だ。

いかんな、と繁は眼鏡をかけ直す。昔からそうやって子供を分析してしまうのは教諭時代からの悪い癖だ。

 

 

「爺ちゃん、ちょっと散歩してくる。」

 

 

墓の前から立ち上がり、本を抱えた八幡は繁にそう告げた。暗くなるまでには時間がまだある。ならば、止める必要もないだろう。

 

 

「ああ、暗くなるまでに帰ってくるんだぞ。」

 

 

うん、と返事を早々に八幡は庭から出ていく。

 

「いいんですか、繁さん。」

 

 

和子が後ろからヒョッコリと現れる。ずっと見ていたのだろう。

 

 

「ああ、いいんだ。まだ小さいが男には色々考えたいことがあるもんだ。そっとしといてやろう。さあ、今日の晩御飯の野菜でも畑から取ってくるかな。」

 

「じゃあ、ピーマンとナス、をお願いしますね。夏野菜カレーにしますから。あ、それからキュウリも。」

 

 

◇◆◇

 

 

夏の午後。田舎の暑さは都会ほど嫌ではないのは何故だろうか。

 

八幡が少し歩いた先にある屋根のついた簡易バス待合所のベンチに抱えてきた本を置く。ここは昔から八幡のお気に入りなのだ。マッキーと散歩している時もここに立ち止まり、読書に励んでいた。ここには不思議と爽やかな風が吹く。だからここにきてしまう。

 

隣に併設された変に古びた瓶ジュース自販機にコインを入れる。彼は今も自販機が稼働していることを知っていた。誰が補充しているのだろう。実は近所の人が入れていたころを知ったのはずっと後のことだ。

ここでバヤリースを買う。これもまたいつものこと。ただ一つ違ったのは、一本分のお金しか入れていないのに二本出てきたことだった。

 

え、とも思ったが古い型ならありえなくもないのか。そう自分を納得させる。一本は備え付けてある栓抜きで開け、もう一本はしばらく保管しておくことにした。

 

彼は文庫本を開く。重松清『小学五年生』。小学五年生の様々な子供を切り取り、人間関係や家族のあり方をわかりやすいタッチで描かれている。ちょうど小学五年生の八幡にはぴったりだった。

 

ペラッ、ペラッ、ペラッ。

 

心地の良い空間だからかペースが速くなる。頭の中では文字が読み取った背景が再現されていく。登場人物がまるで生きているかのようで心が弾む。

 

ふと、強い風が吹く。思わず砂埃が立つほどだった。八幡は反射的に目を瞑り、ゴミが目に入らないようにする。

 

収まったと思い目を開けると、前には水色のリボンがついた麦わら帽子が落ちていた。八幡が近寄って手に取ると左から「ああっ、やっと‥‥」と高い声が聞こえる。

 

声のする方へ顔を向けると、そこに立っていたのは八幡と同じくらいの少女だった。清涼感のある白いワンピースに、黒髪ロング。まるで人懐っこい犬のように可愛らしい容姿は見とれてしまうほどだ。ただ、八幡は思考停止しまった。彼女の目に何故だか涙が溜まっていたからだ。

 

 

「はっ!あ、これ。風に飛ばされたんだろ。返す。」

 

 

再起動した八幡は帽子を彼女に返す。

涙を浮かべた彼女は大事そうに受け取り、頭にのせる。

 

 

「ありがとう‥‥」

 

 

屈託のない笑顔が眩しい。泣きながら、でも、向日葵のように美しい笑顔を浮かべる彼女との出会いはびっくりするほど突然で、不思議な出会いだった。

 


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