駒王学園を模した空間にて行われた非公式のレーティングゲーム。
それはリアス・グレモリーの勝利で終わった。
結果だけで見れば、リアスの完勝と言っていい結果かもしれない。
ライザーの油断があったとはいえ。助っ人が居たとはいえ。予想以上に成長していたとはいえ。
それでも、リアスが戦略で以って相手の眷属を全て撃破し、そしてライザーを
しかも、数々の不利と思われる要素を覆して、である。
では、その勝利をしたリアス眷属達と助っ人である翔が勝利の美酒に浸っているのかというと、そうではなかった。
全員が全員、喜べるような気分ではなかった。
リアスは最後の勝利の理屈に余り納得がいかなくて、釈然としない気分だったし。
アーシアは初めて――と言っていいだろう――誰かを傷つけた事実に心を傷つけていたし。
朱乃と小猫は最後の展開での自分の不甲斐無さに憤っていた。
そして、皆が皆怪我をしているであろう一誠と木場を心配していた。
だが、何よりもその場の空気を重くしているのは、翔のしかめっ面と発散している雰囲気であった。
他の4人が見たことの無い表情をしている翔に驚き、その雰囲気に話しかけるのを躊躇っていた。
そうして重い雰囲気を引き摺って歩きながら全員で救護室に向かっていると、その場に陽気な声が響いてきた。
「にゃはは。ゲームの勝者がそんな湿気た顔してどうしたにゃん?」
そう声を掛けてきたのは、唯一といっていいこの場で観戦していた客である黒歌だった。
その登場に、リアス達は全員「助かった! この空気を何とかしてくれ!」と、心の中で叫んでいた。
その思いを汲み取った黒歌はその場で重い空気を溢れさせていた翔へと歩いて近づいて話しかけた。
「翔」
「……何かな、黒歌さん」
今は余り喋りたくない気持ちなのか、翔が顔を顰めながら黒歌へと応じた。
その顔に他の4人は殊更吃驚した。翔が黒歌と居る時は笑顔でいることが殆どで、黒歌へとこのような顔で向かい合う翔を見たのは初めてだったからだ。
それでも、黒歌は気分を害した様子を見せずに笑みを崩さないでいる。
「まったく、幾ら怒っているからって関係無い人を巻き込まないの」
そう言って自分より高い位置にある翔の頭を撫でている。
嘗ては自分よりも低い位置にあった頭だが、今は自分よりも頭1つ分は高い位置にある。それが今更ながら黒歌に時の経過を感じさせるのだった。
黒歌の言葉と、その手の感触で気持ちを落ち着けさせたのか、翔は大きく息を吐いて先ほどまでの空気を霧散させる。
「ありがとう、黒歌さん」
「どういたしまして。もう大丈夫よね?」
翔がその言葉に頷いてみせると、黒歌は頭を撫でていた手をどかすのだった。その手の感触が離れていくことにどこか残念な気持ちを抱きながらも翔はリアス達へと向き直った。
そうしてからリアス達に頭を下げるのだった。
「すみません。あなたたちに関係ないのに、イラついて空気を悪くしてしまって……」
その言葉に内心で驚きながらもリアスたちは笑みを浮かべて返答する。
「別に気にしてないわよ」
「その通りです!」
「寧ろ、珍しい一面を見られて幸運ですわ」
「……私たちにも、それぞれ空気を悪くしていた要因はありますし」
翔はそれぞれの言葉にほっとしたように息を吐き出した。その翔の肩に黒歌は手をポンと乗せている。
その動作は「良かったわね」と言っているようであり、翔もそのように受け取ったのか、黒歌へと笑みを浮かべて振り返ったのだった。
その翔の表情に更に黒歌は笑みを深めて、その場の全員にこう言った。
「それじゃあ、皆の心配の種である困ったちゃんのところに行くにゃん」
◇◇◇◇◇◇
翔たちが救護室へと到着したとき、未だに一誠は眼を覚ましていなかった。
それどころか、その体の右側には大きな火傷が出来ており、目を背けたくなるほどに酷い有様だった。
一誠が寝かせられているベッドの横には今も治療担当の者が就いており、その体に治癒用の魔法を掛けている。
その一誠の傍へと歩み寄っていく翔たちへ、既に目覚めていた木場が状況を説明した。
「体の右半身に渡って、人間の基準で言うなら第二度の火傷を負っているそうです。また、肺やそれに連なる気管系も火傷を負っていました。そちらの治療を優先して治して、今やっと体の右半身の治療に入るところです。また、それだけではなくて、全身打撲に、一部の骨の亀裂骨折、完全骨折。最後の当りは何で立てていたのか治療師が疑問に思う程怪我を負っているそうです。というより、その程度の怪我で済んでいることがもう奇跡的だそうで」
「ライザーの言っていたことは本当だったのね……」
最後の激突においてライザーが使用した『
直撃しなかったにもかかわらず、この重症具合。もし直撃していたらと思うとぞっとする。
他の打撲や骨折については、あれだけ痛めつけられていたら当然の怪我だろう。治療師が言う、怪我が少なかったのは日頃から痛めつけられていたので、打たれ強くなっていたからだろう。
リアスはすぐに隣にいたアーシアへと一誠の治療を頼んだ。
「アーシア、お願いできるかしら?」
「はい!!」
すぐに一誠の眠っているベッドへと駆け寄ってその癒しの神器を行使しようとする。
それを止めようとした治療師は、リアスが説明をすることで納得させた。
一誠へとアーシアが触れて、その神器の力を発動させる。翠のオーラに包まれた一誠の右半身は、まるでビデオの巻き戻りでも見ているかのようにすぐに治っていった。
その凄まじいまでの癒しの力は、初見の治療師は勿論、知っていた筈のリアスたちでさえも絶句するほどだった。
時間にして1分ほどだろうか。
肩を大きく上下させて呼吸を乱しながら、アーシアがその手を一誠から離した。
「ハァ、ハァ……。これで、大丈夫だと思います……」
流石にこれほどの大怪我を治すことは疲れるのだろうか、それとも想い人の酷い怪我を見たことで心理的に疲れたのか。とにかくアーシアはその疲労感を隠しきれていなかった。
ゲームに続いてここでも無理させてしまったことに申し訳なく思い、リアスがアーシアの体を抱き寄せた。
ありったけの愛情を込めて、抱きしめながらその頭を撫でてアーシアの頑張りを労ってあげる。
「ありがとうね、アーシア。お疲れ様」
「いえ、これは私の領分ですから」
そう言って疲労の滲んでいる顔で笑みを浮かべて強がってみせるアーシアが可愛くて仕方が無いリアスは、より一層アーシアを強く抱きしめて可愛がるのだった。
その横では、治療師が一誠の容態に問題が無いかを診察し終わったところだった。診察用に展開していた魔方陣を消して、驚愕を滲ませながら診察結果を言った。
「……凄いですね。本当に問題が無いです。火傷、打撲、骨折全て完治しています。……それでは、私はこのことを報告しなければいけないので失礼させていただきます。何か問題が起こればお呼び下さい」
「ええ。貴方もお疲れ様ね。眷属の治療をしてくれたこと、この子の主としてお礼を言わせて貰うわ。ありがとう」
「いえ、それが私の職務ですから……。では……」
ペコリ、と会釈をして出て行く治療師に対して、その場にいた全員が頭を下げて礼を返した。部屋から遠ざかっていく足音だけが暫くその部屋で響いていた。
その足音も聞こえなくなると、一誠の静かな呼吸音以外は音のしない静かな空間が出来上がった。
それから数分が経った時のこと、漸く一誠が身動ぎした。
静寂で満たされていた部屋に、「う……ん」と一誠が呻く声が広がっていく。
その様子に色めきたったリアス眷属の皆は、座っていた椅子から立ち上がって一誠の周りを囲っていった。
暫くそうしていただろうか……一誠の瞼がピクピクと動いて開くと、焦点の合わない瞳で目だけを動かして周りの情報を取り入れようとし出した。
「う……ここ、は?」
無事だと分かっていたものの、実際に一誠の声を聞いたことでその場に居た皆が安堵の溜め息を漏らした。アーシアなど、その目の端に小さく涙を浮かべて喜んでいる。
リアスは微笑みを浮かべながら、思わず出したであろう一誠のその問いに答えるのだった。
「ここは救護室よ。貴方は酷い怪我を負っていたから、ここで治療されていたというわけ」
その言葉で意識が覚醒しだしたのか、一誠の瞳の焦点が合って理性の光が宿っていった。
それと同時に現在の状況と、意識を失う前の状況を思い出した。
隠れて特訓していた必殺技。秘かに自信のあったそれを出したものの、相手は立ち上がり、自分は倒れた。
それの意味するところは――
「負けた、んですね。俺は……」
顔を俯かせて、掠れるような儚い声で呟いたその言葉を、しかしリアスを大声を上げて否定しようとした。
「違うわっ!! あの後、ライザーは「自分の負けだ」と言って
しかし、それは翔の言葉に遮られた。
リアスはそのキツい物言いに思わずキッと翔を睨みつける。
翔はその眼差しを何でもないかのように――寧ろ、そこに存在していないかのように――無視し、一誠へと語りかける。
「イッセー君、あの勝負はキミの敗北さ。……何でかは、分かるよね?」
その語りかけに、俯いて表情を隠しながらイッセーは頷いた。
「ああ……。武術の原点は、「護身」なんだろ?」
「その通りだよ。……あの時、最後の瞬間。キミは倒れてライザー君の胸の内に収まった。何よりも護るべき自分の身を相手に差し出してしまっていたんだよ……。その時点でキミの敗北は明確さ」
その言葉に、布団の上で一誠の拳が強く握り締められる。表情は窺い知れなかったものの、その拳が何よりも雄弁に一誠の心情を見ているものに伝えてくる。
「……イッセー君。今回の敗北を経て……キミはどうしたい?」
「……たい」
翔の問いかけに、一誠は小さく呟いた。しかし、余りにも小さなその呟きは、誰の鼓膜も振るわせることもなく虚空へと消えていく。
「聞こえないよ、イッセー君。……顔を上げるんだ。俯いていたところで、何も見えはしないよ。立ち止まっている自分の足以外はね……。顔を上げてこそ、前を見てこそ見えるものがあるんだ」
その言葉を聞いた一誠がゆっくりと顔を上げていく。
そこには、敗北の悔しさと自らの無力感を直視しながらも、前へと進むことを決意した男の顔があった。
「俺はっ! 強くなりたいっ!!」
静寂広がる空間に、一誠の心の叫びが木魂する。
その言葉を聞いたものは誰もが微笑みを浮かべ、一誠のその決意を見守っていた。
暖かな空気がしばしその場に流れていく。
――と、ここで終われば或いは「いい話だなー」で終わったのかもしれないが。
翔がここで行動を起こさない筈がなく。
「そっか……。なら、師匠としてそれに応えないわけにはいかないよね……」
眼から怪光線を。体から威圧感を放ちながら翔がそう言って懐を探り出した。その動きに一誠は「ゴゴゴゴゴ」という擬音を幻視した。
そうして取り出したのはラベルの張っていない小さな瓶。その瓶自体も何だか異様な威圧感を放っているような気がするソレ。
とても見覚えのあるその瓶に思わず一誠は「げっ!?」と声を漏らしてしまった。
一誠は震える指(決して疲労から震えている訳ではない)で指差しながら、自身の予想が外れていてくれと心底から祈りながら翔に尋ねた。
「か、翔……。そ、それは……?」
「勿論、疲労回復のための漢方だよ」
「ひっ!? く、来るな……!!」
分かりきっていた筈のその答えを聞いて、一誠はそこがベッドの上だということも忘れて後ずさってしまう。背中が壁に触れても後ずさろうとしていることから、その恐怖心が察せられる。
翔が瓶の蓋を開ける。その瞬間に開放された異臭が流れ出て、一誠たちの鼻を刺激した。黒歌はちゃっかり結界を張って難を逃れている。
「な、何だ、これ!? いつもよりきつくないか!?」
「そりゃあ、いつもよりも強烈な物だからねえ。決して、後から気付いたけど一誠君を利用して制限時間一杯まで粘られていたらどうしていたんだとか、変なところで無理しやがってとか。そんな気持ちを込めているわけじゃあないよ? 早く疲労回復して欲しいと願う師匠心さ」
じりじりと近寄っていく翔。それと同時に強くなっていく怪光線。
「それ、語るに落ちているよな!? 完全に罰代わりだろ!?」
「はっはっは……。いいから飲む!!」
そう言って翔は無理矢理瓶を一誠の口に押し当ててその中身を一誠の口に含ませるのだった。
「ぐぼっ!? がぼっ!? ……~~!?」
その中身を全て注ぎ込まれた一誠は、ぐるりと白目を剥いてベッドに崩れ落ちた。その口からエクトプラズムが漏れ出ているようにリアスたちの目には見えたが、誰もツッコムことは出来なかった。
手をパンパンと払いながら、翔はベッドから離れていく。
「それじゃあ、僕は修行メニューの組み立て直しがあるので、これで失礼させていただきますね」
「じゃあ、私も帰らせてもらうにゃん」
「え、ええ……」
そう言って救護室を出て行く2人を、リアスは呆然と見送ることしか出来なかった。
暫くの間、その部屋では口からエクトプラズムを出している一誠と、呆然としているリアス眷属の姿が見られたそうな。
勝利の結果として婚約が解消されたとグレイフィアが伝えにくるまで、その状態は続いたという。
その結果を聞いても、どこか上の空なリアス達に瀟洒なメイドさんは首を傾げたとか何とか。
◇◇◇◇◇◇
救護室から出て、元の空間――所謂人間界――へと戻ってきた翔は、家路へと着きながらも気分が沈んでいくのを止めることが出来なかった。
隣を歩いている恋人が、喋ることなく、また必要以上に密着することもなく静かに歩いてくれていることに感謝する。
ちょっとしたことでも、今は感情が細波を立てるように揺らいでしまうだろうから。
とは言え、静の武術家であるのにいつまでもこれではいけないだろうと、翔は一端深く呼吸して空気を体の隅々まで行き渡らせる。
もう何回、いや、何千回と繰り返して文字通り息をするように行うことが出来る呼吸法で気持ちを落ち着かせると、翔はその手を動かした。
黒歌の手を、その感触を、存在を確かめるように徐々に指を絡ませるように繋いでいく。
それだけで沈んでいく気持ちが多少は持ち直すのだから、自分でも安いものだなあ、と思わなくもない。
でも、こんな風に気持ちをすぐに落ち着かせることが出来たのは、間違いなく隣の恋人のおかげだろうから。
「ありがとう、黒歌さん」
「フフ、気持ちは落ち着いたかにゃん?」
「はい、何とか……ね」
そう言って深く溜め息を吐いた。その一息で沈鬱な気持ちの10分の1でも出て行けばいいとばかりに深く重い溜め息だった。
その溜め息の原因が何であるかを、長年の付き合いから察している黒歌は苦笑を浮かべていた。
「ほら、反対の手も出す。幾ら自分が許せないからって自分の
「……ありがとう」
そう言って翔が繋いでいるのとは反対の手を差し出すと、そこには爪でパックリと切れている手の平があった。余りにも強く握り締めたことで自分の爪で切れていたのだ。
興奮によって分泌されたアドレナリンによって血が止まっているものの、塞がっていないため赤い肉が見えている。
その手の平に指先で触れる黒歌の手は、優しい光に包まれていた。
それが仙術――引いては、森羅万象、宇宙を満たす根源的な生命エネルギーである『氣』――の光だと気付いていた翔は、不思議に思うことなくその暖かな光を受け入れる。
内側より治癒力を高められることによって、その傷はすぐに皮膜を張って肉が見えなくなった。
「はい。まだ完全には治ってないけど、それで充分にゃん」
「うん。あんまり頼りすぎてもね……」
充分に痛みが引いたその手の平をグッ、パッ、と開いては閉じてを繰り返して調子を確かめる。充分だと言えるほどには治っていた。
繋いでいる方の手も、恐らくはとっくに直されているだろう。
暫く、そうやって喋ることなく歩いていた2人だったが、翔がおもむろに呟いた。
「難しい、ね……。こういう時、師匠の偉大さを再確認するよ……」
何が難しいのか。何にそう思っているのか。
それを言葉に出すことなく、黒歌は翔の言っていることを理解していた。
黒歌は、自分の暖かさを翔に分けるかのように、ぎゅ、と腕に密着しながらその言葉を口にした。
「翔……。今回の敗北を経て、キミはどうしたいの?」
それは、翔が先ほど一誠へとしていた問い掛け。
その言葉の奥に含まれていた真意を読み取った翔は、俯きかけていた視線を上げて、前をしっかりと向いた。
先ほど自分が言っていたことだから。俯いていても何も見えはしない、と。
「強くなりたい、かな? 1人の武人としてだけじゃあなく、師匠としても、ね」
そう言っている翔の眼には、確かに遥か前を進んでいる先達の背中が映っていた。
その背中はその間に隔たる距離も分からない程にまだまだ遠くて。
技も、体も、そして何より心なんて比べることすら烏滸がましいけれど。
それでも、少しでも届くようにと翔はその手を前へと伸ばしていた。
「いつかは届いて、追い越して見せるよ」
その手を下ろした翔は、黒歌の目を見つめてそう厳かに宣誓した。
翔のその言葉と、先ほどよりも力強さの感じられる表情に、黒歌は嬉しそうに満面の笑顔になるのだった。
副題元ネタ……謎解きはディナーの後で
というわけで反省回&エピローグ。
翔の言葉をひねり出すのに苦労した結果、ギャグ的な感じで有耶無耶に流しました。
そして、久々に黒歌がヒロインしていたような気がします。
翔も高校生ですから、悩むこともあるということですね。そして黒歌は大人の包容力でそれを包み込むと。
そんな感じを表現できていたら良いなと思います。