A.D.2012 偶像特異点 深夜結界舞台シンデレラ 作:赤川島起
空はどんよりと曇っている。
パラパラと小雨が降り、高い湿度と夏の気温でむしむしと不快に感じる。
346プロダクションの事務員、千川ちひろは通路から空を見上げていた。
「長引きそうな雨ですね……」
んしょ、と手に持つ資料を支え直し、再び目的地へ向かって歩き出す。
歩きながら考えているのは、自身がアシスタントするプロデューサーのこと。
(忙しいのは分かりますが……、上手に休んでくれないものですかね……)
はあ、とため息をつく。
やる気があるのは結構。
しかし、時には力を抜くことも大切なことだ。
アイドル達のためとはいえ、常に全力で業務にあたっていては、いつかどこかで綻びが出る。
(睡眠時間はちゃんと取っています。って、そこを削るって考えがあるのが、もうダメなのに気づいていないんですよ)
睡眠時間を取るのは、本来仕事で振り回されていいものではない。
早番や夜勤だったとしても、一定時間の睡眠は確保して当たり前のことだ。
当たり前のことをいちいち報告したということは、本人にとって当たり前じゃない時があると暴露しているようなものである。
(対症療法ですけど、できる限り仕事を手伝うしかないんですね……)
仕事を減らすのは、現状では不可能に近い。
プロデューサーが現場に来ることは、アイドル達にとって確かなプラスになっている。今更やめられないだろう。
各種イベントも、もう動いているのでキャンセルは無理。
出来るだけ、プロデューサーの負担を減らすしかないのだ。
(心配かけさせるプロデューサーさんには、今度何か奢って貰わないと)
ただ、日ごろお世話になっているからと、嬉々として奢ってくれそうではあるが。
あまり、心配をかけさせたことによる罰にはならないだろう。
なにせ、休日ですらアイドルに付き合っていることが多いのだ。
(さしあたって、ドリンクの差し入れを持って行きましょう)
頑張って、仕事を終わらせて、しっかり休んでもらう為に。
アイドル達のために仕事をするのは自分も同じ。
イベント業務も今が佳境。
山場を超えたら、他の社員も誘って打ち上げでもしようかなと、少し未来の計画を組み上げ始めていた。
なお、先日に続いて複数のドリンクをちゃんぽんしていたプロデューサーに対し、何度目かになる説教をするちひろであった。
――――――――――
「あいにくの天気ですね、先輩」
→「蒸し暑いね……」
結界の探索後、ホテルの各部屋にて睡眠を取ったマスターとマシュ。
天気は小雨が降り続け、雲の厚さからして止みそうに無い。
外へ出かけようかとも思ったが、どうしたものかと考える立香。
ちなみに、本日のアイドル達は全員お仕事。
イベントは雨天を想定していることが多いので、中止になるということはあまり無いだろう。
野外で落雷がある場合は別だろうが、そのような様子も無い。
そもそも、今日の仕事は屋内らしいので、要らぬ心配だろうが。
「ダ・ヴィンチ。今日もまた、結界は観測できないのかね?」
『残念ながらそのとおりだ。こちらからでは結界の観測はできず、特異点の異常も見つからない。深夜結界が展開されているときは、確かに反応があるのだけどね』
『まるでコインの表と裏のようだね。似たようなケースもあるから、そういう類のものなのだろうさ』
どうやら、日中は今まで通りになりそうだ。
ただ、裏の世界である深夜結界は、いつ表の世界に影響を及ぼすか分かったものではないのだ。
早く結界の謎を解くことに、越したことは無い。
そのためにも、今は英気を養うことに専念する。
→「外に行こうか」
だが、ただホテルで休んでいるだけでは気が滅入ってしまう。
せっかくの東京だ。見所はいろいろある。
「そうですね。雨といっても、屋内施設や地下街が多くあるのが東京です。どこかに気に入る場所があるでしょう」
「疲れたときは、美味しいものを食べてリフレッシュするのもいいですよ」
張り詰めすぎれば、糸は簡単に切れてしまう。
一休みして、余裕を持つのも大切だ。
→「マシュは、どんなところに行きたい?」
「えっと、では……。カラオケ、に行ってみたいです」
マシュから出た提案は、彼女にしては珍しい。
ただ、なぜカラオケなのか、大体察しはついていた。
マシュは、アイドル達の曲を歌いたいのだ。
彼女たちと関わって、ステージに立った、あの時の感動。
聴いてくれる人は少ないけれど、きっと笑顔で楽しく歌えると思うから。
――――――――――
撮影の休憩中、島村卯月は思考していた。
それは、最近知り合いになったカルデアの人物達。
彼らは七つの特異点を乗り越え、世界を救った英雄たち。
結界はまるで、それを再現していると言っていたので、残る特異点は二つなのだろう。
失敗する事を考えないのだとすれば、もう彼らといられる時間は長くない。
短いながらも、現実と結界で親しくなっていたカルデアは、素敵なお友達になった。
しかし、マシュ達が去って行った後、自分たちは彼らのことを覚えている事ができない。
詳しいことは分からないが、彼らのことを覚えていられないのは悲しい。
だが、早かれ遅かれ、彼らはこの時代を去ってしまう。
ここは、彼らの住む時代から少しだけ過去らしい。
ならせめて、何かできることは無いだろうか。
「しまむー!何考えてるの?」
「ちょ、未央ちゃん!?」
座っていた卯月を、後ろから抱きしめるようにスキンシップを散る未央。
なんとなく元気が無さそうな卯月を励ますように、声をかける。
「えっと、マスターさんたちのことを考えていたんです」
「カルデアの人たちを?」
凛が話に加わる。
彼女にとってもカルデアは親しい間柄の為、他人事ではない。
結界のことは実感が無い記録のみだが、現実では一緒にステージに立った仲だ。
カルデアのことで卯月が何を思っているのか、気になる内容であった。
「マスターさんたちは、いつかこの時代からいなくなってしまいますよね?」
「あ~……。うん……。確かにね」
「仕方ない、ことなんだろうけど……」
忘れていたと言うか、考えないようにしていたことだ。
近いうちに、カルデアの人たちはいなくなる。
ただ別れるのではなく、完全に忘れ去ってしまう。
もう二度と、彼らと会うことはできない。
一期一会とは違う、完全な離別。
が、それは凛の言ったとおり仕方の無いことだ。
正しいことであるが故に、どうにもならないこと。
「だから、せめて何かできることは無いかな?って思っていました」
「……出来ること?」
「はい。私たちは、カルデアの人たちのことを忘れてしまいますから。けど、何をすればいいのかは、まだ分からないんですけど……」
黙り込む一同。
そんな中、パチン。と、指で鳴らした音が響く。
未央が、何かを思いついたようだ。
「ならさ、お別れ会とかやろうよ!」
「お別れ会、ですか?」
「この前、お疲れ会をやったばっかりなのに?」
「それはそれ、これはこれ。楽しいことは、何度やってもいいんだよ!」
カルデアは、彼女たちアイドルの事を忘れることは無いだろう。
しかし、それじゃあ足りない。
彼らの心に、自分たちの存在を刻み付ける。
どうせなら、結界で関わったアイドル達も誘って楽しく騒ごう。
「うん、いいと思うよ。私たちには、それくらいしか出来ないと思うし」
「はい!きっとマスターさん達にとって、楽しい思い出になってくれます!」
「よーし、そうと決まれば。お仕事とのすり合わせ、ちゃんと考えなきゃね!」
スケジュールを確認し、他のアイドルとも連絡を取る三人。
もっともっと、彼らと笑おう。
共に楽しもう。
頭で忘れても、心で忘れないように。
――――――――――
結界の最奥
佇むように待つ存在
眠るように待つ人物
深夜結界の基点
そこにいる存在は